F&Aレポート
節分・立春・椿祭が終わり、窓に差し込む光の感覚が変化してきました。春に
向けて大きく動き出したという感じですが、皆様いかがお過ごしでしょうか?
時間が経つのは本当に早いもので、1ヶ月はあっという間に過ぎてしまいます
ね。月3回という目標をなかなか達成できないのは、本当に情けないことです。
さて、前回のメールで今年は大変なことが起きそうだと書いたら、本当に起き
てしまいました。昨年の耐震偽装問題から、ライブドアから始まり、米国産牛肉
輸入、防衛施設庁の談合、皇室典範と、ホントに続けていろんなことが。皆様ご
自身、または周りの方で影響を受けた方はいらっしゃらないでしょうか?なぜこ
んなことになったのか?小泉政権が春頃に終わってしまうという話もありますし、
政治情勢も混沌としてまいりました。
そういった事件の中でも、ライブドア事件は、法律という国の根本的な問題に
つながるものです。「法に触れなければ何をしてもよい」という堀江社長の発想
は、日本の法曹関係者も否定できない部分ですが(それは新聞等のコメントでも
取り上げられています)、英米法を根底に置く証券取引法の発想はこれと異なっ
ています(だから堀江社長は証券取引法違反で逮捕されたわけです)。英米法は、
判例の集積で法体系を構築していますから、初めに成文法(条文)ありきではな
く、実態から問題点を検討し、現時点での解決を図らなければならないわけです。
問題は、今の日本でどこまで英米法の考え方を貫くことが出来るか?という点
ですが、これはもっと深く考えなければならないことですし、そもそもそのよう
なレベルで日本人がライブドアの問題や、国家や法律の体系の問題を考えている
かというと、疑問に感じる部分です。法律に携わっている方でも難解な問題を、
私たちが理解し、習得して行かなければならないわけですから、本当に大変です
が、時代の転換点を迎えて、無視することはできないのでしょうね。
ところで、民主党のメール事件は、戦法を間違ったようですね。メール自体は
本物のようですから、前回選挙同様、小泉さんの方がけんかには強いことを改め
て立証したと言うことのようです(ああ出ることしか自民党はできなかったとも
いえます)。ただ、この事件は自民党に深く根付いていますから、もう少し先を
見る必要がありそうです。
インフルエンザ流行など厳しい季節が続きます。皆様どうぞご自愛くださいま
せ。
F&Aレポート1月20日号[PDF版]「人は『企業』を表現する」InternetDisk
F&Aレポート1月31日号[PDF版]「日本通貨論 進んでいた日本の通貨・金融シ
ステム」InternetDisk
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人は「企業」を表現する 「見た目」を磨く
松下幸之助氏の名言「企業は人なり」の通り、企業イメージに経営者が占める要素は
非常に大きい。その言動や外見により企業のイメージは容易につくられてしまう。松下
電器といえば松下幸之助、本田技研といえば本田宗一郎というイメージが今でも核とな
っていることを考えると、その意味はよくわかるだろう。しかし、経営者全員がそのよ
うなカリスマ性を持っているとは限らず、持っていたとしても存分に発揮することは難
しい。だからこそ、自らを「演出」する力が必要なのだ。つまり「見た目」の要素が非
常に重要になるのだ。
中小企業においても、日本と世界の垣根は失われつつある。突然どんな大舞台が待っ
ているかわからない。どこに出ても恥ずかしくないビジネススキルと堂々とした振る舞
いや、それなりの「見た目」が必要ないとは言えない時代なのだ。
- 3V「ビジョン(vision)、ビジュアル(visua l)、バリュー(value)」の実現
- 自分の強みを発見する
- メッセージを明確にする
- 経営状態、業績を前向きにする
1,3V「ビジョン(vision)、ビジュアル(visual)、バリュー(value)」の実現
「ビジョン(vision)」を持ち、「ビジュアル(visual)」として表現し、「バリュー(value)」
自分の価値を高めることができる。この3V が実現できる人は、自らの信念、哲学を明
確に持ち、適切に表現できる人である。
現在の企業で成功できる条件に“ビジョナリー・カンパニー”(日経BP 社)というも
のがある。スタンフォード大学教授ジェームズ・C・コリンズ氏らによれば、その定義
は「基本理念を維持しながら変化を促進する、時代を超えて永続する真に卓越した企業。
ビジョンを持っている企業、未来思考の企業、業界で卓越した企業、同業他社の間で広
く尊敬を集め、大きなインパクトを世界に与え続けた企業」ということになるらしい。
3V を実現するためには、“企業”をすべて“人物”に置き換えれば良い。「基本理念を
維持しながら変化を促進する、時代を超えて永続する真に卓越した人物。ビジョンを持
っている人物、未来思考の人物、業界で卓越した人物、同業他社の間で広く尊敬を集め、
大きなインパクトを世界に与え続けた人物」
信念があり未来への展望を持つ人、これは見た目で明らかにそれとすぐわかる。情熱
や活気が自ずと表れてくるからである。見るからに“自信なさそうな”人に、誰が喜ん
でついていくだろうか。これは「見た目」の基本中の基本である。
2,自分の強みを発見する
「リーダーは、自分自身の人生で経験した生の素材をもとに、自分のスタイルをつく
らなければならない」そう語るのは、前ニューヨーク市長ジュリアーニ氏である。「生の
素材」は、言い替えれば、自分が持っているものの中に真の素材を見つけることができ
れば、その自信がオモテに出る、従ってイキイキとした自分のスタイルをつくることが
できる。
たとえば、現在に至るまで、どこで(学校、会社、部署)どんな経験を積んだか?営
業経験、海外赴任、スポーツや音楽に熱中したこと、挑戦してきたこと、信条・・・バ
ックグラウンドを振り返ってみると、自分の強みが見えてくる。この強みこそ自分のイ
メージをデザインするための基礎となるのだ。まず、自分の強みを振り返る。そして未来
の自分をイメージし、現在の自分と目指す自分のギャップは何か考える。そのギャップ
を埋めるために必要なものを具体的にする。これが「自分ならではの見た目」をつくる
ヒントになる。
3,メッセージを明確にする
ターゲットと目的に合わせて伝えるべきメッセージを明確にすること。例えば、伝え
たいのは、積極性なのか慎重性なのか。強さなのか柔らかさなのか。熱さか冷たさか。
伝えたい相手は社内か社外か。社外であれば取引先か一般ユーザーか。撮影であれば用
途は何なのか。会社案内かホームページ用か。広告かマスコミ取材か。また、伝える場
は、講演、プレゼン、社内会議、商談、イベント、パーティーなどのどれなのか。メッ
セージが絞り込まれていないと、伝えたい話の意図も伝わらないのである。
時と場所に合わせてメッセージを明確にし、発信する「見た目」を最も効果的にする
服装、色遣い、マナー、話し方などをマネジメントしていくということである。
4,経営状態、業績を前向きにする
好調の時は、意識せずとも表情は生き生きし、言葉の歯切れも良い。しかし、どんな
企業も、個人も常に絶好調というわけにはいかない。自分自身も業績もスランプにある
ときは、マイナスの心理が働き、姿勢が悪く表情や声のトーンも暗くなりがちだが、そ
んなときこそ努めて前向きに行動し明るい「見た目」を表現するべきである。人は、明
るい方向、エネルギーを感じる人に惹かれるからだ。働く人間が生き生きと見えれば、
ましてそれが会社で注目されている人物ならば、企業のイメージ自体をも前向きに変換
できる。自分の信念に自信を持ち「見た目」を磨いていけば、自分自身が企業に変革を
起こす事も可能なのだから。
日本通貨論 進んでいた日本の通貨・金融システム
大河ドラマ「巧名が辻」では、山内一豊の妻・千代が嫁入りのときに父から「夫の一大事に使いなさ
い」と手渡された十両で駿馬を買い、その駿馬が織田信長の目に留まり、これを機に一豊は、数々の巧
名を立てるきっかけをつかんだと言われています。まさしく「内助の功」と唱われるその十両ですが、
今回は江戸時代の通貨精度を振り返ってみましょう。宿輪純一著 「日本通貨論」より面白い記事を見
つけましたので、抜粋してお届けします。
1,江戸時代の通貨制度
江戸時代には金(小判 両)と銀(匁もんめ)と銅(銭 文)の三通貨から成り立っ
ていました。幕府が通貨発行権を独占しており、17 世紀初頭の公定相場では、一応、1
両=50 匁=4000 文となっていましたが、実際には三通貨の相場は「変動」していまし
た。つまり、国内で変動相場制のメカニズムが存在していたのです。それは、需給によ
って、日々変動していました。たとえば、金の産出量が増えると、金が余り気味になり、
銀に対する金の値段が安くなりました。また、金には大判と小判がありましたが、大判
は記念品(贈答品)で実際に使われることはあまりありませんでした。さらに、銀は(こ
れが特徴なのですが)「重量(重さ)」が単位として使われました。これを秤量通貨とも
いいます。そのため、重さの単位である「匁」が使われているのです。(1 匁=3.75 グラ
ム)。銀は貴金属としての価値を重視したモノサシとしての役割を果たしていました。
また、「東国の金遣い・西国の銀遣い」という言葉がありますが、江戸を中心とした東
日本では「金」が主として使われ、大坂(大阪)を中心とした西日本では「銀」が主と
して使用されました。これは東日本には佐渡金山などの金の産地が比較的多く、西日本
では石見銀山など銀の産地が比較的多かったからです。また、西日本では昔からの貿易
で、中国やスペインから入ってきた銀貨の影響もありました。このとき、たとえば江戸
に行く人が増えてくると、江戸で使う金の必要性が増し(金を購入し)、金の値段が変動
して高くなることもありました。
2,先物市場も保有した先進的な市場システム
金・銀・銅の他に「米」もまた通貨としての役割を果たしていました。よく武士の年
俸は「何万石」などといって米の量(出来高)で決められていました。そして、大名は
「蔵」に米などを保管して、おカネ(貨幣)が必要になると換金して使っていました。
江戸時代は大坂が天下の台所として、日本の経済の中心地でした。大名は自国で得た
米を「(米)市場」がある大坂で「銀」に換金していました。その銀を必要に応じて、金
に交換していました。そのため多くの「両替屋(現在の銀行)」が存在していました(両
替屋は預金も受け入れていました)。さらにはその両替屋は大坂北浜の「金相場立会所」
で売買を行い、相場を決めていました。また、米を銀に換金するときに、大坂堂島の米
市場では需給をベースにして米価が決まりました。しかも、米の「先物取引」まで行わ
れていました。先物市場はシカゴ先物取引所が1865 年に設立され米国では最古ですが、
世界では大坂が最古で1730 年代にはすでに商品先物取引所が存在していました。
3,補助通貨:銅貨(銭)と藩札
17 世紀の徳川家光の時代には、銅貨「寛永通宝」が大量に発行され、その後も発行し
続けます。「寛永通宝」はその後も銅貨の代表となりました。あの「銭形平次」が投げて
いたのもこの寛永通宝です。穴が開いているので紐を通して保管・輸送が可能でした。
寛永通宝は交易にも使用され、良質の鋳造物であるため海外でも評価が高く、そのこ
ろアジア諸国でも使用されていました。ちなみに「ベトナム」の通貨「ドン」の語源は
寛永通宝の「銅」ともいわれています。また、17 世紀後半になると、藩の領内で通用す
る「藩札」という紙幣が「藩(大名)」から発行されました。公式には幕府が禁止してい
たにもかかわらず、幕末までに大量発行されました。これは現在でいうと、「地域通貨」
や「地方債」のようなものです。これは藩(大名)の信用がベースになったもので、現
在の紙幣の先祖に当たります。
4,先進的であった江戸時代の金融システム
18 世紀になると、本格的に日本は通貨経済の時代を迎えます。立会所を活用した「三
通貨変動相場制」主要生産物である米をベースにした「先物取引市場」、質の良い「金属
鋳造技術」、そして、地方分権化の象徴ともいえる信用をベースとした「藩札」というシ
ステムは、非常に高度化・洗練されたもので、明治3 年まで続きました。江戸時代の通
貨・金融システムは、現在の日本のそれよりも良いメカニズムということができるかも
しれません。
このシステムは江戸と大坂というふたつの中心都市によって成り立ち、支えていた制
度ということができます。18 世紀の江戸時代においては、江戸と大坂は隆盛を極めまし
た。江戸は100 万人を突破し世界最大の都市になり、大坂もロンドンやパリと同程度の
40 万人を超える人口を擁しました。江戸は政治・消費都市であり、大坂は供給・商業都
市で、経済・金融の中心ともいうこともできました。金をベースにした東日本と、銀を
ベースにした西日本の経済規模の比率は4 対6 ともいわれており大坂の経済力が分かり
ます。
日本には「古来」より通貨・金融において「世界最先端」の洗練された仕組み(システム)がありまし
た。このように、歴史と素地がある日本は金融面でももっと「自信」を持ってもよいのではないでしょ
うか。
さて、皆様にとって今年はどんな1年だったのでしょうか?私どもにとっては 大変な変化の年でした。年賀状にも書きましたが、3月に突然事務所移転の話が でて、6月に実行。9月はふじわらフォーラムの開催。10月は日税連公開研究 討論会で720名の全国の税理士さんや大学教授を前に発表。ホントに良い経験 でしたが、とにかく疲れました。年齢的にも、体のことを真剣に考えておかない といけないなとつくづく感じました。
国の内外でも、変化の年でした。変化とは、良いことばかりではありません。 自分や社会にとって悪いこともあります。変化に単純に追随してしまうと、大変 なことになる可能性もあります。そこをしっかり読み取って、変化に上手に対応 しておくことが必要です。例えば、株式市場については、またまたバブルの可能 性があります。金先物でも年末に大変なことが起きたようですが、世の中の雰囲 気だけで意思決定していると、世の中と一緒に暴落に付き合う可能性もあります。 知識と情報と判断力、しっかりもって行動してください。
来年以降もいろんな変化が出てくると思います。その変化を正確に読み取って まいりましょう。
皆様にとって、2006年が素晴らしい年であることをお祈り申し上げており ます。来年もどうぞよろしくお願い申し上げます。共に元気にがんばりましょ う!さ、残る年賀状作りにがんばんなくちゃ。
F&Aレポート12月30日号[PDF版]「2005 年エフ・アンド・エイ・レポートダイジェスト版」InternetDisk
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〜特集〜2005 年エフ・アンド・エイ・レポートダイジェスト版
2005 年「今年の漢字」は「愛」。かつてのクラブ・アクエリアス講師で清水寺 森清範貫主が、大改修を行った
ばかりの清水寺奥の院ひのき舞台で発表された。「愛」の必要性と「愛」の欠乏を実感した一年だという。「愛」を
選んだ理由には、紀宮様のご成婚をはじめ、純愛ブームや芸能スポーツ界での結婚ラッシュなどに身近な「愛」を
育む大切さを感じると同時に、世界規模で展開された大型ハリケーンや地震等の被災者救済劇や、21世紀最初の
万博「愛・地球博」が大成功したことに世界規模の「愛」を育む大切さを感じたことが挙げられている。さて、我
が身の一年はいかに?反響のあったアクエリアスレポートで1年を振り返ってみたい。
1,「思考力格差の時代」知的に怠惰な人間は生き残れない
世界経済が激変し、これまでの経済原則の全く通じない新しい経済が生まれてきた。この新しい経済、新しく発
見された大陸には陸地がまったくない。いわば「見えない大陸」である。新しい経済、見えない大陸でビジネスマ
ンに求められる思考回路とはどのようなものか。それは端的に言えば「論理的思考」、論理的に考える頭脳回路であ
る。当たり前と思うかもしれないが、日本企業では往々にして過去の成功体験や経験則に基づく「思い込み」がビ
ジネスを支配している。しかし、これからの時代、論理的思考がなければビジネスマンとして生き残ることができ
ない。そればかりか、この世の中で何が起こっているのかさえ理解できないであろう。逆に論理的な思考回路さえ
持っていれば、必ず新しい世界でも臆せず戦っていくことができる。新しい時代は、思考力によって極めて大きな
格差が生まれる時代、すなわち「思考力格差」の時代なのだ。だからこそ、日頃から思考力を鍛錬し、論理的思考
という武器を手にする必要があるのだ。(大前研一著「考える技術」)
2,「運命の法則」幸運は意図的に招き寄せることができる
「チームが夢中になって仕事をしていると、突然スイッチが劇的に切り替わることがある。その状態になると、
怖いものなしになる。どんな困難な局面でも必ず突破口が開かれる。新しいアイデアが湯水のようにわき、必要な
人と絶好のタイミングで会い、プロジェクトを成功させるのに必要な技術や部品が出現する。まさに好運の波に乗
った状態になる」と、著者は1999 年初回生産の3,000 体はインターネット販売のみにも関わらず、20 分で完売。
その後も注文が相次ぎ、最終的に15,000 体を売り上げた「AIBO」の開発プロジェクトを振り返る。「燃える集団」
状態になると、わずかな共時性にも敏感になり、突拍子もないような話が次々に成功してしまうのだ。では、どう
やったら「燃える集団」状態に誘導できるのか?目標も人材も揃い、志気も高い・・しかし、それだけでは「燃え
る集団」にはなれない。理性をはずし、高揚した気分に持っていける強力なプロジェクトリーダーが必要なのだ・・・。
3,「ズッコケ三人組」世代を越えたロングセラー
作者 那須正幹(なす・まさもと)氏は1942 年6 月6 日、広島市己斐(こい)本町で生まれ、3 歳のときに爆
心地から3キロの自宅で被爆している。小学校6年生の頃から昆虫採集に熱中し、昆虫の研究をしたい一心で島根
農科大学林学科に入学するが、卒業後はサラリーマンになり26 歳のときに児童文学を手がけるようになった。「ズ
ッコケ三人組」が誕生した頃は30 代だったのに今や60 歳を過ぎている。第1 巻から第50 巻までを手がける約30
年間、時代の変化やトピックスを取り入れながら三人組を活躍させてきた。また、興味のあることや、面白そうだ
と思ったことは、徹底的に取材をして作品に反映させた。「ダイエット」「プチ家出」など、現代を象徴するテーマ
が、「ズッコケワールド」に翻訳されているが、そこには、作品の向こう側で目を輝かせて「三人組」を読み、ズッ
コケを疑似体験する子供達と真摯に向き合う作者のプロ根性が伺える。興味のあることへの探求心と、この真摯な
姿こそが、長年にわたり子供達の心を惹き付けてやまない要因の一つになっていることは間違いないだろう。
4,「人を辞めさせない会社」”人”と”運”
「一度入社したら、なんとかその人間の良さを引き出すようにして、とにかく辞めさせないというのが、我が社
の基本方針なんです。どんなダメな奴でもどこかいいところがあるでしょう?せっかく縁あってうちの会社に来た
んだから、社内全員で一人一人を辞めさせないように取り組んでいくんです。そうしていくうちに社員の気持ちが
一つになっていくし、会社の中の雰囲気もものすごく良くなるんです」。ある中小企業の代表者が話してくれた。そ
の会社は数年前に3人の仲間と立ち上げた水産業の会社だが、今や社員は15名、アルバイトやパートを含めると
20名程度になる。不況にあえぐ企業が多い中で右肩上がりに順調に伸びている。ひと昔、ふた昔前の日本なら当
たり前の話だったかもしれないが、「能力主義」「リストラ」などで人を斬ることが珍しくなくなった昨今では珍し
く新鮮な話を聴いたような気がした。
5,「未来の風」万博にそよぐもの ロボット編」
今から154 年前、時は産業革命の真っ盛り。1851 年、人類史上初の国際博覧会がロンドンで開かれた。この第
一回ロンドン万博では、輪転機、目覚まし時計、シャワー付きの風呂などの生活をより豊かにするための製品が未
来の産物として披露された。より具体的な未来の生活シーンが人々の消費意欲や勤労意欲をかきたてた。農業化社
会から工業化社会へ移り変わろうとするこの時代、万博は来るべき理想の世界の縮図を一日で疑似体験できるショ
ーケースとしての意味合いがあった。新しいテクノロジーの波とそれに呼応して変化する社会を見事にイベントと
して成立させたのが「万国博覧会」だった。
6,「ものづくり企業ブランドの再生」MDI(マツダ・デジタル革新)がもたらしたもの
マツダは新車のデザイン開発から、設計・実験・生産準備までを共通のデジタルデータで結び、開発者の機能性
と生産性の設計を同時並行で行う「MDI」の構築を、1996 年から進めてきた。1996 年といえば、マツダの業績は
どの数字を見ても惨憺たるものであったが、このデジタル革新は順調に成果を上げ、2004 年4 月からは計画の第
2段階である「MDI-U」をスタートさせている。どうやってデジタル革新を推し進めてきたのか?マツダ 第二IT
ソリューション部 滝口哲郎部長のレクチャーをもとに、MDI プロジェクトの経緯を紹介しながら、国内自動車メ
ーカー五番手の“平凡な企業”の復活劇をレポート!
7,「環境先進技術」建物が丸ごと新しい環境技術と素材の実験場 長久手日本館編
愛・地球博は、テーマ「自然の叡智」の通り、随所に自然環境に配慮したシステムが取り入れてある。それらは、
物見遊山程度に万博を歩いて回るだけでは気付かない部分も多いが、「万博バックヤードツアー」に参加すると脱温
暖化社会に向けた取り組みや自然環境の保全、3R とよばれるリデュース、リユース、リサイクル等の徹底配慮が見
えてくる。4 月28 日クラブ・アクエリアスで主催した環境技術バックヤードツアーから。
8,「中国のおしゃれ市場は2010 年に1388 億元」
中国で女性の「おしゃれ」に関わるマーケットが急拡大している。「おしゃれ」に関するマーケットとは、具体的
にはエステティック・サロンや美容院、化粧品、ブランド衣料、ジュエリーなどの市場を指す。これらの商品・サ
ービスのうち統計によって把握できるものについてみると、まず化粧品の売上高は増加基調が鮮明となっており、
2003 年は前年比+17.9%増の207 億元となった。最近では、20 代の女性を中心にデパートや通信販売で外国製の
高級化粧品を購入する動きも出てきているという。
一方、指輪やネックレスなど各種のジュエリーについては、これまで個人の金輸入に関して厳しい制限があった
ことなどから2001 年頃までは需要が低迷していたが、その後、規制が徐々に緩和されてきたことを受けて2003
年の売上高は前年比+11.7%増の163 億元と急増している。女性が身につけるジュエリーの種類も多様化しつつあ
り、たとえば広東省や広州市などでは、歯にアクセサリーをつけるいわゆる「ティース・ジュエリー」が流行して
いる。
9,「2005 開運の島」久米島
楽天イーグルスのキャンプ地としても有名になった久米島。久米島町長(高里久三氏)は、久米島が楽天イーグ
ルスのキャンプ地となるまで、何度も本土にわたり球団側と折衝を続け、草野球場といわれた仲里野球場をプロ球
団の練習場に相応しい設備を整えたのは町長の政治生命を賭けた熱意だった。昨年11 月にキャンプ地が決定して
わずか3ヶ月で、球場を両翼100 メートルまで拡張、赤土がむき出しだった内野グラウンドには本土から運んだ黒
土を入れ、外野は緑の芝生に張り替えた。さらにブルペンや打撃練習場の新設、スタンドの設置などの全面的な改
修をキャンプインに間に合わせた。日本の最南端に近い小さな島をもっと活性化させ、人とモノが行き交う21 世
紀の大交易時代を築きたい、その夢を語る町長の目は昼間に出会った久米島の子供達と同じ目をしていた。久米島
には昔から「子供には教育を残せ」という躾の方針があるという。
10,「“生きている”瞬間を生み出すコンサート」佐渡裕氏率いるシエナ・ウインド・オーケストラ
指揮者は経営者、楽団員は社員。素晴らしい腕を持った演奏者がいても、その腕を引き出せるかどうかは指揮者
の腕にかかっている。優秀な技術が集まっていても、必ずしもいいモノが生まれるとは限らないのだ。
指揮者がいかに曲を解釈し一人一人の力を引き出し、全体として素晴らしい音楽を表現するか?その仕事は経営
者のそれと大差はない。日々の仕事は生ものである。今日良かったから明日も良いという保証はない。その瞬間瞬
間が生きているのである。
11,「経営者は”声”が大事」声は変えられる 磨きをかけよう 毎日数分のトレーニング
ある著名な方の講演会に行った。経営にまつわる色々な話をされる中で「経営者は声が大事」という話があった。
「どんな立派ないい話をしても、声が通らないと相手に伝わらない。説得力がない。経営者は人を動かすのが仕事
なんだから声をもっと鍛えるべきだ」と。日頃、意識することもなく自らの呼吸に任せて発しているのが現状だが、
毎日、数分のトレーニングと、心がけで声は確実に変わるというのだ。
12,「産廃からブランド豚育成物語」7000 坪のファームに広がる循環、共生、子供達の夢
広島市の北部、太田川源流に近い山間部に、知る人ぞ知るファームがある。このファームは、平成13 年、広島
市の一産業廃棄物業者の「食品リサイクル」という概念から誕生した養豚場であるが、豚だけでなく、ダチョウや
ヤギ、ポニー、クジャク、ガチョウ、犬といった様々な動物達がゆったりと飼育され、近隣の幼稚園や小学生の子
供達が遠足で遊びに来るふれあい動物園の要素もある。養豚にはまったくの素人であった一産廃企業が、この土地
で鹿児島の黒豚にも並ぶ卸価格で取引される程の広島初のブランド豚育成に成功し、ファームを事業として展開し
ていくには、さまざまな物語があり企業理念があった。そして、この新しい取り組みは有望なビジネスプランとし
て、2004 年日本商工会議所青年部ビジネスプランコンテストで準優勝に当たる会頭賞に輝いた。
13,「世界遺産高野山の神秘を訪ねて」
「弘法大師という偉いお坊さんが、真言宗のお寺、金剛峰寺を建てた」と、歴史の時間に教わったのはいつだっ
たか。何かとても神秘的で、由緒あるところらしいという、その程度の知識で参拝の機会を頂いたというのも、高
野山の懐の広さなのではないかと思う。また、昨年、「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産に登録された高野
山は、日々大勢の信者や四国四十八カ所の霊場を巡ったお遍路さんたちをはじめ世界中から参詣客が集まっている。
14,「21 世紀の超健康法」植物マルチミネラル 20 世紀のビタミンから、21 世紀のミネラル栄養学へ
例えば、胃ガンが発見される。薬や手術等、何らかの処置によりガン細胞を撲滅させる、もしくは摘出する。そ
の後、しばらくして別の部位にガン細胞が見つかる。再度除去する。しかし、このようなケースの場合は、ガン細
胞が再発した時点で、同時に複数以上の箇所に転移していることが多いという。このことから、胃、肝臓、腎臓と
いった各臓器レベルで健康を考えるのではなく、人間の身体全体の細胞レベルで健康を捉えるのが重要であること
がわかる。人間の身体にある約60 兆個の細胞のひとつひとつが正常に機能し、常に良いバランスを保っているこ
とが健康のキーになるのだ。
ミネラルは微量栄養素であるが、人間の身体が正常に機能するのに、絶対不可欠で、尚かつ体内では合成できな
い(外から取り入れるしかない)極めて重要な栄養素である。今、健康の先駆者達の関心はミネラルに向けられて
いる。
15,「内部統制の時代」他山の石?危機管理としての内部統制
「危機管理って何ですか?」と、皆さんに問いかけたら答えていただけますか?たいていは「あーリスクねー、
危ないことかなぁ」という風に言われる。リスクというものを簡単にご説明すると、最近、日経新聞にもよく出て
いるんですけれども“内部統制”ってことなんです。「内部統制を確立しよう」と。これがね、危機管理の一弧にな
るんですよね。リスクが内部統制の弧、構築なんです。昔は「リスクは見えないもの」って単純に判断していれば
良かったんですけど、見えないもの触ったらお金かかって大変です。だから、どこから触ろうかってことになるん
ですが、リスクにはミドルクライシスとクライシスがあるんです。日本は単純明快で、危機全てが危機なんですけ
れどね、アメリカでは分けてます。
クライシスっていう言葉、最近メジャーになってきたのでご存じの方も多いと思うんですけど、何がミドルで何
がクライシスなのか?まず1つめはマスコミなんですよ。マスコミに情報が流れちゃった、次に行政、司法、それ
からステークホルダー。それらに情報が漏れたのものをクライシスと言います。((株)エス・ピー・ネットワーク
常務取締役 関根光郎氏 クラブ・アクエリアス講演録より)
16,「社員の躾」“お辞儀”編
「お見送りにも企業のしつけ度を感じます。企業訪問すると、受付でその企業の元気度が分かります。社員の方
と話していると企業の文化度を感じます。社長とお話しすると、その会社の哲学が見えてきます・・・○○本社で
××社長とお話したときのお茶出しは感銘しました・・・」
“座布団の正面見分ける”という松下幸之助のエピソードに「100 人に一人、1000 人に一人に本物を見抜く人が
いる。その目を恐れて仕事をしなければ本物にはなれない」という話があるが、先に紹介した便りには「本物を見
抜く目」らしきものが感じられる。
12月に入ったとたん続いている厳しい寒さはまだまだ続きそうな気配です。
ホワイトクリスマスなんて気分も寒くってそれどころじゃないってことありませ
んか?
とにかくいろんなことがあって気が付けば今年ももう終わりです。23日が祝
日になって、今日の普通にお仕事という方も多いのではないでしょうか?そんな
朝刊のトップ記事は、「日本の人口初の自然減」です。今年1年間で、出生者の
数が死亡者の数を上回り、その差が1万人になったとか。これは日本の歴史の中
でもとても大きな出来事です。
私が東京から愛媛に帰ってきたのは20年前。帰ってきて思ったことは、街を
歩いてる人が少ないと言うことでした。東京から来たお客様も同じようなことを
お話になります。さびしいなと思っていたのですが、それでも内子の山の中みた
いなところに仕事で行ったときに、子どもが遊んでいる姿を見るとホッとしまし
た。子どもって世の中の活力ですね。それから、大人が子どもから学ぶことって
少なくありません。これは私自身の経験です。ちゃんと子育てしたか?と言われ
ると、反論は難しいですが、しかしそれなりには学んだつもりです。
子どもが主体・客体になる事件が連続していますが、これも世の中が子どもか
ら学ぶ豊かな感性がなくなってしまったと一言で片付けることもできるかもしれ
ません。
そして、姉歯事件にはあんなに敏感に反応した官僚や政治家も、この件に関し
ては音なしの構えのようです。マンション問題は、責任に関わるが、少子化の問
題は関係ないということでしょうか?しかし、根が深いのは少子化ですね。
いずれにしても大きな転機。これから自分たちの生活がどうなるのか?どうし
ていくのか?しっかり考えるにはよい時期だと思います。
前回、続きは次回としましたが、続いているような内容ということにさせてく
ださい。
厳しい寒さの中、皆様どうぞ暖かくしてお過ごし下さい。
F&Aレポート12月10日号[PDF版]「セルフマネジメント力『いかにふるまうか』」InternetDisk
F&Aレポート12月20日号[PDF版]「クレーム処理に見る言葉選びとその配慮InternetDisk
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〜特集〜セルフマネジメント力「いかにふるまうか」
自分自身の動作をマネジメントする
1,ビジネスはプレゼンの連続
ビジネスはプレゼンテーションの連続である。なぜなら、ビジネスは自分のアイ
デアやプランを相手に正確に伝え、説得し、同意を得る事の繰り返しだからだ。顧
客に企画を通すのもプレゼンなら社内稟議を通すのもプレゼン。仕入先に値段交渉
するのもプレゼン、名刺交換で初対面の相手に自分に興味をもってもらうのもプレ
ゼンである。つまり、プレゼンの成功なくしてビジネスの成功もないとも言えるの
だ。
2,動作のカギになるもの
例えば訪問先で椅子を勧められ座るとき、あるいは椅子に座った姿勢から立ち上
がるとき、「ドッコイショ」と言わんばかりに、上体を大きく揺らす人。これはとてもスマー
トな動きとは言えない。無駄な動きが多いのだ。
スピーチをするときも同じ。まず名前を言ってから礼をする。資料があれば該当
するページを開き話始める。終わりは、感謝の言葉を述べてお辞儀をする。さらに、
お辞儀をしたときは、下げた頭が二秒間静止している。
何かをしながらの動作ではなく、一つ一つの動きが切り離され完結していること
により、メリハリがつき洗練されたイメージとして聴衆に受け入れられる。よって
「この人の話には説得力がある!」という印象になるのだ。
3,ビジネス上のしぐさで最も注意すべきものは?
女性の場合、“手”は動くアクセサリーと言われるが、ビジネス上でも“手”の動
きは最も重要で注意すべき仕草である。例えば、ある企画で上司と打ち合わせをす
る際、上司がずっと腕組みを したままでいると・・・。一生懸命、上司を説得して
いる部下はどんな風に感じるだろうか?実は、腕組みをするという行為は、心理学
的には「拒絶、自己防衛、自分の中に閉じこもる」行為とされている。つまり「相
手を拒否する動作」なのである。あなたを信頼していないというメッセージを与え
ていることなる。
手による動作は、相手への信頼を言葉を超えて語る。日本ではテーブルの上に手
を置いて話すと行儀悪いと思われるが、欧米では、普通は手を相手に見えるところ
に置く。これは相手に対して「あなたを信用しています」「あなたを受け入れます」
というメッセージになるのだ。仮に欧米人と商談する際に手をテーブルの下に置い
たら「テーブルの下で盗聴器を取り付けているのでは?」「銃を持っているのではな
いか」など、思いも寄らない警戒をされることがある。それぐらい手の動作は重要
なのである。
4,手を効果的に使って自己表現する
欧米でも日本でもプレゼンに説得力を増すため、手を使った動作はさまざまに研
究されている。例えば欧米のエグゼクティブの中には、片方の手を軽くズボンのポ
ケットにかけてスピーチする人を見かけるが、日本の有名なコンサルタントの中に
も、同様に片方の手をポケットにかけるようにして講演する人がいる。これもスピ
ーチの内容に合わせた効果的な“手”の演出というわけだ。2003 年7 月、東京で
開かれた大手IT 企業を集めたセミナーで、日本のグローバル企業CEO は、数千人
のビジネスパーソンを前に基調講演をした。
そのときCEO は、片手をズボンのポケットに軽く手をかけ、ゆったりと歩きな
がら登壇した。ダークスーツにモノトーンで統一されたスタイルはとても印象的で、
スピーチの効果を一層高めていた。これも効果的な“手”であった。
5,予め“手”を考える
プレゼンに慣れない多くの人は何を話そうか、どんな風に話そうかと、話しの内
容に大半の時間と労力を割くのだが、プレゼンの上手い人は、服装のスタイル、歩
き方、手をどこに置くかなど、一見プレゼンの本筋には関係ないような事柄につい
て、予め考え準備をしているものなのだ。ちなみに専門家は「テーマ、内容、講演
者のキャラクター、聴衆により、壇上を歩いたり、時折ポケットに手を添えたりす
ると余裕を感じさせ、リラックスした雰囲気を演出するのに効果的」と言う。
一方で注意したいのは、トラブル発生の時である。プレゼン途中にスクリーンの
文字化けが起こるとか、商談中にお茶をこぼすとか、話が行き詰まるなど、まさに
“手”に汗握るシーンである。落ち着いて対処しているつもりでも手元に感情が出
てしまうことがある。手は緊張度のバロメーターともいわれ、感情がダイレクトに
伝わりやすい部位なのである。だから、緊張したときなどは落ち着かない手の動き
には気をつけたい、逆に手の動きがまったくないという人も緊張しているように見
える。応接室で商談中、手をずっと自分の足の上に置いたままで居ると、いつまで
も硬い空気がほぐれない。といっても、あまり手の動きが多いと落ち着かない印象
になる。加減を考えて効果的な“手”の演出をしたい。
〜特集〜クレーム処理に見る言葉選びとその配慮
「はぁ、そうですか、すみませんでした」と、電話口で頭を下げる営業マン。端からみ ていれば、一方的に顧客にクレームを突きつけられ気の毒にすら思ってしまうが、何と も頼りない応対に、あれでは顧客を怒らせても仕方ないかと感じるのは否めない。本人 は丁重に詫びているつもりなのだろうが、まったく伝わっていないように見える。聞け ば1日一件はクレームを受けるという。クレーマー(クレームを言う人)の気持ちを和 らげ、こちらの言い分も聞いてもらえるように、会話を展開していく言葉の選び方とい うものがあるのでは?ということで、今回は「クレーム処理の言葉選びとその配慮」を 特集したい。
1,詫び言葉にバリエーションを持たせて
こちらが本気でクレームを言っているときに、何を言っても「申
し訳ございません」の一点張りではあまりに単調な対応で、本当に
自分の言い分を理解してもらっているのかどうか疑わしくなるし、
バカにされているのではないかという余計な疑念まで湧いてきて、
一層腹立たしくなることがある。まさに「火に油を注ぐ」状態であ
る。
単純に考えても詫び言葉と言えば、「申し訳ございません」「ご迷
惑をおかけしました」「失礼いたしました」「ごめんなさい」等、いくつか思い浮かぶ。
状況に応じて言葉を選びながら、いかに相手の気持ちを汲み、言い分を聴くかが勝負で
ある。相手が何に対して怒っているのか、何が不快だったのか、なぜ、わざわざクレー
ムを言わせるほどの事態になったのか、「詳しく知りたい」という気持ちがあれば、それ
なりの言葉が出てくるはずである。
2,相手の言い分を「とにかく聴く」ということ
「人は一つの口に、二つの耳を持つ。人の話は、自分が話す2倍は聴くように」と言
われるが、人の話を最後までよく聴くというのは、案外出来ていない人が多い。基本的
に人間は、自分の話を聴いてもらいたいし、人の話は聴きたくない生き物なのだ。
まだ相手が最後まで言ってないのに、途中でこちらの話を挟む「それは○○という意
味だよ」。または、勝手に話の行き先を判断して結論を出すという、話を端折ってしまう
タイプの人は意外に多い。それも頭のいい人に限って、つい先読みしすぎて話を簡単に
片づけたがることが多い。その結果、相手の話を端折った上、自分サイドの事情をつら
つらと述べることになるのだ。自分サイドの事情とは、いくら正しくてもクレーマーか
ら見れば言い訳に過ぎないこともある。クレームの多くは、些細なことが原因であるこ
とが多い。クレーマーは、困った事態を解決して欲しいというだけでなく、自分がどん
なに辛い状況かを聴いてもらいたいという気持ちも多分にあることを忘れてはならない。
3,復唱は安心と信頼を与える
「約束の時間なのに、まだ担当者が来ない!」と言われ、咄嗟に「迷惑をかけている」
→「怒らせている」→「早く解決しなければ」という心理から、「申し訳ありません。す
ぐに担当者を走らせます!」と、言ってしまいそうになるのを、あえてぐっとこらえて
「申し訳ありません。担当者が約束の時間に来ないんですね?」と復唱することで、事
実が明らかになり、クレーマーも言い分を受け止めてもらった手応えを感じることがで
きる。さらに「昨日の約束では、5時と言われたのに1時間過ぎてもまだ何の連絡もな
くて・・・」と、クレーマーにとっては「詳細に聴いてもらえる」、クレームを受けた側
には「詳細を聴き出すことができる」という双方に機会を得ることができる。「5時の約
束なのにまだ連絡がないんですね。それは大変失礼いたしました」と、さらに復唱し詫
び言葉を入れる。そんな会話が続けば多少たりともコミュニーケーションを図ることが
でき、こちらが詫びる姿勢も伝えることができる。
4,クレーム処理は待たせないのが原則
「その件でしたら、お調べしてから折り返しお電話します」という言葉は、一見正し
いように聞こえるが、いつまで待たせるのかを明示した方がなお良い。「5分後にお電話
します」「遅くとも3時までには、担当者からお電話差し上げます」と、時間を伝えれば、
同じ待ち時間でもクレーマーも納得をせざるを得ない。もちろん、その時間内に連絡で
きそうにない場合は、事前にその旨の一報を入れることは言うまでもない。
また、あえて普段よりもゆっくりとした口調で間を取るように話した方が、クレーマ
ーの話のペースに飲み込まれず、こちらの主導で話を展開できる可能性が高い。
おどおどせず、毅然とした態度で誠心誠意対応することを心がけ、それがクレーマー
に伝わるように工夫をすることが、次へのビジネスの信頼を築くことになる。
5,1分のフォロー電話が明日へのビジネスに繋がる
クレーム処理が終わり一件落着とばかりに放っておくのではなく、数日後に「その後
いかがですか?先日はご迷惑をおかけしました」と、1分の電話を入れることが肝要で
ある。この電話が、クレームを財産とできるかただのクレームで終わらせるかの明暗を
分けるのである。
今、日本中を揺るがしているのは、千葉県市川市の建築設計事務所によるマン ションなどの構造計算書の偽造事件ですね(それに関係ないように、株価は15, 000円にタッチしましたが)。マンション業界からマンションに住んでいる人 までたくさんの人にショックを与えているのではないでしょうか?ちなみに、そ れで国土交通省は、建築士の能力を定期的に確認するなどの新たな対策が必要と 判断したそうです。つまり、制度を改善すればこんな問題は起きないと考えてい るのでしょうか?たぶん違いますね。このような対策を発表しないと、国土交通 省が叩かれる。それだけのことのような気がします(政治家も耐震構造の保険に ついて所得控除を設けようと同じ発想ですね)。そもそも、建築士の能力ってど うやって計るのでしょうか?税理士の能力は?弁護士は?裁判官は?警察官は? 会社員は?あなたは?????人の能力なんてそんなに簡単に計れないと思うん ですね。皆さんはどう思われますか?
そもそもの問題は、このような欠陥マンションがなぜ建てられるようになった か?です。建築士もテレビのインタビューで話していましたが、安く早くを追求 した結果のようです。では、なぜ安くなければいけなかったのか?早くしなけれ ばいけなかったのか?です。それは、競争に勝たなければいけなかったからです ね。他の会社よりも安く早く広いマンションを建築しなければ、売れない。だか らよほどのことでなければ目をつぶる。多分そうなのではないかと思われます。 これが競争社会の結末ですね。
偶然ですが、前回のメルマガで、ある方が紹介いただいた本(「拒否できない日本」関岡英之著 文芸春秋社刊)も、建築士でもある筆者が書いた本です。この本は、米国追従の日本の現状を取り上げたものですが、最近になって、同じような論調が広がってきたような感じがします。
話は少し変わりますが、スカイマークエアラインズは、徳島や鹿児島と東京を結ぶ便を廃止して、札幌便に振り替えることになりました。これも競争社会の結末です。スカイマークエアラインズと言えば、安い運賃で伸びてきた会社ですが、別にボランティアで安いわけじゃない。競争に勝つために安いわけです。競争ですから、鹿児島便が60%の搭乗率でも、札幌便が70%なら会社は当然こっちを選択します。飛行機会社は公器だから、地方の足として・・・みたいなことは関係ない。HPを見ても、まず大事なのは効率的な経営です(http://www.skymark.co.jp/company/inverstor/051012press.pdf)。社会の皆様への奉仕ではない。
マンション業者も航空会社も、あくまでも自分たちの利益を求めることが大切。 最終利益は顧客の利益ではない。そのために自由でなくてはいけないという発想 ですね。従来は、一定の自由を認めながら規制をかけて、基準を守ろうとしてき たわけですが、規制緩和はこの考え方を「改革」しようとしている訳です。しか し、各自が自由に自分の利益を追求すれば、結果的に世の中は良くなると言うの がアダムスミスであり、自由主義論者の主張です。
本当でしょうか?皆さんはどう思われますか?
長くなりましたし、非常に深い問題です。この続きは次回にしましょうか。
F&Aレポート11月30日号[PDF版]InternetDisk
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〜特集〜「運命はあるのですか?」
「自分には他に夢があったのに、それとは全く違う会社に就職してしまった」という相談 をある会社の若い従業員から持ちかけられた。「運命なら頑張っても無駄?」「運命は変えら れるのだろうか?」こんな質問を真に受けたら、貴方ならどう応えるだろうか?「運命があ るのか、ないのか」という議論よりも、どう説得すれば、本人を向かうべき仕事に全力投球 させることができるのか?若者の迷いを断ち切る語彙や、人生経験を持たない我が身の至ら なさを痛感しつつ、松下幸之助語録の助け等を借りることにした。今回は久しぶりに、古く て新しい松下幸之助翁の「運命と仕事」についての論に触れてみたい。果たして若者の悩み は晴れたのだろうか・・・?
1,運命と観ずる覚悟を
新入社員として会社に入ったら、まず何よりも“自分がこの会社に入社したのは、運命で
ある”というような覚悟を持つことが大切だと思います。
学校を卒業し、就職するにあたっては、それぞれに、親や先生、先輩などにも相談しつつ、
自分の志望の会社を決めたと思います。また、会社は会社で“こういう人が必要だ”という
ことで採用を決定します。ですから、会社に入るということは、そういう双方の意志が一致
したことによって実現したものだ、ということができると思うのです。
けれども、その会社で働きたい人でも、色々な事情でその願いが叶わない場合があります。
また、会社が“こういう人にぜひ来て欲しい”と思っても、それがその人の都合でできない
ということもあるわけです。そういうことからすると会社へ入るということは、その会社を
志望する人と会社の双方の意志によって決定されると言えるわけですが、ただそれだけでは
なく、そこに双方の意志が一致し結ばれるような、目に見えない大きな力が働いているとい
えるのではないでしょうか。それは一つの運命であるとも考えられます。
新入社員として会社に入り、何十年か勤務する。その過程においては、色々な困難にぶつ
かったり、煩悶したりすることも起こるでしょう。責任ある地位につき部下を持つと、そう
した問題は特に増えてくるでしょう。しかし、それはお互いが仕事をしていく上で避けられ
ないことです。問題は、そのときにどの程度悩み、どの程度苦しむかということです。その
程度によっては、悩みや困難に負けてしまう人もあれば、克服してさらに成長していく人も
います。そのときに、ここに述べたような一つの運命観というか、覚悟を持っていることが、
非常に重要だと思うのです。“これはオレの運命なんだ”という覚悟があればこそ、度胸がす
わり、力強い信念が生まれてきます。そうなれば、どんな困難に出会ってもそれを切り抜け
ていくことができる、いわゆる大事に臨んで役に立つ人になれるのではないでしょうか。大
事に役立つ人になれるかどうかのカギは、まず会社に入ったことの意味をどう考えるか、い
いかえれば、それを運命と観ずることができるかどうかというところにあると思うのです。
2,運命に光彩を
人生というものは、そのほとんどの部分がいわゆる運命というものによって決められてい
るのではないか。自分のこれまでの歩みを振り返ってみるとき、どうもそんな気がしてなり
ません。たとえば、なぜ自分は電気器具の製造販売という仕事を始めたのか、そして幸いに
もこの道である程度成功し今日の姿を築くことができたのか、ということ一つを考えてみて
も、どうもそうなるようになっていた、そういう運命が与えられていたという以外に説明が
つかないように思うのです。
というのは、世の中には、優れた人がたくさんいます。体が丈夫、高い学問がある、素質、
才能にめぐまれている等々、そのどれ一つとっても、私はずっと下の方だと思います。にも
かかわらず、今日多少なりとも事業において成功している面があるとすれば、それはそうな
ることが運命として与えられていたと考えざるを得ません。自分なりにその時々で一生懸命
であったことは事実ですが、それが、人並み以上の勉強であったり特別の努力であったとは、
とても思えないのです。しかし、そうはいっても今思えばこういうことはいえるのかもしれ
ません。それは、運命というものを自分なりに、あるいは自然のうちに前向きに生かそうと
してきたということです。家が貧しかったために、丁稚奉公に出されたけど、そのおかげで
幼いうちから商人としての躾を受け、世の辛酸を多少なりとも味わうことができた。生来体
が弱かったがために、人に頼んで仕事をしてもらうことを覚えた。学歴がなかったので常に
人に教えを請うことができた。あるいは何度かの九死に一生を得た経験を通じて、自分の強
運を信じることができた。こういうように、自分に与えられた運命をいわば積極的に受けと
め、それを知らず識らず前向きに生かしてきたからこそ、そこに一つの道がひらけてきたと
も考えられます。いうまでもなく、運命というものは、人間の意志や力を超えたものです。
私たちが、人間に生まれたこと自体、自分の意志でそうなったのではありませんし、男に生
まれるか、女に生まれるか、また日本人に生まれるか、外国人に生まれるかといったことも、
選べることではありません。あるいは、どういう天分、素質をもって生まれるかといったこ
とについても、いわば天命によって決まっており、自分ではどうすることもできません。
しかし、それでは、運命として与えられたものについては、すべてまったく人間の力では
どうにもならないのかといえば、必ずしもそうではないと思います。
そこが運命の実に妙味のあるところだと思いますが、みずからの意識や行動のいかんによ
っては、与えられた運命の現れ方が異なってくる。つまり、「人事を尽くして天命を待つ」と
いう言葉がありますが、お互いの生き方次第で、自分に与えられた運命をより生かし、活用
できる余地が残されているとも考えられます。私のこれまでの生き方も、知らず識らずのう
ちに、ある程度自分に与えられた運命を生かすものであった、とはいえるような気がするの
です。では、その人間に残された余地とはどれぐらいなのでしょうか。これまでの人間のさ
まざまな姿から私なりに察知すると、10 パーセントから20 パーセントぐらいはあるように思います。
つまり、この10 パーセントなり20 パーセントの人事の尽くし方いかんによって、みずからの80 パ
ーセントなり90 パーセントの運命がどれだけ光彩を放つものになるか決まってくるということです。
とすれば、お互いにとって大事なのは、その10 パーセントなり20 パーセントなりの範囲において
精一杯の人事を尽くすということだと思います。自分の人生にはどうにもならない面がある
けれども、その範囲において、こうだという信念をもって、自分自身の道を力強く歩むよう
努めていく。そうすれば、たとえ大きな成功を収めても有頂天にはならないし、失敗しても
失望短落しない。あくまで坦々とした大道を行くがごとく、処世の道を歩んでいくことがで
きるのではないかと思うのです。(社員心得帖、人生心得帖 松下幸之助 PHP 文庫より抜
粋)
私どもの事務所では、年末調整の事務が少しずつ始まりました。冬の到来は、 1年の終わりが近づいていると言うことでもあります。ホントに早いものですね。
まだ少し早いですが、皆さんにとって今年1年はどんな年だったでしょうか? 今年1年を振り返って感じることですが、私には「真実が一体何なのか?」とい うことがますますわかりにくくなった1年ではないかと思います。
たとえば、郵政改革で言えば、いまだに郵政改革がどのように進むのかわかり ませんし、それが日本にとってプラスなのかマイナスなのか?具体的なものはほ とんど明示されていません。今は医療改革がマスコミで大きく取り上げられてい ますが、これも同じ。構造改革も同じ。靖国神社参拝問題も同じ。靖国神社の問 題を取り上げるのは勇気がいりますが、問題は、単に戦没者や戦争に対する責任 だけでなく、外交と言う広い分野に視点が移っていることに気がつかないとしか 思えないような発言をする首脳。世の中で起きるさまざまな事件にも、いろいろ な背景があるのでしょうが、そんな複雑な側面がマスコミから報道されることは まずありません。いつも申し上げるように、人間は非常に複雑な存在ですから、 それを単純化してしまうことは大変危険です。基本的に謙虚であるから得られる ことってあると思います。まして、ドイツやイギリスの総選挙の結果を見ても、 世界が非常に複雑に変化している中で、物事を単純化してしまうのは大変危険で す。まだ単純化しているという意識があればよいのですが、能力不足で単純化し た発想から抜けることが出来なければ、最悪です。ホントに、世の中がポワ〜ン としてきている感じがするのですが、皆さんはどう思われますか?
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〜特集〜Aquarius 織田直子の子供の為の話し方教室
1,上手く喋れなかった自分自身の体験より
今となっては嘘のようですが、私は小さい頃とても引っ込み思案で、おとなしいタ
イプの子供でした。自分の中で常に空想の世界を広げているような子供だったので誰
かと話をする必要はなかったのです。だから、人前で話をするのはもちろん、授業中
に手を挙げることさえ恥ずかしくて苦手でした。自分の意見や考えを堂々と発表する
なんてとんでもない話しだと思っていました。その証拠に、小学校1 年生のときは、
担任の女の先生に「暗い子供」と指摘され、私の両親はずいぶん悩んだようです。思
春期を過ぎて大人になっても、ずっと苦手意識は消えませんでした。「自分は話すのが
下手」「生まれつき声がよくないのだ」と。でも、人は変わるんです。環境と努力で。
生まれつき口下手とか、声が悪いということはありません。それは、思いこみに過ぎ
ないのです。的確な訓練さえすれば、誰でも声に磨きがかかり、話し方や言葉の選び
方が変わってきます。そして、小さな自信が芽生えてきます。その「小さな自信」が
少しずつ物事への積極性をもたらします。そうすると、自分と自分に関わる世界がど
んどん変化してくるのです。
苦手意識を引きずったまま大人になるより、子供のうち
に矯正し、正しい日本語やきれいな音に触れていれば、少
しは自分自身を表現でき相手の話もよく聴くようになり、
毎日が楽しくなるのではないかと思い、日本ではまだ数少
ない「子供の為の話し方教室」を開きました。
2,いかにも自信のなさそうな自己紹介
Aquarius 子供の為の話し方教室では、一人一人の個性や癖を見抜くために、あるい
は1 回でも多く人前に立ち、人前に立つことに慣れるために、自己紹介をしてもらい
ます。
小学生の教室では、みんなの前に立って、名前と学校、学年、趣味を述べるだけで
すが、「自己紹介をしてもらいます」と言った瞬間から会場には緊張の空気が流れ始め
ます。順番に前に出るにも関わらず、自分の番が回ってきてもなかなか席を立とうと
しない子供や、前に出ても言葉が出てこない子供、話をしながら視線が定まらず声が
だんだん小さくなる子供、話終わるやいなや、速攻で我が席に戻ろうとする子供等さ
まざまです。
3,声を出すということ
声優や俳優、アナウンサーといった特殊な職種につかない限り、正しい発声や滑舌
訓練を受けることはないので、ほとんどの人が我流で発音し話しています。英語なら
正しいth の発音、R の発音といった教育があるのに、なぜ日本語にはそのような指導
がなされないのでしょう?
とにかく、正しく声を出すということがどういうことなの
かやってみようということで、「アエイウエオアオ」の練習
から始めてみました。
お腹から声を出す練習や、会場の一番後ろまで聞こえる
ためには、どのくらいの大きさの声でなければならないか
を考えながら訓練します。
また、自分で声の玉をイメージして、口から言葉が出る瞬間にポンと遠くへ玉をな
げ入れるような感覚をもって一音一音発していきます。ある程度、声が出るようにな
ったら、自分の声をよく聴いて、さらに訓練します。一音ずつの音の塊が言葉になっ
ていることに気づくと、「ありがとう」という挨拶も「あ・り・が・と・う」という一
音ずつの連なりであることを意識できるようになります。その頃には、声がずいぶん
出るようになっています。また、発声練習だけでも身体が熱くなってくることを体験
します。「声を出すとはこういうことだったんだ」と、あらためて認識できるようにな
るのです。
4,再度、自己紹介
面白可笑しい、けれど真剣な早口言葉の訓練や、学校の国語の教科書を使った朗読
をしながら、「声の響き」や「自分が発する音」に聞き耳をたてます。実は、話をして
いる自分の声を聴きながら喋るというのは、相当な訓練が必要なのですが、子供達は
すぐにチャレンジしてくれます。そして、少しずつ、しゃべり方や音に対する細やか
な感性が身に付いてきます。
今の音はヘンだったとか、よく聞き取れない音だったとか、遊び感覚で捉えていき
ます。ここまでくると、声をしっかり出すことに抵抗はなくなっているので、再度自
己紹介をします。1回目の自己紹介と同じことを話すのですが、気持ちに余裕がある
ので、1回目よりも堂々と喋ることができます。内容をアレンジする子供もいたりし
ます。聴く側も、声の響きを聴きわける耳ができているので、注意して聴くことがで
きようになっています。
「せっかく上手に自己紹介できるようになったから、ついでにお辞儀もきれいにす
るといいね。手は前で組んで、視線はまっすぐ前を見て、会場の一番後ろの人を見渡
すようにするといいよ。最初に返事をして前に出るところから、自己紹介は始まって
いるよ」とさらにステップアップを促しますが、自信をつけた子供達は、なんでもど
んどん吸収してくれます。最後にはみんな、それぞれ個性の光る、立派な自己紹介が
出来るようになりました。
この「小さな自信」が次は何を吸収してくれるのかとても楽しみです。子供達は、
心なしか来たときよりも、生き生きとして帰っていくように見えました。
この原稿のオリジナルは、高松から帰るバスの中で書いています。高速道路か
ら周りの風景を見れば、ついこの前まで冷房をつけていたような気がするのです
が、四国の木々もやっと色づき始めたようです。
高松では、藤原直哉先生が開発した「雪祭り」というリーダーシップゲームを
行ないました(昨年松山で実施した夏祭りの冬バージョンです。ちなみに、私は
村人という役割です)。参加者の中からチームを作ってリーダーシップを体験す
るものなのですが、初めて会った人たちが、ワアワア言いながら、ゲームに取り
組み、ハッとあるモノに気づく瞬間を見ていると、営業成績や試験の結果だけで
計ることが出来ない人間の奥深さのようなものを感じることができます。ご希望
の方がいらっしゃれば松山で再度開催することも可能です。その場合は是非お申
し出下さい。15名ほど集まればOKです。
このバスの中にもいろいろな人がいます。性別も年齢も職業も当然考えている
こともみんな違います。でも、同じ時代を生きて、そして死んでいく仲間です。
個人的なつながりは何にもありませんが、バスに乗り合わせたという縁を共有し
ています。今という時代を一緒に生きてる、たぶんそれだけのつながりです。し
かし、仲間だと思えば、優しく出来るし、相手のことを思いやれるのではないで
しょうか?家族や友達との自家用車での移動ではこのような実感を持ち合わせる
ことは出来ません。今、そんな仲間がいることをみんな忘れているようです。そ
して、仲間がいるという心の安らぎは、日々のストレスを解消するためにもとて
も大切なものだと思うのですが。
たまにはバスや電車で移動するのも悪くないものだと思いました。木枯らしも
吹いて、旅行シーズンは少し過ぎてしまいましたが、移動している途中そんなこ
と考えてみませんか?
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〜特集〜内部統制の時代 1
〜特集〜社員の躾 “お辞儀”編
県の職員で管理職を務める方からこんな便りを頂いた。「お見送りにも企業のしつ
け度を感じます。企業訪問すると、受付でその企業の元気度が分かります。社員の
方と話していると企業の文化度を感じます。社長とお話しすると、その会社の哲学
が見えてきます・・・○○本社で××社長とお話したときのお茶出しは感銘しまし
た・・・」
“座布団の正面見分ける”という松下幸之助のエピソードに「100 人に一人、1000
人に一人に本物を見抜く人がいる。その目を恐れて仕事をしなければ本物にはなれ
ない」という話があるが、先に紹介した便りには「本物を見抜く目」らしきものが
感じられる。
今回は、“お辞儀”に焦点を当て“お辞儀ワールド”を考えてみたい。
1,一目おかれるお辞儀
お辞儀の歴史は、非常に長く『魏志倭人伝』にも日本人のお辞儀の習慣について
書かれている。また、埴輪にもお辞儀をしているものがある。日本では、相手に敬
意を示す時、謝罪をする時、御礼を言う時、いずれも心を表現したいときには、必
ず意識して、あるいは無意識のうちに頭を下げる。電話で相手に自分の姿が見えな
い場合でも、お辞儀をしながら話をすることがよくあるが、これは心が態度(形)
を作っていることの典型的な例であろう。
しかし、よく観察してみると美しいお辞儀とそうでなくお辞儀、堂々としたお辞
儀や、貧弱な印象を与えるお辞儀等、色々あることに気付く。
企業研修でお辞儀の練習をすると、「いい大人になって今さらお辞儀もないだろ
う」という声が必ずあるが、彼等はだいたいお辞儀を教えてもらう機会もなければ、
教えて欲しいと切り出すのも気が引けるのである。また、それ以前に、お辞儀の善
し悪しなど考えたこともないのである。ビジネスでもプライベートでも一目おかれ
品格が漂うお辞儀という世界があることを知らないのだ。
2,エグゼクティブのお辞儀は美しい
「ゆったりした動作には威厳がつきまとう」とは、フランスの作家バルザックの
言葉だが、人の動きから、その人がどういう人かをイメージすることがある。一瞬
の行動に人となりや、品格、教養まで伺えることがある。お辞儀も例外ではない。
たとえば、お世話になった人に御礼を言って頭を下げるとき「有り難うございま
した」の言葉と共に、何度も何度も浅いお辞儀を繰り返す人がいる。気持ちはわか
るが、端から見ていてもどうもサマにならないし、深い敬意が伝わらない。また、
ぺこぺこと頭を下げている姿には威厳がなく、重みが感じられないのである。そん
な光景を目にするたびに、ふと思うことがある。「皇室の方々なら、総理大臣ならど
ういうお辞儀をするだろうか?」と。飛躍したイメージかもしれないが、明らかに
「ぺこぺこお辞儀」とは違うことが簡単に想像できる。
舞台で挨拶をするときのお辞儀、軽く一礼をする会釈、背筋が伸びて、時間が一
瞬止まったように、きっちりとお辞儀が出来る人は、何も語らなくてもその動作だ
けで「あっ、この人は何か違う」と感じさせるものがある。そんなお辞儀を社員全
員が身につけたら、どんなに素晴らしい組織になるだろうか?
3,仕事の出来る人の動作は無駄がなく美しい
昔の人と比べて今の日本人のお辞儀が美しくないとするなら、その原因の一つは
着物を着なくなったことにあるのではないだろうか。着物を着て帯を締めると、背
筋が伸びて気持ちもシャキッとする。着物を着て身も心もまっすぐに伸びた状態で
頭を下げれば、自ずと背筋の曲がらない美しいお辞儀になる。しかも着物を着てい
るせいで動作も幾分かゆったりして、威厳や優雅さが漂うのだ。美しい動作には無
駄がない。例えば、仕事の速いウエイトレスの動きには無駄がなくそつがない。余
計な物音も立てない。オフィス業務も同様で、仕事が出来る人は、自分の仕事を静
かにこなし、いつの間にか成果が出ているが、仕事の出来ない人は、無駄な動きが
多く、動作の合間にたてる音が大きい。一度、そんな目で社内の動きを見てみるの
も面白い。
4,美しいお辞儀の基本
背筋を伸ばした正しい姿勢から、吐く息と共に腰を折り、呼吸を止めた状態で頭
を下げて、一瞬動きが止まり、吸う息と共に頭を上げる。頭を上げたところで、再
度相手の目を見る。大ざっぱに言うと、これが一連のお辞儀の動きである。マナー
ブックには、頭を下げる角度がにより、会釈(15 度)、敬礼(30 度)、最敬礼(45
度)などがあるが、そんなことを覚えるよりも、テンポと間を考慮し、お辞儀とい
う動きを際だたせるタイミングを身につけた方が、よほど感じのいい美しいお辞儀
になる。頭を下げる角度は、自然に心が導いてくれるからである。お辞儀をしてい
る行為を相手に特に印象づけたい場合は、「語先後礼」という手法で、先に挨拶をし
た後で頭を下げると、一つ一つの行為が確立されて、きっちりとした感じになる。
たかがお辞儀、されどお辞儀。美しいお辞儀の世界は奥が深い。
早いもので、10月も終わり。今年も2ヶ月を残すのみとなりました。やっと
秋も深まってきた10月ですが、皆様はいかがお過ごしでしょうか?
私にとっての10月は、大きなことが3つ。
1つは、25日の誕生日で、47歳になってしまったこと。人生の半分を間違
いなく超えてしまいましたね。
2つ目は、日本税理士会連合会公開研究討論会というビッグイベントが松山で
開催され、全国から720名の税理士が参加しました。私の役割は、四国会の発
表のまとめ役。比較的暗いイメージの税理士さんなんですが、それをまとめて、
大成功しました。どんな組織でもそうですが、全国的に四国の位置づけって大体
上位になることはありませんね。でも、参加したみんなががんばって、本当にレ
ベルの高い発表を行なうことができました。リーダーシップの実践でした。
翌日の愛媛新聞の記事。InternetDisk
当日の風景はこんな感じ。みんな充実した顔をしてるでしょ?InternetDisk
で、3つ目はあまり嬉しくない話題。その討論会が大成功した翌々日。肩の凝
りをほぐしに、市内のある温泉に行ったのですが、出てきた時に貴重品入れから
出した財布を見ると、「アレッ?カードが2枚ない?」。現金はあるし、他の
カードも残っている。でもナンカおかしいと思い、急ぎ自宅に帰り、カード会社
に電話。警察にも届け出て、「それって盗難じゃなくてただの紛失かも?」と言
われ、「そりゃ確かに討論会の打上げで酔っ払ってたからな」と思い、素直に遺
失届けを出した翌日です。ナント!!25万円近い金額が不正使用されていると
の連絡がカード会社から。それも、温泉を出て自宅に帰るまでの30分の間にで
す。いやはや・・・。すぐに気がついて、電話したので、不正使用であることが
すぐにわかりましたが、のんびり構えてたらどうなったことか?問題の貴重品入
れは、100円硬貨が後で戻ってくる方式のもので、どこにでもあるものです。
最初警察に届け出たときは、そこで盗難にあったとさえ思わなかったのですが、
使われた時間でハッとしました。今やクレジットカードなしでは生活できない毎
日ですが、皆さんもご用心下さい。取られたこと自体わからないこともあります。
ちょっと長くなりました。さて、11月はどんな月になるんでしょうか?
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■2005年10月10日号■
〜特集〜日常言葉の立居振舞 ハートをつかみ自分を活かす
話し方の技術を学べばすぐに話が上手くなるというものではない。テクニックは、 流ちょうに話すための役に立つことはあるが、それだけでは「人を動かす」話し方に はならないのである。結局、「話しは人」で、その人柄がしのばれ、思いやりの感じら れる言葉が相手の心を打ち「人を動かす」のである。どんな話であれ、口先や小手先 のワザだけでは相手の心には伝わらない。言葉にこそ、自分と相手を高める魂の触れ 合いがあるのである。
1,「ハイ」という返事に人柄が出る
タクシーに乗って目的地を告げると、「ハイ」という返事をしてくれると運転手と、
そうでない運転手がいる。返事がない場合は、こちらの意図が伝わっているのかど
うか、聞こえなかったのか等、気を揉むことになり終始乗り心地も悪くなる。
仕事でも、会話の途中で「ハイ」「いいえ」とテンポよく返事が返ってくると、自
分の話を確実に受け止めてもらっているという安心感が生まれ気分良く話せる。こ
れを「話し上手」、「聞き上手」というのであろう。「ハイ」の代わりに「うん」とか
「フン」で済ませる人もいるが、どこかルーズな印象を与えてしまうのは否めない。
相づちを打つ「ハイ」、何かを頼まれたときの「ハイ」、名前を呼ばれたときの「ハ
イ」。返事は短いたった一言でありながら、相手を喜ばせる返事と失望させる返事が
ある。いつも輝くような返事、美しい声の返事、楽しい返事。そんな返事には自ず
と「きっと人柄も良いのだろう」と思わせる力がある。
2,説得のコツは「相手の話を2倍聴く」
新車を1ヶ月に70 台も売るという、あるトップセールスマンの話によると、説得
のコツは「客に7語らせて、自分は3しかしゃべらないこと」という。客は自分の話
を気持ちよく聞いてくれるセールスマンから喜んで車を買うのだ。日頃から「相手の
話を2倍聞くこと」をモットーにしているというそのセールスマンの話は、聞き上手
になることが、説得の一番の近道になり、同時に話上手になることを証明している。
勘違いをして、最初から最後まで自分一人でしゃべったり、他人の話を横取りして
話の腰を折ってしまうのはもってのほかである。例えば「先日○○先生の講演を聴き
に行きました」という相手に対し、「それは良かったですね。大勢の人が集まっていま
したか?」と受ければ話は展開するが、自己中心になって「私も実は○○先生にお招
きいただいて・・」と答えてしまうと、話の中心は相手ではなくなってしまうのであ
る。常に一人称(私、私共)でしか、話を進められない人は要注意である。
3,端折り言葉を使わない
「どうも・・・(ありがとうございます)」「失礼ですが・・・(お名前をお聴かせい
ただけますか)」「こちらこそ・・・(いつもお世話になっております)」「(○○名指人)・・・
は、おりません」。いずれも、電話等で前後の会話から意味は通じる言葉なので、省略
した言い方をよく耳にする言葉である。本来気持ちを表す( )の中の言葉を言わ
ないのか言えないのかはわからないが、活字にして並べてみても、ひどく殺風景な愛
想のない物言いになっていることに気付く。言葉は使わなければ身に付かないので、
省略した言い方が常態化すると、きちんとした言葉が口から出なくなるのだ。
最後まではっきりと伝えるという意識を持てば、省略した言い方をして何も感じな
くなることはなくなるはずである。端折り言葉が市民権を得つつある今日だからこそ、
最後まできちんと言う話し方は、きらりと光るものを感じさせるのである。
4,別れ際の言葉の美学
挨拶の中でも最も難しいのが、別れの言葉である。会社でも
見送りがきちんとできているところは、躾の良さを感じさせ、
別れ際の態度や言葉は後々まで胸に残ることが多い。別れ際の
5分で大事なお客の心をさらにぐっと引き寄せるかどうかがか
かっているといっても過言ではない。長居した訪問者を玄関先
まで送り出して「やれやれ」とばかりに「さよなら、失礼しま
す」とあっさり交わしたのでは、今後の関係に悪影響を及ぼさ
ないとも限らない。
先方との好意的な関係を期待するなら、別れ際は最重要である。英語では「see you
again」中国語では「再会(ツァイチェン)」で、別れの寂しさよりも、次に会うこと
への将来の希望を感じさせる言葉がある。「では、またお目にかかりましょう」「今度、
お目にかかるときは○○○」といった言葉が自然に出れば、別れのひとときも楽しく
次の人間関係につながる可能性を秘めている。また、そのときに重要なのは、相手の
名前を「○○さん」「○○先生」等と意識的に呼びかけることである。「○○先生、大
変お世話になりました。また近いうちにお目にかからせてください」と。挨拶に自分
の名前が加えられるだけで、相手にとっては特別な挨拶になるのである。
■2005年10月20日号■
〜特集〜内部統制の時代 1
「個人情報の漏洩」「内部告発」「粉飾決算」等、これらのニュースがマスコミに取り上げられ ない日はないと言っていいほど、企業の不祥事はよく耳にするようになった。これは単に不祥 事が増えたのではなく、これまでなら問題にならなかった、あるいは隠し通して水面下に納ま っていたものが、表面化するようになっただけのことである。それほど時代は、シビアに企業 のあり方を問うようになったのだ。企業規模の大小に関わらず、避けて通ることのできない「内 部統制」について、ハーバードビジネスレビュー(ダイヤモンド社)とクラブ・アクエリアス の講演録をもとに2回にわたって特集してみたい。
1,「内部統制」とは
内部統制とは、企業がその事業目的を効率的かつ効果的に、しかも合理的に達成するため
の内部システムのことである。業務を効率的に実行するだけではなく株主等に対する説明責
任として会計報告をすること、及び関係法規を守ることが含まれる。内部統制とは、目標に
向かって組織や人を導く力である。
2,日本では西武鉄道株事件から始まった
2005 年7 月13 日、金融庁が主宰する企業会計審議会内部統制部会が「財務報告に関わる
内部統制の評価及び監査の基準」の草案を公表した。サーベンス・オクスリー法(SOX 法)
がエンロンの不正会計を端に制定されたように西武鉄道の名義株の不正がきっかけとなって、
日本では遅れること3 年、公開企業に「義務と責任」をより強く求める法的フレームワークが整っ
た。
2004 年10 月13 日、40 年以上にわたる有価証券報告書の虚偽記載が発覚。西武鉄道の大
株主であるコクドは、みずからが保有する西武鉄道株を約1100 人の個人が保有しているよ
うに見せかけていたのである。この一件では、公開企業におけるオーナー経営者の責任と規
律を問うだけでなく、旧くて新しい問題、すなわち「内部統制」のあり方についても一石を
投じることになった。たとえば、株主名簿の管理や配当金の支払いなどの株式事務などを事
前処理していたこと、会計監査はたった二人で、それぞれ18 年と29 年という長期にわたっ
て担当していたことなどだ。また、有価証券報告書の提出先である金融庁財務局の審査体制
の脆弱さも露呈することになった。
3,「内部統制」の基本的要素
内部統制基準では、次の6つを挙げている。内部統制は、単に社内規定を策定し、それら
を文書化すれば事足りるわけではない。
1.統制環境 これは、組織の気風を決定し、組織内すべての構成員の内部統制に関する意識
に影響を与えるものと定義される。具体的には、経営者を含む、全社員の誠実性や倫理観、
トップ・マネジメントの意向や姿勢が含まれる。これが、他の内部統制の基本的要素すべて
の基礎となる。
2.リスクの評価と対応 組織の内外で発生するリスクを識別した上で評価し、評価されたリ
スクに対する適切な対応を実施することである。リスクを特定し、それを正しく評価するこ
となくして、適切な内部統制を設計することは不可能である。
3.統制活動 経営者の命令および指示が適切に実行されることを確保するために定める方針
および手続きと定義される。現場レベルにおける具体的な管理手続きそのものである。
4.情報と伝達 設計された内部統制が適切に運用されるための潤滑油の役目を持つ。必要な
情報が適切な役員や従業員に、適切に伝達されるための仕組みである。これが実現されない
限り、ルールや仕組みは機能しない。
5.モニタリング(監視活動) 内部統制が有効に機能していることを断続的に評価するプロ
セスであり、日常的な管理活動に組み込まれた「日常的モニタリング」と、「独立評価」(主
に内部監査部門がその役目を担う)の二つがある。
6.IT の利用 組織目標を実現するために組み込まれた情報システムを管理する内部統制を指
す。IT 利用環境に関する全般統制と、業務プロセスに関する業務処理統制に分かれ、主にIT
部門が担当する社内管理手続きの仕組みである。
4,「内部統制」の欠陥:不正行為
1.営業や販売業務にまつわる不正行為
・カードやローンによる架空の売上を計上・未出荷商品の売上計上・請求書の水増しによる
差額金を着服・リベートの水増しによるバック・リベートを着服・架空売り上げと業績の水
増し、翌朝の返品処理、同一商品の複数回にわたる架空販売による売上計上・カード・ロー
ンによる架空の売上げを計上・未出荷商品の売上計上・請求書の水増しによる差額金を着服・
請求漏れ・営業担当者による直接回収した売掛金を着服等
2.経理業務にまつわる不正行為
・経理部員が小口仮払金を使用に繰り返し流用・経理部員が会社の普通預金口座の金を私用
に流用・経理部員が私的な買い物に会社の小切手を利用・経理部員が架空の会社に小切手を
振り出し、これを換金化・経理部員が領収書を発行し、現金を着服し、先の領収書を紛失処
理・自社の商品券を交際費の名目で持ち出し、換金して着服・総務部員が収入印紙を金券シ
ョップに持ち込み、換金して着服・架空の領収書を作成し、これを担保に資金を借り入れ・
会社の金を商品取引で運用し、その取引報告書を偽造・銀行振込依頼書の偽造・当座口座の
金を私用に引き出し、銀行勘定照合表を偽造・交際費の水増し請求書による着服・カラ出張
等
3.財務業務にまつわる不正行為
・手形を余分に振り出し、街の金融業者で割り引いて着服・書き損じを装った手形の不正振
り出し・薄外の融通手形の振り出し・必要以上の借り入れにより、金融機関から個人にキッ
ク・バック・高金利の借り入れを飲むことで、金利の一部が個人にキック・バック・予備株
券により株券を偽造し、現金化し着服・廃棄株券を処分せずに、質入れして着服・取引先の
非公開株を高値で購入し、一部を裏リベートとして着服・有価証券の預り証を偽造・利付き
国債の利札を勝手に換金し、着服・情実による貸付の焦げ付き・担保物件の横流し等
4.人事業務にまつわる不正行為
・前歴の未確認のままに採用し、不正行為が発生・他の従業員の残業代を横領・残業代の過
剰請求・従業員の社会保険料を納付せず、着服・通勤費のごまかし等
5.購買業務にまつわる不正行為
・取引先に過大に支払い、その返金を着服・取引先と共謀し、架空取引と架空請求による入
金を着服・取引先からの依頼による架空仕入れを計上し、裏リベートの授受・在庫の横流し
等のである。
■2005年10月30日号■
〜特集〜内部統制の時代 2
内部統制とは、平たく言えば「リスク管理」ということになるが、前回に続き、内部統制に ついてレポートしたい。((株)エス・ピー・ネットワーク常務取締役 関根光郎氏 クラブ・ アクエリアス講演録より)
1,他山の石?危機管理としての内部統制
「危機管理って何ですか?」と、皆さんに問いかけたら答えていただけますか?たいていは
「あーリスクねー、危ないことかなぁ」という風に言われる。リスクというものを簡単にご説
明すると、最近、日経新聞にもよく出ているんですけれども“内部統制”ってことなんです。
「内部統制を確立しよう」と。これがね、危機管理の一弧になるんですよね。リスクが内部統
制の弧、構築なんです。昔は「リスクは見えないもの」って単純に判断していれば良かったん
ですけど、見えないもの触ったらお金かかって大変です。だから、どこから触ろうかってこと
になるんですが、リスクにはミドルクライシスとクライシスがあるんです。日本は単純明快で、
危機全てが危機なんですけれどね、アメリカでは分けてます。
クライシスっていう言葉、最近メジャーになってきたのでご存じの方も多いと思うんですけ
ど、何がミドルで何がクライシスなのか?まず1つめはマスコミなんですよ。マスコミに情報
が流れちゃった、次に行政、司法、それからステークホルダー。それらに情報が漏れたのもの
をクライシスと言います。
世の中に全部バーンと暴露されちゃう。自分から言えばいいんですよ。脱税しても、自分か
ら「あれ、これ粉飾になってるよ」と。そして自分から「すいません、これ申告漏れになって
ました。支払い方法は?」と聞けば、摘発なんかされないんです。隠しに隠すから、おかしく
なるんでしょ?それが売り上げ至上主義です。儲けてさえいればいいと。だから裏からひっく
りかえされるんです。
儲かってきたなと思ったら襟を正したほうがいいですね。私も得意じゃないですけど、儲か
ったなと思ったら銀座行っちゃったり中須行っちゃったりするんで・・・悪い友達があそこに
はいっぱいいますのでね(笑)それは、ほどほどにっていうところだと思います。人間すべて
がガチガチでもいけないということです。ビルもそうなんですけど、遊びがないと壊れますよ
ね。遊びがあるからこそ柔軟性を保っているんで、聖人君子みたいになっちゃったら今の世の
中は生きて行けないと思います。
2,内部告発への対応
要するに、クライシスはメディアですよ。2番目が司法、3番目が行政、4番目がステーク
ホルダー。最後は誰が処分かけるかと言うと司法ですからね。皆さんの会社を手の内に治めて
いるのは司法なんですよ、行政じゃないんです。その先頭に立つのがメディアです。
クライシスにならないために、色々手段を講じて社内で収めなきゃいけないんです。社内で
不正を見つけることが出来た、従業員が不正をやった、背任横領をやりました、そんなものは
何てことはないんですよ。社内できっちりとしたシステムをとって、マニュアルを作って、仕
様書を作っておけば社内で解決できるんです。社内解決できるものが、外に出るからアウトな
んですよ。それがクライシスです。だから、ミドルクライシスのところで収められるように、
そのためには、日頃から世の中をよく見ておかなきゃだめなんです。自分の城の中だけ覗き込
んで籠城しているから、外から攻められるんです。自分の会社を第三者の目で覗き込んでみる
と穴だらけのはずなんですから。
3,管理職以上は現場のクレーマー(クレームを言う人)に徹する
例えば、うちのクライアントであるドン・キホーテのエリア・マネージャー会議に行って「あ
んた達は各店鋪巡回しているでしょう?どういう目で見ているんだ」と聴きます。「俺はエリ
ア・マネージャーだ」と、偉そうな顔して店長クラスがずらーっと並んだところに礼させるた
めに行っているのか?そうじゃないだろうと。自分が担当している店鋪で何か足らないものを、
これはこうじゃだめだろうというものを見つけに行くのが自分の仕事だろう。だったら自分が
クレーマ−になりなさいと言うんです。
例えば、この部屋で消防的な違反はないかなと、消防官になったつもりで見つけていけばい
い、そういうふうに見る。そこがオーナーの仕事なんですよ。帝国ホテルの会長は、ゴミ拾い
をやっています。毎朝早く行って、まずゴミを拾う。自分の会社を愛しているからでしょう。
俺は会長だ、社長だと言って偉そうな顔して、ゴミが落っこちているのも目に入らないような
会長、社長はすぐ辞任すべきなんです。自分から拾うべきなんです。トイレにトイレットペー
パーがなければ、自分でセットすればいいことなんです。それによってお客さまが喜んでくれ
る、これがカスタマー・サティスファクションです。また、自分から進んでやることによって
従業員のモチベーションが上がる、エンプロイー・サティスファックションでしょう。
4,危機管理対策のない企業に発展はあるか?
従業員の満足プラス、マネジメントの満足になりますから経営満足ですね。三位一体になら
ないと企業は回らないということです。じゃあ、皆さんのところで従業員が満足して働いてい
るっていうことを点数で出してあげているかということになりますが、これが、内部告発にな
るか、ならないかの瀬戸際なんですよ。内部告発っていうのは、内部の人間が内部にしなくて
はならないことなんです。外にしちゃダメなんです。雪印もそうだし、JAL なんか最近いろん
な事件が発生してますが、あんなの昔からあるんですよ。あるんだけど、今はどんどん出ちゃ
うんです。システム上そうなってきている。出すべきだとなってしまう。
隠しちゃいけません。臭い物に蓋したらガスが出て爆発しちゃいますよ、だから「必ず悪い
と思ったら発表しなさい。でも発表段階でもないものまで、発表しちゃいけません。確実にわ
かっていて、ウチが悪いということは発表しても、このことについてはまだ調査しております、
次のプレス発表の時にさせていただきます」という風にすると、何の問題もないんです。防御
策のための準備段階を持つんです。
統計をとりましたら、不祥事は、内部不正を摘発する部署とか、危機管理室、法務室など設
置していない企業から90%出ています。あと10%はやっていても起きるんですね。どんな大
きな企業でも起きてしまうんですよ。デュポンやキャノンとかいった危機管理体制の構築はす
ごいですよ。ぶ厚いマニュアルがあるんですけども、こんなの読んでいたら1年かかっちゃう
んじゃないかっていうくらいのマニュアル持っているんですよ。何もしないで事件が発生した
ところと、体制を整えて事が発生したのとでは、メディアの見方が違うんですよ。本気で自分
の企業を愛して、今後自分の企業を大きくし、永続性をもって、皆さんに喜んでもらう企業を
作るならば、この管理というところに目を向けなければ、必ず会社は潰れます。
中秋の名月は、久しぶりにきれいなお月様を見ることができました。下の世界
で起きている出来事とはずいぶんかけ離れた世界のようでした。たまにはボーっ
と空を見上げることは本当に大切なことですね。
以前からご案内いたしておりましたふじわらフォーラムは、9月3日、松山市
総合コミュニティセンターで開催され、全国各地から130名の方が参加。今月
のレポートにも掲載された藤原直哉先生と、中村時広松山市長の講演と全員参加
のアトラクションで大変盛り上がりました。今回の選挙で、政治家がどこまで国
民の幸せを考えているかわからなくなってしまった今、自分たちのことは自分た
ちでしっかり考えて守っていかなければならないことになりそうですが、その際
に私たちが住んでる地域を良くしていく意識はすごく大切ですね。
さて、その衆院選挙ですが、勝つつもりのない人まで当選してしまったと言う
前代未聞の自民党の大勝利に終わりました。郵政改革だけを訴える小泉首相の作
戦は大成功で、物事を単純に見ること、そして単純化の問題に気がつかない大衆
行動の危険性を深く感じることになりました。太平洋戦争の発端は、軍部が勝手
に暴走したわけではなく、国内のストレスを中国に向けようとした国民の妄信で、
今の小泉さんと当時の近衛首相の訴えはあまりにも似ているとよく言われるとこ
ろです。
冷静に考えてみると、私が専門とする税制の分野でも、小泉首相の政策的な考
えを感じたことはありません。財務省の暴走を感じることはあっても、他の政治
家も含めて、政治レベルで何らかの判断(または調整)が行なわれているように
は思えません。郵政改革のみの政策で、他の政策については白紙委任してしまっ
た以上、今後、行財政「改革」を命題とした増税は避けられないと思います。他
に、医療「改革」といえば、医療費を上げること、年金「改革」とは年金の支給
を減らすこと・・・み〜んな「改革が良い」と言っちゃったわけですから、これ
から生活がどんどん厳しくなっても仕方ないですね。「そんなのわからないだ
ろ?」って?確かにどうなるものかわかりませんが、ただ、そんな方向性が見え
るのに時間はかからないと思います。早速、税制改革は12月を目処に行われま
す。しっかり期待して見ておいて下さい。
いずれにしても、国の政策は、潰れかかった国を立て直すために、国民にあら
ゆるところで負担を強いてくることになると思います。公務員が悪いと言っても、
公務員だって私生活では大変な思いをすることになるでしょう。仕事の部分はど
んなに厳しくても。今回の選挙でとんでもないことをしてしまったと感じ、次に
何をすべきか?という点を明確に国民が選択できるようになるまでは、本当にし
んどい思いをしなければならないようです。本当に大変ですが、起きてしまった
ことは仕方ありません。こんなときに本当に大切なのは信頼できる仲間です。し
っかり腹をくくってがんばりましょう!
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■2005年9月10日号■
〜特集〜世界遺産高野山の神秘を訪ねて 2
前号に続き高野山の神秘を特集するが、今回は中でも密教、空海、曼陀羅の摩訶不思議 の世界へと誘いたい。いずれも奥深い世界なので、さわりの部分だけの紹介となるが、高 野山のイメージを広げて頂ければ幸いである。(参考資料 学研:密教の本 一部抜粋)
1,密教と水銀鉱脈の不思議な関係
真言密教の聖地・高野山には水銀鉱脈が埋もれている。錬金術に欠かせない水銀と密教
の霊場は、ことのほか関係が深い。
空海に関して言えば、まず、その修業時代に踏破(とうは)したことが分かっている山
岳地帯は、ことごとく水銀や金・銀などの鉱床・産地なのである。山岳霊場金剛山地では
現代に至るまで水銀が採掘されていた。吉野の金峯山(きんぶせん)は、昔『かねのみた
け』と呼ばれていたところである。吉野の山人族は古代、水銀の採取を特技としていたし
金峯山では江戸時代には金を産出していた。この吉野から熊野にかけての山岳地帯は、か
つて京の女官に重用された『伊勢白粉(いせおしろい)』の産地だった。水銀と塩を混ぜ、
蒸し焼きにするとできる白い粉が、白粉として使われていたのである。四国に渡ると、石
鎚山が鉱床であるし、徳島県から愛媛県にかけては、戦前多くの鉱山が開発された鉱床地
帯である。
現代では、ここに地質中央構造線が走っており、その外側は金属資源が豊富であること
が分かっているが、空海の時代は、もちろんそんな知識はない。空海の修行地が、すべて
そこに選ばれていることは偶然の一致なのだろうか。
2,曼陀羅 森羅万象を集約した極彩色のヴィジョン
〜現代人の心を惹きつけるその魅力〜
「マンダラこそひとつの個としての人間の完成像であり、全ての道はそこに通じる」と
考えたスイスの偉大な心理学者ユングを筆頭に、20 世紀になると仏教以外の多くの人々が
曼陀羅に注目するようになった。曼陀羅が、現代人を魅了する理由はどこにあるのか?
曼陀羅は、サンスクリット語のマンダラの音を写した言葉で、語源的には「本質を有す
るもの」「完成されたもの」という意味である。つまり仏の悟りの本質そのものを指す。
日本に最初に曼陀羅を請来した空海は「密教の教えは奥深く、言語・文字で表現するこ
とは困難。図画をもって密教の大生命の世界を示す」と曼陀羅を説明している。即ち、仏
教の世界で悟りへの障害物として扱われてきた人間の五感を活用して、宇宙の真理を会得
しようという態度が空海の言葉には表現されている。
一般に仏教では聞く、見る、嗅ぐ、味わう、触れるの五感は、人の心に煩悩の迷いを生
じさせるものと考えられているのだが、密教では「宇宙の真理は人間の理性だけでは理解
することはできない。だからこそ人間の持つあらゆる感覚器官を総動員して真理を捉える
のだ」という。そして目という感覚器官を活用して宇宙の真理を獲得するための道具が曼
陀羅というわけなのだ。曼陀羅には宇宙のシステムが表現されている。そこに描かれた仏
菩薩や神々の色・形・位置・持ち物などすべてが宇宙の真理をシンボライズしており、そ
れを目で見ることにより、人は宇宙の真理との交流を体験することができるのである。
3,数々の奇跡を起こした空海伝説
密教を中国からもたらし、真言宗を開いた空海は、いうま
でもなくわが国最大の宗教的天才である。と同時に文化、教
育、社会事業と幅広い活動をなし、医療や土木・建築・鉱業・
自然科学など、多くの分野で驚くべき才能を発揮している。
その巨大な謎をはらんだ活躍ぶりは時に「超能力者」と呼ば
れるほどである。
例えば、弘仁12 年(821)、空海は四国・讃岐の満濃池(ま
んのういけ)を修築している。周囲20 キロ、現在も46 平方
キロの田畑をうるおす日本一の溜め池である。当時の土木技術水準からみれば巨大な人工
湖といってもいいこの池が大決壊し、3年の歳月を費やした修築工事もうまくいかず、空
海が派遣されたのだが、空海はその難工事をわずか1ヶ月で完成してしまう。後に満濃池
が近代的ダムに改修されたとき、調査にあたった土木技術者が「現代にも通用する合理的
な設計だ」と驚嘆したほど、それは優れたものだった。
また、弘仁元年(810)、大和平野でイナゴが異常発生して、収穫期の田畑を食い荒らし、
あらゆる手段をつくして駆除が行われたが効果はなく、緑はみるみる失われていったが、
そこへやってきた空海が、護摩壇を築き害虫駆除の法を修すると、野山を覆い尽くしてい
たイナゴの大群は一夜にして消え失せた。その他、天長元年(824)、日照り続きの農地に、
真言を唱え激しい雨を降らせたこと(古書には「そのとき神泉苑の池に丈余の蛇に乗った
金色の竜が現れた」と伝えている)など、空海の民衆を救うための修法祈祷は、その生涯
で51 回に及んでいる。そんな空海の「万能の天才」、超越的な能力は、どのように身につ
けられたものなのだろうか。今も空海が入定したまま生きていると言われる高野山の霊気
には、その答えが潜んでいるやもしれない。
■2005年9月20日号■
〜特集〜藤原直哉が語る世界経済の動向2005
クラブ・アクエリアスでの一年に一度の講演が恒例になっているエコノミスト藤原直哉氏 の講演(9 月15 日 広島)は、映画「華氏911」の監督であるマイケル・ムーア氏が、ブ ッシュに投票した米国民に宛てた一通の手紙から始まった。今回はその講演要旨をレポー トしたい。
■ブッシュ氏は、弱者救済や国内危機管理への対応をする気はなく、能力のない人物をポ ストに就けているようだ。緊急事態庁長官のフィーマンが良い例である。ハリケーン災 害のときブッシュ氏は5日間何もしていない。911 の時と同じではないか。米国では8 人に1 人は極貧、6 人に1 人は学校を卒業できない。4300 万人は健康保険もないのが現 状である。また米国の自己破産で1番の理由は、高額医療費の不払いである。今回の自 民党圧勝は、日本の危機を感じる。日本は米国のように弱者が暮らせない国になるので はないか。
■奥田経団連会長の発言は「こんなに勝つとは思はなかった」である。規制緩和により財 界は鴨ねぎになる。郵政民営化で350 兆円は、米国金融の手に渡る可能性が高い。彼ら は日本大手企業の株の売り買いを始め、投資家を弱らせ、弱体化した企業を買い取る。 今回の選挙がもたらすわが国の影響は大きいが、これもある意味で、新生日本にとって 必要なことなのかもしれない。
■中国・韓国は今回の小泉圧勝に対し戦争に向けた大きな不安を感じている。石油・金・ ダイヤを持つ金持ちロシアは、冷戦は終わっていないと言っている。イラクとの戦争に 負ける米国により軍事バランスが崩れる今が最後の勝負時期であり、中国との共同演習 は、米国との戦争対抗のロシア製の武器売込みが目的である。また、ノースウエストや デルタ航空が倒産したが、次の大手米国企業の倒産は何が出てくるのであろうか。
■不動産下落。中国は総てが不足している。バブル崩壊の時は政府が変わることで立て直 しを図るが、北京政府は他の政党と変わることが出来ない。軍は省単位でビジネスをし、 自活して給与を払っている。いざと言うとき北京政府の命令を軍が受けて行動するだろ 2005 年9 月20 日 F&A Consultants Inc. 発行人/酒井啓司 790-0006 愛媛県松山市湊町4-2-1 TEL 089-931-3235 FAX 089-931-6370 うか。1991 のソ連崩壊のときは軍が動かなかった。これが崩壊の原因である。
■ブッシュはハリケーン災害の責任は自分にあると国民に謝ったが、イラク戦争でも必ず 国民に謝ることになる。米軍本部は3月以降に新兵は派遣しないと声明している。サマ ワでは、英国・オーストラリアが帰国した後、自衛隊はどうするのか。帰国できない場 合、戦うのか?大きな問題となる。
■ドイツでは、ヘッジファンドが4 分の1 の資本を握っている。フォルクスの工場はポー ランドや東欧に行く。グローバル競争の中で、ヘッジファンドはドイツ人の暮らしや雇 用は視野にない。米英も企業がよみがえらない。規制緩和は企業の競争力を奪っている。
■イランは天然ガスが豊富でインドや中国に売っている。現在核開発を進めているが、原 子力発電の必要性は全くない。サウジやクウェートを倒すために核爆弾開発をしている に違いない。このあたりと台湾が1番戦争の危険性の高いところではないだろうか。
■企業の競争力は、他社と違うことが出来ることである。価格を下げる営業は負ける。ホ ームセンターもインターネット販売に品揃えで負ける。消費者は自分の本当に欲しいも のを手に入れたい時代。DVD もインターネットの無料宅配で手に入る時代。インフレの 中で値下げをする企業はだめになる。不特定多数の客を相手にする時代から、固定客を 相手にする時代へ変わる。今から始まる10 年のインフレや0 金利が終わる中で本当に 強いところが残る。経営者は世の中をよくすることが課せられた義務があり、インフレ 時代にはそれが問われることになる。
■デフレの時代はキャッシュを手元に置くが、インフレはキャッシュを使うべきである。 不動産は早く処分したほうが良い。株はだめ、債権はだめ、社債は1番だめ。自分の健 康に金を使うことが1番である。10 年後の未来に向け、自分の実力を養うために使うこ と。資産は実力を手に入れる武器である。インフレ時代の選択肢は攻めること。デフレ は企業の統制部署の強化であるが、インフレでは現場能力が問われるため、現場の挑戦 的機能が必要となる。
■18年度の地方予算は交付税を含め、自民党の圧勝により、国は大幅にカットする。地方 は独自に行きぬく道を探すことになる。長野・岩手・三重・福岡・高知などのリーダー は良い。地域を盛り上げるチームワーク、それに必要な新しいリーダーシップのある人 材による、うまい地域づくりをやり、足元を固めて世界とどうやって提携していくかを 考察しなければならない。何もしないのが1番のリスクである。
■しかし、やりすぎると全てが抜けてしまう。オーバーフローした部分だけが抜けるので はなく、これまでの全てが抜けてしまう。(一定の料を越えて注ぐと、湯飲みの中の水が すべて抜け落ちてしまう沖縄で開発されたぐい飲みを例に出しながら)ほどほどにやり ながら勝っていくこと。あの会社のこの商品しかないと言われるものを目指すべき。怖 いと思ったらおしまいである。腹をくくって、前に逃げること。後ろに逃げては負けで ある。
F&Aレポートをお送りします。次回に引き続き、PDFファイルにしてみました
さて、8月も後半に入り、急に涼しくなってきました。真夏の格好で寝てしま
った私は少し風邪気味です。また暑さがぶり返すかもしれませんが、季節の変わ
り目、十分体にはご注意下さい。
さて、小泉さんの訳のわからない解散劇から、衆議院選挙が始まりました。最
近の政治に関する報道を見ながら思うことですが、人の考え方というものがひじ
ょうに狭く、そして単純になっているような気がします。それは見方によれば、
すごくわかりやすいことなのですが、逆に大変危険なことです(ヒットラーもこ
の路線で政権を取ったのですから。気分転換にこんなサイトはいかがですか?
http://www.kokumin.biz/manga.html)。物事は複雑であるから、慎重になるの
だと思うのですが、単純に発想すると単純に行動してしまう。たとえば、企業の
経営者が粉飾をするから監査を厳しくすれば良いというのも単純な発想の一つで
すね。個人情報を漏洩する奴がいるから、漏洩の罪を厳しくすれば良い。法律を
作った人間はそのように規則を厳しくすれば世の中がよくなると信じている訳で
す。本当にそうなのでしょうか?
また、選挙では、郵政改革が止まれば日本の改革が止まるかのように言われて
いますが、本当にそうなのでしょうか?ここまでの改革とは、既成の権益から日
本経済を開放するという意味でも扱われていると思うのですが、それは単純に競
争すればよいということなのでしょうか?小学校の運動会を見たときに、早く走
る子が一番優秀だと単純に判断してよいのでしょうか?逆に、試験が一番できる
子が優秀なのでしょうか?今の政権が目指している改革は、そのような子を優秀
だと決め付ける改革のような気がします。単純に、安いものなら何でも良いとい
う発想にはまっていないでしょうか?今の日本が目指さなければならない「改
革」とは何だ?という議論が置き去りにされていないでしょうか?「改革」とい
う言葉の意味をしっかり考えることが先なのではないでしょうか?少なくとも、
それは郵政改革ではないし、仮に郵政改革だとしたら、本来あるべき改革を先に
示すことが政治の使命だと思うのですが。
とにかく、そんな単純な論理にマスコミも翻弄されてしまっているような気が
します。
いずれにしても、しばらく混乱は続きそうです。政治や経済で疲れ切ってしま
わないように、夏風邪なんて引かないようにして落ち着いた秋を迎えましょう!
■2005年8月10日号■
〜特集〜経営者は「声」が大事
声は変えられる 磨きをかけよう 毎日数分のトレーニング
ある著名な方の講演会に行った。経営にまつわる色々な話をされる中で「経営者は声が大事」
という話があった。「どんな立派ないい話をしても、声が通らないと相手に伝わらない。説得力
がない。経営者は人を動かすのが仕事なんだから声をもっと鍛えるべきだ」と。
日頃、意識することもなく自らの呼吸に任せて発しているのが現状だが、毎日、数分の
トレーニングと、心がけで声は確実に変わるというのだ。
今回は、日頃のボイストレーニングを紐解いてみたい。
1,自分の声を聴いてみる
話し方や声を矯正するには、まず自分の声を客観的に聴き、自分
の声を知るところから始めるのが最も効果的である。
最近、便利になったとつくづく思う。少し前までは「自分の声を
録音して聴く」ためには、テープレコーダーやカセット、あるいは
ビデオなど、何やら大袈裟な装置を準備しなければならなかったが、
今は、携帯電話のボイスレコーダーや伝言メモ機能がある。携帯電話を取り出して、録音し
聴いてみる。非常に手軽に、しかも何度も自分の声をチェックすることができるのだ。
「自分の声を聴く」という研修をすると、多くの場合、会場は「クスクス」という笑い声
や、「エーッ」という驚いたような、がっかりしたような声がもれる。10 人中9.8 人が「自
分が思っていた自分の声と違う」「聞き取りにくい」「暗い」「変な声」等と、マイナスの評価
を下す。しかし、指導する側にとっては、ここでマイナスの評価が下されると、半分は成功
したと思うのである。自分の弱点や欠点を知って、初めて改善への道が開かれるからだ。し
かも、どこをどんな風に直せばいいかという具体的な点まで明らかになるので到達も早い。
そもそも、声は、声帯で作られた音が、喉で響いてから口の中でも響いて、それから声と
なって出てくるのである。さらに、空気に触れて相手の聴覚でキャッチされる。その仕組み
を考えるだけでも、自分の声を意識する第一歩になる。
2,声はイメージに働きかける
ケネディ大統領には、マクロスキー教授(マサチューセッツ工科大学・ボストン音楽大学)
という声のコンサルタントがついていたと言われるが、歴代の米国大統領にも、そうした役
割を果たす専任の人物がいると言う。日本の場合は、声のコンサルタントがついているとい
う話は聞いたことがないが、聴衆の心を捉えるために演説や話し方の工夫をし、研究をして
いる政治家は多い。
目が口ほどにものを言うのなら、声は顔ほどに人格を伝えると言っていい。なぜなら、声
はイメージに働きかけるからだ。
人は聴覚から入った情報でイメージをする。企業において、電話応対が大事とされるのは、
電話の第一声でその会社の文化、風土、哲学などが、一瞬のうちにイメージとして伝わるか
らだ。今は、メディアが発達して活字よりも声や音声で情報をキャッチすることが多くなっ
た。ビジネスでもプライベートでも、いつでもどこでも直接つながることが出来るようにな
り、読むことより聞くこと、活字から声へ時代がシフトしていっているのだ。
3,あなたの魅力を引き出すためのヴォイストレーニング
「口先だけでものを言う」とは、心にもないうわべだけの言いぐさを表現するが、まさし
くその通りで、声そのものも口先だけで発しているわけではないのだ。発声器官と全身の筋
肉の働きで、初めて声として伝わるのである。そのため、声は、大きい、小さい、太い、細
いなどの身体的な特徴や、心理的な状況も表れるのだ。
声楽を学ぶ人やその道のプロを目指す人は、良い声を作るために発声器官の訓練と全身の
鍛錬などをするが、経営者、またはリーダーとして、声に磨きをかけ、自らの持ち味を存分
に引き出すなら、「アイウエオ」の訓練から始めると良い。
日本語は、アイウエオの母音と、子音55 音、拗音(キャ、キュなど)合わせて150 にも
満たない音の組み合わせで成り立っている。これらの音を正確に発音することによって、正
しい明確な言葉として伝わるのである。
毎日「アエイウエオアオ」と、指が縦に2〜3 本入るぐらい口をあけて、口を動かし声を
出す。声は、力まず自然な状態でなるべく大きな声を腹から出す。このとき、口をしっかり
動かすことで顔の表情筋も鍛えられるので、一石二鳥である。続いて、「アッ・エッ・イッ・
ウッ・エッ・オッ・アッ・オッ」と、スタッカートを入れ、音を一音ずつ腹筋を使って切っ
てみる。これを3 回繰り返す。母音の響きが美しくなれば、子音もそれにつれてよくなるの
で、第一段階としては、子音をあまり意識しなくとも良い。
声を磨けば、自分に自信が生まれ、積極的な思考をするようになるので、表情も対人関係
も変わってくる。まだまだ眠っているあなたの魅力を引き出そう!
■2005年8月20日号■
〜特集〜産廃からブランド豚育成物語
7000 坪のファームに広がる循環、共生、子供達の夢
広島市の北部、太田川源流に近い山間部に知る人ぞ知るファームがある。このファームは、 平成13 年、広島市の一産業廃棄物業者の「食品リサイクル」という概念から誕生した養豚 場であるが、豚だけでなく、ダチョウやヤギ、ポニー、クジャク、ガチョウ、犬といった様々 な動物達がゆったりと飼育され、近隣の幼稚園や小学生の子供達が遠足で遊びに来るふれあ い動物園の要素もある。養豚にはまったくの素人であった一産廃企業が、この土地で鹿児島 の黒豚にも並ぶ卸価格で取引される程の広島初のブランド豚育成に成功し、ファームを事業 として展開していくには、さまざまな物語があり企業理念があった。そして、この新しい取 り組みは有望なビジネスプランとして、2004 年日本商工会議所青年部ビジネスプランコンテ ストで準優勝に当たる会頭賞に輝いた。今回はこのビジネスプランの一部を紹介したい。
1,食品廃棄物の社会的背景とファーム
食品リサイクル法では、食品関連業者は平成18 年までに食品循環資源として食品廃棄物
を20%以上再生利用、発生抑制に取り組まなければならない。なぜなら、食品廃棄物は含水
率が高く低カロリーのため焼却処理に不向きであり、今後容器包装リサイクルの促進によっ
てプラスチック類の分別が進めば、従来型の処理(焼却)ができなくなると懸念されている
からだ。
現在、食品は主に 1.焼却して電力等のエネルギー化 2.肥料化 3.飼料化というようにリサイ
クルされているが、1の焼却については、イニシャルコストが高くダイオキシン対策等で莫
大な費用を要するので民間レベルでの施設を構えるのは極めて困難である。また、2の有機
肥料や土壌改良材といった肥料化は需要先の確保が難しく供給過剰気味である。大規模な農
家でも肥料を使用するのは年間数回と限られている。空き倉庫などに長い間堆積されたまま
の肥料も珍しくないのが現状である。では、3の家畜飼料はどうか。食品がすべて飼料にな
るわけではなく成分バランスの安定の為、分別の徹底という条件はあるものの、一定の条件
さえクリアすれば、食品リサイクルの中では将来性が期待できるものである。
通常、廃棄物は処分するよりもリサイクルする方がコストが高いのだが、リサイクル実施
にあたりコスト負担増への不安の解消、リサイクル製品の安産性や品質を確保し、品質、成
分、供給量を安定させ需要の確保、施設の不足といった課題に取り組みつつ、平成13 年に
リサイクルファーム(大栄ファーム)を構築した。
2,素人がプロを使う難しさ
これまで、大量の食品廃棄物を収集し単に処理していた業者がリサイクルを手がける、し
かも養豚という特殊な事業である。とても素人で手に負える世界ではない。そこで、養豚の
プロを探す。全国から情報を集め専門家に会いに行く。その道のプロは、おしなべて個性的
であるという。ようやく「この人」と言えるプロに出会ったものの、ファーム全体の運営を
任せ、世界的にも珍しい霜降りの豚肉「幻霜(げんそう)スペシャルポーク」というブラン
ドを生み出すまでには、会社として幾度となく試練を乗り越えなければならなかった。手の
平で豚の背に触れただけで、その豚が種豚になりうるのか、食肉用で終わるのかを判別でき
るブリーダーと呼ばれる専門家は、技術職であり研究職でもある。納得のいく成果が出るま
では、利益を度外視して研究に励む。当然、予想外の経費も半端ではなかった。企業として、
先の見えないリサイクル事業に何度終止符を打とうと思ったことか、また、何度人選の見直
しをしようかと、岐路に立たされた数は数えられないという。
3,世の中の役に立ち利益を追求する
対象顧客は、リサイクルを考える食品関連事業者、養豚肥育農家、小売店である。食品関
連事業者には廃棄物処理のコストを低減し安定させ、養豚肥育農家については飼料コスト低
減と豚の販売価格の安定化、小売店については味・安全性・簡便性を供え、尚かつ広島県の
ブランドをつくり鹿児島の黒豚なみの流通性をもたせることでサービスを徹底し事業を安定
させ拡大するのが狙いである。テーマはリサイクルとブランド化である。
後継者がなく次々と消えていく県内の養豚農家にとっても、ファームにとっても、ブラン
ド豚の売買はギブ&テイクの関係である。養豚農家はファームから種豚を一頭80,000 円で
買い付け、その後育てた幻霜スペシャルポークをファームに42,000 円で買い取ってもらう。
ファームは食肉卸売り市場に特別銘柄豚として49,600 円で販売する。特別銘柄豚の販売価
格は、レギュラーポークに比べて2倍近い値がつく。また、ファームは、幻霜スペシャルポ
ークを育成する飼料を、養豚農家に20 円/kg で販売する。この飼料は通常のレギュラーポー
ク用の飼料の半額である。リサイクルによって生まれたブランド豚は、現在消えつつある広
島県内の養豚農家を救う一翼も担っているのである。
4,子供達の体験の場としてのファーム
ひと昔までは当たり前であった自然や生き物との触れ合いによる学びの場が失われ、子供
達が命の尊さ、作ることの楽しさ、育てる事の難しさを知る機会が極端に少なくなったこと
により生じると見られている、昨今の犯罪の低年齢化や残酷化。そんな子供達が少しでも自
然を体験できるよう、ファームはいつも開放している。微力ながら社会貢献になればという
思いである。たくさんの動物が今日も子供達を待ち、ブランド豚は健やかに育っている。
■2005年8月30日号■
〜特集〜世界遺産高野山の神秘を訪ねて 1
今年3月、生まれて初めて高野山に上った。「弘法大師という偉いお坊さんが、真言宗のお寺、
金剛峰寺を建てた」と、歴史の時間に教わったのはいつだったか。何かとても神秘的で、由緒
あるところらしいという、その程度の知識で参拝の機会を頂いたというのも、高野山の懐の広
さなのではないかと思う。また、昨年、「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産に登録され
た高野山は、日々大勢の信者や四国四十八カ所の霊場を巡ったお遍路さんたちをはじめ世界中
から参詣客が集まっている。
【高野山とは】高野山は、およそ1200 年前に、弘法大師によって開かれた、真言密教の修行
道場であり、全国に広がる高野山真言宗の総本山である。標高およそ900m。山の上の盆地に、
壇上伽藍と称する聖地があり、そこには、さまざまなお堂や塔が立ち並び、 仏像や曼陀羅が参
拝者を迎えている。また、うっそうと杉の樹の茂る奥の院には、太閤秀吉から太平洋戦争の英
霊まで、さまざまな人々のお墓が立ち並んでいる。
1, 墓の博物館〜日本の墓石文化を語る聖地奥の院〜
やは肌のあつき血汐にふれも見で さびしからずや 道を説く君 与謝野晶子
明治時代の代表的な女流歌人である与謝野晶子が明治34 年
(1901 年)、高野山で厳しい修行に励んでいる一人の青年僧に
贈ったのがこの和歌。その内容は女人禁制の影響がなお残る高
野山で、禁欲的な修行生活を思いやるものであるといわれてい
る。この与謝野晶子の歌碑は奥の院英霊殿付近の参道沿いにあ
るが、奥の院は壇上伽藍と並び、高野山で最重要とされる聖地。
推定樹齢800 年の杉木立と約30 万基ともいわれる墓石群が約
2km の参道の両側に並ぶ。終点の燈篭堂は仏教寺院としては
珍しく拝殿の形をとり、その最奥部に弘法大師廟が祭られてい
る。燈篭堂正面右奥には石田三成が母のために建てた経蔵(国重要文化財)がある。
また、高野山は明治時代まで女人禁制であったが、
奥の院は天下の墓所として歴代天皇から全国の大名
(約40%)、無名の庶民のものまで敵味方、身分、
性別、宗派の別なく墓石が設けられている。奥の院
最大の墓石は徳川二代将軍秀忠の正室・お江(おご
う)の方のもので、高さは3mに及ぶ。秀忠の兄、
結城秀康霊廟や、上杉家霊廟、佐竹家霊廟は近世初
頭の代表的な霊廟建築として国重要文化財とされている。
このほか、日本最古の歌碑、与謝野晶子の歌碑、薩摩島津家高麗陣敵味方の慰霊碑、落書
きの碑、シャープや福助といった名だたる企業墓など見どころが多数ある。
これは「弘法大師の足下に眠れば極楽往生出来る」という信仰によるもので、奥の院を散
策しながら、多くの墓石の中から歴史上の人物を見出すという楽しみもある。
2,宿坊に泊まる 無量光院
テレビもなければ電話も通じない。早寝早起きをし
お勤めを済ます。風の音を聞き、散策をする。ごくシ
ンプルな生活に憧れ、いつかは宿坊に泊まりたいと思
っていた。
高野山には数多くの宿坊があり、高野山の風情の一
翼を担っているのだが、無量光院は、平安時代に白河
法皇の第四王子覚法親王の創建と言われていて、今も
なお伝統的宿坊の形態を守り続けている宿坊である。食事も昔ながらの精進料理であるが、
飽食の時代にあって、逆に贅沢に感じるのは幸なことなのか否か疑問である。毎朝六時から
の本堂においての勤行は、よく見ると、通常客室係となっている若い修業僧達も法衣をまと
って参列しており、早朝の清く荘厳な一時を体験できる。高野山と高野山の歴史を肌で感じ
ながら、我が身についた余計なものが少しづつ削ぎ落とされていくような感覚に浸ることが
できる。
835 年3 月21 日、空海は入定(にゅうじょう)したと言われている(生きたまま仏にな
る)。それから1,000 年余り、真言宗では、弘法大師空海はいまも入定したまま、奥の院大師
廟(だいしびょう)に生きていると、固く信じられており、今でも、朝・昼二回、ご供物が
進上され続けているのだ。
弘法大師が今も、その徳を持って人々を救済しているという、信仰の証でもある。
7月10・20・30日号のF&Aレポートをお送りします。今回から少し趣向を変えて、PDFファイルにもしてみました。こちらからダウンロードして見ることもできます。
小泉さんがついにやってしまいましたね。これを皆さんどうご覧になります
か?既得権を守ろうとするおじさんたちに攻められて可哀想ですか?私にはそう
は思えません。その面がまったくないとは言えませんが、なぜ郵政民営化にそこ
まで固執するのか、結局彼からは正面から回答がなかったですね。また、この問
題に賛成しないなら解散だと脅す方法は、どう考えても民主主義ではありません。
となると、問題は、なぜ小泉さんがそこまでして郵政民営化にこだわったの
か?ということです。そして、今回の選挙後、私たちの生活はどうなるのか?い
ったい、政治の世界で何が起きていて、私たちは何をベースに生きていかなけれ
ばならないのか?その点について深く考えたい方は、『ふじわらフォーラム』に
おいで下さい。
奇しくも60年前と同じ、とても暑い夏になりそうです。こんな時大切なのは、
冷静に動ける体作り、熱いですからしっかり体を休めておきましょう。
■2005年7月10日号■
〜特集〜“生きている”瞬間を生み出すコンサート
佐渡裕氏率いるシエナ・ウインド・オーケストラ
1,学生7割のコンサート会場
6月、出雲で開催されたコンサートに行って驚いたのは、開場を待つ入り口に長蛇の列が
出来ていることだった。それも制服を着た学校帰りの高校生で、多くの学生が黒い楽器ケース
を手にしているのだ。これから文化祭でも始まるのではないという雰囲気である。思わず会場
を間違えてしまったのかと思い、持っていた地図とチケットを確認した。
開場後、2 階席から全体を眺めてみると、やはり学生の姿が目立つ。ホールは立ち見チケッ
トも売り切れるほどの超満員、そのうち7割が学生だった。開演を待ってホールの空気は浮き
足だっている。白い開襟シャツにチェックのスカートをはいた学生達の小さな笑い声やおしゃ
べりが聞こえ、友人同士、席から席へと移動する女学生達のドキドキワクワク感がホールに
充満しているのがわかる。
話は逸れるが、その学生達は一般客に対して口々に挨拶をしている。誰と言うことはなく、
すれ違う人達に「こんにちわ」と挨拶をする。すれ違いざまにかけられた声が自分にあてた
挨拶だったと気付いたときはショックにも似た感動があった。今時、見ず知らずの人に、こん
なにも自然に挨拶ができる習慣を持っている高校生がいたとは!それも1人ではなく、ほぼ
全員が。よくコンサートでの音はステージで作られるのでなく、ステージと客席とが作り出す
と言われるが、彼等の爽やかでかつ日常的な挨拶が、これから鳴り響く“音”への期待度を
一層高めてくれたことには間違いない。
2,一期一会の音
クラシック、しかもブラスバンドといえば、かなりマイナーなイメージがある。「シエナ・ウ
ィンド・オーケストラ」も世界的に数少ないプロの大編成ウインド・オーケストラである。
1990 年に結成され、若さ溢れるダイナミックな演奏と幅広いジャンルの楽曲で、実力共に
全国に多くのファンを持つ日本を代表するオーケストラと、バーンスタインの最後の弟子と
いわれる指揮者佐渡裕氏。
この組み合わせで1999 年発売されたCD「ブラスの祭典」は、発売一週間でクラシックと
しては異例、吹奏楽としては超異例の“1 万枚”を突破し、その後の「ブラスの祭典2」は
3 万枚を売り上げた(吹奏楽のCD は3 千枚も売れれば大ヒット)という快挙を成し遂げてい
る。
どこにその魅力があるのかを探るために、わざわざコンサート会場に出向いたのだが、オー
ケストラが待機する壇上にマエストロが現れ指揮棒を振り下ろした途端に「探ろう」などとい
う邪心は雲散霧散し、初めの一音に吸い込まれていった。
何曲かを演奏したあとに、佐渡氏自身による「音楽のおもちゃ箱」というトークタイムに続
き、昨年ヒットした映画スィングガールズ(女学生のブラスバンド物語)にちなんだ団員全員
がセーラー服姿(佐渡氏はシャツ出し男子学生スタイル)での演奏、マツケンサンバスタイル
の指揮と踊りなどの演出があり、客席通路に出て一緒に躍る者もあれば、座ったままスィング
している学生もあり、楽団員も指揮者も観客も全員が音楽を楽しみ、ホールそのものが音楽に
なったようだった。
恒例のラスト「星条旗よ永遠なれ」は、楽器を持っていれば誰もがステージにあがってプロ
の団員と一緒に演奏できる。この瞬間を待っていたかのように、いそいそと自分の楽器を取り
だし、ステージ上がる人数は100 人ほど。ふと気付くと指揮者が5 人もいる。即席大編成オー
ケストラが出来上がったところで鳴り響く一期一会の音は格別で、拍手はいつまでもなり止ま
なかった。
3,指揮者は経営者、楽団員は社員
素晴らしい腕を持った演奏者がいても、その腕を引き出せるかどうかは指揮者の腕にかかっ
ている。優秀な技術が集まっていても、必ずしもいいモノが生まれるとは限らないのだ。
指揮者がいかに曲を解釈し一人一人の力を引き出し、全体として素晴らしい音楽を表現する
か?その仕事は経営者のそれと大差はない。日々の仕事は生ものである。今日良かったから明
日も良いという保証はない。その瞬間瞬間が生きているのである。
佐渡裕氏は著書「僕はいかにして指揮者になったか」でこう語っている。
「決してパフォーマンスでグルグル腕を回したり、指揮台の上で飛び跳ねているわけではな
い・・・とにかくその音が欲しいがために、そうしているのである。人にどう見られるかとい
うより、自分の音楽を表現しようとすると自然とそうなるのだ」「・・・ホールでは、音が物理
的に耳に入ってくるのではなく、ステージにいる人が心で震わせた空気が、客席にいる聴衆の
心を震わせる。それができる演奏家ほど“生きている”と言えるし、演奏家の心の震えを
キャッチした聴衆もまた“生きている”と僕は思っている」
指揮者が何をイメージしどう演奏家に表現するのか。それが、お客にどう伝わり、お客と共
に何をつくり出すのか?“生きている”瞬間をどれだけ生み出せるかが、問われているのだ。
■2005年7月20日号■
〜特集〜コミュニーケーション力 文字に心を託す日本人
1,メールは現代の短歌?
メールと言ってもビジネス上でのやりとりと、プライベートでのやりとりとでは、その
内容や目的は大きく違ってくるが、ここでは、あえてプライベートメールについて触れて
みたい。 元来、日本には文をやりとりするという文化があった。誰かを恋しく思うとき、
いきなり面と向かって「好きだ」というのでなく、恋文を送って相手からの返信を待つ。
返信が来ると、また送り返信を待つ。という風に、文字に気持ちを託すという文化が、DNA
の中に組み込まれているのではないだろうか。電話で伝えれば10 秒で済むような事でも
わざわざあえてメールにすることもある。それは、電話で言うほどのことでもなかったり、
相手の時間や状態を考慮してメールで済ませるというのもあるのだろうが、いずれにせよ、
日本人ほど携帯電話のメール機能を使いこなしている国は少ないといわれている。これは、
古くさかのぼれば短歌のやりとりにつながる伝統ではないだろうか。
2,現代版 源氏物語
話は逸れるかもしれないが、源氏物語をパロディ風に現代小説にした作品がある。
主人公は六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)。高貴で教養もあってプライドが高いのに、
今は少し落魄していて、年下の光源氏への恋に溺れながらも、どことなく素直になれず
苦しみ、果ては嫉妬のあまり物の怪になって恋敵を殺してしまい、自分でそのことに気付
いて恥入り、身を引くという有名なストーリーである。これを現代風に置き換えると、六
条御息所は40 代半ばのプライド高い大女優。恋人は新進映画監督。女性にマメにメール
を送るが、そんなことで女優は嫉妬しない。しかし、その恋人が売り出し中の若い女優に
夢中になっているのは耐えられない。ある映画祭の晴舞台で大女優はその若手女優に恥を
かかされ、相手を呪う。が、最後には自分の浅ましさを恋人に見抜かれているのに耐えら
れず、昔シングルマザーとして産んだ娘のアメリカ留学についていくことにして日本を離
れる。
この小説の中では、携帯電話が出てきてメールがしばしば交わされる。いよいよアメリ
カへ行こうとすると、恋人は未練がましく引き留めるようなメールを送ってくる。「カリフ
ォルニアは記録的な大雨だそうです。それでも、僕を振り捨てて行ってしまうのですか。
君が雨に濡れやしないかと心配です」。それに対して、「私が雨に濡れることなど、本当は
気にかけていないくせに」と、つれない返事を送る。これは、原文は以下の通り。六条御
息所が斎宮になった娘について都を去るとき光源氏は短歌を送る。
ふりすてて今日(けふ)は行くとも鈴鹿川(すずかがわ) 八十瀬(やそせ)の波に袖は
ぬれじや
御息所の返歌
鈴鹿川八十瀬の波にぬれぬれず 伊勢まで誰か思ひおこせむ
短歌に比べれば、メールの文章はがさつで知性は感じられないという人もいるかもしれ
ないが、多くの日本人は文字で心を通わせ合うのが好きなのだ。
3,人柄がしのばれる礼状
閑話休題。お中元のシーズンになると礼状をもらうことも多い。たいていは、指南書通
り、拝啓や前略などの頭語から始まり、敬具や早々などの結語で型どおりに納まっている。
儀礼的に済ませなければならないところには、それで十分なのだが、親しい間柄だったり、
本当に嬉しいという気持ちを表現したいなら、あえて型をはずす方が、相手の人間像が
迫って来る感じがして礼状を受け取った側も嬉しくなる。
ただし、日本人なのだから時候に触れないのはいけない。季節感や天気について自分の
オリジナルが出来上がると、それだけでもかなり上達した礼状に見える。暑い、寒い、
雨が降る、美味しい、虫の声など、少し工夫すればいいのである。「今年初めての枝豆を夢
中になって食べました」「近くの小学校から運動会の行進曲がきこえます。空が高くなりま
した」その程度で、魅力的な礼状になるのだ。
礼状をただの礼状とのみ考えて書くと、通り一遍のそっけない礼状になる。「(時候の挨
拶)このたびは結構なお品をお贈りいただき有り難うございました。お心遣いを賜り恐縮
です。皆様の一層のご健勝をお祈りしております。今後ともご指導ご鞭撻のほど、宜しく
お願い申し上げます。まずは書中をもって・・・・敬具」。こういう礼状は、ちゃんと礼状
を出しました。というためだけの礼状か、もらってもそう嬉しくはない場合に出すときの
礼状である。
もらってとても嬉しいときや、いつも気に掛けてくれていい人だなと思うときは、この
礼状ではいけない。どのくらい喜んで、どれくらい好きかということを伝えようとしなけ
れば気持ちは伝わらないのだ。例えば「毎年いただくリンゴで季節を感じます。心の触れ
合いを感じ、生活の中の潤いを嬉しく思っています」という一文があるだけで、その礼状
はどれほど生きるか。礼状を書くことは、心を込め礼にかなった書き方を学ぶいいチャン
スなのである。
■2005年7月30日号■
〜特集〜コミュニーケーションのための“マンガ・セラピー”
「スヌーピー」どんな人ともラクに付き合い、いい関係にするコツ!
1950年10月2日に「ピーナッツ」のタイトルで新聞連載が始まって以
来、55年にわたり世界中の人々に愛され、未だなお活躍を続けているス
ヌーピーや、チャーリー・ブラウン、ルーシーたち。「ピーナッツ」に登
場するキャラクターは、さまざまな型の性格をもって、私たちの身の回
りに起こる人間関係の縮図を見せてくれる。作者のチャールズM・シュ
ルツは、人間の考え方や行動について鋭い観察眼を持ち、作品を通して人間観察の成果を読者
に伝えている。
マンガであるが故に、絵を通してイメージとして脳にインプットされるため、それは時には
1冊のビジネス書よりも強い印象として残り、マンガのユーモラスによって、内容をすんなり
受け入れることができるのである。今回は、精神科医A・J・ツワルスキーが分析した“スヌー
ピーたちのいい人間関係学”を紹介したい。(講談社:スヌーピーたちのいい人間関係学より一部抜粋)
1,いいつきあいにはルールがある→ゴルフのルールは野球には使えない
どんな人間関係であれ、自分が何を求められているかを事前に知っておくべきである。また、
新しい環境下で人と付き合うときは、そこで正しいとされているルールを知るべきである。あ
る文化においては尊敬のしるしでも、別の文化では無礼なこともある。あるグループでは愉快
なユーモアだと考えられても、別のグループでは侮辱になることもある。
誰もが自分と同じ価値観や習慣を持っていると考えてはいけない。ホッケーのルールもゴル
フのルールも、野球には適用されないのである。同様に、A 社では正しいとされるルールが、
B 社では間違っていることと見なされることもあるのである。
【PEANUTS の4コママンガでの教訓】
A:「野球の人数が足りないの。ライトを手伝って!」
B:「野球は嫌いなんです!」
A:「ただ立っていればいいの。お願い」
B:「ペナルティ・ボックスに行かされたらどうしたらいいんですか?」
A:「野球にはペナルティ・ボックスはないの・・・さぁ、行ってあそこに立って!」
B:(とぼとぼ歩きながら)「9ホールか18ホールか聞いておくのを忘れたわ・・・」
2,相手の出方を読む
これから付き合う相手のことをよく知っていれば、それだけ相手の出方を正確に予測するこ
とができる。相手の出方を予測する能力は、どんな関係でも非常に役に立つ。
あるソプラノ歌手が、気分が悪いので今夜は歌えそうもないと興行主に言った。興行主は、
無理に歌えといっても、彼女がますます意地を張るだけだとわかっていたので「もちろん、健
康第一だ。お大事に。今夜の公演は中止にして、切符は別の日に使えるようにするよ」と言っ
た。その歌手は慌ててこう答えた。「中止にしないで。2〜3時間したらマシになるかもしれな
いから」と。しばらくして彼女は、よくなったから舞台を勤められそうだと電話をしてきた。
相手の出方がわかっていれば、こちらの望み通りの結果が引き出せるように相手と話をするこ
とできるのである。
3,人生はチームワーク→いかに力を合わせるか
人生の大半はチームワークからなっている。何かの目的を達成するために、人は力を合わせ
るのである。ビジネスもチーム。病院もチーム。オーケストラや軍隊もチームである。
どんなチームでも成功の鍵は、チームのメンバーの能力ばかりでなく、目的へ向けてメンバ
ーがどれだけひたむきになれるかにかかっている。巨匠ばかりで校正したオーケストラでも、
メンバーのチームワークがなかったら、聞くに耐えない雑音になってしまう。
これはどんなチームにも共通することである。もちろん、チームのメンバーは、一人一人違
う目的を持っているはずである。それぞれの目的とは、給料を稼ぐことだったり、喝采をあび
ることだったりするかもしれないが、肝心なのは一人一人の目的が、チーム全体の目的とかち
合わないことが原則である。もしかち合えば、チームの成功ばかりかメンバー個人の成功もあ
やうくなる。一人一人のメンバーにかかる責任の程度が、それぞれ異なっていることはあるに
しても、チームの成功がただ一人のメンバーの活躍にかかっているというのは、リスクが大き
く、失敗するのではないかという不安が大きすぎて、そのせいで失敗してしまうこともありえ
るのである。
4,“黄金の”人間関係
1922 年アメリカ・ミネソタ州生まれの漫画家、チャールズM・シュルツは、どんな人間関
係でも、“人からしてほしいと望むことを人にもしてあげよう”という黄金律が最高の指針にな
ると「ピーナッツ」の中で説いている。この黄金律に従えば“黄金の”人間関係を築くことが
可能になるのだと。「ピーナッツ」は人間行動の真髄を子供から大人まで、それぞれのレベルで
捉えることのできる名著である。マンガのキャラクターを通して伝わる非常にシンプルで分か
りやすいかつあか抜けた人間関係学。この夏の親子の課題図書にオススメしたい。
引越しのため(だけでもないか?)、3号まとめてお送りします。
引越しは何とか終わりました。荷物が入った時には、ビルの外壁も工事中でし
たが、無事終了し、看板もポストもつき、駐車場も利用可能となりました。
今回の移転に際しては、梅雨に入ったにもかかわらず、雨が降らず、この点は
助かりましたが、いろんなことを考えさせてくれました。
まず何よりも、人との連携の大切さです。事務所のメンバーとの内部の点だけ
でなく、引越しっていろんな方とかかわるんですね。まず何よりも運送屋さん、
事務所の場合は文具屋さん、システム関係者の方、内装業者の方、そして今回は
ビルの改装もあったのでその関係者の方、ご近所の方、なんと言っても新旧の大
家さん、移転をご案内しなければならないその他諸々の方・・・。皆さんとうま
く連携が取れないと、ひょんなところでトラブルが発生します。各自の役割をし
っかり認識し、主役として何をしたいのか?何をすべきなのか?をしっかり考え
て皆さんをリードするリーダーシップの大切さ。
それから南堀端で過ごした10年間の重み。具体的には、移転のお祝いの数の
違いです。現在の事務所は、観葉植物で植物園のようなにぎやかさです。本当に
ありがたいことです。次の10年間。この重みに応えられる事務所を作っていか
なければならないと改めて感じました。
とにかく、関係者の皆様への感謝です。また多くの方にご迷惑をおかけしまし
た。まだ、ほんの少しだけ落ち着きませんが、早く平常心に戻って、仕事をして
まいりたいと思います。
新しい事務所の様子につきましては、引き続きご報告申し上げたいと思います。
今回のレポート3本のうち、2本は、6月に3回忌を迎えた織田さんの10年
前、3年前のレポートです。引越しに際して、書類の整理をしていて、大変懐か
しい思いと上に書いた10年間の重みを感じました。
■2005年6月10日号■
〜特集〜2005年 今も生きる織田健嗣の未来予測 1
梅雨の合間のよく晴れた日、夏本番を前にした輝く太陽に吸い込まれるように 逝ってしまった織田健嗣の三回忌を偲び、織田健嗣が10年前(95年)に語り綴っ た未来予測レポートをまとめてみたい。
1,電子決済で紙幣が消える
「これは本当のキャッシュなのさ」ロンドンの西南約110kmにある人口17万人
のスウィンドン市には、このような看板が立てられている。この市がイギリス初
のデジタル・キャッシュの本格的実験場として選ばれた。モンデックス・カード
と呼ばれるカードを銀行のATMに入れ、金額を表示すると、現金が出てくる代わ
りにカード内のメモリーにその額が蓄積される。その後は、このカードに対応し
た端末機を備えた店舗や自動販売機などで現金と同様に利用できる。サインも釣
り銭も必要ない。すでに400店舗がモンデックスカード対応端末を備えており、
市内の公衆電話も300台ほどカード対応にする予定である。97年の本格運用に向
け各種実験調査を進めると同時に、いずれはインターネットを使ってモンデック
ス・カード間の資金移行を行えるようシステムを開発中である。
2,電話屋からマルチメディア屋に変身するNTT
郵政省の構想(1994年1月6日)によれば「光ファイバー網の整備により新たに
生み出されるマルチメディア市場は、2010年までに56兆円に達すると見られ、既
存のマルチメディア産業と合わせると、市場規模は123兆円となり、この産業は
240万人の職場を生み出す」としている。ちなみに、日本の主幹産業である自動
車産業の国内生産額は1990年で39兆9000億円である。従って、マルチメディア産
業は自動車産業の3倍の規模になると推測されている。
郵政省はNTTを中心に据え、NTT技術と資金でマルチメディアを推進する計画で
ある。しかし、郵政省の構想を実現するにはNTTは45兆円の投資が前提となる。
NTTは通信網を制御するソフトを、日本企業ではなく米マイクロソフト社との提
携として発表した。このことは、多額なソフト使用料を米国へ払い続けることを
意味するため、日本経済に大きな影を落とすかもしれない。
3,21世紀をみつめる産業システム〜廃棄物再利用の産業形態へ〜
20世紀も終わりに近づいた現在、多くの産業が環境問題に直面し、大きな転換
期を迎えつつある。その一例に廃棄物処理の問題がある。これまでのやり方では、
特定の場所に廃棄物が積み上げられてきたが、多くの人が望んでいるのは、廃棄
物を生産に利用する方法である。廃棄は不経済である。生産物が将来廃棄物とな
るのか、生産物としてあるいはエネルギー源として再生されるのか、その違いは
大きい。
4,自動車部品をすべてリサイクル
現在、一般の自動車の約75%が再加工部品、利用可能なオイル、スクラップ物
質の形でリサイクルされている。今後はプラスチック部品の解体とリサイクルの
新しい方法などによって、さらにリサイクル率を上げる事が可能である。やがて
全ての部品がリサイクル可能となる日が来る。
5,21世紀の医療〜未来の病気に対し療法を開発することができる〜
2010年頃には、18歳になったら、遺伝子に基づいて将来どのような疾患にかか
るリスクがあるかという個人に関するリポートを受け取る事が出来、疾病に関す
るリスクを人生の初期に予測対応することができる。このことにより、癌などの
早期発見、さらに、人類が未だ経験していない疾病に対する治療法や薬剤を開発
することができるようになる。病気の未来予測とは自己の未来の生命を準備する
ことである。
6,コンピュータネットワークが世界を覆う
世界最大のコンピュータネットワーク「インターネット」には、160ヶ国以上
の公的機関、企業、団体、個人の300万台以上のコンピュータがつながっている。
その利用者数は、約4000万人といわれ、現在も世界中で月8%(日本では月15%〜
17%)の割合で増え続けている。
「インターネット」には中心になる運営主体はない。特定の国家の意思に左右
されない、ある種のアナーキーなフィールドである。国境を超えて縦横無尽に走
り回る。どこに居ても、クモの巣をはりめぐらしたようなネットを経由して瞬時
につながってしまう。どの国に住もうがどこに会社を設立しようが関係ない。市
場もまったく新しいネットワーク市場である。ネットワークに国境はない。ネッ
トワークを利用する人も企業も地球国籍である。
■2005年6月20日号■
〜特集〜2005年 今も生きる織田健嗣の未来予測 2
2060年、国家は無くなる・・・「技術の時代」から「いのちの時代」へ 【命日を偲び、前回に続き織田健嗣追憶レポートとしたい。内容が分かり辛くな るため、あえて割愛や編集をせず再度レポートとして発行することをお許し願い たい】
2060年までに人類が体験する3つの革命は、現在進行中の「デジタル革命」。そ の次に2020年から「バイオ・テクノロジー革命」が起こり2040年まで続く、その バイオ技術の上に2040年から「地球環境革命」が起こり、それが2060年位まで続 く。それぞれの革命は既存の価値観を変えるだけでなく、その後の人類の行方を 大きく左右する。また、この3つの「革命」はある日突然起こるのではなく、そ れぞれ20〜30年位続き社会システムや価値観を変えていく。この3つの革命がも たらす時流を把握して既存事業や新規事業のレールをひいていけるかどうかが今 後の重要課題になる。デジタル革命、バイオ・テクノロジー革命、地球環境革命 の共通のテーマは「いのち」である。時代は技術の時代から「いのち」の時代へ 移行中である。「いのち」の時代は国家という主権を越えて、地域や都市や組織 が結ばれる時代である。そうなると2060年には国家は無くなる。もしくは、その 時点で無くならなくとも、現在よりはるかに国家機能は少なくなっている。
1,「デジタル革命」から「バイオ・テクノロジー革命」へ
とはいえ、デジタル革命はまだ始まったばかりである。今後20〜30年続き、こ
れにより政治の仕組、経済システム、教育システムなどが変わり、コミュニティ
が変わり、社会システム全体が変化する。そして、この「デジタル革命」は次の
革命を準備するのである。「デジタル革命」は、第2の革命、第3の革命にバトン
タッチするリレー競技の第一走者なのである。
第2の革命は、「バイオ・テクノロジー革命」である。特に注目されるのがタ
ンパク質の合成研究や技術開発である。これを行うためには大容量でかつ高速の
ネットワークに接続された膨大なコンピュータが必要になる。複雑なDNAやタン
パク質の構造を解析する道具として、ITは必須で、これがなければバイオ革命に
は到達できない。また、バイオ革命は、一つの国や有名な大学、あるいは著名な
研究者だけで出来るレベルではない。世界中の研究者がネットワーク上に繋がっ
てコラボレーションしてはじめて成り立つのである。そのためにもバイオ・テク
ノロジー革命はデジタル革命がなされていることが前提となる。
2,「デジタル革命、バイオ・テクノロジー革命」から「地球環境革命」へ
2040年までは、デジタル革命とバイオ・テクノロジー革命が経済を引っ張って
いく。この2つの革命は第3の革命である「地球環境革命」を準備する。すでに地
球環境問題は、先進国の政治や経済の重要なものとして大きく取り上げられてい
るが、地球規模での未曾有な危機に関して解決できるレベルではない。現在、多
くの企業や組織で環境の取り組みなどが消費者や投資家などにPRされ、実際に地
道な努力をされていることは非常に重要であるが、現在の政治や経済の枠組みが
変わらない限り環境問題を解決するまでには至らない。社会システムを根本から
解決するには、デジタルとバイオの革命を経てはじめて解決できるのである。地
球環境革命はデジタル革命とバイオ・テクノロジー革命なしでは不可能な地球変
革なのである。
3,「いのち」の時代の夜明け前
2050年までの3つの革命の本質は「いのち」である。 バイオ・テクノロジー
革命は難病の解決による長寿の実現、植物や動物の生命を真正面から捉える技術
革命である。これは食料問題の解決、さらに「いのち」の量(年齢)から質(よ
り充実して生きる)の移行まで幅広い変化をもたらす。そしてこの地球上の全て
のいのちの問題である地球環境問題は3つの革命によってはじめて解決される。
温暖化、生物種の(絶滅)保存、オゾン層破壊の問題、エネルギー問題、食料問
題等々、複雑に絡む地球環境問題は、やがて社会環境の問題まで提示して教育問
題、治安問題、経済問題、平和問題というように、より外部環境から内部環境へ、
「いのち」の意味へと深化していく。ADSL等により一般家庭に高速常時接続され
たネットワーク、いわゆるブロードバンドが普及した。いよいよ全てのものが接
続されるユビキタスネットワーク時代を迎える。2003年は、それぞれの人にとっ
て、3つの「エポック」をつき動かす「エポックメーキング」【epoch‐making】
な1年になる。デジタルと教育、デジタルと経営、デジタルと政治、デジタルと
芸術など、あらゆるものを第一走者であるデジタルに繋げて考えてみよう。この
1年で今後の50年間の社会との繋がり方や関係が変わる。2003年はいのちの「夜
明け前」である。(エフ・アンド・エイレポート2003年2月18日号より)
2003年年初に発行したエフ・アンド・エイ レポートは、実際には2002年にまと
められたものであり、生前の織田健嗣が発行する最後のレポートとなった。
■2005年6月30日号■
〜特集〜2005開運の島 久米島レポート
今年、楽天イーグルスのキャンプ地としても有名になった久米島を訪れた。一 言で形容すれば、核となるものがぎゅっと詰まった島である。独自の発展性を秘 めた小さな島に、未来への大きな可能性を見た。島の一部をご紹介したい。
1,はじめに・・・
久米島は、那覇市の西約100kmの洋上に浮かぶ周囲およそ48kmほどの小さな島
である。珊瑚礁と白い砂浜に囲まれ、山紫水明で山と海の幸に恵まれ離島の多い
沖縄で自給可能な島として知られている。また、琉球王朝時代は貿易船や中国を
行き交う王府の船の中継地として重要な位置を占め、沖縄の他の地域に比べて特
に強く中国の影響を受けた歴史を持っている。
島の人口は約9500人。サトウキビ、クルマエビ、モズクなどが主な産業で、特
産物としては、久米島紬や泡盛(久米仙)、久米島焼きなどが有名で久米島の歴
史と自然と素材を生かした産物が島を支えている。また、平成9年には空港が拡
張されジェット機が就航し、東京直行便も開設され、最近では海洋深層水の研究
が進み、久米島の新しい産業の要となりつつある。
2,武家屋敷 上江洲家の門
築250年、先祖代々この地の村長を務めた名家で指定重要文化財となっている
上江洲家の屋敷は久米島の観光スポットの一つである。緻密な風水の理によりつ
くられており、風通しがよく庭のすみずみまで手入れが行き届いている。しかし、
沖縄ならではのシーサーはいない。上江洲家の子孫で今もこの屋敷を管理してい
る女性に言わせると、風水で守られているからシーサーは必要ないとのことであ
る。屋敷の周囲を石垣がぐるりと囲んでいるが、正門と勝手口のような小さな門
がある。かつて正門が男性用、西側にある小さな門が女性用と通行口を分けられ
ていたのだという。女性が男性用の門を通れるのは一生に2回。嫁いで来た時と
あの世に行く時だけ。いずれもの門も邪気が家の中に入らないよう玄関に至るま
では、人間の平均的な背の高さよりもやや高い石垣がくねくねと続いている。
3,久米島のフクギ
久米島に限らず沖縄では防風林としてフクギの木が植えられている。上江洲家
では先祖代々からのフクギを絶やさぬよう、1本折れば1本植えるというように
古いフクギの隣りに新しいフクギ植えながら育てているという。もともインド原
産のフクギが琉球にもたらされたのは14世紀から15世紀と考えられており、フク
ギ林は中国から東南アジアまで盛んに貿易船を送っていた琉球政府の大航海時代
の名残でもある。
現在、フクギは草木染めの染料として島の暮らしに馴染んでいるだけでなく、
二つの葉が向き合うように空に向かって伸びているその姿に、人と人が支え合っ
て生きるようにという教えがあるといわれ、島の人の心に植え付けられている。
4,地方発未来島 久米島の子供達と町長の目
久米島の路線バスに乗り驚いた。小学生の子供が運転手に挨拶をして下車した
あと、直立で嬉しそうにバスを見送るのだ。また、女子高生とおぼしき女の子は
車中で観光客に「どこから来られたんですか?」と声をかける。島だから、田舎
だからというだけでなく、挨拶や人との基本的な会話が自然にできるという教育
がなされているのだ。バスで出会った子供達は一様にある種の心地よさを胸に残
してくれた。その後、久米島町長(高里久三氏)と会った際に、久米島には昔か
ら「子供には教育を残せ」という躾の方針があるという話を聞き、今時珍しい爽
やかな子供達のことが思い出された。
久米島が楽天イーグルスのキャンプ地となるまで、何度も本土にわたり球団側 と折衝を続け、草野球場といわれた仲里野球場をプロ球団の練習場に相応しい設 備を整えたのは町長の政治生命を賭けた熱意だった。昨年11月にキャンプ地が決 定してわずか3ヶ月で、球場を両翼100メートルまで拡張、赤土がむき出しだっ た内野グラウンドには本土から運んだ黒土を入れ、外野は緑の芝生に張り替えた。 さらにブルペンや打撃練習場の新設、スタンドの設置などの全面的な改修をキャ ンプインに間に合わせた。日本の最南端に近い小さな島をもっと活性化させ、人 とモノが行き交う21世紀の大交易時代を築きたい、その夢を語る町長の目は昼間 に出会った久米島の子供達と同じ目をしていた。
梅雨目前のとても良い日和が続いています。夜の冷え込み方は、少し異常です
が、昼間の澄んだ青空を見ているとほっとしますね。
さて、事務所の引越もだんだん近づいてきました。次回のメールは少し遅れて
新しい事務所からかもしれません。この様子についてはまた改めて報告します。
事務所の中は、3月決算法人の大量の申告が終わってホッとした空気と、これか
ら引越に向けての準備への緊張感(少しオーバー?)が交錯しています。何とか、
今の気候が続くことを祈ります。
が、私はどうもいまひとつ元気になれません。理由は不明です。妙に悪いこと
ばかり考えてしまう。で、また元気がなくなると、不安定この上ない日々です。
正直にこんなことを書いてしまって良いものかどうか・・・。でも、こんなこと
もあるんですね、人生には。そうやって乗り越えていかなければならないと思っ
ています。
気分を変えて、本日は、中国女性の話。やっぱり、女性を見て素敵だなと思う
くらいの元気さは健康のしるしです。皆さん、これから厳しい夏。元気に乗り切
りましょう!
■2005年5月30日号■
〜特集〜中国女性のおしゃれ市場
先日、クラブ・アクエリアスは“中国ビジネス”をテーマに開催したが、今や インターネットを開けば中国のあらゆる情報が手に入る。それだけ日本にとって 中国は色々な意味で重要視されている国なのだ。今回は、巷に溢れる莫大な中国 情報の中から中国女性のおしゃれ事情と将来予測についてレポートしたい。


1,中国のおしゃれ市場は2010年に1388億元
中国で女性の「おしゃれ」に関わるマーケットが急拡大している。「おしゃ
れ」に関するマーケットとは、具体的にはエステティック・サロンや美容院、化
粧品、ブランド衣料、ジュエリーなどの市場を指す。これらの商品・サービスの
うち統計によって把握できるものについてみると、まず化粧品の売上高は増加基
調が鮮明となっており、2003年は前年比+17.9%増の207億元となった。最近では、
20代の女性を中心にデパートや通信販売で外国製の高級化粧品を購入する動きも
出てきているという。
一方、指輪やネックレスなど各種のジュエリーについては、これまで個人の金
輸入に関して厳しい制限があったことなどから2001年頃までは需要が低迷してい
たが、その後、規制が徐々に緩和されてきたことを受けて2003年の売上高は前年
比+11.7%増の163億元と急増している。女性が身につけるジュエリーの種類も多
様化しつつあり、たとえば広東省や広州市などでは、歯にアクセサリーをつける
いわゆる「ティース・ジュエリー」が流行している。
さらに女性用の衣料品も高級ブランド品などを中心に売上が拡大傾向にあり、
2003年は前年比+13.7%増の640億元となった。化粧品・ジュエリー・女性用衣料
品の3商品を合計した売上高は2003年時点で1010億元と推定され、わずか3年間で
1.4倍の規模へと膨らんだ。
2,生活水準の向上で自分の容姿やファッションにお金をかける女性が増加
女性の「おしゃれ」市場が急拡大している要因として、以下の4点を指摘する
ことができる。まず第1に、おしゃれを追求する年齢に属する女性の人口ボリ
ュームがちょうどピークに差し掛かっていることがある。15歳〜49歳の女性人口
は建国以来、急速な勢いで増加しており、2005年は3億6157万人に達した。人口
ボリュームは2010年に3億6789万人でピークに達するが、その後も高水準で推移
していくことになる。
第2に経済発展に伴う生活水準の向上によって、女性がファッションに磨きを
かける余裕が出てきたこともおしゃれ市場の拡大に影響していると考えられる。
とくに上海などの大都市沿岸部において、生活水準の向上が顕著であり、セレブ
な女性が高級アクセサリーやブランド品を購入する動きが活発化している。
第3に、サプライ・サイドの競争激化によっておしゃれ関連品目の価格が低下
傾向にあることも需要拡大要因として見逃せない。例えば、化粧品の小売価格は
2001年以降、一貫して前年水準を下回って推移しており、直近の2005年2月は前
年比-0.8%となった、またジュエリーの価格も最近では上昇率が低下しつつある。
さらに第4に、テレビや雑誌などのマスメディアの発達も大きい。テレビや女
性用ファッション誌を通じて有名人の最新のファッションが一般女性の目にとま
る機会が多くなってきたことから、キャリア・ウーマンを中心におしゃれに関す
る意識が高まっている。
3,市場規模は2010年に1388億元
では、中国の「おしゃれ」に関わるマーケットは将来どの程度まで拡大するの
だろうか。
15歳〜49歳の女性人口、1人あたり所得水準の動向をもとに、化粧品・ジュエ
リー・女性用衣料品市場の将来予測を行ってみた。シミュレーションの結果をみ
ると、まず化粧品の売上高は、2005年が251億元、2010年が347億元、そして2015
年が382億元と、2015年まで市場規模が急速に拡大する。その後はマーケット入
口現象の影響が強く現れて市場規模は徐々に縮小、予測期間最後の2020年には
334億元となる。
次に、ジュエリー売上高は、2005年が168億元、2010年が177億元、2015年が
178億元と、化粧品同様2015年時点で市場規模がピークに達する。その後はマー
ケット入口の減少により市場規模は徐々に縮小、2020年には171億元となる。
一方、女性用衣料品の売上高は、2005年が706億元、2010年が865億元、2015年
が1058億元、そして
2020年が1337億元と予測期間を通じて増加基調で推移していく。衣料品について
は、マーケット人口の要因よりも1人あたり所得要因の影響のほうが強く現れる
ため、マーケット人口が減少に転じた後も、1人あたり所得の上昇を反映して売
上高が増加していくことになる。最後に、化粧品・ジュエリー・女性衣料品を合
計したおしゃれ市場全体の推移をみると、2005年が1125億元、2010年が1388億元、
2015年が1618億元、2020年が1842億元となる。中国人女性がおしゃれを追い求め
て動くお金は中長期的に膨らんでいくといえそうだ。
(第一生命経済研究所のマクロ経済分析レポートより)
5月も終盤を迎えましたが、まだ朝晩は涼しい日が続いています。ネットで調
べると、北海道ではまだ桜が開花していないところがあるんですね。そういえば、
先日札幌の先生に東京でお会いした時、札幌ではまだコートを着るのが当たり前
だとおっしゃってました。さて、皆様はいかがお過ごしでしょうか?
ちょっと政治的な話ですが、郵政民営化が国会で終盤を迎えました。すんなり
可決するのか、もめて衆議院解散みたいな急展開を見せるのか?世間は無関心を
装っているようですが、場合によっては場合による話になりそうです。ところで、
その郵政民営化。小泉政権の最後の「売り」です。小泉さんの人気は過去の政権
のように終盤が近づいても落ちていきませんが、その理由は、改革派として何か
変えてくれるのではないか?という国民の期待だと思います。しかし、彼がやっ
ている政策は実は日本国民にとっての改革ではないんですね。米国政府のための
改革です。その証拠が下記。米国大使館のサイトですが、米国からの要求って小
泉政権の主張と瓜二つじゃありませんか?
http://japan.usembassy.gov/j/p/tpj-j20041020-50.html
http://japan.usembassy.gov/j/p/tpj-j20041122-50.html
このサイトに書いてある米国からの要求で一つ気をつけていただきたいことが
あります。日本の産業の各分野について、基本的に開放し、競争政策を導入する
ことが書かれているわけですが、皆さんが関係していらっしゃる業界はどのよう
に書かれているでしょうか?よく読んで、今の政治が継続すると、このようなこ
とになります。しっかり準備して、将来に備えましょう。
■2005年5月20日号■
〜特集〜クラブ・アクエリアスダイジェスト 環境先進技術
別名を環境博とも言われる愛・地球博の「バックヤードツアー」は、施設など で使われている環境関連技術を舞台裏から見ることができるというエコツアーで、 企業関係者らに人気が高く、受付開始から数時間で予約はいっぱいになるほどで ある。ツアーは「エネルギー」と「循環型システム」の二つのコースがあり、そ れぞれ30人が2時間かけて視察するというもの。前回に引き続き環境技術にス ポットをあててレポートしたい。
1,生ゴミから電気を生み出す技術
NEDO(新エネルギー・産業技術総合開発機構)が実証実験を行っている「新エ
ネルギーによる分散型エネルギー供給システム」は、会場内のレストランから出
た生ゴミから電気をつくるというシステムだが、その電気で長久手日本館の全電
力をまかなっているというから驚きである。具体的には、生ゴミからメタンガス
を取りだし、メタンガスから取り出した水素を燃料電池(新しい発電システム)
に供給し発電するというもの。太陽光を電気に変える太陽光発電や余った夜間電
力を蓄電して有効活用するNaS電池などと組み合わせることにより、一パビリオ
ンのすべての電力をまかなうことができている。これは、石油などの化石燃料を
燃やして発電する火力発電設備に比べると、規模が同じ場合、地球温暖化の要因
の一つとされる二酸化炭素の排出量が、年間で約850トンも減ることになると
いう。また、燃料電池の運転時に発生する熱で冷水をつくって、館内の冷房にも
活用しエネルギー利用効率の向上が図られている。
2,オゾンを用いた新高度廃水処理技術
現状の汚泥処理は、埋め立て処分をしたり植物の肥料にしたり、汚泥から水分
を抜き取って煉瓦を作るなどの再利用もされたりしているが、それでもなお余り
ある汚泥処理には相当な費用とエネルギーがかかり、深刻な環境問題に発展している。
NEDOでは、高濃度のオゾンを使うことで汚泥の発生を減らすだけでなく、人体
に悪影響を及ぼす、環境ホルモンといわれる分解しにくい物質を除去することに
も成功している。オゾンは、酸素の分子に紫外線などが作用してできる物質で、酸化力が強く、消
毒・殺菌・漂白に使われているが、高濃度オゾンを使う処理方法では、従来の処
理に比べて手間もエネルギーも少なくてすむ。
愛・地球博の会場ではこの技術を使って汚水をきれいにし、長久手日本館の屋根
や壁に植えられた植物への散水として再利用されている。
工場内の実験プラントでは余剰汚泥を99%削減し、窒素除去率及びリン除去率
70%以上というデータが得られている。また、高濃度オゾンを用いることでヒド
ロキシルラジカル(オゾンと紫外線の反応で極めて強い酸化力を持つ)の生成が
促進され、従来の廃水処理よりもエネルギーを40%以上削減し、有機物を90%分解
できる等のデータが出ており、未来の省エネルギー型廃水処理技術として日々実
証実験が行われている。
3,環境配慮を実感できる施設の数々
■ミスト(霧)のシャワー
グローバル・ループ(会場内をつなぐ回廊)の下では、定期的にミスト状のシャ
ワーが噴射される。これは、気化熱を奪って周辺の温度を下げ少しでも会場内を
涼しくするための装置で、日本古来の“打ち水”効果のようなもの。
■両面受光太陽電池パネル(日立グループ館)
両面受光太陽電池パネルは垂直に設置することができ、取り付けのための架台な
どの材料が大幅削減できる。年間発電量能力は片面の約1.3倍。また、垂直設置
の場合は、雪、土埃、鳥の糞などが付着して遮光されることがなく、発電量変換
効率が落ちることを防ぐことができる。また、そのままフェンスなどに活用する
こともでき、利用分野の拡大が期待される。発生した電力は日立グループ館で使
用。
■風と太陽の共演 楽器「音具」(名古屋市「大地の塔」)
「音具」は、風と太陽光という自然の力で回転し音を奏でる楽器。風の強さに応
じて演奏する速さが変化する。また無風時でも人の手で回し、演奏することもで
きる。自然エネルギーを耳で実感できる。
■オブジェをつけた燃料電池(グローバル・ハウス)
水素と空気中の酸素から電気を作り出す燃料電池を使用して
「銀河時計」を動かす発電設備。燃料電池は次世代エネルギーシステム。
■木質プラスチックの歯車(中部千年共生村)
木材は木屑やチップで高熱処理後、乾燥させてプレス成型したものでプラスチッ
ク並の強度がある。従来は焼却処分していた木屑などをリサイクルして活用。古
くなったものは粉砕して
再利用したり土に返すこともできる。
普段耳にする技術であっても、間近で見て説明を受けると環境技術の重要さがわ
かる。ここに紹介できるものは限られているが、機会があれば「環境」という視
点を持って、是非貴方のその目で確かめてほしい。
GWも遠くに行ってしまい、夏休みまでは厳しい毎日が続きます。
さて、今回はまず、私ども酒井啓司税理士事務所と関連会社の移転のご案内で
す。現在地の南堀端町に来て約10年が経過しました。本当に早いものです。そ
の間の業容拡大というわけでもありませんが、事務所スペースの狭隘化により移
転することとなりました。
引越まであと1ヶ月ほどですが、5月は3月決算法人の申告作業ですし、6月
は梅雨。ちょっと大変です。また、皆様にも大変ご迷惑をおかけしますが、なに
とぞご理解いただき、今後ともよろしくお願い申し上げます。
■2005年5月10日号■
〜特集〜クラブ・アクエリアスダイジェスト 環境先進技術
建物が丸ごと新しい環境技術と素材の実験場 長久手日本館編
愛・地球博は、テーマ「自然の叡智」の通り、随所に自然環境に配慮したシス
テムが取り入れてある。それらは、物見遊山程度に万博を歩いて回るだけでは気
付かない部分も多いが、「万博バックヤードツアー」に参加すると脱温暖化社会
に向けた取り組みや自然環境の保全、3Rとよばれるリデュース、リユース、リサ
イクル等の徹底配慮が見えてくる。
本編より2回にわたり、4月28日クラブ・アクエリアスで主催した環境技術バ
ックヤードツアーをレポートするが、今回は長久手日本館にスポットをあててみ
たい。
1,竹の日本館〜日本人の知恵を見直す〜環境技術を支えるIT技術
万博のシンボルにもなっている、巨大な竹カゴに包まれた繭(まゆ)のような
長久手日本館(出展:日本国政府 経済産業省)。ここでは、最先端技術による
新しいエネルギーシステムや、空調負荷を減らす竹ゲージ、光触媒鋼板屋根など、
見えないところに環境に対する様々な試みが行われており、バックヤードツアー
の見どころの一つになっている。
■ICタグとITを利用した資源循環管理
日本館の裏側に入ると、あらゆる建築資材や機器にICタグが貼り付けてある。こ
れらは、webと組み合わせて運用、メンテナンス、解体、保管といった資材情報
が入力、管理されており、資材の再利用を促進するために、この情報を公開し資
源循環型社会における資材情報管理のあり方を検証しているという。ICタグは空
調機器、エレベーター、トイレ、集成材柱や束ね柱、木質外壁パネルに貼られて
おり、会期中は随時利用状況に関する情報が更新されるしくみになっている。ち
なみに長久手日本館で貼られているICタグの数は約280箇所。
■竹ゲージでUVカット
長久手日本館は、長さ90m、幅70m、高さ19mの巨大な竹ゲージ(竹カゴ)に覆わ
れている。これは、建物本体に届く日射量を約30%カットし日差しを除け、風邪
を通す木陰のような環境を創りだしている。
■光触媒金属屋根で屋根を冷却
長久手日本館の北側屋根材は、酸化チタンで表面を加工した光触媒金属が使用さ
れている。光触媒金属の特長は、自浄効果と超親水性であるが、ここでは超親水
性を活かし屋根面を冷却する実験が行われている。光触媒金属屋根の上部から特
殊なホースで汚水からオゾン処理により生成した水を流し、金属屋根の表面で薄
く広がった水が蒸発する時に奪う熱で屋根面を冷やす効果を取り入れている。
■トウモロコシから加工されたバイオマスプラスチック外壁
長久手日本館の北側外壁には、透明な板と発泡緩衝材を組み合わせたパネルが取
り付けられている。この透明な板に使われているのが、トウモロコシを原料とす
るポリ乳酸から作られたプラスチックだという。材料や加工技術に改良が加えら
れ、押出加工により成型されていることと、光の透過率91%という通常では得ら
れない透明度が特長。
■エネルギーモニタリング
長久手日本館では、電力エネルギーや水の使用状況をはじめ、館内外の温度や日
射量、風量といった環境変化をデータで把握分析することで、建築の環境配慮や
新エネルギー、省エネといったさまざまな試みによる環境負荷低減効果の数値的
な把握に取り組んでいる。新エネルギープラントから供給される電力情報16項目、
長久手日本館の電力使用情報37項目、設置センサーの数約120箇所。
2,環境 豆知識
■竹
日本では竹が増えすぎて竹害対策が指摘されている。竹の有効活用を進める必要
がある。
■光触媒
光触媒は酸化チタンに光(紫外線)を当てた際の強い酸化(分解)反応のことを
言い大気浄化、脱臭、浄水、抗菌、防汚効果がある。
■生分解性プラスチック
トウモロコシ等のデンプンから作られ、従来のプラスチックに近い性能を有し廃
棄されたときは微生物による分解作用で二酸化炭素と水になる環境に優しい材料。
■燃料電池
水の電気分解の逆反応を利用したもので水素と空気中の酸素から電気を作り出す。
排出物は“水”であり、化石燃料を燃やして発電するのと比べて、高効率で、低
騒音、低振動、二酸化炭素などの排出が少ない。
■太陽光発電
自然界にある太陽の光をシリコン等半導体素子で受け発電する設備。
ゴールデンウィークがスタートしました。皆様どのようにお過ごしでしょう
か?わが家の長男が通っている高校では、高校のクセに2日が休みとかで(その
代わり7日の土曜日が平常授業だそうですが)、久しぶりの7連休だそうです。
20日のレポートをサボっている間に尼崎でとんでもない事故が起きてしまい
ました。次の日には大阪発仙台行きの長距離バスが高速道路で横転するなど、
「また大阪で!」と思ってしまうくらい関西圏でいろんな事故が起きていますが、
そんな因縁めいた話はともかく、今回の事故の原因は、会社側の管理体制の問題
というのが今のところ有力になりつつあるようです。これは、日本全体が向いて
いるものに対する大きな警告ですね。乗客の安全よりも会社の利益を優先する。
会社の利益が上がれば、株価が上がる。運転手がミスすれば、ミスによる問題を
真剣に考えるのではなく、運転手に対して一定のペナルティを課すことで、会社
に責任はないものとされる。その前提として、今回のような大規模な事故が起き
ることは想定されていないし、実際に起きていない(少なくとも起きるまでは絶
対起きない)。とにかく利益最優先という社会ですね。
これはJR西日本だけの問題でなく、庶民の生活にも行き渡っています。とに
かく安いものを選択すると。もちろん、庶民の場合は、給料が下がって安いもの
を選択せざるを得ないという受身的な要素が強いのでしょうが。
で、人間はなぜミスを犯すのか?そのミスをどうすれば防ぐことができるの
か?これは大変な問題ですね。私は、人間はミスを犯すものであり、ミスを犯す
ことを前提に物事を考えておくべきだと思っています。そうでなくても、2本分
で長くなりましたので、続きはまたいつか。珍しくシリアスな書き出しでした。
GW後半は天気も回復するようです。楽しい1週間を。
■2005年4月20日号■
〜特集〜未来の風 万博にそよぐもの IT技術編
企業パビリオンに入ると、自ずと企業のメッセージや姿勢のようなものが伺え る。そんな中でユビキタスの最新技術を老若男女問わず、最も楽しみながら体感 できるパビリオンの一つに日立グループ館がある。その他多くのパビリオン同様、 入場するためには、例え幸運にもインターネットで事前予約ができたとしても (インターネット予約も受付開始直後にsold outになる)1時間近く辛抱強く長 蛇の列に混ざって開場を待たなくてはならない。予約をしていない場合には100 分、120分待ちは覚悟しなければならない。しかし、その忍耐に値するだけの体 験型プログラムが待っているのだ。
1,ユビキタスの世を映し出すパビリオン
日立グループ館は、ミューチップや燃料電池といった最新技術を駆使して、自
然や希少動物とバーチャルで触れあうことができるパビリオンである。例えば、
ジャングルで猿が目の前に飛び出してきたり、サバンナでサイやキリンに遭遇し
てしまうなど、実際にはおよそ体験できるはずのない世界を、あたかも自分がそ
こに存在しているかのように感じることができる不思議な世界なのである。「つ
くりもの」「バーチャル」と頭ではわかっていてもパビリオンの中では、あちこ
ちで驚きに似たような歓声が上がっている。
最新技術などは関係なくテーマパーク感覚で楽しむに子供は子供なりに、技術
に関心がある人はそれなりに、それぞれのレベルで楽しんでいる。それはちょう
ど、技術について詳しいことは知らなくとも、電話や電気器具、インターネット
等を使いこなせる現代の暮らしと似たような構図である。
このパビリオンの裏側には最新鋭の技術がフル活用されているが、そんなこと
を気に留める暇はみじんもないほど体験コースの時間は早く楽しく過ぎていく。
これこそユビキタスの象徴で、このパビリオンではどこでも誰でも簡単にその技
術の恩恵に預かっているのだ。
2,ユビキタス情報端末
入場するとすぐに、入場券(IC)を提示し名前を登録し顔写真が撮られる。た
だし、これはセキュリティーの為ではない。パビリオンの構成は2部に分かれて
おり、第1部は携帯動物事典の体験と言った感じで、液晶画面のついた子供の弁
当箱のようなものを首から下げてジャングルの探検に出るという設定である。燃
料電池を搭載するユビキタス情報端末「Nature Viewer」を使って、希少動物の
情報を見ていくことができるのである。ところどころにあるアクセスポイントに
Nature Viewerをかざすと、その動物の情報がダウンロードされ弁当箱のような
端末に表示される。この際のダウンロードは速く、動画を含むコンテンツも1秒
もかからない。ジャングルを探検しながら端末に紹介されるのは、いわゆる「レ
ッドリスト」にのっている「危急種」「絶滅危惧種」「絶滅寸前種」の動物たち
である。
3,MR(Mixed Reality)複合現実という世界
続くメインの第2部は、MR(Mixed Reality)と呼ばれる複合現実の体験ショー
である。ここはテーマパークにあるようなライド型アトラクションになっており、
連結されたシートに計16人が同時に参加できる。「アドベンチャースコープ」と
いう、前方にカメラ、手前にディスプレイが仕込まれた双眼鏡のようなもので眺
めると、実際の風景に3DのCGが合成されて見えるのである。また、手には「ハン
ドセンサー」を装着する。
ライドに乗り込み双眼鏡を覗くと、まずは「○○さん、ようこそ!」と、自分
の名前を呼ぶ動物がいる。その後、海中や草原を旅をしながら動物たちとのコミ
ュニーケーションを楽しむが、単純にCGだけの映像よりもリアリティがある。特
に、手のひら(ハンドセンサー)に動物を載せて眺めるシーンは、手のひらを回
転させて眺める角度を変えることもできるし、手を裏返したら鳥がパタパタする
などの動きがあり、次世代の立体図鑑を見ているようでもある。ドキドキワクワ
クしているうちに、あっという間にバーチャルな旅は終了するが、ショーの途中
で記念撮影が行われており、後でサイトにアクセスしてダウンロードすることが
できるというオマケがついている。
このオマケは、MRで遭遇した自然や動物はバーチャルでも、体験そのものは現
実のもであったという実感を残すと同時に、より個人に向けられたサービスを感
じさせてくれる。ちなみに日立グループ館のサイトには、WEB限定希少動物育成
ソフト無料ダウンロードがある。「タイマイ」など3種の絶滅危惧種のいずれか
を選び、環境汚染で衰弱した状態から救い出して育てるというものだが、データ
を二次元バーコードで印刷した紙をパビリオンに持参すると自分が育てた動物が
映像に登場し、美しい海に帰っていくという設定になっている。
■2005年4月30日号■
〜特集〜社長の為の人間関係能力の鍛え方
「書く」「書いて伝える」「スッキリ伝える」ウラ技伝授
1,スッキリした文章とは
美しいものには無駄がない。これはすべての事に通ずるような気がする。人間
でも贅肉はない方が美しいように、文章も贅肉がない方がいい。筋道をたて余分
な言葉(これが文章の贅肉)をばっさり削って、よりシンプルにした方が伝わり
やすい。伝わりやすい文章というのは字面を見ても美しい。無駄がない。
「文章を書いているとつい長くなってしまう」という人がたまにいる。そうい
う人はえてして話しも長い。「自分はこの文章をこういう気持ちで書いていて、
こんな風に読んでほしいのだ」という説明が多いのだ。例えば、次の例文を見て
みたい。
私がこの記事を書くように社長から提示されたテーマは、「社内における人材
教育について」であった。ここで私が最も主張したい重要なことは、社内で人材
教育がうまく指導されるためには、まず経営幹部自身が教育されなければならな
いということだ。しかし、私が見る限りでは、経営幹部の教育は悲惨なほど進ん
でいない。これが私の考えの出発点である。この文章は大部分が贅肉から出来て
いる。
この贅肉を削って書き直してみると次のようになる。
社内における人材教育がうまく指導されるためには、まず経営幹部自身が教育
されなければ ならない。しかし、経営幹部の教育は進んでいない。
もともと、161文字あった文章が65文字になった。半分以下である。両方の文章
を読み比べてみるとどうだろうか。字数の多い文章の方が、書き手の力が入って
いるのが見えるのに対して、贅肉を削った文章は素っ気ない。素っ気ないけれど
も訴える力は強い。なんの躊躇もなくいきなり本題に入っていくような小気味良
さがある。
用心深く文章を書くと、つい贅肉が多くなってしまうが、できるだけ削るよう
にすると、短くても訴求力のある強い文章を書くことができる。
2,相手が小学生だったら
京都ノートルダム女子大学の吉田智子先生は、授業でレポートを「小学生が読
む」ことを想定して書かせるという面白い課題を出している。普通、大学でレ
ポートを書く場合は、担当教師が読むことを前提にしているし、仕事でレポート
を提出する場合は、たいてい読み手は上司や取引先である。書き手は彼らから良
い評価を得るためにはどうすればよいかを考えながら書いていく。しかし、読む
のが小学生ならどうだろう。普通の人は、小学生に理解できるような表現で、複
雑なことを説明することに慣れていない。
小学生に理解しやすい表現とは何か。逆に理解しにくい表現とは何か。これら
の区別は、理解しやすい表現を心がけ、理解しにくい表現を使わないことを心が
けていくことで、だんだんと原則が飲み込めていくのだ。日本語を母国語として
当たり前に考えるのでなく、表現のツールの一つにすぎないと捉えることで新し
い世界が広がっていくのである。
小学生にもわかる文章を書くためには、次のことが求められる。
- 難しい漢字や表現はできるだけ使わない
- あまり長い文章や表現を使わない。一文はせいぜい50字〜70字程度が読みや すい
- あいまいなことを言わない。白黒はっきりした表現にする
- 最初に話の全体を説明する
- 後の説明は行ったり来たりしないで最初から順に説明していく
- 相手が理解できるかどうか確認しながら進める
- 論理の飛躍がないよう心がける
おわかりだろう。これらはそっくり「わかりやすい文章」のための条件になっ ている。単純に「誰でもわかりやすい文章を書く」という訓練にとても役立つの だ。
3, 目指すのは「論理的な文章」
文章を読んでいるときは、当然のことだが上から下へ、右から左へ順に読んで
いる。たとえ飛ばし読みをするときでも基本的にこの順序は変わらない。だから、
分かりやすい文章とは、上から下へ読んでいったときに、無理なく理解できる文
章であるといえる。一つ一つの文と、その関連がはっきりしていることが論理的
ですっきりした文章なのである。読み手が途中で、理解に苦しみ脱線してしまう
文章は、すっきりした文章とは言えない。そのためには、文の並べ方が最大のポ
イントであるが、以下のことに注意すれば文章は数段あか抜ける。
●単純なことから複雑なことへ
●やさしいことから難しいことへ
●わかっている
ことから、わからないことへ
●基本的なことから応用的なことへ
小説等では、あえて話題を飛躍させてあとで謎解きをする逆のテクニックを使
うこともあるが、実用文ではこうしたテクニックは使わないのが賢明である。
新年度のスタートです。あっという間に桜も咲いて、気持ち良いスタートがで
きた方も多いかと思います。穏やかな春の日が流れる間に、世の中ではいろいろ
な動きがあるようですが、しばらくの間はそれも忘れて、春の宴を楽しみましょ
うか?
さて、その新年度直前の3.25、「愛・地球博」がスタートしました。
吹田で開催された大阪の万博から35年。その間に人類が抱える問題も大きく
変化したように思います。が、よ〜く考えてみると、地球を荒らすだけ荒らした
割に、精神的な進歩はほとんどなかったような気がします。当時はベトナム戦争、
今はイラクでの紛争。パレスチナの問題も全然解決していません。この後35年
でどうなるんでしょうね?
そんな難しい話はともかく、入場者数も順調に伸びているようです。夏休みは
暑いし混むだろうし、梅雨時は雨がイヤ。かといって、GWはメチャクチャ混む
だろうし・・・。さて、あなたはいつ出かけていきますか???
■2005年4月10日号■
〜特集〜未来の風 万博にそよぐもの ロボット編
今から154年前、時は産業革命の真っ盛り。1851年、人類史上初の国際博覧会
がロンドンで開かれた。この第一回ロンドン万博では、輪転機、目覚まし時計、
シャワー付きの風呂などの生活をより豊かにするための製品が未来の産物として
披露された。より具体的な未来の生活シーンが人々の消費意欲や勤労意欲をかき
たてた。農業化社会から工業化社会へ移り変わろうとするこの時代、万博は来る
べき理想の世界の縮図を一日で疑似体験できるショーケースとしての意味合いが
あった。新しいテクノロジーの波とそれに呼応して変化する社会を見事にイベン
トとして成立させたのが「万国博覧会」だった。
時を経て21世紀初の万博が、二週間前に名古屋で始まった。次の時代を感じさ
せるものは何なのか?人と地球の未来はどのあたりに存在し、どれほどのスピー
ドで夢に辿り着くのか?万博に足を運んで感じた未来の風をレポートしたい。
1,未来戦士?容姿端麗ロボット
遠目に見ただけではわからなかった。あまたのイベント会場にありがちな「ち
ょっと無表情なタイプのコンパニオン」という印象だった。気付けば、そこら中
にいるほぼ全員が腕を前に付きだして、携帯電話で写真を撮っている。
接客ロボット「アクトロイド」は、常に微妙に動く仕草が自然で、ロボットに
見られる不自然さはあまり感じられない。ディテールにおいては、まばたきもす
るし表情筋も動く。少し考える時の(間を持たせる時の)やや首をかしげる動き
や、うつむくときのしぐさは非常に良くできている。
「今日の見どころは?」と聴けば、「○○パビリオンの△△は・・・です」と
ゆっくりした口調で完璧に答える。「好きなタイプの男性は?」と尋ねると、や
や恥ずかしそうに「プライベートな質問はお答えできません。事務所を通してく
ださい」と答える。アクトロイドは、会場内の西ゲート、北ゲート、東ゲートに、
座ったものもあり、4カ国語による音声認識で会場のガイドを行っている。
2,会場を使った実証実験
愛知万博では、新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)の「次世代ロボッ
ト実用化プロジェクト」によるロボット5分野9種類の実証実験が行われており、
会場で実際の動作を見たり体験することが可能となっている。また、6月9日から
のロボット週間では、さらに「プロトタイプ開発支援事業」による65種類も加わ
る予定になっている。期間中、常設されるのは「次世代ロボット実用化プロジェ
クト」のロボット9種類で、長久手会場内「ロボットステーション」にて、展
示・デモが行われている。全種類を見るならここに来るのが確実だが、そのほか、
実証実験として会場内の各所にて対人サービスを行うこともある。
3,警備ロボット、掃除ロボット、案内ロボット・・・
今回の万博で面白いのは、このロボット達が単なるデモではなく、実際に会場
内で働いていることである。例えば警備ロボットは実際に巡回したり、掃除ロボ
ットは夜間に清掃を行ったり、案内ロボットは来客の受付をしたりする。(ただ
し安全のため、監視なしでロボットが単独で行動することはない)。6カ月の期
間中に、実際の会場をフィールドとして、不特定多数の来場者に応対することで
貴重なデータを得ることができるので、どんどんフィードバックされていく。学
習機能を持ち進化することにより、もしかすると、ロボットも会期の最初と最後
では動きが異なるということもあるかもしれない。
4,二足歩行ロボットによるパフォーマンス
今回の万博で最も注目されているパビリオンの一つトヨタグループ館では、二
足歩行ロボット「i-foot」(アイフット)の幻想的なショーが見られる。ロボッ
ト8体によるトランペット、トロンボーン、ホルン、ドラムを使った楽器演奏が
披露される。また、i-footは、トヨタ自動車が開発している搭乗用のロボットで
もあり、大人が1人乗ることが可能である。高さ2,360mm、重量は200kgにもなる
という大きなものだが、時速1.35kmで移動することができる。
確定申告も終わり、桜も咲きました。なぜ種子島よりも宇和島の方が先に咲く
のでしょうか?それはともかく、ちょうど今日宇和島に行ってきました。別に桜
を見に行ったわけではありませんが、春の空気一杯で仕事とは思えない出張でし
た。
今回は長文になりますので、前文は控えめに。
■2005年3月10日号■
〜特集〜社長の為のマナー講座 “襟元”編
“襟を正す”とは、姿勢・服装の乱れをととのえ、きちんとする。心を引き締
め真面目な態度になるという意味である。前回の社長の為のマナー講座“足下編
”に続き、今回は、“襟元”に注目し、スーツを着たとき最も目につく“Vゾー
ン”についてレポートしたい。スーツ、シャツ、ネクタイのそれぞれがバランス
良くおさまっているかどうか。また、着ている本人に似合っているかどうか、本
人の魅力を引き出しているかどうかは、相手に与えるイメージに強く影響する。
言うまでもなく、ビジネスパーソンには戦う鎧となるスーツである。自分自身の
服装にまったく無頓着な人は、戦いを最初から半ば放棄しているようなものであ
る。
P・F・ドラッカーは「経営の哲学」(ダイヤモンド社)という本の中で、「ト
レンドを利用する人は必ず成功する」と説いている。経営も服装も流行に操られ
るのでなく、自分の好みとポリシーに合わせて上手く流行を取り入れることが、
成功の秘訣であることに間違いない。
1,色のイメージ 「男の子は青、女の子は赤」
余談になるが、色について面白いエピソードがある。私たちは無意識のうちに
「男性は青、女性は赤」と思いこんでいる節がある。例えば日本のトイレは、紳
士用は青、婦人用は赤というように表示する色の相場はほぼ決まっている。考え
てみれば、小さい頃から私たちは何かにつけ「男の子は青、女の子は赤」だった
ような気がする。上靴の色、ランドセルの色、傘の色、その他持ち物すべてにお
いてなぜか男女の色分けは決まっていた。そのせいかどうかわからないが、子供
の頃、男の子の好きな色は青や緑という寒色系で、女の子の好きな色は赤やピン
クといった暖色系が多かった。今でも子供達(とりわけ小学校低学年ぶらいまで
の子)に好きな色を尋ねると、多分にもれない答えが返ってくる。これは、世界
共通かと思いきや、どうもそうではないらしい。
パリの有名な音楽ホールでたまたまトイレを探していた時のこと。うすいピン
ク色に誘導されて辿り着いたところは紳士用トイレ(Hommes)だった。ハッとし
て、よく確かめて見ると婦人用(Femmes)はうすい水色で表示をされていて、そ
こにはフランスの婦人とおぼしき方々が数人の列をなしていたのだった。ちなみ
に寒色系は、冷たい、クール、誠実、落ち着きなどのイメージがあるとされ、オ
フィスの色や、企業のロゴなどで使われることが多い。それに対して、暖色系の
イメージは、暖かい、優しい、安らぎ、情熱などで、女性向けの店舗や広告など
で利用されているのをよく見かける。色はイメージを語りメッセージを持つ。そ
れを私たちは潜在能力で無意識のうちにキャッチしているのだ。
2,「似合う青」と「似合わない青」
例えば「青」と一言で言っても薄いブルーから濃紺までその種類ははかりしれ
ないほど多い。そして、微妙な色の違いで、似合う似合わない、顔映りの良し悪
しを分けてしまうので注意したい。好きな色=似合う色ではない。似合う色とは
「顔映りがいい色」なのだ。顔映りの良さはどうやって見分けるのか?それは、
鏡の前で自分の顔に当ててみるとわかる。自分の顔がぱっと明るく見える色が似
合う色なのだ。似たような色合いで迷ったときは、実際にあててみるといい。顔
色に集中して色との関係をよく見てみると、色合いによっては自分の顔色が暗く
沈んで見えるものもある。好きな色でも顔色に映えないもの、つまり似合わない
ものは買うべきではないし、身につけるべきではない。相手に与えるイメージが
マイナスになるからだ。どうしても気に入った色で身につけたい場合は、スラッ
クスや小物などで、顔から離れた位置に身につけるといい。青に限らず、赤でも
茶でも他の色も同様、肌や髪の毛、目の色によって自分に似合う色味とそうでな
い色味があることを認識し、自分のサクセスカラーを持っておきたい。
3,2つのVゾーンを管理する
スーツにはVゾーンが2つある。一つは、シャツの第一ボタンをかけたときに
できる、襟元の小さいVゾーンで、もう一つは、スーツの上着を着たときにでき
る胸元のVゾーンである。スーツ、シャツ、ネクタイのトリオが織りなすスーツ
の最も美しい部分である。
小さなVゾーンについては、シャツの首回りのサイズが自分にぴったり合って
いるか、ネクタイを締めたときのシャツの両襟が中心でぴたっと合うかどうかが
ポイントである。体型が変わって喉に食い込んだり、クリーニングで縮んで両襟
が合わないものは使えない。よく第一ボタンをはずしてネクタイを締めている人
がいるが、だらしなさと気持ちのゆるみが表れているといってもいい。第一ボタ
ンを外しているのはネクタイを結んでいてもわかるのである。
また、大きなVゾーンのポイントは、シャツの襟とネクタイの結び目の大きさ
のバランスである。ネクタイの結び目が襟に比べて小さすぎると弱々しい印象に
なるし、太すぎるのはそこだけが目立ち過ぎてしまう。また、顔の大きさや体型
とのバランスも考慮したい。
ネクタイの結び方は色々あるが、いずれも仕上げはディンプル(くぼみ)を自
然につけてネクタイに立体感を出すと結び目が生きてくる。シャツはスーツの色
より薄く、ネクタイの色はシャツより濃く、ベルトのバックルが隠れるぐらいの
長さが基本である。ほどよい緊張感のある印象の良いVゾーンをキープするには、
一日に何回かメンテナンスが必要である。襟元を正し、ネクタイのゆるみや曲が
りがないかチェックする癖をつけたい。人は、明るい方向、エネルギーを感じる
人に惹かれる。相手に与えるイメージをマネージメントすることは大事な戦略の
一つである。
■2005年3月20日号■
〜特集〜人を辞めさせない会社 「人」と「運」
「一度入社したら、なんとかその人間の良さを引き出すようにして、とにかく 辞めさせないというのが、我が社の基本方針なんです。どんなダメな奴でもどこ かいいところがあるでしょう?せっかく縁あってうちの会社に来たんだから、社 内全員で一人一人を辞めさせないように取り組んでいくんです。そうしていくう ちに社員の気持ちが一つになっていくし、会社の中の雰囲気もものすごく良くな るんです」。ある中小企業の代表者が話してくれた。その会社は数年前に3人の 仲間と立ち上げた水産業の会社だが、今や社員は15名、アルバイトやパートを 含めると20名程度になる。不況にあえぐ企業が多い中で右肩上がりに順調に伸 びている。ひと昔、ふた昔前の日本なら当たり前の話だったかもしれないが、 「能力主義」「リストラ」などで人を斬ることが珍しくなくなった昨今では珍し く新鮮な話を聴いたような気がした。今回は、「人」と「運」についてレポート したい。
1,何かが好きであるという才能
仕事にも人生にも「運」「不運」がついてまわる。「あの人は運がいい」「自
分はついてない」という話をよく聞く。
その差はどこにあるのだろうか?結論から言えば、自分の力で「運」を引き寄
せることは決して不可能なことではないのだ。
一つには自分の特徴がどこにあるかを知ることである。
自分の特徴というと抽象的だが、あまり難しく考えず自分が好きなことでいい。
人と会って話をするのが好きであるとか、人と接するのは好きでないが、こつこ
つ計算をしたり研究をしたりするのは好きであるとか、スポーツが好きだとか、
映画や美術鑑賞が好きでもいい。何でもいいから好きなことを見つける。何かが
好きであるということは、即ちその人間の才能と言っても良い。まず好きなこと
を見つけて、自分の特徴をつかんでいく。それが、仕事や人生で自分を生かす道
を見出すことにつながっていくのだ。
企業によっては、自分の特徴(才能)を生かせる環境がないこともあるが、ど
んな環境にあっても、まずは自分の特徴をつかみ、それを生かすにはどうしたら
いいかを考えること、そこにエネルギーを注ぐことが、「運」を開く鍵になるの
だ。
自らの不運を嘆く人間は、肝心の自分を棚に上げて環境のせいにしているケー
スが多い。「自分は本当は力があるのに上司が、会社が認めてくれない」と。た
しかにそうかもしれない。
しかし、黙っていては誰も気付かない。自分のセールスポイントがあるなら。
それを相手に伝える為の戦略が必要なのだ。「運」を招くことはマーケティング
にも似ている。
卓越した才能がないことが才能ということもある。地味でもいい、他にはない
自分だけの才能、自分の強みを見出し生かすことが「運」を開く道に通じるのだ。
2,腰が引けたら「運」は逃げる
「人事を尽くして天命を待つ」という言葉がある。最善を尽くして、後は運に
任せるということだ。ただ、そこには本当に最善を尽くしたかどうか。ああもで
きた、こうもできた、自分は本当に最善を尽くしたのかどうかという心の葛藤が
ある。さらにいえば「自分の行いを誰かが見ている」という何かを恐れるという
気持ちがある。
アメリカ西海岸のシリコンバレーが猛烈な勢いで成長していた頃、サンマイク
ロで働く優秀な管理職が言った。「企業の成長要素は緻密な論理とトップマネジ
メントのやる気。でも、最後はラック(運)だ」と。合理主義に生きるアメリカ
でも「運」を重要視することが意外だった。宗教や信仰ではなく、「自分のやっ
ていることは、何か大きなものに見られている」という「恐れの気持ち」「謙虚
な気持ち」を持つことが大事なのだという印象を受けた。同時に
「運」とは結果なのだということも印象的だった。
「棚からぼた餅」は、棚から落ちてくるぼた餅を受け止める準備がいる。その
棚の下まで行かなければいけないのである。日頃から、自分の力で何ができるか
考えをめぐらし、ぼた餅を受ける準備をしなければならないのだ。「結局は、運
が左右するのだから、緻密な論理ややる気は必要ない」ということではない。一
度方向性を決めたら全力で取り組むこと。そうすれば自ずと結果はついてくる。
腰が引けていたら「運」も逃げていくということなのだ。
自分の好きなことを選び追いかけていくには強い意志が必要になる。何かをや
ろうとする意志もなく、ただ自らの不運を嘆く人に「運」はいつになっても訪れ
ないのである。
3,「要領がいい」という才能
「要領がいい」という表現には、「軽薄」「調子がいい」といった悪いイメー
ジがつきまとうが、これは経営者にとってもサラリーマンにとっても大きな才能
である。「要領のよさ」は「明るさ」と言い換えてもいい。いくら仕事ができて
も、目線が低く「暗い」のは人が寄りつかない。「人」が寄りつかないところに
「運」は舞い降りて来ない。たとえば廊下ですれ違うとき、トイレで一緒になっ
たとき、少々ムリしてでも挨拶する「明るさ」と「要領のよさ」があった方がお
互いにプラスになることが多いはずである。「どうもあの人とは波長が合わな
い」などと言って極端に敬遠するのは、結局は自分のためにもならない。
「運」は一人で招き寄せるより、組織総出で招き寄せる方がはるかに強力だし
強固である。
「緻密な論理とトップのやる気」。そして常識的な「要領のよさと明るさ」で、
この春の「運」を招き寄せたい。いずれにしても、要は「人」である。
■2005年3月30日号■
〜特集〜ものづくり企業ブランドの再生
「MDI」(マツダ・デジタル革新)がもたらしたもの
マツダは新車のデザイン開発から、設計・実験・生産準備までを共通のデジタ ルデータで結び、開発者の機能性と生産性の設計を同時並行で行う「MDI」の構 築を、1996年から進めてきた。1996年といえば、マツダの業績はどの数字を見て も惨憺たるものであったが、このデジタル革新は順調に成果を上げ、2004年4月 からは計画の第2段階である「MDI-II」をスタートさせている。どうやってデジ タル革新を推し進めてきたのか?マツダ 第二ITソリューション部 滝口哲郎部 長のレクチャーをもとに、MDIプロジェクトの経緯を紹介しながら、国内自動車 メーカー五番手の“平凡な企業”の復活劇をレポートしたい。
1,1996年 マツダ、フォードの傘下へ
1996年4月12日、フォードがマツダの経営権を握るというニュースが流れた。
フォードは、マツダの第三者割り当てに応じ523億円を追加出資、マツダに対す
る出資比率を従来の24.4%から33.4%に引き上げた。さらにフォード出身の副社長
ヘンリー・D・G・ウォレスの社長昇格が決定した。1987年よりマツダの経営の中
枢にあったメーンバンクの住友銀行出身者は実質的に経営のバトンタッチを見届
ける立場に退いた。当時の新聞には次のような見出しが並んだ。「マツダ自力再
建を断念」(日本経済新聞)「主力銀行神話に幕」(朝日新聞)「揺れる“マツ
ダ城下町”」(読売新聞)あたかもマツダがフォードに全面的に買収され、100%
子会社になったかのごとき空気が広島県内に漂った。マツダがこれからどうなる
のか、不安を隠せない社員もたくさんいた。フォードの本格支援を仰がなければ
ならないほど悪化していた当時のマツダの経営状態は実のところどのような状態
だったのか?とりわけ目立つのは、ウォレスが社長に就任する直前に三年間連続
した大幅な赤字決算だ。93年度は連結売上高2兆1882億円に対し、当時利益は489
億円の赤字、94年度は同じく2兆2941億円に対して411億円の赤字、95年度は1兆
8428億円に対して188億円の赤字だった。生産台数も95年度の77万1000台はピー
ク時90年の142万2000台のほぼ半分に過ぎない。
国内のシェアも5.1%にまで下がっていた。当時のメディアの論調は「マツダの
独自性が失われる可能性がある」「フォードの単なる下請けになるのでは」とい
ったものが多いが、この時点の数字を見れば誇張した表現ではない。それほどマ
ツダの業績は悪かったのだ。
(参考文献:マツダ宮本喜一著)
2,MDIプロジェクトの開始と特徴
深刻な経営不振に陥った中、生産面での徹底したコストダウンを図るべく、
MDIプロジェクトはトップダウンによって施行された。いかに低いコストで短期
間のうちに「売れる新車」を開発できるかが最重要課題であった。MDIは全社プ
ロジェクト(一気通貫)として適用された。また、成果のコミットメントとして、
最初に当初の予算から見込まれる利益を差し引かれた予算が与えられ、運営にお
いては、適宜各部門の責任者会議が行われるなどの特徴があり常に改善がなされ
た。
3,バーチャル試作車で衝突安全試験 わずか14ヶ月で新車誕生
MDIのプロセスは、3D(三次元)の設計デジタルデータを組織的に共有化し、
車両設計から生産設備の設計・構築までを高精度なバーチャルテストを主体に確
定し、設計図段階の品質を造り込んでいくというもので、さらにコンピュータ上
に描かれた車両のデザインや機能設計、生産設備の設計等が事前にテストでき、
設計図を確定する前にそれらの性能や効率をなどを検証し改善ができる。このた
め、設計図確定以降の開発時間を大幅に短縮でき、しかもより高精度で高品質な
製品作りが可能になるのである。従来、時間とコストがかかった衝突安全試験も、
テスト車の台数は、従来比で、約45%削減することができた。MDI導入以前なら企
画から新車が出来上がるまで4〜5年かかるのが普通であったところを、わずか
14ヶ月に短縮できるようになった。
4,2004年より「MDI-II」へ進化
MDIの成果は、アテンザ、RX-8、アクセラなどの商品開発へ順次適用された。
MDIは今後四年間で139億円を投資し開発力を一層強化していく予定である。また、
今後は開発分野だけでなく、デザイン、生産、試作、実験、販売、マーケティン
グに至るまでを同じ時間軸上でMDI技術をフル活用することが望まれる。MDIは、
従来のコスト削減や開発期間の短縮といった“モノ”中心の品質向上から、お客
様に喜ばれる真の品質創造へと進化するのである。人が人のためにMDIというIT
インフラを使いこなす時代の到来である。
確定申告真っ盛りです(こんな表現するかな?)。わが事務所の今夜の夜食は、
「うなぎ」でした。そのせいか、今夜は少し元氣です。
ここのところ、人のつながりでいろいろなところに顔を出す機会がありました。
「ビジネスデータ」という雑誌にコメントを載せる、「税理」という業界誌に事
務所が紹介される・・・そして4月はコーチングの集まりに招待されました(経
団連で開催されるので、それなりのものだと思います)。詳しくをお話すること
はできませんが、長くお付き合いしている中で、出てきた話です。やっぱり人と
の付き合いって大切なんだなあと実感している今日この頃です。確定申告期間中
ですので、あまりのんびりもしてられませんが、この確定申告も1年に1度のお
付き合いのような方もいらして、やっぱり「お付き合い」です。
そのお付き合いをするにあたって、私は身だしなみをそれなりに大切だと考え
ています。独り善がりにならないように、とにかく相手に不愉快な気持ちにさせ
ないことを心がけているつもりです。
今日は、その身だしなみの基本。足下の身だしなみについてです。
■2005年2月28日号■
〜特集〜社長の為のマナー講座 “足下”編
「より誠実でスマートな印象を与える」ために
「社長は会社のシンボル」良くても悪くても社長のカラーが会社のカラーにな る。対外的に見ても、社長ほど会社のイメージを伝える人はいない。そして、社 内に対しても社長ほど影響力を持つ人は他にはいない。言い換えれば、社長が変 われば社内の雰囲気も変わりモチベーションを上げることもできる。社長は単に 仕事が出来る出来ないだけでなく、どれだけ良いイメージを社内外に伝えること ができるかということも問われるのだ。常に企業の看板を背負っている社長のた めに、短時間でブラッシュアップできる秘伝を伝授。まずは“足下”から。
1,「足下を見る」という諺にみるビジネスの第一歩
このレポートを読む前に、まずご自身の足下(靴)をチェックして欲しい。靴
に磨きがかかってるだろうか?泥がついていたり、かかとがすり減っていたり、
ホコリがついて黒い靴が白っぽくなっていたりということはないだろうか?今履
いている靴を脱いで、訪問先の玄関に並べても恥ずかしくはないだろうか?どこ
となく、くたびれた印象がある靴を履いているひとは、即刻磨いてほしい。手元
に靴磨きがなければ、乾いた雑巾でもティッシュペーパーでもいい、足の甲から
かかとにかけて、ほこりだけでもふきとってほしい。時間にしてわずか1分もか
からないことである。
日本には「足下を見る」という諺がある。これは、もともと駕籠(かご)かき
などが、旅行者の足の疲れぐあいを見て、料金をふきかけるというところから生
まれた諺で、一般には、弱みにつけこむという意味である。さて、現代のビジネ
スではどうだろうか?実際に、靴を見て料金をふきかけられることはないにして
も、足下がだらしないと、いかに素晴らしいスーツをきていても艶消しである。
艶消しだけならまだ良いが、その人の人格や、その会社全体までがだらしない印
象に映ってしまう。逆に、何の代わり映えもしないスーツを着ていても足下がキ
リリと光っていると「侮れない人物だな」と思わせてしまう。見る人が見ればわ
かるのである。「見る人」とは、たとえ50人に一人、100人に一人かもしれない
が、その一人に今日、出会わないとも限らない。「その一人の目を恐れよ」と松
下幸之助も説いている。今日から意識を足下にまで及ばせてほしい。きっと何か
が変わるはずである。
2,靴と靴下の関係 すね毛は厳禁!
靴の次に気をつけたいのは、靴下である。まずは、靴下の長さだが、スーツを
着たときの靴下は、心持ち長めの靴下がいい。基本的には膝下靴下である。日本
では“ハイソックス”、海外では“ロングホース”と呼ばれる。日本では、足袋
の文化が長いせいか、スーツを着用しても短か目の靴下を履く習慣が定着してい
るが、短い靴下だと、座ったときや足を組んだときに“すね毛”が見えてスッキ
リしないのである。国際プロトコルでも、すね毛が見えるのはタブーとされてい
る。欧米では、きちんと教育を受けていない躾けのされていない人とみなされ、
軽蔑される。日本流でいえば箸の上げ下げのマナーが悪いといった基本的な躾け
と同じぐらい重要な意味を持つ。
足を組むと、7〜8pはズボンが上に上がるのだ。この程度のことで、素晴ら
しい話をしても説得力に欠けるのでは勿体ない。さらに、靴下の色について言及
すれば、スーツの色に合わせるのでなく、靴の色に合わせるのがいい。黒、濃紺、
濃いグレーで綿素材のものが基本で、スーツよりも濃いめの色で、靴下の色が浮
かないようにするのが決め手である。
3,靴の選び方と手入れ
靴の選び方は、大きく分けてカーフ(生後3〜6ヶ月以内の子牛の皮)とロー
ファー(ヒールのない紐ナシの靴)の2通りある。ビジネスには基本的にカーフ
の黒で、タイプは紐結び、あるいは紐ナシのモンクストラップがふさわしい。
ローファーは、ブレザーなどのアイビールックには映えるがややカジュアルな感
じになるので、TPOを選ぶことを認識しておきたい。また、靴を長持ちさせるた
めに、連日同じ靴を履かないことを肝に銘じたい。一日履いたら、少なくとも一
日は休ませる(二、三日休ませるのが理想)。型くずれと湿気を防ぐのに、シ
ューツリーなどを利用すると尚良い。足は、一日コップ半分の汗をかくと言われ
ている。
外を歩くことの多い仕事であれば、社内用、屋外用と2〜3足の靴を準備して
いるぐらいでちょうどいい。顧客の自宅を訪問したり、座敷での接待など、靴を
脱ぐ機会は意外に多い。いざと言うときに困らないためにも、普段からこまめに
手入れをすることを習慣としたい。靴は普段の生活レベルや習慣がそのまま見え
る恐ろしいツールなのだ。
※イタリアを旅していて感心したことがある。それは、どんな小さな安ホテルに も靴磨きが部屋に置いてあるということだ。歯ブラシやシャンプーがなくとも、 靴磨きだけは常備してある。恐らく彼等はそれを特別にオシャレと感じているの ではなく、それが当たり前になっているのだろう。DNAの中に「靴の履き方」や 「手入れ」に対する常識が脈々と受け継がれているのだろう。欧米に比べスーツ を着る歴史が浅い日本人とはいえ、今や世界は身近になっている。決して“足下 を見られない”よう、頑張れ!日本の社長!ビジネスマン!
松山では春を告げる祭「椿さん」が終わりました。今週末からの冷え込みの後
は春なのでしょうか?
今日は話し方についてです。
人と話をしていて、自分の言いたいことが伝わらないことってよくありますね。
その時、皆さんはどう反応されるでしょうか?
なんでわからないんだ?
せっかく良い話なのにもったいない。
この人は私の話になぜ興味がないのか?
仕方ない、別の人に話してみようか?・・・
もしその通りだと思ったら、ちょっと待ってください。「もしかしてどこかで
自分が勘違いしてないか?」「この話は彼にとって意味のあることなんだろう
か?」と考えることも忘れないように。
自分が一方的に良いと思ってしまい、相手にそれを押し付けている可能性も大
いにあるのです。
そんなことわかってるって?俺はブッシュじゃないって???
失礼しました。
■2005年2月20日号■
〜特集〜「声は品格、話し方は人格、言葉は知性を・・・」
1,気持ちを伝え、相手を意のままに動かす鍵
最近、日本語や話し方について書かれた本が多くなった。「○○の日本語」
「××会話力」「○×話し方」「敬語の△」「・・・言葉術」等、書店へ行くと
迷ってしまうぐらいこの手の本が並んでいる。どれも、ビジネスや恋愛での成功
を唱ってありベストセラーになったものもある。この背景には何があるのか?今
さら言うまでもないが、日本語の乱れに警笛を鳴らしたいというのもあるだろう。
しかし、それだけではベストセラーには及ばない。世の中には、そういった情報
を求めている層があるのである。日頃、言葉や話し方によって悩んだり、壁を感
じたりしている層が。言ってみれば、もっと上手く自分の意志を伝えたい、ある
いは自分の意の通りに相手を動かしたいという、一種のコミュニケーション能
力向上に対する渇望の表れなのだ。
2,「すみません」を使わない
「声は品格、話し方は人格、言葉は知性を表す」と言われる。
昇進を狙うのもよし、素敵な恋人をゲットしたいと思うのもよし、
どんな動機であれ自分自身をブラッシュアップさせ、もっと充実し
た仕事や人生を望むなら「声、話し方、言葉」の3点セットに磨き
をかけることをお薦めする。この3点セットの錬磨は何歳からでも
始められ必ず効果が表れる。
あるお嬢様学校で有名な学院では、「すみません」を使わないように指導をす
るという。一般に「すみません」は便利な言葉として様々な場面で使われている
が、違う言葉に置き換えるだけできちんとした雰囲気になる。
- 謝罪する時:「申し訳ございません」「お詫び申し上げます」
- 軽い謝罪の時(人にぶつかった等):「失礼いたしました」「ごめんな さい」
- 席を譲ってもらった時など:「恐れ入ります」
- 何かをしてもらった時:「ありがとう」「助かりました」
- 宅配便などの業者に:「ご苦労様です」「お疲れさまです」
※「ご苦労様」は目下の者に使う言葉なので、相手に要注意
「すみません」という言葉は、実はお詫びの言葉にもお礼の言葉にもならない ようだ。便利に使える分だけあまりにも軽い印象の言葉なのだ。 騙されたと思って、今日一日「すみません」を使わずに過ごしてみたらどうだ ろうか?
3,言葉に表情をつけるとよりよく伝わる
話すときの声の「高低」「大小」「速度」「抑揚(よくよう)」といった言葉
の周囲についてくる声の調子をパラ・ランゲージ(周辺言語)とよぶ。同じ言葉
でも、話し手の周辺言語によって伝わり方が異なるのだ。話しを効果的、印象的
にしている人は、このパラ・ランゲージがきちんとコントロールされている。
例えば、「よく頑張ったね、ありがとう」と部下をねぎらう言葉に、感謝の気
持ちが語調から響けば部下の心まで届くが、そうでない場合(語調から響かない
場合)、たいていは口先だけのリップサービスと受け取られるだけである。要す
るに、部下の心の琴線には届かず、気持ちを伝えられないだけでなく、意のまま
に部下を動かすには至らない。
声が低すぎると暗い印象を、高すぎると軽薄な印象を与える。また、話すス
ピードが速すぎるとせっかちな人と思われ、遅すぎれば相手をイライラさせ、小
さい声は自信がなさそうに聞こえる。言葉に感情を込めることが出来ない「無表
情な話し方」をする人は、どんなに良いことを語っても相手の心には届かないの
である。
試しに自分の声を録音して、どんな印象か聞いてみるといい。スタジオやカッ
セトデッキなど使わなくとも簡単にチェックする方法がある。それは、携帯電話
の留守録である。相手に残した自分のメッセージを確認するときに、自分の声を
注意して聞いてみるといい。すると、自分が認識している「自分の声」とそれが、
ずいぶん違っていることに気付く。
日頃、何気なく口にしている言葉を振り返ってみよう。また、身近に感じのい
い話し方をする人がいたら、なぜ感じがいいのか考えてみたり、その人の特徴を
真似てみたりするといい。まずは、常に言葉や話し方に敏感になること。それが
コミュニケーション能力向上、ひいては成功への第一歩である。
最近、仕事で東京によく出かけます。その際、電車の中で、携帯を使っている
人をたくさん見かけます。携帯って私たちの生活にどうしても欠かせないものに
なってしまいましたね。もちろん、電車の中で電話をかけることはできませんが、
メール、ネット、ゲーム等々。ペースメーカー等に対する影響で、電車の中では
携帯電話を切ったほうが良いのですから(アナウンスもそう言われます)、通話
でなくても本来は良くないことなのでしょうが、それは十分認識されていないよ
うです。それはそれで大きな問題ですが、知らない間、少なくともこの5年間で
大きく変化したデジタルの波の一つです。その場で出張先の天気を確認する、目
的地まで行く最短ルートを現時点で検索する、今の周辺の地図を確認する・・・。
先日、20数年ぶりに、京王線の千歳烏山に行ってきましたが、沿線の風景は
あまり変わっていない(ように思える)のに対して、電車の中の光景はずいぶん
変わったものだと感じました。もっとも、よ〜く見ないとわかりませんけどね。
そのように変わってきたデジタル社会についての特集です。
■2005年2月10日号■
〜特集〜「地上デジタル放送と私たちの暮らし」
1,これからの情報社会 e-Japan戦略とu-Japan構想
日本政府が「e-Japan戦略」を決定した2001年当時、インターネットの普及な
ど我が国のIT革命への取り組みは大きな遅れを取っていた。その遅れが将来取
り返しのつかない格差を生み出しかねないという危機意識から、さまざまな制度
改革や施策を集中的・継続的に実施してきたところ、「2005年に世界最先端のIT
国家となる」との目標達成が臨めるまでになってきた。また「u-Japan構想」と
は、Ubiquitous、Universal、User-oriented、Uniqueで「いつでも、どこでも、
何でも、誰でもITの恩恵を享受できる社会」を目標とした取り組みであり、現在
日本のインフラの普及状況は、ブロードバンド回線契約数で見ると、利用人口3,
032万人、人口普及率23.8%。携帯電話はインターネットに接続可能なものが、85
%を占め、IT環境はほぼ整いつつあると見られる。
2,ユビキタスネットワークな一日(子供編)
1,自宅で毎朝、脈拍や血圧を測る。異常があれば、そのデータを直接病院へ
送ることもできるし、ネットワーク上のサーバに蓄積することもできる。2,犬
の首輪に入っているICタグを感知し、車のオートブレーキがかかるしくみ。3,
小さなノート型コンピューターで、外でも映像やデータを呼び出して調べたり、
まとめたりすることができる。また、他の友達や先生とも情報交換できるのでお
互いがどこにいるのか探さなくてもすぐに連絡が取り合える。4,ボールとカゴ
に超小型チップが埋め込まれているので、ボールとカゴが通信して自動的にカゴ
の中のボールを数えてくれる。5,ゴミにICタグがつき、燃えるor燃えない、ス
チールorアルミ等、リサイクルセンターの機械が自動的に分別できるようになる。
6,監視カメラ付きの留守番ロボットが、不法侵入があると自動的携帯端末にそ
の映像が送ってくるので、そのまま通報もできる。7,商品の中にICタグが入っ
ているのでレジに並ばなくてもゲートを通るだけで精算できる。など、子供の暮
らしも常識もユビキタスネットワークによって大きく変わる。
3,地上デジタル放送チャンネルの見直し
2003年12月1日から、関東・近畿・中京の3大広域圏で、地上波のUHF帯を
使用して開始された地上デジタル放送は、デジタルハイビジョンの高画質・高音
質番組に加えて、双方向番組、高齢者や障害者のための福祉番組、暮らしに役立
つ最新情報番組などが予定されている。また、地域に密着した放送が行われるの
で、その地域の視聴者ニーズに合った番組が提供され、UHFアンテナで受信で
きる。走行している電車やバス等に設置したテレビでも、チラツキがなくきれい
に受信・視聴することが可能になり、携帯情報端末等で簡易動画やデータ放送、
音声放送を受信・視聴するサービスも予定されている。
ただし、ここで問題になるのは番組の著作権。日本の人気ドラマは、放送後2
〜3日で海賊版DVDが発売されるというが、録画した番組を許可なくダビングし
て他人に配ることは違法である。また不正にダビングしたテープが出回るような
ことになれば、番組の制作者や出演者などの権利が著しく侵害され、良質な番組
の提供に支障をきたすことになるので、地上・BSデジタルテレビ放送局では、
2004年4月5日からデジタル放送番組の著作権を保護するために、「1回だけ録画
可能」のコピー制御信号を加え、さらにB-CASカードの機能を利用した放送番組
の暗号化を開始した。「1回だけ録画可能」のコピー制御により、デジタル録画
機器で1回だけの録画はできても、さらに他のデジタル録画機器へのダビングは
できないしくみになっている。
4,お茶の間情報端末としての役割と今後の課題
テレビは、デジタル化されることにより、インターネットやデータ放送の情報
受発信機器となる。その為、今以上にコンテンツ(内容)が問われるようになる
のは必至である。また、見たい番組を簡単に予約でき、自由な時間に見ることが
できるため、視聴率の問題やそれに関わるCMやスポンサーについては今後の重要
な課題となる。2006年には日本のすべての地域で地上デジタル放送が開始される
予定である。
あっという間に2005年も1ヶ月が経ってしまいました。気がつくと確定申
告が目の前です。これはどうなることやら。
毎日新聞のサイトに、通勤時間の記事が載っていました。その中で、愛媛県の通勤時間は日本で1番短いんだそうです。
通勤ラッシュはストレスが溜まるものであり、特に雨の日は大変ですし、最近
は男性にとって痴漢疑惑の問題もあります。空いていれば、本が読めるという特
典もありますが、大都市圏でのマイナスポイントだと思います。
話は変わりますが、最近、「ご縁」を感じることが続きました。事務所にパー
トで来ていただくことになった女性が、私どものお客様の料理教室の生徒さんで、
しかもご主人のご実家とわたしの実家だったところがすぐ近所(で、幼稚園から
高校まで同窓)ということに。そんな経験をされた方って多いと思うのですが、
このような理屈では説明できない経験をしたとき、皆さんはその後どう考えます
か?まず、「すげー」(下品?)と声を上げる。次に、なぜこのような事態に至
ったか体系的に考えられますか?たとえば、私が通った高校の卒業生の数から、
卒業年数と卒業後の進路を分析し、日本の人口を配慮した上で、どこかで接点を
持つ確率を考える・・・。そうではないですね。「やっぱり神様っているのかも
しれない」ではないでしょうか?これが日本人の一般的な発想だと思います。日
本人は無信教ではなくて、どこの宗派にも分類できない宗教を持っていると感じ
ることがありますが、この発想はとても大事なことではないでしょうか?今回は
そのような話です。で、ほかにどんな話があったかって?またどこかでお話しま
しょう。
■2005年1月20日号■
〜特集〜「運命の法則」 好運は意図的に招きよせることができる
毎年、ある製造業の新入社員教育を担当する。社会人としての心構えや常識を 指導し、その他「なぜ、この会社に入社をしたのか」「自らの使命や、人との 縁」というものについても考える機会を与える。すると、決まって返ってくる質 問がある。「運命というものがあるのですか?」「最初から、運命が決まってい るなら努力しなくてもいいのでは?」「運命があるならそれは変えることができ るのですか?」等である。貴方はどうお考えでしょうか?
1,共時性(シンクロニシティ)「運命の法則」を体感するトレーニングは「共
時性」の発見である
共時性とは、同じ意味を持つ、二つあるいはそれ以上の、因果的に無関係な出
来事の同時生起である。例えば、人が亡くなる直前に知らせがくるというのは
「虫の知らせ」とか、「夢枕に立つ」とかさまざまな表現があり、そう珍しいこ
とではない。著者天外氏はソニーの創業者井深大氏が亡くなるとき、サンフラン
シスコ空港で井深氏のビジョンを見たという。この場合、井深氏の死とビジョン
は何ら因果関係はないが、「死とその知らせ」という共通の意味を持っていると
考えられる。
深層心理学者のC・G・ユングは、このような現象を「共時性(シンクロニシテ
ィ)」と名付けた。死の知らせだけでなく、何年も会っていない昔の友人のこと
を考えていたら、たまたまその人から電話がかかってきたといった類の「奇妙な
偶然の一致」の総称である。
ほとんどの共時性は、「単なる偶然」として無視されている。そして、近代科
学で説明できるような話ではない。多くの人が迷信として一笑に付す。
ところがユングは、宇宙は物質的「目に見える秩序」の背後に、さらに奥深い
「目に見えない秩序」が存在し、その「目に見えない秩序」が、夢や卦(け)と、
現実世界の双方に同時にあらわれるのが「共時性」と説いている。量子力学によ
る素粒子の世界では必ずしも因果律が成立していないという発見が背景にあるた
めだ。ただし、あまりに共時性に囚われると、あらゆることを「何かの兆しで
は」と考えて、自爆状態になり人生のスケールが小さくなるので、「共時性」を
意識しつつゲーム感覚で楽しむぐらいの態度がおすすめだという。
2,「燃える集団」が企業を成長させる
「チームが夢中になって仕事をしていると、突然スイッチが劇的に切り替わる
ことがある。その状態になると、怖いものなしになる。どんな困難な局面でも必
ず突破口が開かれる。新しいアイデアが湯水のようにわき、必要な人と絶好のタ
イミングで会い、プロジェクトを成功させるのに必要な技術や部品が出現する。
まさに好運の波に乗った状態になる」と、著者は1999年初回生産の3,000体はイ
ンターネット販売のみにも関わらず、20分で完売。その後も注文が相次ぎ、最終
的に15,000体を売り上げた「AIBO」の開発プロジェクトを振り返る。「燃える集
団」状態になると、わずかな共時性にも敏感になり、突拍子もないような話が
次々に成功してしまうのだ。では、どうやったら「燃える集団」状態に誘導でき
るのか?目標も人材も揃い、志気も高い・・しかし、それだけでは「燃える集
団」にはなれない。理性をはずし、高揚した気分に持っていける強力なプロジェ
クトリーダーが必要なのだ・・・。
3,「フロー」と運命を開く「大河の流れ」 過去を見つめ直し人生を客観的に
眺める
人が喜びを感じることを内観的に調べると、仕事、遊びに関わらず、何かに没
頭している状態をであることを心理学者チクセントミハイは見出した。それを
「フロー」という。
フロー状態の特徴として 1,行為に集中している 2,浮き浮きした高揚感 3,
雑念がわかない 4,時間感覚の喪失 5,自分自身の感覚を喪失 6,その場を支配
している感覚 7,周囲の環境との調和感等がある。深いフロー状態になると、宗
教的な至高体験とほぼ等しい。
人間の行動に対する動機付けには、金銭、地位、名誉などに対する期待や、処
罰や不名誉に対する恐れなどによって動機付けられる「外発的動機」「外発的報
酬」と、内部にこみあげてくる喜びや楽しさによる「内発的動機」「内発的報
酬」があり、一般には外発的報酬を目指した活動が有効、それ以外を無効な時間
と考えられているが、それは間違いである。仕事でも遊びでも内発的報酬に基づ
くフローを大切にすることがスムースな人生の秘訣といえる。
「人間万事、塞翁が馬」というように、「フロー」としての流れよりもはるか
に大きく、目に見えないところで「大河の流れ」のようなものがある。「大河の
流れ」がほのかにでも見えてくると物事の対処の仕方が変わり、運が開いてくる。
過去を見つめ直し、自分の人生を客観的に捉えることができるようになれば「大
河の流れ」は見えてくる。「大河の流れ」は常にその深層で強運につながってい
るのだ。例え、自分の思うままに流れていなくとも、流れに身を任せた方が人生
はスムースである。「フロー」と「大河の流れ」をつなぐものが「内発的報酬」
である。「運命は変える」という表現には「いい運命」「悪い運命」という区別
があるが、もの凄い好運が、とんでもない不運の衣をまとってやってくることだ
ってある。要は、運命に「いい」も「悪い」もなく。いかに宇宙や運命を信頼し、
自らをあけ渡すことができるかにかかっているのだ。
「運命の法則」天外伺朗著 一部抜粋
■2005年1月30日号■
〜特集〜「ズッコケ三人組」 世代を越えたロングセラー
子供が読んでいる本を見て「その本、子供の頃自分も読んだことがある!」と 言える本が、どれぐらいあるだろうか?時代が変わっても、子供心を惹き付け続 けることができる本はそう多くない。そこには、子供心を魅了する不変の真理が あるといってもいい。
1,完結「ズッコケ三人組」第50巻
約30年間近く、子供達に熱心に読まれている本がある。1978年から単行本で出
版されている「ズッコケ三人組」シリーズである。ハチベエ、ハカセ、モーちゃ
んの小学6年生3人組が、様々な事件に遭遇する物語とマンガ風のイラストで、時
を越えて子供達に絶大な支持を受けている。昭和30年代以降に生まれた人なら恐
らく一度は読んだことがあるか、読んでなくとも「ズッコケ三人組」という本の
存在は周知のことと思われる。長きにわたり愛され続けたシリーズだが、このほ
ど第50巻を持って「卒業」というピリオドが打たれた。
2,子供心に共感を呼ぶズッコケワールド
もとは「ズッコケ三銃士」というタイトルで雑誌連載からスタートしたシリー
ズだが、ドタバタ喜劇調で教育的でない内容やマンガのようなイラストが、当時
の児童書とかなり異なっていたため、親や学校などの関係者は「ズッコケ」に対
し冷やかだった。しかし、活発でいたずら好きのハチベエ(八谷良平)、勉強好
きのわりに成績は良くないハカセ(山中正太郎)、万事スローモーションのモー
ちゃん(奥田三吉)の、それぞれのキャラクターが生き生きと活躍する姿が、
「うちのクラスにもこんな子がいる」と全国の子供達の共感を呼んだ。
また、阪神大震災の時は、作者が被災地に宛てて、自らの被爆体験をもとに
「それでも僕は死ななかった。君たちも僕に似た好運に恵まれたに違いない」と
いった内容のメッセージを教科書の教材に書いたところ、被災した神戸市内の小
学生達から「励まされた」という手紙をもらい文通が始まった。後にその文通は、
三人組に大震災を体験させる第37巻「ズッコケ脅威の大震災」を生むことになっ
た。
3,好奇心と時代が生んだテーマ
作者である那須正幹(なす・まさもと)は、第1巻から第50巻までを手がける
約30年間、時代の変化やトピックスを取り入れながら三人組を活躍させてきた。
また、興味のあることや、面白そうだと思ったことは、徹底的に取材をして作品
に反映させた。
例えば、第41巻「緊急入院!ズッコケ病院大事件」を書くときには、知り合い
の医師のもとに足げく通い、感染症に関する最新情報を教えてもらった。また、
バブル全盛期の頃は、「うわさのズッコケ株式会社」という作品を書くが、おな
じみのズッコケ三人組が、プレハブ小屋でお弁当会社を設立し、不測の事態に三
人が右往左往するストーリーである。小学生にでもできる株式会社のつくりかた、
資金の集め方、上手な経営の仕方などが、わかりやすく面白く書かれ、いわば
「社長になる手引き」のような一冊になっている。
その他「ダイエット」「プチ家出」など、現代を象徴するテーマが、「ズッコ
ケワールド」に翻訳されているが、そこには、作品の向こう側で目を輝かせて
「三人組」を読み、ズッコケを疑似体験する子供達と真摯に向き合う作者のプロ
根性が伺える。興味のあることへの探求心と、この真摯な姿こそが、長年にわた
り子供達の心を惹き付けてやまない要因の一つになっていることは間違いないだ
ろう。
4,実体験に基づく構成と実在の三人組
三人組のモデルになった実在の人物がいる。ハチベエは近所の男の子、モーち
ゃんは作者の中学時代からの友人、ハカセは子供時代の作者自身である。作者は
1942年6月6日、広島市己斐(こい)本町で生まれ、3歳のときに爆心地から3キ
ロの自宅で被爆している。その後、己斐小学校に入学するが、物語の舞台である
稲穂県ミドリ市花山町は、作者が生まれ育った広島市の己斐地区に基づいていて、
アカツキ書店らしき本屋さんや、花山商店街といった本の挿絵とそっくりな町が
今でも己斐の町に存在する。
作者は6年生の頃から昆虫採集に熱中し、昆虫の研究をしたい一心で島根農科
大学林学科に入学するが、卒業後はサラリーマンになり26歳のときに児童文学を
手がけるようになった。「ズッコケ三人組」が誕生した頃は30代だったのに今や
60歳を過ぎているが、「作品を書くときは、三人組と同じように、まったく歳を
とらないことにしています。これからも、いろんなことに興味をもって、新しい
世界に挑戦していきたいと思っています」と語る。「もっと続けて」という多く
の声がありながら、シリーズを終了させたのは、作品と現実の子供達の間に溝を
感じるようになったからだという。90年代以降になると「三人組のような関係は
羨ましい」といった反応が増えてきたからだ。これからは「ズッコケ中年三人
組」として、大人になった三人組の活躍を描く予定だという。作者が子供心を忘
れず、実体験に裏打ちされた真実を描く「ズッコケワールド」は、これからも子
供の心を持つ人達を魅了し続けるのであろう。
皆さん、明けましておめでとうございます
新年いかがお過ごしでしょうか?おそらく大半の方が仕事始めを済まされ、通
常の生活に戻っていらっしゃることと思います。
お正月はゆっくりお休みになれたでしょうか?
私のお正月は、1日は自宅にいたものの、2日は大三島へ妻の同窓会に同行し、
3日は実家のある西予市宇和に帰っておりました。その間、各地の温泉に入った
ため、3日間で、県内中予・東予・南予の温泉を踏破してしまいました。ま、こ
んなことで自慢にはなりませんが(笑)。で、最後の実家への里帰りの途中、車
の中で妻に些細なことで大きな声を出してしまい、その後今に至るまで日本列島
を覆う冷たい空気と同じ状態が続いております・・・。
さて、スマトラ沖の地震による被害は本当に大きな衝撃を世界に投げかけてい
ます。Day after tomorowが現実のこととして考えられてしまいますね。で、世
界中から偉い人が集まって何を話したかと思えば、津波の早期警戒システムを作
るのだとか。そりゃこれから必要なものの一つかもしれませんが、それよりも被
害にあった人をひとりでも多く救うべきだし、もっともっとやるべきことはたく
さんあるんじゃないのなかあ?と思います。皆さん、どう思われますか?
では、今年もよろしくお願い申し上げます。
■2005年1月8日号■
〜新春特集〜2005年の思考回路をつくる
新年がスタートし、新しい気持ちで抱負を語り、ビジネス戦略を練る企業経営者
に、現在ベストセラーの大前研一著「考える技術」(アマゾン1位、丸善7位)
の一部をご紹介する。著者の言う思考技術とは、当たり前と言えば当たり前のこ
とであるが「自分自身の思考を一度客観的に捉え、改良していくきっかけ」にな
るかもしれない。新春の挨拶に代えて一石投じてみたい。
1,「思考力格差の時代」知的に怠惰な人間は生き残れない
世界経済が激変し、これまでの経済原則の全く通じない新しい経済が生まれて
きた。この新しい経済、新しく発見された大陸には陸地がまったくない。いわば
「見えない大陸」である。
新しい経済、見えない大陸でビジネスマンに求められる思考回路とはどのよう
なものか。それは端的に言えば「論理的思考」、論理的に考える頭脳回路である。
当たり前と思うかもしれないが、日本企業では往々にして過去の成功体験や経験
則に基づく「思い込み」がビジネスを支配している。しかし、これからの時代、
論理的思考がなければビジネスマンとして生き残ることができない。そればかり
か、この世の中で何が起こっているのかさえ理解できないであろう。逆に論理的
な思考回路さえ持っていれば、必ず新しい世界でも臆せず戦っていくことができ
る。新しい時代は、思考力によって極めて大きな格差が生まれる時代、すなわち
「思考力格差」の時代なのだ。だからこそ、日頃から思考力を鍛錬し、論理的思
考という武器を手にする必要があるのだ。
2,「仮説と結論」を混同しない思考回路をつくる
例えば、あるデータを分析した結果をもとに、「この業界は衰退業界なのでは
ないか。成長率が鈍化してきている。したがって、あまりお金のかかる投資は新
商品開発も含めて控えるべきだ」と考えたとしよう。ここで注意しなければなら
ないのは、「この業界は衰退業界である」というのがあくまでも仮説であって、
結論ではないということだ。だから「投資は控えるべきだ」と言うためには、衰
退業界であるという仮説が正しくなければならない。仮説が正しいと言えるため
には、どんな証拠を集め、その証拠をどう分析すればいいのか。それが問題とな
る。データを分析して出てくるものは仮説にすぎないのだが、ほとんどの人がそ
の仮説を結論だと思いこんでしまう。そこで「結論を得た」と思って安心し、仮
説を裏付けるだけの証拠収集や、本当の結論に至るまでの論理的思考を怠ってし
まうのだ。
【身近な例】和服業界
着物のマーケットは年々縮小し、この20年間で一世帯当たり支出額は半分以下
に減っている。今後少子化が進めば、マーケットはますます縮小していくことが
予測される。このデータだけを見れば着物業界が衰退業界であることは間違いな
いだろう。ところがここで結論づけず、さらにデータを分析して「売上高は落ち
ているが、単価の安い浴衣の販売点数は減っていない」「浴衣の購買層は、若い
女性である」という結論を得たとしよう。また、「若者の『和風』に対する関心
が高まっている」という別のデータがあったとしよう。そうすると、「確かに着
物は衰退業界であるが、若者層を中心に潜在的な需要はある」という別の仮説が
立てられる。そしてさらに仮説を立て、分析していくことで「高級和服の新作に
力を入れるよりも若者向けの新しいタイプの着物を開発すべきだ」「着物のリサ
イクルを新事業にする」といった、最初の仮説とはまったく異なる結論に至る
ケースもある。重要なのは「仮説」ではなく「結論」を導き出すことである。
「着物業界は衰退しているので、売上を伸ばすことは難しい」などと何の解決に
もならない結論を出したところで、時間と労力の無駄でしかない。
3,「現象と原因」の違いを見極める思考回路をつくる
仮説を証拠で裏付け、結論を導き出す上で最も大切なのは、「その原因は何
か」を明確にすることである。ところが、ほとんどの人が問題として見えてくる
現象ばかりが目につき、原意の解決に至らないという思考パターンに陥っている。
現象は結果であって原因ではない。
【身近な例】ある商品について「売上が伸びない」
売上が伸びない理由として、「営業マンに元気がない」「製品が悪い」「価格が
高い」など、いくつかのことが考えられるし、現場の人間も多くの場合、そうし
た理由を挙げる。しかし、これらは原因ではなく現象(結果)にすぎない。実際
には原因はこの中のいずれか一つであって、他はそのただ一つの原因から生じて
いる場合が多い。原因になっている部分を直さない限り問題解決は望めない。大
切なのは「さまざまな現象の中で本当の原因は何か」を考えることなのだ。現象
を数えるだけで思考を停止させてはいけない。営業マンに元気がないからといっ
てみんなで飲み会をやり「じゃあ、明日から頑張っていこう!」と気勢を上げた
ところで、製品そのものに問題があるとしたら、まったく何の解決にもならない
ことは明らかだ。解決策を出すことを急ぐ前に、まず原因を明確にするための思
考回路を働かせなければならないのだ。
【練習問題】
「価格の設定が悪いことが、売上が伸びない原因である」という仮
説が出てきた。どうしますか?
【解説】
価格設定が悪いのだから、価格を下げて売れるようにすればいい・・・
などと、簡単に結論を出してはいけない。それでは、「価格を下げて利益は出る
の?」という質問に答えられないからだ。あるいは、「適正価格で売ればいい」
という漠然とした答えは「じゃあ、適正価格はいくらなの?」という質問に答え
られなければいけない。では・・・?(講談社「考える技術」大前研一著 一部
抜粋)
■最終的には、論理的に思考するだけでなく、それを相手に伝わるように表現で きるか否かが、ビジネスの勝負を分けるという。思考回路入れ替えるだけではな く、さらに表現できる技術も身につけなければ、混迷の時代を勝ち抜くことは出 来ないという著者はいうのだ。論理的な思考術も、表現力もこれまで訓練したこ とのない者にとっては「大変な時代になった」と思わざる得ない心境だが、双方 とも日々の心がけと仕事の中で技術は磨かれという。まずは、これまで見えなか った自らの思考パターンを分析するところから始めますか? 2005年、鳥(酉)の如く飛躍できますように!!■
皆さん こんにちは!
F&Aレポート 2004年12月10・20・28日号をまとめてお送りしま
す。
さて、2004年平成16年もあとわずかとなりました。台風、地震と日本全
体が大変な思いをした1年でしたが、最後を締めくくるかのように大津波がアジ
アからアフリカの広い地域を襲いました。地球全体が何か訴えようとしていると
よく言われますが、本当に実感ですね。
で、この1年。私にとっては、ある意味で激動の年。変化の年。いろいろなこ
とを考えさせられる年、学んだ年でした。例年にはない「思い」みたいなものが
あります。これは年齢的なものなのか?世の中も大きく変化しているせいなの
か?どちらにしても、辛いことをただ辛いと感じていてはいけないですね。ある
程度あっけらかんと受け入れることも大切だと思います。
皆様にとって今年はどのような年だったでしょうか?来年の抱負は?私は、こ
のレポートをできる限り定期的にお送りすることを来年の目標にしたいと思いま
す。
■2004年12月10日号■
〜特集〜年末にあなたの心によぎるものは何
来る年の幸せを願う「第九」「年越しそば」「ベルリーナ」?
大晦日に食べる年越そば(別名「みそかそば」、「つごもりそば」、「大年そ
ば」)は江戸中期からの習慣といわれています。江戸時代の中期には、歳末の習
わしとなっていたとされた「年越しそば」。細く長く家運・寿命を伸ばすため、
切れやすいそばを食べて一年の厄災を切り捨てるため、金銀細工師が散らかった
金粉を集めるのにそば粉を使うために、金を集める縁起で始まった・・・など、
由来は各地で諸説があるようです。いずれの説にしても、来る年の良きからんこ
とを願って食べる事に変わりはありません。大晦日はお正月の準備を終え、一晩
中眠らずに年神様を迎える日。この夜に早く寝ると皺が増えるとか白髪になると
いう言い伝えがある地方もあります。食べ方の決まりはありません。かけそばで
もざるそばでもOK。ただ、年を越してから食べるのは縁起が悪いと言われるので、
12時までに食べ終わることが大切とか。
日本に限らず、世界各地、来る年の幸せを願うならわしがあります。文化的に
も歴史的にも日本とつながりの深いドイツの暮れの習慣をご紹介しましょう。
1,『第九』とドイツ菓子ベルリーナの関係
ドイツに、ベルリーナ・プファンクーヘンという揚げ菓子があります。ベルリ
ン以外ではベルリーナ、ベルリンではプファンクーヘンと呼ばれます。中にジャ
ムが入ったドーナツなのですが、アメリカのドーナッツがベーキングパウダー入
りの生地を揚げるのに対し、こちらはイーストを入れて発酵させた生地を使いま
す。ベルリーナがお菓子屋に並ぶのは、だいたい10月から3月までの間。特に年
末、大晦日に食べられる年越しのお菓子です。
年末に流れる音楽といえば、ベートーヴェンの『交響曲第九番ニ短調・合
唱。』1998年年末、日本中で『交響曲第九番』が演奏されたコンサートは125あ
ったとか。『第九』を聴かないと年が越せないという気分の方も多いかもしれま
せん。
NHK交響曲楽団は、20年以上も前からほぼ毎年、年末公演で『第九』を演奏し
ているといいますし、東京労音は1954年から年末に『第九』を聴く演奏会を主催
しているそう。ベートーヴェンの『交響曲第九番』は、年の瀬も押し迫り、来し
方と行く末を考えるときの日本人の心情にぴったりとくる曲のようです。
2,歓喜の歌
第1楽章の印象的なモチィーフ、第2楽章のティンパニの響きの躍動、第3楽章
の美しさ。この第3楽章は天体の調和の美、その調和をつかさどる超越者の実在
を感知し得たときを表現しているといわれますが、ほんとうに心が浄化されるよ
うです。
これに続くのが、「歓喜の歌」と呼ばれる合唱付きの最終楽章。「天国の楽園
から娘よ、神々からの火花に打たれながら我等は汝がつかさどる神の至聖所に踏
み入らん。兄弟よ、勝利の英雄のように汝が道を歓びゆけ」という意味の力強い
歌詞が歌われます。
この詩はフランスの啓蒙思想家シラーによるものです。ウィーンにでる前の青
年ベートーヴェンは、カントやシラーの思想に影響を受けていました。
シラーが絶対君主制の時代に「歓喜」という言葉に込めた精神は、フランス革
命のスローガン、自由、平等、博愛の自由が成就して至る境地であるといわれて
います。ドイツでも『交響曲第九番』はほかの曲とは別格の扱いで、東西ドイツ
統一の記念演奏会などの特別な日のためのもの、という存在なのです。
3,ベートーヴェンも食べた?「ベルリーナ」
ドイツではプライツィヒで、年末に『交響曲第九番』が演奏されるといいます。
ただしドイツの大晦日は、威勢がよく花火が打ち上げられるにぎやかなものです。
花火が30分以上も続けて打ち上げられ、その中で家族や友人たちは「おめでと
う」を言い交わしたり乾杯したりして過ごします。このときに食べるのが、ジャ
ム入りの揚げ菓子ベルリーナです。なんでも、ここでベルリーナを食べておけば、
悪酔いをしないと言い伝えられているとのこと。
ベルリーナの発祥は18世紀半ば。ベルリン生まれの人が作り始め、ドイツ全土
に広まったことでのこの名がついたといわれています。1770年生まれのベートー
ヴェンも食べたことがあるかもしれません。200年後に、自分が作った音楽とジ
ャム入りの揚げ菓子が年末になくてはならぬものになるとは、思いもよらなかっ
たことでしょう。
4,一年の終わりに願いを込めて・・・
ところで、ドイツではベルリーナにもうひとつ言い伝えがあります。それは、
ベルリーナを食べておけば、死後天国へ行けるというもの。人々の素朴な願いが
込められたお菓子でもあるのです。『交響曲第九番』に込められた、独立し自由
な人間であることの歓喜と、人々の心をほっとあたためるお菓子。どちらも年の
瀬にふさわしいものです。
(三浦裕子著「音楽が聴こえてくるお菓子」より抜粋)
■2004年12月20日号■
〜特集〜今年一年の「仕事」を振り返って
仕事を支配するということ
1,仕事の「目的」と「手段」
冠婚葬祭を一手に引き受ける企業の社員研修で「あなた達の仕事はなんです
か」と問い、受講者に答えてもらった。現場を任せられる若い社員は、常にお客
と対峙しつつも、実体験としての自分の経験がないようなセレモニーも手がけな
ければならず、なおかつ、結婚式や葬儀など、一人の人間にとって一生のうちに
一度しかない儀式も多く、絶対に失敗の許されない局面に立たされることも少な
くない。
社員の口からは次々と意見が出てくる。「段取り良くスムーズに事を運ぶこ
と」「古くからのしきたりや習わしなどを勉強してお客様にアドバイスするこ
と」「連絡や相談を密にして間違えのないようにすること」「常に笑顔で親切に
対応すること」「信頼をされること」等々。
それらの意見はどれも正しく大事なことばかりである。ただし、十分な回答で
はない。それらの仕事は、「仕事」ではなく、目的を遂行するための「手段」だ
からである。
例えば、「お客様を満足させ、自社のファンになってもらうこと」を仕事の目
的とするなら
「段取り」や「相談」「笑顔」などといったことは、目的を遂行するための手段
に過ぎないのだ。手段そのものが仕事の目的になったとき、仕事の意味は変わり、
仕事の奴隷になってしまう可能性がある。「言われたことをやる」逆に言えば
「言われなければやらない」「誰かにさせられている」仕事になるのだ。
2,「仕事」と「作業」
言うまでもなく「仕事」には、色々な過程があり分業できる。一つの仕事を1
0に分業したとき分業した一つ一つは「作業」になる。しかし、「作業」を集め
ても「仕事」にはならない。ちょうど、人間の身体を切り刻んで、いくつかの臓
器に分ける事が出来ても、切り刻んだ臓器を集めて生きた人間にはならないよう
に。
人間に魂があるのと同様に、「仕事」には思いがこもっているからである。自
分自身の思いがこもらなければ「仕事」にはならない。思いがこもらなければ、
ただの「作業」なのである。だから、「仕事」の主人公はいつも自分自身であり、
同時に「仕事」はチームワークなのである。「仕事」の支配者はその仕事をする
人自身である。他人事と据え、結果として支配権を失ったその瞬間に、「仕事」
は「仕事」でなくなってしまう。
仕事には二つのタイプがある。「仕事」と「作業」である。先述したように、
仕事はいくつかの作業に分割することができる。誰かの指示に従って、自分のも
のにすることもなく、ただ言われるがままに押し進めたその瞬間に、仕事は作業
に成り下がってしまう。その作業の支配権が指示した人の側に残されたままにな
ってしまうからである。
例えば『コピーをとる』という「仕事」。依頼されたコピーは、いつ、誰が、
どこで、何のために、どのように使うものなのか?いわゆる5W1Hを考えながら、
コピーをするのと、ただ言われるがままにコピーをするのでは、「仕事」の仕方
に雲泥の差がある。当然、その「仕事」の成果と姿勢の違いは、他の「仕事」に
もチームにも影響する。『お茶くみ』しかり『そうじ』しかりである。
本当の仕事をするには、自分自身が仕事を支配しなければならない。仕事の主
人公、仕事の主体者が自分自身であってこそ初めて、本当の意味での仕事をして
いることになるのである。
3,「デキる仕事人」は自分の「仕事」の支配者である
「仕事」のデキる・デキないは、実のところ、こうした仕事の本当の意味を知
っているかどうかで決まってしまう。「仕事」の意味を知る・知らないが、「仕
事」のデキる・デキないの分かれ道となるといっても過言ではない。
もっと言えば、「仕事」のデキる人達は、「仕事」を自分のこととして目標達
成に全力を傾ける人達である。例え、「仕事」の本当の意味を知らないにしても、
結果的に正しく「仕事」に集中できるのである。そのために、「仕事」の成果を
最大にしようとして仕事の目的を理解しようとするのである。
さらに仕事の目標達成のために「チームワーク」を最高の状態に高めるために
努め、チームワークを最高にしようとする努力を積み重ねることができるのであ
る。
まずもって「仕事」=目標と言ってもいい。今や二十一世紀、情報化はますま
す進んで頭で行う作業を代替していく。計算する、記憶するなどといった作業は、
ほとんどその必要性が失われつつある。さらに身体で行う作業についても、人間
型ロボットが実用化されることで相当部分まで代行されてしまう、そんな時代に
なりつつある。まもなく、仕事をする人と作業をする人の比率が逆転し、二十一
世紀のどこかで「仕事」の時代が始まろうとしている。
貴方は、今年一年どんな「仕事」をされましたか?来年はどのように「仕事」
に挑みますか?
■2004年12月28日号■
〜特集〜2004年エフ・アンド・エイレポートダイジェスト版
今年は、地球上が地震、台風、洪水等の予期せぬ、しかも大規模の災害に見舞 われた大変な年でもありましたが、貴方様にはどんな一年でしたか?今年のエ フ・アンド・エイレポートを抜粋し一年を振り返ります。
■1月 新春特集 ODANAOパリ見聞録 荘厳な遺産はモードで味付け 二つのオ
ペラ座編
「シャガールの天井画(夢の花束)に赤と金に彩られた五層の観客席、白大理石
の大階段、ベル・エポックの華やかな時代を連想させるオペラ座(オペラ・ガル
ニエ)は、ナポレオン3世の命により、1861年から1875年にかけて建設された。
面積1万1000u、舞台は450人を一度に登場させ馬を走らせることができるとさえ
言われるほど巨大な広さで、豪壮な建築はネオバロックの傑作といわれている。
当時は、大きな建物の設計は権力者が指定する建築家により行われるのが常であ
ったが、オペラ座の建設にあたっては、初めて一般公開コンクールがなされ、
171のプロジェクトが寄せられた中、満場一致で優勝したのが無名の建築家で弱
冠35歳のシャルル・ガルニエである」
■2月 「アバター」集客型ソリューション
「仮想空間上の分身「アバター」だが、単に若者サイトだけの流行にとどまらず、
今やビジネスの世界にも浸入しつつあり、使い方によっては収益を上げたり、収
益獲得のきっかけをつくることもできるのである。企業が制作・運営している
Webサイトには「商品販売」や「有料サービス」「会員獲得」等、様々な収益モ
デルがあり、収益はそのサイトがいかに「集客力がある」かにより大きく左右さ
れる。韓国では、2001年、写真ではなく自分キャラクター『アバター』を使うコ
ミュニティが強力な集客力があるとされ、2002年頃から日本でも1社2社がアバ
ターを使ったコミュニティサービスを開始したのである」
■3月 「横につながる」水野博之氏語録“小さな仲良し組”何事も最初はささ
やかな一歩
「例えば社会学と心理学。全くあかの他人の話をよこに繋ぐと社会心理学という
のができる。物理と科学があると物理化学ができる。ところが日本の社会は縦割
り社会、これは素晴らしい社会だったんです。明治から100年、西洋社会に追い
つこうとするための一番いい仕組みが縦割り社会だった。その中では、家族的な
制度が基本で、親父が一声上げればみんなそれに向かって必死で走るという非常
にいい仕組みだった。親父は西洋諸国を見て次にあれをやろう、これをやろうと
悩みながらどんどん声を上げていくんですね。ところが親父さんがあまり声を上
げんようになってきとる。たまたま親父さんを相続したやつもおるけれども、こ
れが何やら失敗ばかり恐れてなんも言わんということになってしまって全組織が
路頭に迷ってしまった」
■4月 モバイルの進化と可能性 その10秒で決まる!タイミングとコンテンツ
「昨年6月に『非同期社会』という情報を特集した。携帯電話やメールの普及、
地上波デジタル放送の開始などで、日々のコミュニケーションは、10年前と比
べて膨大に増えている。そんな中で、氾濫するコミュニケーション量に何とか
対応するために、生まれたのが時間をずらした非同期コミュニケーションであ
る。例えば、ケータイ、Eメール、ビデオ、HDDレコーダーなどは、情報をためて
おいて、自分の都合の良いときに処理ができる。まさに、技術の進歩が『非同
期』を可能にしたのである」
■5月 ビジネスコミュニケーション 開いてから話を引き出すコツ
「自分が思ったように会話が進まなかったり、時間が足りなかったりすることも
あるが、焦って先回りして、無理矢理解決しようとするのは逆効果である。『じ
ゃあ、また次回この続きを相談するから○○は宿題にしておこうね』ぐらいに終
えて、面倒なようでもコミュニケーションをとる機会を増やす方が結果的には
良い。また、会話をする上では間を恐れないことも大事である。『沈黙は金、雄
弁は銀』という諺があるとおり、沈黙の時間は、喋っている時間よりも価値があ
るというとも認識しておきたい」
■6月 沖縄的小宇宙 沖縄の聖地
「泡盛は、約600年前から沖縄で造られるようになったんですが、日本最古の蒸
留酒で焼酎のルーツとも言われています。戦前は、100年200年の泡盛があって、
琉球王朝の王様は、接待に泡盛を使ってたとのこと。番頭に『銭蔵の鍵を預けて
も、古酒蔵の鍵は預けるな』と言うくらい大切なものでした。でも、それが戦争
でほとんどやられてしまってゼロになりました。ただ、首里の蔵元さんが、その
戦争に入る前に何本かの古酒を埋めて疎開したらしく、二本だけが奇跡的に残っ
ていました。それが、130年の古酒だと言われています」
■7月 一芸に秀でる人のコツ〜極度の集中力と極度のリラックスが同時に訪れ
るとき
「こうした集中状態を、天才的なゴルフプレイヤーのタイガー・ウッズは『ゾー
ン』と呼んでいる。例えば、20〜30mのロングパットを決めるとき、彼自身は
『ゾーン』に入っているという。『ゾーン』に入るには、集中力だけでもダメで
ある。また、リラックスだけでもダメである。物凄い集中をしながらも究極のリ
ラックス状態にあるとき、人並みはずれたプレイが出来、神懸かり的な結果が出
せるのだという」
■8月 万博の歴史と未来
「1867年の第二回パリ万博から、江戸幕府が初めて参加し、日本は西洋を貧欲に
吸収し、西洋は日本を驚きの目で迎えた。これら万国博覧会の会場で、最も強く
日本を印象づけたものは、優れた技に支えられた漆器、陶磁器、金細工、七宝な
どの工芸品であった。また、『浮世絵』などの美術品の出展は、パリの印象派の
画家に大きく影響を与えた。もしもパリ万博で『浮世絵』が渡っていなければ、
印象派は存在しなかったのかもしれないとさえ言われている。イギリスの画家レ
イトンは、『甘美なるもの、柔らかくてきれいなものの効果が、怪奇なものによ
って高められており、しかもすべてが調和している』と、日本の展示品を賞賛し
たという」
■9月 ビジネスプレゼンテーション「聞く力」で質疑応答を乗り切る
「スピーチやプレゼンテーションの席で、多くの人が最も恐れるのは、台本のな
い一幕、つまり最後の質疑応答である。答えられない質問が出てきたらどうすれ
ばよいのか。スピーチの真価はここで問われる。質疑応答をうまくさばけるかど
うかは、話し手に「聞く力」が備わっているかどうかにかかっている。言うまで
もなく、聞く力は後天的に開発可能なスキルである。しかし、ほとんどの話し手
があまりよく理解していないスキルでもある。聞く力のレベルは次ぎの五つであ
る。1、フィードバックする2、質問を言い換える3、問題をクリアにする4、親身
になって聞く5、アクティブ・リスニングを実践する」
■10月 旧東ドイツの光と影「ベルリンの壁から新都市へ
「世界の都市の中でベルリンほど20世紀の悲劇と運命を反映した街はないと言わ
れる。1990年に東西ドイツが統一を果たしてから、すでに14年の歳月が流れるが、
巷では未だに、『東の人間』と蔑視すると言う。旧東ベルリンに立ち並ぶ近代的
なオフィスビルや住居施設が、西側の財政によってまかなわれていることにより、
西側の住人は自分たちの資産が東へ流出しているようで面白くないらしい。また、
戦後の東西分断により味わった数々の辛苦の矛先が、そのまま旧東側の体制や住
人達へ向けられるのだと」
■11月 Universal Symbol of Brand ルイ・ヴィトン モノグラム・デザインと
日本の家紋の関係
「創業者のルイ・ヴィトンの名前の頭文字『L』と『V』、花のようなモチーフ。
そのデザインのルーツは、日本の家紋や伝統模様にあるのではないかと言われて
おり、直感的に日本やジャポニズムを連想させるものがある。梅、星梅鉢、五つ
星、田字草、花勝見、花菱、木瓜、雪、桜、七宝、桔梗、麻の葉、など、類似し
ている文様は多い。また、これらのベースとして使用されている茶色の風合いも、
当時の日本でかなり馴染み深いものだった。紫や紅が特権的な色だったため、禁
に触れない素晴らしい色を作ろうと起用され100近くの色名が作られた色、それ
が茶色なのだ。江戸で一世風靡した歌舞伎の女形名優が流行らせた色も茶色で、
江戸中の女性が彼を真似たと言われており、茶色は風流人の粋な渋好み、侘び寂
びの美しさを見出す色として好まれた色でもある」
■12月 仕事を支配するということ〜仕事の「目的」と「手段」〜
「『仕事』のデキる・デキないは、実は、仕事の本当の意味を知っているかどう
かで決まる。『仕事』の意味を知る・知らないが、『仕事』のデキる・デキない
の分かれ道となるといっても過言ではない。『仕事』のデキる人達は、『仕事』
を自分のこととして目標達成に全力を傾ける人達である。たとえ、『仕事』の本
当の意味を知らないにしても、結果的に正しく『仕事』に集中できるのである。
そのために、『仕事』の成果を最大にしようとして仕事の目的を理解しようとす
るのである」はどのように「仕事」に挑みますか?
秋もだいぶ深まってまいりました(12月に入ってまだ「秋」というイメージ
ですね)。皆さんいかがお過ごしでしょうか?
今年もあと1ヶ月を切ってしまいました。仕事も家事も年内にきりをつけなけ
ればいけない話がたくさんあります。政治の世界も同じで、これから税制改正に
ついて本格的な議論が始まります。報道によると、どうもいつものような改正は
難しそうな気配ですが、どうなることでしょう?
ところで、最近、日本回帰みたいな話を聞く機会が多くなったような気がしま
す。米国がイラクでケチをつけたという訳でもないのでしょうが、今までのよう
に米国を見れば何かある、可能性があるみたいなイメージをみんなが持てなくな
ったという気がします。日本人が戦後持ち続けてきたアメリカンドリームという
ヤツですね。それがバブル崩壊後、模索してきた中で頼ったのがやはりアメリカ
だった。でも、どうもそれは違うと日本人自身が自然に気がつき始めたような気
がします。
ちょっと抽象的な話になってしまいましたね。詳しい話はまたいつかしたいと
思います。今日はそんな日本人が少し自信を持っても良いと思うような話です。
■2004年12月1日号■
〜特集〜Universal Symbol of Brand
ルイ・ヴィトン モノグラム・デザインと日本の家紋の関係
1854年、パリで旅行鞄専門店として創業以来150年、今や世界中の人々に愛さ れ、日本でも絶大な人気を誇るルイ・ヴィトン。LとVのイニシャル、内側に湾曲 した菱形の中に細身の四角形、それとポジの関係にある四弁形、円形の中に丸い 四弁形、以上四つのモチーフを組み合わせたモノグラム・キャンパスと言われる デザインは、まさにルイ・ヴィトンを象徴するデザインであるが、偽物、模倣品 との戦いの中で考案されたものであることは有名である。また、そのデザインの ルーツは、日本の家紋や伝統文様にあるのではないかという有力な説がある。今 回は、ルイ・ヴィトン誕生の歴史的な背景も併せてジャポニズムとの関係を紐解 いてみたい。
1,ルイ・ヴィトン 旅路の原点
ルイ・ヴィトンの長い旅路は、初代ルイ・ヴィトン(1821−92仏)が1835年、14
歳で生まれ故郷のフランシス・ジュラの森と旅立つところから始まった。1年以
上の歳月をかけ、400キロも離れたパリにしかも徒歩で向かう旅は、恐ろしく孤
独で過酷だったであろうことは容易に想像がつく。それでも彼を都へと誘ったも
のは、やはり人としての本能と自分自身を信じるエネルギーだったのではないか。
道すがら、木材の識別や扱いについて学びながらパリにたどり着くと、荷造り
用木箱製造兼荷造り職人の見習いとして社会人の第一歩を踏み出した。熱心な仕
事ぶりで若くして職人頭となり邁進する彼は、当時ファッション・リーダー・ナ
ポレオン三世の妃、ユージェニー皇后(1825−1920西)からも信頼を勝ち得、王
室からの特別注文にも応じるようになる。こうして旅の支度を整えるという依頼
主との身近な交流を通じ、上流階級の人々のニーズを的確につかみ、来るべき鉄
道の時代を予見しながら、旅行用のトランクの需要を確信した。ヴァンドーム広
場に程近いカプシーヌ通り4番地に旅行鞄専門の最初の店を構えたのは、1854年、
彼が33歳の時だった。
2,万国博覧会時代
19世紀中期から後期は、ヨーロッパに於いて様々な国の文化が、ダイナミック
に交流した時代でもある。特に自国の威信を証明し、国内産業の振興を図る大切
な場として各国が競って開催していた万国博覧会は、洋の東西問わず、ハイレベ
ルな美術工芸品や建築様式なども紹介され、最先端の文化的刺激を受けることが
できる開かれた機会だった。トランクの概念を変えた功績により、ルイ・ヴィト
ンは1867年のパリ万国博覧会で銅賞を受賞、1889年のパリ万国博覧会では、来る
べき大航海時代にふさわしいワードロープをもって参加し、見事グランプリに輝
いている。そんな中ルイ・ヴィトンは、無地、縞模様、市松模様などの様々なタ
イプのデザインを次々と打ち出したが、いずれも偽物の横行が後を絶たなかった。
3,伝統の中に息づくジャポニズム
比較的模倣品を作りやすい幾何学模様からの脱皮を図るため、亡き父の後を継
いだ2代目ジョルジュにより、1896年に発表されたのがモノグラムだった。
創業者のルイ・ヴィトンの名前の頭文字「L」と「V」、花のようなモチーフ。
そのデザインのルーツは、日本の家紋や伝統模様にあるのではないかと言われて
おり、直感的に日本やジャポニズムを連想させるものがある。梅、星梅鉢、五つ
星、田字草、花勝見、花菱、木瓜、雪、桜、七宝、桔梗、麻の葉、など、類似し
ている文様は多い。また、これらのベースとして使用されている茶色の風合いも、
当時の日本でかなり馴染み深いものだった。紫や紅が特権的な色だったため、禁
に触れない素晴らしい色を作ろうと起用され100近くの色名が作られた色、それ
が茶色なのだ。江戸で一世風靡した歌舞伎の女形名優が流行らせた色も茶色で、
江戸中の女性が彼を真似たと言われており、茶色は風流人の粋な渋好み、侘び寂
びの美しさを見出す色として好まれた色でもある。
日本でのルイ・ヴィトンの人気は、日本人のDNAにすりこまれているかのごと
くある種の『懐かしさ』といった感覚を、知らず知らずの内に呼び起こしている
からなのかもしれない。
4,ルイ・ヴィトンの顧客台帳
ルイ・ヴィトンでは、創業当時からの顧客台帳が大切に保管されており、現在
もその記録により、例えば鍵一つからでも全く同じものを製作することができる。
日本人初の顧客として、1878年に特命全権公使として渡仏した外交官の鮫島尚信
の名前があり、それ以降モノグラム・キャンバス誕生までの間に複数の日本人の
名前が記されていることからも、日本美術との接点が彼等との交流に端を発して
いるとも考えられる。
その他、関西大学初学長 小倉久、吉田茂内閣の右腕として、GHQなどとの折
衝役を務めた白州次郎などが顧客台帳に名を連ねる。
本日はお休みですが、皆さんいかがお過ごしでしょうか?私は月曜日に大阪で
仕事があり、今、関西空港のスターバックスにいます。このまま海外に飛んで行
きたいところですが、残念ながら明日の午前中には税務署に行かなければならず、
国内便で帰ります。なぜ伊丹ではなく、関空なのか?と言えば、国内空港として
の関空がどんなものか?感じてみたかったからです。で、その印象は・・・広く
てきれいで、人も少なくてゆったりしている。これは良いところですが、とにか
く遠いですね。羽田も都心からだと1時間近くかかりますから、決して近くはあ
りませんが、こちらは少し不便です。もっとも大阪の場合、伊丹でも決してアク
セスが良いわけではありません。これは大阪の街自体にいえることですが、東京
に比べると大阪は町の中を移動するのが疲れるような気がします。電車の案内も
東京のほうがずっと細かくてわかりやすいですね。この感覚って大阪に住んでる
だけでは感じない、近鉄電車に乗ることが毎日の生活の中に溶け込んでいればわ
かりません。でも、いつもと違う眼で見るとわかることです。若い頃の感性と少
し年齢を経たときの感性って少し違います。その違いのわかる人間になりたいで
すね(大昔のインスタントコーヒーのコピーのようですが)。。
やっと秋らしい気温になり、朝晩は寒くなってきました。風邪を引いている方
をたくさん見かけます。皆さんもお体にご注意ください。
■2004年11月20日号■
〜特集〜若者を見抜く20ヶ条
採用のプロである(株)ザメディアジョンの山近義幸氏の、体験に基づいた
「若い人を採用する際の20ヶ条」を講演録よりレポートする。
1,「道」がつくならいごことをしている若者は凄く落ち着きがある
書道、茶道、華道、武道、柔道。小さい頃に道と言う言葉がつく習い事をして
いる人は根性や継続力があります。途中でバックれないし、最後までやり遂げま
す。これは、O型の3人に一人は社長が多いといいますが、それと同じぐらいの
確率です。これは間違いない。
2,刺身のつまを残す方はいい人材になる可能性は非常に少ない
「祇園の教訓」にも同じことが書いてありました。京セラ稲森さんが、刺身の
つまを残している人をみて怒ったそうですね。出されたものは食べなきゃアカン
と。こういうところまで気を配れる人間でないと成功しないと。人間の原理原則
だみたいな話をされたそうです。当社の食事会面接でも、これは必ずチェックし
ます。気配りのある食べ方、ビールがなくなったら直ぐにつぐ等です。
3,挫折、失敗、人の死、失恋、倒産、大病この中で3つか1つか経験がある人
はいい
人の悲しみ、苦労といった経験がない人は、お客のかゆいところが分からない、
悲しみが分からない。お客様のニーズ、ウォンツと格好よく言っていますが、実
はこれは、かゆいところなんですよ。お客様の悲しみなんですね。お客様の悲し
みが分からない人は、無理して分かろうとしてお客様が困っているところにつけ
こもうという心理状態になるんですよ。これ全く間違いです。僕らは100−1
=99です。しかし、挫折経験のない人は100−1=0になるんです。たった
一つのつまずきが自信を失い引きこもってしまうんですよ。
4,味覚人間がいい
実はこれは、採用の大きなキーワード。味覚というのは、酸味とか、甘みとか、
辛みではなくて、ありがたみと面白みと人間味です。ありがたみを感じる人間。
面白みのある人間。人間味のある人間。色んな味を知っている人間は、色んなこ
とをよく知っている。視野力が広いということに通じます。
5,編入、奨学金、夜間学生ようするに苦学生はいい
編入学生や苦学生はものすごい頑張ります。ものすごく頑張ってるのでテンシ
ョンが高い。だから友達ができないんです。だらけた友達ができないんです。自
ずと社会人に交流を求めるんです。どんどん仕事ができる人になっていきます。
6,学歴と資格は嘘はつきません
僕は努力を認めてあげたい。資格、学歴は嘘はつかない。そういう学生に対し
て、一切、資格とったのは関係ないと強い口調で言うのは、一生懸命資格をとっ
た人間に対して、敬意がたりないと思うんです。努力を認めて、それだけじゃだ
めよということが、人間の本来のコミュニケーションだと思います。
7,第一印象7秒で、78%を決める?
誰がその計算をしたのか誰も知りません。僕は、いい笑顔ができません。でも、
広告代理店にうかりました。一生懸命仕事をしました。二社目がタウン情報誌。
ここでも明るい笑顔はしてなかったけど、採用してもらいトップ営業マンでした。
その次に入社した暮らしの情報誌では、3年間会社の半分の売上を僕が支えまし
た。要するに、印象よりも中身のマグマをみることなんです。その人間の可能性
を見るんです。よく、面接の達人とかで、目線は○○だとか、本に書いてあるん
ですが、第一印象だけでは普通の面接官はだまされます。
8,感性のある人を採用する
この感性は何で鍛えられるかというと本と映画です。小学生は今、朗読がなく
なりつつあります。2年間に一回は学芸会がなくなっています。どんどん発表す
ることがなくなっています。なぜか?無口の人がかわいそうだという論理で童話
とか朗読はなくなってきています。だから10歳から表情が消えるんです。目立
たないようにしなさい。こういう面接は嫌われます。第一志望って言いなさいよ、
企業の方に第二志望と言ったら失礼ですよ。こんな指導ではだめです。本と映画
です。小さいころウルトラマン、これを見て感性スクールウォーズを見て泣けな
い学生は駄目です。映画や本は人間の眠っている感性を呼び戻すんです。
9,選挙に行かない奴はだめ
選挙に興味がない人間は、人を尊敬できないですし、新聞を読んでいない。そ
んな人間が時流を感じることができない人間になっていくんじゃないかなと思い
ます。
10,留学体験はいい
一年間、二年間か留学して帰ってきた日本人のことです。ふぬけの学生が別人
になって帰ってくる。お金を、時間を、食べ物を、生きていることを大切に思う
感覚、こういうものは僕らの先輩が、恐らく韓国、中国、台湾、香港の人々に教
えたんじゃないかなと思います。一年間行って返してもらいましょう。時間感覚、
お金感覚、勉強感覚ですよね、これを身につけた学生は素晴らしい。
11,浪人学生 浪人体験のある学生はいい
京大にストレートで入った松田君が「僕みたいな奴を採用しない方がいいで
す」と。何で?と聞いたら、京大にストレートで入った高学歴の人間は企業から
殆どオファーがきます。ところが、1年とか2年浪人して入学した学生は、10
0万円ほど親に無駄なお金を遣わせている。これは目が違います。浪人している
学生を優先的に採用して下さい。大手は嫌いますが。
12、体育会系の学生がいい
体育会系の学生は減り続けていますが、早いうちから運動をベースにしていた
人間は大学になっても続けているんです。彼等は負け学の美学を持ってます。屈
辱を味わった経験がある。これが一生懸命さを支えるんです。
13、ご両親の姿に本質が見える
ご両親の職業を、聞いてはいけないんですが、ご両親に何を教えられたかは重
要です。この間、香川県である大学生と話をした時に、「あんたしっかりしとる
ね。お父さんどんな仕事されとってん?」「公務員です」「何の?」「自衛隊で
す」「だったら最初から言えや」「自衛隊の話してもいいんですかね」「なん
で?」「だって、自衛隊は悪い仕事なんですよね」「はっ?」「自衛隊は、戦争
起こした人達の味方で、日本では一番いけない仕事なんですよね」こういう人間
が帰属意識をもつことはありません。
14,大学を分散させる採用
うちは、35人28大学なんです。3人以上同じ大学はいないんです。5人以
上はつるみます。特に女性は。ばらばらの大学は戦いが起きるし、個性のぶつか
り合いが起こる。ライバル心が芽生えてくるんですよ。
15、歴史をなめている人間は採用しない
歴史をなめていると縦軸と横軸を理解していない人間が育つんですね。現代の
人間ばかり尊敬する人間は、歴史を尊敬しなくなります。縦軸と横軸をいうのは、
女性がいれば男性がいる。成功があれば失敗もある。現代があれば歴史もある。
現代は歴史の中で育ってきた。始まりが在れば終わりもある。いい意味で裏表が
あるということを思わないと、権利ばかり主張する人間が育っていく。
16、社会を完璧だと思っている人間はとらない
当たり前だけど、会社、社会というのは不完全です。だから若手を採用してす
こしでも補っていくんです。社会は例外の毎日です。誤算の毎日です。誤算を朝
令暮改しようね。朝令暮改を悪口言う人間がいますが、臨機応変という言葉を知
らない人間です。こういうネガティブな人はミス依存人間になります。感じる、
即、動く、でないとだめ。失敗してもいいから「感即動人間」を採用したいと思
います。
17、目はやる気、顔は履歴、文章は根気を表す
顔は履歴。大学生2年3年4年の表情は違いますよね。2、3年のしまりのな
い顔と、4年で苦労して内定をもらった顔は別人です。これが履歴を表すんです
よ。ビルゲイツも言ってます、電車の中とか、喫茶店であの人はどんな仕事をし
ているんだろう?とゲームするんです。人を見る目がないころ、僕もやっていま
した。そうするとだんだんあたってきます。また、筆圧の強い方は情熱的です。
大きさは神経質かどうかです。すごく大きい文字を書かれるかたは度胸がある方
なんです。小さい文字を書く人は神経質、でも逆に考えると繊細。バランスがね
じれているかたは、整理ができない方です。ただしこれも、よくいえば色んなこ
とに目がいくということなんですね。
18、アルバイト力を見る
何のバイトをしていたか当てられないと面接官ではないと思っています。少な
くとも外食産業だったのかスーパーなのか違いが分からないといけないと思いま
す。外食産業では、僕みたいな人間もなぜか、ありがとう、うまかったというん
ですよ。外食産業は「ありがとう」「ありがとうございました」店の人と、お客
の会話が成立するんです。スーパーにはありません。
19,一人住まいの人はしっかりしている
一人住まいは、自分が一月いくらかかっているんだということが分かるのがい
い。自分で電気をつけて、自分で洗濯をして、自己管理そして自立に繋がってい
くんじゃないかな。
20,地方学生、あほー学生、貧乏学生 3ほー学生
広島でいうと、島根の学生さんが、島根に会社がなくて、広島で働きたいとい
うことです。これは、覚悟ができている。あほーというのは、夢中になれるとい
うことなんです。貧乏な学生、これもハングリーという学生という意味です。
11月になってしまいました。街にはクリスマスツリーが飾られ、年賀状の話
もちらほら。でも、今年は特にどこか違和感があります。ついこの前まで台風が
やってきた。いまだに街を歩くと、汗をかく。寝る時にビールがほしくなる(こ
れは関係ない?)。そうです、暑いんですね。気候の変化だけでなく、プロ野球
も突然ダイエーや西武が売りに出たり、米大統領選挙に日本中が注目したり、お
かしな毎日が続きます。そうやってどうにも落ち着かない2004年ですが、と
にかく残すところ1ヶ月と少し。ギリギリになって慌てないように、早めにいろ
んな準備を進めてまいりましょう。
で、ビールといえばドイツです。
■2004年11月10日号■
〜特集〜ドイツレポート 銀行に見る 未だ残るドイツの壁
ベルリン貯蓄銀行訪問録
貯蓄銀行のことをドイツ語で「Sparkasse(シュパールカッセ)」という。 Sparは、英語では実践練習をするとか、喧嘩をするなどの意味があるが、ドイツ 語では貯蓄する、倹約する、ケチなという意味になるらしい。kasseはcashに通 じ、現金や銀行という意味で使われる。「Sparkasse」は、直訳すれば「ケチな 銀行」という意味にもなるのだが、ドイツの銀行は今、「ケチな銀行」にならざ るを得ない状況下におかれていることを、ベルリン貯蓄銀行の営業部長である Trapp氏のレクチャーをもとにざっくりとレポートしたい。
1,ドイツの銀行と経済事情
ドイツの銀行には大きく分類して、組合(農業)銀行、貯蓄(州)銀行、民間
銀行等のカテゴリーがあり、その他に経済的な活動を促進する助成機関がありま
す。貯蓄銀行は日本では、地域密着型の信用金庫や地方銀行のような機能を持っ
た銀行で、地域住民の貯蓄を下に事業を運営しています。また、ドイツ貯蓄銀行
協会として、全国の貯蓄銀行が連携しネットが組まれています。ドイツでは、現
在いずれの銀行も厳しい環境下にあり、銀行同士の合併や支店の統廃合なども行
われ、店舗数は減少の傾向にあります。また合併により、不動産売買や保険業務
などの多角的な取り扱いをするようになってきました。
これらの状況は、日本と共通しているように見えますが、原因は全く違うとこ
ろにあります。土地バブル崩壊をその主な原因とした日本の銀行や、グローバル
化を原因とした多くの日本企業の変化のケースと違い、ドイツではバブルはなく
旧東ドイツとの統合が、今の苦しい経済状況の原因となっているからです。
この統合で旧東ドイツ地区に対して多大な投資が必要とされ、旧東ドイツ社会
が持つ非効率性や社会資源の欠乏により、今後も投資し続けなければならない状
況下におかれています。実際、ベルリンでは、旧西ベルリンと旧東ベルリン地区
での経済的格差が未だに大きく、経済原理の理解が進まない東ベルリンに対して、
「ベルリンの壁を再構築しろ」といった運動が起こるなどの社会問題にまで発展
しています。
2,中小企業との関わりと電子マネー
貯蓄銀行は地域密着型銀行なので、地元の中堅企業との関係は非常に重要です。
中小企業の支援については、経営相談、投資家の紹介、取引企業の紹介等を積極
的に行っており、定期的に朝食会を開催して、情報提供や情報交換会を行いなが
らコミュニケーションを図っています。ベンチャー企業の支援については、日本
のような国策的な支援制度はありませんが、50万ユーロ(約5,000万円)があれ
ば起業でき、投資家の紹介ができます。
また、ドイツではどの銀行でも電子マネーの研究と実践が進んでおり、個人情
報がインプットされた銀行カードにより、ドイツのどこの銀行でも引出しが可能
なだけでなく、列車の切符購入から駐車場の精算等あらゆる支払いが可能です。
(訪問した銀行はかなりゆったりしたスペースがありながら店頭窓口は1カ所の
み。金銭業務が極めて少ないことが分かります)
文字通り「お金に代わる」21世紀の通貨といえますが、タクシー、レストラン、
公共の洗面所等でのチップは現金なので、キャシュレス社会という実感は薄いで
す。
【建物や窓口の様子を見て・・・】
銀行内は、グレードのいいホテルのフロントのような雰囲気で、カウンターや
床の多くに木が施され、観葉植物がソフトで清潔なイメージを与えている。行員
と客側のスペースが分断され、常に慌ただしい様相の日本の銀行とはまったく別
次元のものと言える。ただし、窓口近くには屈強なセキュリティーが鋭い目を周
囲に光らせており、これもまた日本と異なる桁違いの緊張感を漂わせている。ま
た、絵画がフロアだけでなく内部の廊下に至るまで数多く掛けられており、これ
らは全てベルリン在住の芸術家達による作品で、地域の芸術活動支援のために銀
行が買上げたとのこと。社会全体に芸術を育てる文化が根付いていることを感じ
させられた。
<ドイツベルリンの壁>
「心の統一」はまだ(毎日新聞 11月8日記事より抜粋)
ドイツは9日、「ベルリン壁崩壊」から15周年を迎える。かつて独裁国家だっ
た旧東独からの開放を喜んだ市民からは、高い失業率などに失望し、壁崩壊を否
定する意見さえ出始めている。一方、独裁の被害を受けた住民は「ドイツ人の心
の中に壁が残っている」と「心の統一」ができていない状況を嘆いている。
「旧東独を復活してほしい」。ベルリンで失業中の家具職人レーネ・コシュニ
ックさん(33)は話す。壁崩壊の夜、夜勤をしていたが、ラジオで国境崩壊を知
ると、すぐに国境に向かった。壁崩壊を祝う人であふれる検問所で警備兵がぼう
ぜんとしていた。「信じられない」。歓声がわきあがった。西独は輝いていた。
ビールは東の3倍の値段だったが、西独市民と祝杯をあげた。だが、喜んだのは
数年だけだった。93年に倒産。仕事を転々とし、今年から仕事がなくなった。旧
東では仕事は必ずあり、保育所など家族を支える制度は西独以上だった。男女平
等で男性並だった妻の給料も激減。統一後、失業率は約18%(西独の倍以上)賃
金は8割弱。財政悪化から現政権は失業手当削減策を打ちだし、直撃を受ける旧
東独では、今夏、反政府デモが続いた。
皆さん、こんにちは。
新潟で起きた中越地震は大変衝撃的でした。愛媛でも芸予地震を経験していま
すし、今年の台風被害で自然の怖さを実感しているだけに、何とかお力になれる
ことはないか?と考えてしまいます。
さて、11月ですね。今年も残すところ2ヶ月を切ったと言う感慨とともに、
新札の発行、道路交通法の改正(携帯電話の使用禁止等)、米大統領選挙とビッ
グイベントが続きます。どうもしばらく大変な出来事が続きそうですが、あまり
慌てず、落ち着いてまいりましょう。
今回は、ビジネスマン向き。ISOのお話です。
■2004年10月31日号■
〜特集〜ISOの活用法
「ビフォアアフター!企業経営に役立てるISOとは?」
JAB(財 日本適合性認定協会)のデータによると、2004年現在、ISO9000の取 得は日本国内で約38,000件という。内訳は、建設30.9%、サービス業22.6%、金 属10.7%であるが、最近の傾向として製造業ではない、医療機関や機械、化学と いった業種が増えており、学校、地方公共団体、役所などが取得するケースも珍 しくなくなっている。今回は、もとコンサルティング会社社長の講演の一部をレ ポートとしてご紹介したい。
1,パフォーマンス規格とシステム規格
1970年代の日本は、品質がいい、良いモノをつくる。車も、家電製品も何しろ
いいものを作ると言われていました。外人にしてみれば、すごく不思議な国だっ
たんです。何故、日本であんな良いモノがつくれるのか?いってみるとQCだと。
QC活動をしていると。
ISOをいうのは、システム規格なんです。システム規格というのは端的にいう
と、単にモノがいいか悪いかではないんです。こんな事例があったんです。可部
(広島市)に鋳物の産地があります。何社か大きな鋳物の会社があります。そこ
の専務とお話をした時に、彼が韓国に行ったと言う話になりました。韓国に行っ
てその同じ鋳物会社を工場見学したんです。彼は私に会うなりこう言ったんです
よ。「韓国の会社がISOを取っとる」「そりゃそうでしょ。世界の仕組みだから
韓国だってとりますよ」「それが、むちゃくちゃ品質が悪いんだよ」と言うんで
すよ。「それでもISOなの?」って言うんですよ。「そりゃISOや」と答えました。
どういうことかと言うと、仕組みがきちっとしているのが規格なんです。要は
モノ作りがこうあって、材料買って、組み立てて、できた商品があります。これ
がいいか悪いかはパフォーマンス規格なんです。良いモノをつくるための仕組み
がちゃんと整っているかどうかいうのはシステム規格なんです。
外人の発想とすれば良い仕組みで作っていたら、結果はいいだろうという考え
方なんです。日本は、ええモノは作るけど、仕組みはごにゃごにゃごにゃと作っ
てたと。それが外人に分からんかった。例えば私がある製造会社で車の部品を作
っている会社とします。トヨタとか、BMとか、ベンツに売り込みに行きたいと、
うちの製品すごいええんや、これ見てくれと、誤差が何ミクロンやと言うじゃな
いですか。でも、「この製品は確かにええよなと、あんたは、この商品を何ミク
ロンの差異で安定的に供給できるかい?」と言われた時に、「頑張ります」と言
うしかないんですね。その時に、「我々の作る工程は、ここでこういうことをし
ます、こういうことをしてるから、いいものができるんです」と説明しないと納
得できないんです。どういうプロセスなのかというのが、ISOで決まっているん
です。
別の言い方をすれば、ISOをとった会社でもランクがあるんです。同じ鋳物で
も、同じ製造部品メーカーでもISOを認証取得していますと言ったとしても、レ
ベルの低い会社でもISO認証を取得するということはあり得ます。ただ共通して
言えるのは、ISOを取っていれば、何が共通しているかというと、どういう形の
仕組みで作っているかが共通して、それが国際規格にマッチしているということ
になります。国際規格にマッチしてきちっと運用してたら、結果として会社が次
のステージに上がれる。束ねていけると、こういう風な仕組みになっているとご
理解頂ければと思います。これが、パフォーマンスとシステム規格の違いです。
結果よけりゃいいというのがパフォーマンス、途中どういう作り方をしていると
いうのがシステム規格。そのここのところが、ISO規格だよということをご理解
頂きたいと思います。
2,サーベランス(維持審査)の活用法
審査機関によって違うんですけれど、ISOを取得したあとに半年に一回、一年
に一回サーベランス(維持審査)※というものがあります。これを有効活用すると
会社は伸びます。ISOを取得しても十分に運用できていないということがありま
す。今度、審査員が来るからきちっとやっとけよとか、社長がうるさいからやっ
とけよという感じです。でもこれでは、なかなか動かないんですよ。上手に使う
というのは何かというと、経営改善に審査員を上手に使うということです。例え
ば審査員を敵にして、こいつをやっつけようと社内でタッグを組むという形で審
査員を使うとか、事前に審査員に、うちは今こういうことを重点的にやっている
から、こういうことを中心に指摘してくれということを言っておくとかいう具合
です。第三者が来て、経営を見てくれるのを面倒だとか、金がかかるなという受
け身じゃなくて、この来た人をどういうふうに有効に活用しようかという観点を
持つか持たないかでは、ISOの価値は、全然違うということです。
※サーベランス 品質マネジメントシステムが維持されているかどうかを確認す ること。また品質マネジメントシステムが有効に機能しているか(有効性)を確 認すること。
松山市内には、台風一過の青空が広がっています。気温はやや高めと言うもの
の、気持ち良い気候です。が、本当に今年の台風には参ってしまいますね。被害
に遭われた皆様にはお見舞い申し上げます。
これだけ台風が続くと、何らかの影響を受けたという方も少なくないと思いま
す。私も、出張を早めて帰らざるを得ないということがありました。
そんな台風の被害の中で、京都の舞鶴でのバス乗客の救出劇はいろいろな意味
で参考になりますね。「想定外」の災害を事前に察知し、迅速に行動し、みんな
が助け合って全員の命が守られた。大変な目にあっても、冷静に、前向きに、協
調して行動すれば、最悪の事態を免れることは可能。スーパーマンがいなくても、
普通の人たちでも十分対処できるということです。リーダーシップとはカリスマ
がいなくてもちゃんと発揮できる良い例だと思います。これは台風だけでなく、
これから起こりうる「想定外」の事態に対してぜひ参考にしていただきたいと思
います。
東西ドイツの統合も、当時としては「想定外」の事件でした。が、世の中はそ
うやって大きく変化して組んだという実感を持つことも大切だと思います。今日
は、そのドイツに出かけた方からのレポートです。
■2004年10月20日号■
〜特集〜旧東ドイツの光と影「ベルリンの壁から新都市へ」
世界の都市の中でベルリンほど20世紀の悲劇と運命を反映した街はないと言わ れる。1990年に東西ドイツが統一を果たしてから、すでに14年の歳月が流れるが、 巷では未だに、「東の人間」と蔑視すると言う。旧東ベルリンに立ち並ぶ近代的 なオフィスビルや住居施設が、西側の財政によってまかなわれていることにより、 西側の住人は自分たちの資産が東へ流出しているようで面白くないらしい。また、 戦後の東西分断により味わった数々の辛苦の矛先が、そのまま旧東側の体制や住 人達へ向けられるのだと。 今回は、20世紀の傷跡を傍らに抱えながら、未来に向けて躍進しようとするベ ルリンの今の姿を、歴史を振り返りながらレポートしたい。
1,傷ついた風景
かつては、銃を持った警備兵が24時間監視していたベルリンの壁。壁で殺され
る逃亡者、重傷を負わされる逃亡者、逃亡を計画して逮捕され監獄に送られる者。
1961年から1981年の間に、壁をめぐって55名が東ドイツ国境警備兵に射殺され、
112名が逃亡しようとして射撃され、負傷したと言われる。西側によると、東ベ
ルリンで逃亡に失敗して、連行されたケースは3000件以上もあったという。
今は、歴史を物語る建造物として市内数カ所に残っているだけだが、その一帯
は、色に例えるなら白黒である。年間通して観光客の絶えない華々しい観光スポ
ットでありながらどこか重々しく、訪れた人に壁の意味や閉塞感や恐怖といった
ものを思い起こさせる無言のモニュメントである。
第二次世界大戦での敗戦後、ドイツは連合国(米、英、仏、旧ソ連)によって
4つの地区に分割された。このうち旧ドイツ帝国の首都であったベルリンだけは、
特別に4ヵ国共同の管理下に置かれることになった。
米と旧ソ連の対立によって引き起こされた冷戦によって、分裂の道を歩んだド
イツでは、1949年9月、ドイツ連邦共和国(西ドイツ)が、次いで10月にはドイ
ツ民主共和国(東ドイツ)が樹立される。そして、1961年8月13日、東ドイツは
突然東西ベルリン間を一夜にしてコンクリートの壁と、鉄条網によって封鎖。ベ
ルリンの壁の誕生である。
米、旧ソ連両国は、第二次世界対戦後、世界を二分する「超大国」と化した。
この東西対立は世界戦争ぎりぎりのところまで激化し、少なくとも世界に3つの
分裂国家を生みだした。南北朝鮮、南北ベトナム、そして東西ドイツである。
ヨーロッパの中心に位置するドイツの東西分裂は、ドイツ、そして世界全体の東
西への分裂をはっきりと示していた。
2,都市再生物語 ポツダム広場からソニー・センターへ
モノクロ写真のように映るベルリンの壁跡から一転して、ベルリン市内中心部
に広がる新都市と言われる一角がある。ソニーやダイムラー・クライスラーなど
の民間主導で再開発が進んだ超高層ビル郡である。まるで六本木ヒルズを思わせ
る新生ベルリンのシンボルは、98年にオフィス、住居、店舗からなるダイム
ラー・シティ(6.8ヘクタール)がオープン。2000年にはオフィスや住居、映画
館、カフェが入るソニー・センター(2.6ヘクタール)が完成した。巨大な屋根
を見上げる中心広場(約4000平方メートル)は、ベルリン映画祭などが開かれる
公共空間として年間約1000万人が訪れる。
ここは、かつてヨーロッパの文化の中心を担うポツダム広場であったが、東西
分断によりポツダム広場は「壁」が横切り、東でも西でもない特別な空間であっ
た。この特別な空間に、ドイツ統一という歴史的なタイミングが舞い降り、開発
が開始された。
ここで注目すべきは「市民も建設に参加しているという意識をつくりだすこと
が大切」というその開発手法である。ベルリン市や事業者は開発現場の見学ツ
アーを組織、工事中の現場でイベントを開くなど矢継ぎ早に広報活動を展開し、
模型や写真で情報を提供するため、現場付近に建設した「インフォボックス」に
は500万人以上が足を運んだ。
市内道路に負担をかけぬよう、資材はすべて鉄道と船で古い鉄道ヤードに運び、
専用の橋と道路で現場に搬入した。市や事業者は現場の物流を担当する専門会社
を設立。昼夜人口の格差が広がり、夜間にゴーストタウンになるのを避けるため、
開発延べ床面積の20%を住居にするよう義務づけた点も示唆に富む。ただこの数
年、ベルリン市内のオフィス供給は増加傾向。一節によると「ポツダム広場への
集中投資で町全体のバランスが崩れ、市内にはサッカー場16個分のオフィスが余
っている」という指摘もある。
遠く欧州にあるドイツだが、明治政府はドイツを国づくりの参考とし、第二次
世界大戦でも密接な関係を持ち共に敗戦国である。文学や芸術においてもドイツ
に学んだ偉人は多く、今でも森鴎外記念館は旧東ベルリンに残っている。また共
にものづくりの国であり、質実剛健を好む気質がある。過去と未来をつなぐベル
リンの発展は日本にとっても無縁ではない。
皆さん、こんにちは。
最近出張が多いので、本を読む時間が多くなっています。今日の東京からの帰
りに読み終わったのが、
『内側から見た富士通』(光文社)です。
実際の富士通がこの本に書かれている通りなのか、私の友人も勤めている会社
ですから聞いてみたいところですが、まったく架空の話ではなさそうです。で、
問題なのはこれが富士通だけの話ではないというのがほとんどの読者の感想だと
想像されるところです。
成果主義、競争原理の導入・・・日本国内のさまざまな会社・業種・制度等々
導入された構造改革ですが、本当に日本人にとってプラスだったのか?上部の人
間が思いつきで始めたことでどれだけ多くの人が苦労したか?その結果、成果物
として何が残ったか?あえて成果といえば、多くの日本人が自分たちの特性を理
解し、単純にこれらの原理を導入することは間違いであると気がついたことでは
ないでしょうか?
今日から始まった臨時国会ではそのような国民の意識の変化にはまったく気が
つかない(?)所信表明演説が行われたようですが、このような本が注目される
ようになったということは、日本の未来も決して暗くないという気がしています。
ぜひご一読を。
今日は前回の続きのようなものですが、そんな話と通じる話題です。
■2004年10月10日号■
〜特集〜経営幹部のための人財戦略
「こんな会社は絶対にサポートしたくありません」
前回の特集「“そいつ”に社運をあずけられるのか」を受けて、今回は著者で
ある山近義幸氏が、直々に人財採用にまつわるコラムを送ってくださったのでご
披露します。人材戦略のエトセトラです。
1,はじめに・・・
当社(ザメディアジョン)は、゛新卒゛゛ベンチャー(中小企業)゛゛大卒゛を
キーワードに、採用アウトソーシングビジネスをしております。今でこそ同業と
いわれる会社が数社話題になっておりますが、平成2年7月27日の法人化より15年
にわたって、コツコツと続けています。極端な急拡大が苦手で(笑)おかげさまで、
少しずつ、お客様とエリアを広げてきて、やっと100社のクライアント、全国に
拠点を広げることができました。本当に゛おかげさま゛なんです。 というのも、
今では「営業」をせず、ほとんどが「紹介」か「私の講演をお聴きいただいた
方々」です。一度、お付き合いいただいたお客様の継続率は95%以上。どうやら
定着してきたのかな・・・と、思う今日この頃です。
2,過去からの脱却
過去は捨てなきゃ新しい時代を生き抜くことはできないときもあります。私は、
●今の経済●今の経営●今のビジネスに、そんなことを感じます。
はっきりいいますが、●二世経営者●バブル体験者●業界の勢いなど、自分の
実力以外の要素で、生き抜いてきた人に、「成功体験セレナーデ」経営者がたく
さんいます。
今、ビジネスと経済と経営は、何もかもが崩れようとしています。それを一言
でいうと、
゛ギャップ゛という言葉で表されます。いろんな形で存在する、感情の中での゛
ギャップ゛という言葉が、時代の真実を表しています。よく考えてみれば、私も
20年近くの経営を振り返れば、【誤算】の連続でした。それを゛賞賛・勝算゛に
かえねばならぬのが経営でした。
そして【例外】の連続でした。これとて、゛特例゛にすれば、オンリーワンの
キーワードとなりえるのです。そして、この【ギャップ】です。違和感が見方に
いるのです。アイデアとするんです。゛ハッスルジェネレーション゛とするんで
す。
3,゛ハッスルジェネレーション゛
実はそれこそが、人財の採用なのです。若い力の積極採用による活性化を、私
は、●企業再生のキーワード●企業勝ち残りのキーワード●企業変革のキーワー
ドと気づいたのです。
「機関車だけでなく、客車や貨車にもエンジン(縁人)が、必要」とは、先日亡
くなられたサントリーの鳥井前社長の生前の言葉です。私は経営当初、まちがっ
ていました。本当に、ひどい経営をしていました。鳥井大先輩の言葉を借りれば、
「機関車にエンジンがあれば、客車も貨車も引っ張れる。俺が、機関車だ! 」と
いう経営ですね。確かに10人前後までは、それもうまくいきました。
でも、若い人材の活用・採用。とくに、新卒採用がすべてを変えてしまったの
です。価値観も、勢いも、社風も・・・そして、その中から、私の「ミッション、
ビジョン、バリュー」を少しずつ、確立していきました。彼らとともに、作り出
していったんです。いわば、同士ではなく【学友】だと私は思っています。もう、
「私が会社を社員を、そして社員の家族までも、面倒みる」という思い上がりか
ら脱却する時代なのです。まさしくハッスルジェネレーション!!!違和感と誤算
と例外を見方につける経営こそが人材採用です。
4,採用現場のウラ事情!
そんな中で最近、たくさん企業からオファをいただき始めました。本当に感謝
のきわみです。でも、私が呼ばれたけど、「早く帰りたい。いやだ。こんな会社。
申し分けないけど、いくらもらってもお手伝いしたくない」という会社も少なく
ないんです。例えば次の通り。
4(1)経営者が出てこない
忙しそう。「人材採用などかまってられない」という態度がありあり。これは
辛いですね。先日、関西のある企業に行ったんですよね。しっかりとしたアポに
もかかわらず、社長は超遅れてきた挙句に、10分でまくしたてて退席されました。
この会社、成長しているんですが、悪いですが終わりますね。時流に乗っている
だけです。現にひどいレベルの採用結果に担当者も憂いていました。何も変わら
ないでしょう。一気に衰退することは「間違いない!!!」
4(2)「いい人がいればさいようしますよ。なんぼでも」
いかにも、ポジティブ宣言に聞こえますが、実はこれほど、ネガティブな発想
と行動はないんです。要するに受動型採用。待って待って待ち続ける採用で
す。゛いい人゛は出かけていかないと会えないんです。ドラフト会議で活躍する
スカウト担当者の爪の垢でものませたいですね。あの方々は、全国通津浦裏ま
で、゛人財゛を探すんです。もちろん、そこまでやれとはいいませんが、いわゆ
る゛出かけていく゛という精神は人材採用に絶対に必要です。
4(3)お金はかけたくない発言
コストカットの時代。なにも一人採用に1000万円かけろなんていいません。た
だし、「ある程度」のお金はかけないと。いや、リスクのないビジネスなど、今
まであったのでしょうか。ただの本ほど、頭に入らないことはないんですよね。
ちゃんとお金を払って買った本でないと真剣に読まないのは私だけですか?「人
は命だよ」というなら、゛それなりのリスク=お金゛を覚悟しましょう。「山近
さん、数年前まで、職安から夏休みになったらまぁまぁの学生が紹介されて、大
学からもそこそこの学生が来てたんだけど、ここ最近、来ないよ。おかしいね。
まぁ、お金は使いたくないんで、来期はちいぃぃぃと、足を使って、大学回りで
もしてみるかのぉ」はい。終わっています。もう。。
4(4)担当者がバッドマンのケース
関所ならともかく、せき止めのように、いい学生を担当者がはじき返している
ケースも多いですね。しかも、そういうバットマン担当者に限って、゛気づいて
いない゛から最悪です。そして、そういう担当者こそが、我々に敵意むき出しで
くる。「俺がいるから、お前は必要ない」という態度です。凄いですよ。
4(5)うちのような会社に大学生などやってこないと、思い込んでいる
確かに辛い業界はあります。でも、車業界とて、スーパーとて、そして外食産
業とて、一昔前まで大学生の就職先としては、候補にさえ挙がらない時代でした。
それが今では、結構、若い人たちが興味を持ち初めていますよね。
むかつくキーワード5つでした(笑)。今年もいよいよ始まります。【採用計画
】のシーズンが・・・
皆さん、こんにちは。9月も終わりですね。今年も残すところ3ヶ月となって
しまいました。
先日からわが家の長男の高校の関係で、中国からホームステイの子供たちが来
ています。アジアカップサッカーでヒト悶着あった国ですが、個人的な関係はま
た別です(でもホームステイを希望する家庭が少なかったのはその影響かも)。
で、わが家にも男の子が二人来ています。彼らの世話はそれなりに大変です(も
っともその大半は奥さんとその両親が背負ってます。感謝)。彼らとの会話は、
中国語と日本語、両方を仲介する英語ということで、みんなが居間で集まってい
るときは大騒ぎです。
いまさらの話かもしれませんが、ホームステイってその国の中に入っていくの
で、多少ゲスト扱いという部分はあっても、かなり本音に迫れるような気がしま
す。そこでお互いに視野が広がっていく。対人関係はすごく難しいですが、でも
同時にすごく楽しい部分でもあります。そう感じられるようになったら人間は成
長していくんでしょうね。
今日はその人の評価についてのお話です。
■2004年9月30日号■
〜特集〜人財の見極め方 採用の達人が語る
「“そいつ”に社運をあずけられるのか」
「必殺面接人」として毎年30社の面接を担当し、毎年1,000人の学生と会い、1, 000人の採用担当者と会うことを自ら義務づけている(株)ザメディアジョンCEO の山近義幸氏は、人材を人財とするための見極め方を語る。今回はその一部を著 書「“そいつ”に社運をあずけられるのか」から一部抜粋してご紹介したい。
1,挫折体験のない人間は成長しない
学生たちと日曜日に勉強会をしていると、ある学生が「僕のキラーエピソード
は・・・」と繰り返し言っていた。「それは何?」と聞くと、「挫折体験」の意
味だという。学生というのはおもしろい言葉を次々と開発するものだ。
だが、キラーエピソード(挫折体験)は、この「乱世=動乱=大不況」におけ
る人間の判断基準として、かなり重要なキーワードだと思う。自慢話を並べられ
て、それに何の価値があるのか。中途半端な成功体験が、そこまで人を成長させ
るものなのだろうか。
私自身は、不安な気持ちや兄弟の死、学歴へのコンプレックス・・・、いつも
アクシデントというか、学生たちが言うところの「キラーエピソード」ばかりが
思い出される。そして、それぞれが自分を「成長」させてくれるんだな・・・と
思う。
2,筆跡・筆圧にチェックする会社
昔から、「美人に筆の名手はいない」とされていた。その最大の理由は、恋文
を書く必要がないから、書を習う必要がなかったからだそうだ。その真意は別に
して、手書きの文字に、その人間の性格が表れるというのは私も同感である。
●濃い文字と薄い文字(筆圧)・・・やはり情熱が表れる。やる気がないと、自
然に薄くなるものだ。不思議なことに、これはとても整合性がある。
●文字の大きさ・・・小さな文字を書く人は、例外なく神経が細やか。もちろん
これはいいことだが、行き過ぎはネガティブ。自己中心的ということにもなり得
る。
●バランス・・・文字のバランスが雑な人は、整理能力が低いと思う。書類はす
べての基本を表す。整理・整頓ができないと、ビジネスは絶対にシステム化でき
ないものだ。
パソコンの普及で、手紙や文字を書く機会がほとんどなくなったいまだからこ
そ、この「文字」に性格とこの人の未来が出ていると思う。
3,目線が低い奴を採らない
ある社長が言っていた。「山近君。下ばっかり向いてる奴ね、相当すばらしい
学校でもはずしてくれ。会社が憂うつで沈痛になる。それに、こういうタイプの
奴は会社に運をもたらさんのだ」私自身あまり意識をしていなかったので、いや
なこと言うなぁ・・・と、思っていた。ところが、この社長の言われたことは結
果的に当たりだったのだ。
目線が低い人は、心のどこかに影を持っていたり、ネガティブな案件を抱え込
んだりするタイプが多い。周囲のエネルギーさえ、吸い取ってしまうタイプもい
た。これは確かだ。
心に傷を持っている人は、私は嫌いではないし、それこそ「キラーエピソー
ド」だと思っている。ただし、心に影やトラウマを抱えている人はやはりつらい。
4,人は変われるのか!?変われないのか!?
人間は環境によって変わる生き物である。誉められ、鍛えられ、進化(場合に
よっては退化?)していく。しかし、どう努力しても変えることのできない部分
がある。「変えられる部分」と「変えられない部分」にはどんなものがあるだろ
うか。
【変えられる部分】●あいさつや言葉使い●姿勢●声の大きさ●表情●作業のス
ピード●行動パターン●各種常識&マナー
【変えられない、あるいは変えにくい部分】●気の利き方(気配り)●清潔さ●
思考パターン●癖●コミュニケーションスキル●身だしなみ(できそうでできな
い)
こういうことをしっかりチェックするのが「面接」だ。おわかりだと思うが、
変えることができるのは外見の部分が多い。「心(内面)」の部分は変えられな
い。
たとえば接客する際に、清潔感がなく気の利かなさそうな学生は、優秀であっ
ても絶対に採用してはいけないし、元気はよいがマナーに少し欠けるような学生
は、ビジネスマンとしての常識を叩き込むことで、十分な戦力になる。
人間の品格と風格と人格を作り上げているのは、「生い立ち」「出会い」「事
件」の三つである。だから、その人が人財になり得るのか、人罪に成り下がるの
かについて、私は心と実績が重要だと訴えてきた。親に対して、生い立ちに対し
て、現実から逃げずに自分が正面から見つめているか、そしてどんな環境下に生
まれたとしても、親を尊敬しているか。
世間では、悲しい事件が起きている。そのすべてが、例外なく、親子関係に疑
問符がつくものばかりだ。成長期間に、いろいろな親子関係があるのは当然だが、
その一つひとつを責めたり、逆に過大評価したりする気にはなれない。ただし、
その家庭(過程)を経てどう成長したか、つまり、いまがもっと大切なのである。
皆さん、こんにちは。9月って結構忙しい月ですね。夏休みが明けて2学期が
始まる。運動会。敬老の日と秋分の日。お彼岸。そして上期の決算。これに季節
が変わり目で衣装替えの準備と秋雨前線で不順な天候。ホッと一息ついた時には
秋本番だったりします。こうやって時間は過ぎていくものなんですね。時間と言
えば、大阪で開催された万国博覧会って皆様の記憶にあるでしょうか?大阪万博
の開催は1970年昭和45年です。私はやや太目の小学校6年生でした。家族
と一緒に何時間も並んで月の石を見た記憶があります。当時は、日本国上げての
万博(ばんぱく)でしたが、最近、オリンピックも含めたこの手のイベントは国
中の熱気が以前ほどではなくなったような気がします。それだけ日本人が豊かに
なり、価値観も多様化してきたといわれます。確かにそれは成熟した社会と言え
るのでしょうが、以前の空気が単純だけど、みんな素直に喜んでいたという部分
もあり、懐かしいというだけでなくしっかり元気を感じる良い時代だったような
気がします。難しいなあ・・・。
とにかく、季節の変わり目です。こんな時は体調も崩しやすい時ですから、し
っかり予定表を確認しながら準備を進めてまいりましょう。
■2004年9月21日号■
〜特集〜万博に見る未来の鍵
1867年日本政府(江戸幕府)として初めての第二回パリ万博に出展してから138 年。また、1970年大阪で開かれた日本万国博覧会から35年が経過した2005年に愛 知万博が開催される。万博はいつの時代もすべての人類が到達した進歩を表現し、 産業、技術、人、国に影響を与えてきた。今回は、懐かしい大阪万博を振り返る と同時に、開催が待たれる愛知万博の見どころをレポートし、何が進化したのか、 また、未来に通じる鍵は何なのか思いを馳せてみたい。
1,テーマは「人類の進歩と調和」太陽の塔、月の石・・・
今から35年前の1970年、大阪の千里丘陵にアジアで初めての万国博覧会が開催
された。高度成長期真只中に開催された大阪万博は、成長著しい日本を象徴した
エネルギーに満ち溢れた博覧会であった。
太陽の塔、月の石、ブルガリア館のヨーグルトetc当時の日本人には、すべて
が目新しく未来を予感させるエキサイティングなものだった。その証拠に1日の
最高入場者数は83万人、入場者数は延べ約6,421万人(内外国人入場者約170万
人)という未だに破られていない記録を残している。(ちなみに、愛知万博の予
想入場者数は1,500万人、平均15万人/1日である)その集客の一翼を担ったのが、
月の石であった。万博の目玉商品とされ、アメリカ館でアポロ12号の持ち帰った
大人のこぶし大の石が大人気となった。アポロ12号の乗組員も来日し同館を訪れ
月の石と再会を果たした。アポロ12号の石は嵐の太洋から持ち帰ったもので重さ
は約930グラムもあったといわれる。1969年、人類がはじめて月面に降り立った
というニュースがまだ新しい当時、連日宇宙のロマンを感じさせる“月の石”見
たさに長蛇の列ができた。
また、ブルガリア館のヨーグルトが、後の“明治ブルガリアヨーグルト”を生
みだしたことは有名である。それまでの日本のヨーグルトといえば、牛乳プリン
のようなものだったが、同パビリオンで出されたヨーグルトは全く違う代物だっ
た。明治の開発者は足繁く通い、大使館にもお願いに行きヨーグルトの種をもら
うことに成功した。その後、商品化に向けさらなる努力が重ねられ誕生したのが、
明治ブルガリアヨーグルトである。国名を商品名にすることを許したブルガリア
は、そのできあがった商品を絶賛したというエピソードが残っている。
2,「人類の進歩と調和」から「自然の叡智」へ
目下、名古屋東部丘陵地に愛知万博の長久手会場と瀬戸会場が建設中である。
総面積173ha(東京ドームの約10倍強の広さ)総工費1350億。エントランスやグ
ローバル・ループとよばれる歩道は、まだ全容を表していないが、各パビリオン
はほぼ完成し、高台から臨むと土煙を立てながら工事車両が行き交う中に会場の
青写真を見ることが出来る。
2−1 循環型社会
環境への配慮から博覧会終了後には、場内で使用された建築資材はすべてリサ
イクルされ、建設のため移動させた植物はもとの丘陵地に植え替えるという。箱
もののパビリオンは、東南アジア各地等の住居施設などにすでに嫁入り先が決ま
っている。会場はもともとオオタカの生息地で、赤松の繁る自然が豊かな丘陵地
である。博覧会終了後会場は公園などにせず、一切をもとの自然な状態に戻し、
文字通り「循環型社会」を実行するという。
2−2 絶滅動物に宇宙、生命の情報と連鎖を見る
大阪万博が月の石なら、愛知万博の目玉は日露共同プロジェクト、総事業費10
億円の世界初の冷凍マンモスの展示である。ロシアの永久凍土から発掘したマン
モスの成獣は牙だけでも3.2mもあるという。マンモスがなぜ絶滅したのかという
理由は未だ確定されていないため、発掘から展示に至るまでの間、未知の病原菌
やバクテリアなどがいないとも限らないという理由から、展示にあたっては、冷
凍マンモスを一度解凍しきれいに洗って消毒してから再度凍らせるという手順を
踏むのだというが、この展示は、多くの動植物がマンモスと同じように絶滅の危
機に瀕しているという現実を考えさせられる警鐘になるかもしれない。
2−3 “わざ”と智慧 明日を創造する技術の可能性を体感
未来の最先端技術として超ワイド・シームレス・スクリーン(2005インチ=
10m×50m)や無人走行バス、磁器で浮いて走るリニアモーターカー等がある。そ
の他、自ら話し行動できる家庭用ロボットや、パートナーロボットなどが次世代
のビジョンを見せてくれる。
また、入場券は、米粒よりも小さい0.4mm角の世界最小の超小型ICチップが埋
め込まれ、個人情報がインプットできるため、インターネットからパビリオンの
予約ができる。ソニーやトヨタなどの前評判の高いパビリオンは、通常2〜3時
間待ちが当たり前と予想されているが、チケットを入手し事前に予約をしておけ
ば待たずに入館することができる。
大阪万博から、技術はどれだけ進化したのだろうか。当時、夢のように感じた新 技術も今となれば別段珍しくもないように、愛知万博で私たちを驚かせてくれる あらゆるものも、やがては当たり前となり、人はさらなる夢に挑戦するのかもし まうのかもしれない。国際博覧会は5年毎に開かれるが、2010年上海万博後の開 催地は未定である。愛知万博後、日本で開催されるのは、30年後とも40年後とも 言われている。
皆さん、こんにちは。9月も半ばですが、日中の気温はまだ30度を超えて真
夏のような天候が続いています。いかがお過ごしでしょうか?
今の旬の話題と言えば、プロ野球のストライキです。圧倒的に選手を支持して
いるのが世論のようですが、信じられないのは、経営者側の対応です。しかし、
彼らは真剣に自分たちは正しい、一体選手たちは何を考えているのだろう?と本
当に思っていると思います。これって一種の喜劇ですが、でも当事者にとっては
悲劇です。実際今後プロ野球がどうなっていくかわかりませんが、国民にとって
希望が持てる内容で解決していくことを望みます。
さて、今回はプレゼンテーションのお話。仕事をしている中で、相手(取引先、
社内のスタッフ、同業者等々)とのコミュニケーションの取り方ってとても大切
ですね。ちょっと時間を取って考えてみませんか?
■2004年9月10日号■
〜特集〜ビジネスプレゼンテーション
「聞く力」で質疑応答を乗り切る
スピーチやプレゼンテーションの席で、多くの人が最も恐れるのは、台本のな い一幕、つまり最後の質疑応答である。答えられない質問が出てきたらどうすれ ばよいのか。質問者に敵意を向けられた場合にはどう振る舞えばよいのか。ス ピーチの真価はここで問われる。質疑応答をうまくさばけるかどうかは、話し手 に「聞く力」が備わっているかどうかにかかっている。言うまでもなく、聞く力 は後天的に開発可能なスキルである。しかし、ほとんどの話し手があまりよく理 解していないスキルでもある。聞く力のレベルは次ぎの五つである。
- フィードバックする
- 質問を言い換える
- 問題をクリアにする
- 親身になって聞く
- アクティブ・リスニングを実践する
1,レベル1 フィードバックする
たとえば、あなたは新しいソフトウエアの開発を担当するシニア・マネジャー
であると仮定しよう。その製品の発売は遅れており、しかも当初の開発予算を大
幅に上回っている。そこで、「部下たちを集めて、何らかの希望を与えてやって
ほしい」と頼まれる。前途は明るいと。あなたは期待通り無難にプレゼンを乗り
切り、さて質疑応答である。
質問してきたのは、後部に座っている穏やかそうな社員だ。「理由を聞かない
ことには、あなたの言葉を信じることはできません。同じような話は経営幹部か
らもう何ヶ月にもわたって聞かされてきました。我々には、支援が必要なのです。
それから、お役所仕事のような手続きはバッツサリ切ってもらいたいのです」。
フィードバックするあなたの答えはこうだ。「先ほどお話したように、我々はも
っと人員を手当てするつもりでいます。このプロジェクトに投資できる金は底を
ついています。そして煩雑な手続きについては、すでにできる限り削除したと考
えています。何と言っても、我々は日常の雑事から逃れられるように、あなた方
を別のビルに移したではありませんか。はい、次の質問はありませんか」
これは回答ではなく、応答である。表面上は非の打ちどころがないフィードバ
ックである。ところが質問者の態度に対処するという点ではほとんど効果に乏し
い。
2,レベル2 質問を言い換える
聞く力が第二のレベルに達すると、質問者が指摘した点を反映させながら、そ
の質問を言い換えられるようになる。「ということは、支援を増やし、お役所仕
事的な手続きを減らすことこそ、本来必要であるにもかかわらず、私は単にお上
の方針をオウム返しに話しているだけである、とあなたは思われたのでしょうか。
おっしゃっているのはこのようなことですか」
このように言い換えると、どうなるだろうか。質問者はおそらく「そうです」
と答えるだろう。まず、同意させるのである。そうすれば、レベル1で述べたよ
うなフィードバックを与えても、少なくとも、多少なりとも素直に受け止める聞
き手に変えることができたのではないだろうか。なぜなら、彼の質問を言い換え
ることで、「そうです」と彼をうなずかせることができたであろうからだ。ただ
し、これよりもさらに効果的な方法がある。
3,レベル3 問題をクリアにする
第三レベルの答えはこうだ。「ということは、あなたがおっしゃっているのは
支援が必要な問題が主に二つあるというわけですね。一つに人数が十分ではない。
そして煩雑な手続きが多すぎるということ。この場合、最初の問題がおそらく最
も重要ですよね。違いますか」
ここでも、質問者と一定水準の合意に至っていることがわかるだろう。ただし、
このように問題を特化することで、さらに一歩前進している。話を進めながら、
自分が臨機応変に対応しており、根本的な問題を解決すべく努力していると聴衆
に示すことができたのだ。こうすれば、質疑応答の時間をもっとうまくコント
ロールできる。
4,レベル4 親身になって聞く
第四のレベルは親身になって聞くことである。質問者の感情を理解しているこ
とを示すのだ。「実は私にも同じような経験があります。忘れもしません。92年、
私はある新興企業で働いていました。まったくの人手不足のうえに、官僚主義で
ガチガチでした。あなたたちがどのような気持ちで働いているのか、よくわかり
ます」親身になることで、他の聞き手にも質問者の立場を理解できるということ
が示せる。この点で、最初の三つのレベルよりも計り知れないくらいに有利であ
る。
ただし、親身に受け答える際には、そもそも質問より長引かないように注意し
よう。さもないと、偽善的に響くこともないとは限らない。
5,レベル5 アクティブ・リスニングを実践する
アクティブ・リスニングとは、質問者の言葉の裏にはどのような感情が隠され
ているのかを探り出すことである。この聞く力は、最も効果的な対応となりうる。
なぜなら、そもそも質問のきっかけとなったのは、その言葉の背景に潜んでいる
感情であることが多いからである。
「たいしたサポートが得られないために、孤立無援だとお感じになっているよう
ですね。こんなに一生懸命に努力しているのに、得られるものといえば、お役所
のように煩雑な手続きばかりとしか感じられない。ですから、言わば欲求不満に
陥っている。そういうことですか」
もし質問を正しく聞き取れたのであれば、おそらくここで、質問者の心の底か
ら「そうなのです」という答えが返ってくるだろう。質問者の感情がどのような
状態にあるのか、これを正確に把握することで、そのような気持ちになるのも無
理はないと認めてあげたわけだ。質問者と同じ目線に立ったばかりでなく、実際
に彼が受けた傷を癒し始めている。一般にはみとめられることのない感情を指摘
したことで、それを解き放ち、前向きに対処できる状況をつくり出した。
■最善の対応に向けて
では、もし答えられないような質問を受けた場合、どうすればよいか。正直に
答えることだ。質問者に、「いまのところはわかりませんが、喜んで答えを見つ
けてきましょう」と告げるのだ。もしくはその質問を聴衆に投げかけて、意見を
求めるというのも一つの手だ。また、もしだれかが敵対的な態度を示してきた場
合、どうすればよいのか。その怒りを認識するためにアクティブ・リスニングの
力を活用しよう。敵意を抱くようになった理由を突き止めるのである。礼儀正し
く、ただし毅然とした態度で次に進むのである。
質疑応答の時間をだれかに独占されるのを、どのように妨げばよいのか。質問
が一分以上続きそうならば、ていねいに中断する。「失礼ですが、時間が迫って
います。ほかの方もご質問がおありでしょうから、ここで切らせていただいて、
その範囲でできる限りお答えします」、あるいは「時間がほとんどなくなってし
まいましたので、終了後に別途、必要なだけ時間を取ります」と伝えて、いった
んストップさせるのだ。
最善の答えは「聞く」ことから生まれる。質疑応答を上手にこなす出発点は、
まず話し手がプレゼンテーションや講演は聴衆のものであるという点に気付くこ
とである。(ハーバード・ビジネス・レビューより抜粋)
皆さん、こんにちは。特に夏休みをいただいていたつもりはないのですが、つ
い送りそびれてしまい、3号まとめてお送りすることとなりました。
ついに8月が終わってしまいました(1時間と少し経過)。今年はオリンピッ
クに台風と今年の夏休みは大変でした。高校野球はいつ終わったんだろう?とい
う感じですね。プロ野球は論外です。皆様にとって今年の夏はいかがだったでし
ょうか?
わが家では、子どもたちが高校・中学と進学し、クラブに補習とほとんど毎日
出かけてしまい、いつものようなグーたらな夏休みにはなりませんでした。しか
も、わずかなお盆休みもハワイ島に出かけてしっかりリゾートに浸り(マウナケ
アからみる夕陽は絶対一生モンです。強く推奨!)、ハードでした。おっと、レ
ポートが送れなかった理由がはっきりしてしまったか???
そんな楽しい話も忘れて改めて9月です。秋はそれなりに気が引き締まります。
まだまだ暑い日が続き、これからは夏バテが気になるシーズンですが、何とか乗
り切っていきましょう!
では、少し長いので、以下のレポートはお暇な時にお読み下さい!?
■2004年8月10日号■
〜特集〜万博の歴史と未来
「万博の父」と呼ばれているイギリスのビクトリア女王の夫アルバート親王は、 「万博は、すべての人類が到達した進歩の表現であり、また今後の努力を方向づ ける出発点である」と万博を定義づけている。折しも、2005年には21世紀最初の 万博が日本で開かれるが、今回は万博の歴史を紐解きながら万博の果たしてきた 役割を振り返ってみたい。
1,世界初の万博 ロンドン万博
1851年、人類の英知を結集し、文明の到達点を示す万国博覧会がロンドンで初
めて開催された。長さ約564mの鉄骨とガラスでできた巨大な温室のような建物は,
クリスタルパレス(水晶宮)と呼ばれ,ロンドン万博のシンボルとなった。
時代は、産業革命真っ盛りであった。ワットの蒸気機関やファラデーの電気研
究、製鉄手法の改良などによって、新しい時代へ向かって世の中が加速度を上げ
ていた頃で、産業革命の中心地であるイギリスを一目見ようと、世界中から人々
が集まった。国の威信をかけたテクノロジー展であり、産業展であり、ワールド
ワイドなマーケティングのメディアでもあった。
第一回ロンドン万博の出品物には、目覚まし時計や、シャワー付き風呂、輪転
機(簡易印刷)などがあった。また、産業化・工業化だけではなく、生活をより
豊かにするための製品が披露されたことも特徴的であった。アイデアをカタチに
することによって、より具体的な未来の生活シーンが人々の消費意欲、勤労意欲
をかきたてたのだ。今までの一次産業のような成果物を作り出すのが精一杯でゆ
とりをもてなかった時代から、生活に潤いを与えるための消費材、つまり夢のあ
る生活を実現するテクノロジーの産物が、このロンドン万博の成功以来、継続し
て出品されることになった。農業化社会から工業化社会へと移り変わろうとする
この時代に万博が生まれた背景の一つには、来るべき理想の世界の縮図を、一日
で擬似体験できるショウケースの場としての意味合いがあった。来るべき新しい
テクノロジーの波とそれに呼応して変化する社会を見事にイベントとして成立さ
せたのが「万国博覧会」だったのである。
2,日本の万国博覧会時代 ジャポニズムを生みだした日本工芸
1867年の第二回パリ万博から、江戸幕府が初めて参加し、日本は西洋を貧欲に
吸収し、西洋は日本を驚きの目で迎えた。これら万国博覧会の会場で、最も強く
日本を印象づけたものは、優れた技に支えられた漆器、陶磁器、金細工、七宝な
どの工芸品であった。また、「浮世絵」などの美術品の出展は、パリの印象派の
画家に大きく影響を与えた。もしもパリ万博で「浮世絵」が渡っていなければ、
印象派は存在しなかったのかもしれないとさえ言われている。イギリスの画家レ
イトンは、「甘美なるもの、柔らかくてきれいなものの効果が、怪奇なものによ
って高められており、しかもすべてが調和している」と、日本の展示品を賞賛し
たという。このような日本の美術品、工芸品への賛辞が5年後のパリ万博や11
年後のウィーン万博ではさらに増幅され、ヨーロッパ各地でジャポニズムを流行
させていくのである。まさに西洋と東洋の文化の融合である。その後の明治維新
にみる文明開化は、万博が原動力になり日本の西欧化を牽引することになり、
アールヌーボー、アールデコの世界を追随していくのである。
3,拡大化する万博と市場拡大効果
1851年のロンドン万博の成功後、世界各地で万博という新時代のショウケース
事業は隆盛を誇るようになる。同時にその開催の歴史は、産業革命の伝播に大き
く関与していき、現在の見本市やトレードショウの機軸となった。また、万博開
催時に照準を合わせて、各社が新技術を発表することによって、世界的な広報メ
ディアとしての価値も持つようになり、オリンピックと同様に都市そのものも世
界にPR可能なメディアとなった。
例えば、1853年、ニューヨーク万博で安全装置付きのエレベータが登場し、
ロープが万一切れても事故にならないような大掛かりなデモが展開される。それ
をきっかけにして、万博の仕掛けは、パビリオンの構造も含め、年々巨大化して
いった。また、1855年の第一回パリ万博では、ナポレオン3世が、出品されたも
のが購入できるというシステムを導入した。この展示即売システムは、百貨店の
販売システムへと進化していくこととなった。また、この万博で品評会が開催さ
れ、選ばれた製品にはオリンピックのようにメダルが与えられることとなり、香
水の「ゲラン」、ガラス食器の「バカラ」、銀食器の「クリストフ」などがメダ
ル授与によってブランド化していった。
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万博は、テクノロジーの進化による夢の実現を証明してきたともいえる。21世
紀の万博がさらなる未来をどのように表現するのか興味深い。ちなみに、現在、
東京国立博物館では、2005年日本国際博覧会開催記念展として、世紀の祭典 万
国博覧会の美術〜パリ・ウィーン・シカゴ万博に見る東西の名品〜が開催されて
いる。興味のある方には、一見の価値ある特別展である。
■2004年8月20日号■
〜特集〜ビジネスプレゼンテーション 話し方の鉄則
プレゼンテーションとは、自分の意見やアイデアを説明し、相手に理解と納得 をさせ、最終的には自分の意図した結果を得るための積極的な行動である。略し て、プレゼンと呼ばれる。プレゼンには必ず聞き手が存在し、話し手は、説得力 のあるプレゼンができるかどうかで、ビジネスの正否が決まると言っても過言で はない。その説得力に直接大きな影響を及ぼすのが、話し方である。今回は、公 の場のプレゼンだけでなく、日常のちょっとした交渉にも役立つ話し方の鉄則を 特集する。
1,自分の言葉で話す
流暢に話すだけのプレゼンは、スマートに見えるかもしれないが、聞き手の心
に深くは残らない。内容をしっかり理解し自分の言葉に置き換えて話す方が、話
し手の人柄も伝わり、印象に残りやすい。自分なりの考えを加えてみるのも面白
い。事実の説明ばかりでは、ただの報告になってしまうからである。ただし、そ
の際、どこまでが事実で、どこまでが自分の見解かをはっきりとわかるように話
さないと誤解を生む。また、「思います」を連発するのは不信感を抱かせるので、
バリエーションに富んだ表現を工夫する必要がある。意見を述べるときには以下
のような表現がある。
・ 〜だと思います・〜と考えられています・〜と考えています・〜であると言
えるでしょう・〜ではないでしょうか?(聞き手に呼びかける)・〜という感想
を持ちました・〜という意見です
また、自分の強い思い入れを話すと熱意と共に聞き手の心情に残りやすい。
・必ず〜であると確信しています・〜であることを思ってやみません・〜であ
ると固く信じています。
プレゼンはパーソナリティーの勝負でもあるので、時には方言も場を和ませる
ことがある。
TPOに合わせて、自分を生かす個性を考えることが重要である。
2,適切な用語で話す
プレゼンの目的と内容に合った適切な言葉遣いや用語で話す。鉄則は以下の通
りである。
・適度にくだけた日常語で話す・短文で話す・社内用語を使わない。
・略語、専門用語を使うときは、説明するか注釈を付ける。
また、前に立って話すからには堂々と話す。あまりかしこまり過ぎたり、へり
くだり過ぎるのもかえって耳障りである。失礼にあたらない程度にくだけた日常
語で話すとよい。
例)プレゼンを開始するにあたって名乗る場合。
○「本日プレゼンを担当する○○○○です。よろしくお願い申し上げます。」
×「このような高い席からはなはだ失礼ではありますが・・・」
×「私のような若輩者がお話するもの失礼かと存じますが・・・。」
×「人前でお話しするのは苦手なのですが・・・。」
プレゼンに限らず、耳から入る言葉は、短文で話すことを心がけたい。文章を
「・・・です」「・・して、それから・・・」「・・・ですけれども・・・」な
どと、だらだらつなげて話すと、話のポイントがつかみにくい。日頃から短文で
区切って話す癖をつける。
○「御社にはAシステムをお勧めします。理由は、第一に現在の業務フローを
大幅に改善できるからです。第二には、コスト面でご予算の範囲に収まるか
らです。」
×「御社にはAシステムをお勧めするのですが、その理由は、第一に現在の業
務フローを大 幅に改善できるからということがありますし、それから第二に
は、コスト面でご予算の範 囲に収まるからです。」
3,適切な速度・声量・発音で話す 自分の話し方を聴きながら話す!
速度、声量、発音に変化を付けることで、メリハリが感じられる話し方になる
ので、自分が今、どのように話しているのかを常に聴き分けながら話すと、話し
方は格段に上達する。
また、重要なポイントを話すときには速度を落として、ゆっくりと念を押すよ
うに話すと印象的である。一方、補足説明を話すときは、ややテンポを上げて話
すのもよい。説明の時間配分を失敗して最後の方が全部早口になってしまった、
という状況をよく見かけるが、これは慌ただしい印象を残すだけで情報は十分に
伝わらない。時間がなくなったときは説明内容を重要な点に絞って調節し、最後
まで落ち着いて話すようにしたい。
声量も、最初から最後まで同じ調子で声を張り上げていては単調である。重要
なところは声量を上げてはっきりと話したり、楽しませるプレゼンのような場合
は、ポイントをわざと小声で話して聞き手の注意を引く場合もある。プレゼンは、
聞き手に伝わったぶんだけが伝えたことになる。日頃の会話の中で、言葉や話し
方を常にシェイプアップ(無駄を省く)する癖をつけることが、説得力を高め、
プレゼン力を上達させる最も近道と言える。
■2004年8月30日号■
〜特集〜ビジネスプレゼンテーション 3分プレゼン
中小企業の社員向けにプレゼンテーション(以下プレゼンと称す)の研修をし たところ、絵に描いたようなプレゼン(パソコンとプロジェクターを駆使しスラ イドを使って大勢の前で発表する)の経験のある人は極僅かであった。たまたま 研修に参加した多くの人は、大舞台でのプレゼンはおろか、人前で自分の意見を 述べたり説明したりすることすら、そう数多くある経験ではないという。彼らの ほとんどが、プレゼンは自分たちの業務からは遠いところにあり、直接は関係の ないもの、または積極的に身につけなくてもいい技術だとのんきに構えている人 が多いように見受けられた。しかし、本当にそうだろうか?前回のレポートでも 述べたように「プレゼンとは、自分の意見やアイデアを説明し、相手に理解と納 得をさせ、最終的には自分の意図した結果を得るための行動である」とするなら、 無縁の人はいないはずである。普段の電話1本のやりとりにもプレゼンテーショ ンスキルが高いと低いとでは、雲泥の差が出てくるのは必至である。今回は、プ レゼン経験の少ない人のためのスキルを高める訓練の方法をレポートしたい。
1,3分で自社のプレゼンをしてください
特に準備も資料もなく「3分で自社のプレゼンをしてください。ただし、A4用
紙一枚だけ自由に使っていいです」と言われたら、貴方ならどう対処するだろう
か?しかも、初対面の人間数十名を目の前に。
多くの人が陥るのは、あれもこれも話そうとして、支離滅裂になって3分が終
わるというパターンか、逆に半分も時間が経過しないうちに、何を喋っていいか
わからなくなって、あえなく終了というパターンである。たった一つの資料とし
て使うことを許されたA4用紙は生かし切れず、何もインパクトを与えることなく、
会社名すら満足に聴衆にインプットできず、後悔の念とともに演台を後にするの
である。そして、失敗した多くの人はこう考えるようだ。「もっとたくさんの時
間があったなら、時間を気にせずうまく話せた」「もっと準備が十分に出来たら、
説得力のあるプレゼンができた」「もっと資料があれば、わかりやすい説明がで
きた」。いずれも頷けるが、ではそれらの「もっと・・・」があれば、本当に理
想のプレゼンができるのだろうか?
2,プレゼンはスピーチで決まる
プレゼンの成否を決めるのは、「何をどのように話すか」である。考える手順
としては、例えば、まず自分が一番聞き手に伝えたいことを決める。そして、そ
れをどのように伝えたら、より効果的かを考える。次ぎに、時間内で納めるには、
どの程度の話の肉付けが出来るのかを検討する。このときに、多少削ってもいい
話、絶対削れない部分、時間調整のための補足部分を分けておく。ここまで、考
えがまとまれば、スピーチの初めの30秒の話し方や導入部分に工夫をこらす。
導入部分は初対面と一緒。どう相手に印象づけたいか、どんな話で相手の気持ち
をこちらに傾けるかを考察するのである。最後に、終わり方を考える。最も印象
に残したいことを念押しするのが引き際である。どんな言葉でどんな風に終える
のかをイメージする。
「もっと時間があれば・・・」というのは、ほとんどの場合、言い訳にすぎな
い。3分でまとまらない話が、10分でまとまるとは思えない。逆に言えば、3分
でまとまる人は、10分でもまとまるのである。構成の骨組みは同じである。
ただし、注意したいのは「立派な原稿ができても、必ずしもいいスピーチには
ならない」ことである。何度も繰り返すようだが、「どのように話すか」が大事
なのである。例え、原稿を見ながら一言一句完璧に話すことができても、聞き手
はその人から感銘や共感を得ることはできないことが多い。文章を言葉にして伝
えるには内容以外の要素(態度、表情、視線、しぐさ、声の調子、服装、髪型な
ど)も大きく影響しているからである。
3,資料は心強い味方!プレゼンのお助けマン
さて、資料を使う目的はいくつかあるが、いずれも補助材(お助けマン)であ
る。一つは、話だけでは説明しきれないことを図や表にしてわかりやすく解説す
る補助材。もう一つは、自分の方に聴衆を向けるための補助材。そして、もう一
つは自分の台本代わりに活用するための補助材である。パワーポイントなどで資
料を作る場合、資料に力を入れすぎて、話がおろそかになるという本末転倒の結
果を招くことがあるので気を付けたい。
3分プレゼンの際の唯一の資料になるA4用紙は、先に述べた中でどの補助剤に
するかによって使い方が異なる。最も訴えたい一言を大きく書いてもいいし、会
社のロゴを書いてもいい。自分の台本代わりに話の展開のポイントを書いて見せ
てもいい。あくまでもプレゼンをサポートするための補助材(資料)なのである。
是非、3分プレゼンを試してみることをオススメしたい。3分のプレゼンを繰
り返すことによって、自分の思考を整理する回路をつくることができる。たかが
3分と言わず、そこには奥深いプレゼンの極意があるのである。
皆さん、こんにちは。少し早めで夏バテしてしまい、2号まとめてお送りしま
す。申し訳ございません。いやはや、とにかく暑い夏です。今日(30日)は、
台風も近づいているとはいえ、松山で39度近い気温は高すぎますね。正式な記
録は少し低めだと思いますが、私の車では先ほど38.5度の史上最高気温を記
録しました。
「暑い夏」といえば、高校野球と敗戦記念日です。高校野球は暑く燃えなけれ
ばいけないもの。戦争は冷静に考えるべきもの。基本は違いますが、なぜか夏が
似合います。特に、日本の戦争については、イラクのこともあり、深く考えるべ
きテーマだと思います。やかましいセミの声を聞きながら、静かに考えてみませ
んか?
■2004年7月20日号■
〜特集〜一芸に秀でる人のコツ
一般的に「一芸に秀でた人は、全てのことに秀でる」と言われる。例えば、ス ポーツに長けていながら勉学にもその才能を及ばせる人、また、科学者でありな がら芸術にもその才覚を表す人など、いわゆる「何でも出来る人」「上達の早い 人」というのは、物事を上達させるためのコツを掴んでいる。今回はそのコツと は何かを考えてみたい。
1,極度の集中力と極度のリラックスが同時に訪れるとき
ニューヨーク在住のジャズトランペッターである日野皓正(ひのてるまさ)は、
9歳からトランペットを学び、13歳の時には米軍キャンプのダンスバンドで活動
を始めたが、日本でもかつてマスコミに“ヒノテル・ブーム”と騒がれるほど絶
大な注目を浴び、平成13年には芸術選奨文部科学大臣賞(大衆芸能部門)も受賞
し、今や日本だけでなく世界中の人々が一目置くアーティストとしてグローバル
に活躍しているミュージシャンである。
彼は、「人並み外れた集中力と極度のリラックス」が同時に訪れるとき曲がで
きるという。換言すれば、作曲活動をするときはいつもそのような状態になると
いうことである。そして、「自分の頭で考えているのではなく、何かにやらされ
ているような状態で、メロディーが天から自然に降ってくる。一種の霊感(イン
スピレーション)のようなもので曲が出来上がる」とサラリと言う。
こうした集中状態を、天才的なゴルフプレイヤーのタイガー・ウッズは「ゾー
ン」と呼んでいる。例えば、20〜30mのロングパットを決めるとき、彼自身は
「ゾーン」に入っているという。「ゾーン」に入るには、集中力だけでもダメで
ある。また、リラックスだけでもダメである。物凄い集中をしながらも究極のリ
ラックス状態にあるとき、人並みはずれたプレイが出来、神懸かり的な結果が出
せるのだという。
2,集中力と持続力
作家村上春樹の場合は、走ることを日常の習慣にすることにより集中力を支え
る。厚い本を書くには集中力の持続が必要で、持続させるための基礎は肉体にあ
るという。なぜなら集中力と持続力は、コインの裏と表のような関係で、どちら
も鍛えれば互いを高め合うからだという。彼は4年間かけて書いた作品について、
次のように語っている。「三ヶ月集中して書いては、フッと抜く。少し時間あけ
て別のことをやって、また三ヶ月こもる。そうじゃないと身が持たないから。で
も三ヶ月集中するといっても、キモの部分はほんの二週間なんだ。大事なことは
ほとんどその二週間で決まってしまう。その二週間に行き着くために、その前の
二ヶ月半をやるわけ。これは、長距離ランニングと同じ。要するに持久力。持久
力が集中力を支えて、その結果キモの部分の集中が来る。では、そのキモの部分
に入って行くにはどうするかというと、とにかく毎日決まった時間に書いていく。
乗りが悪くても良くても、辛くても、楽しくてもどんどん書く、そうするとだん
だん、ここがツボだと思うところに来る。そうすると入っていく。でもそこに入
るためには体力がないとだめ。その前の2ヶ月半のガマンが続かないから」。二
週間のキモの部分の集中に入るために、その前の二ヶ月半ぐらいのガマンが必要
であり、そのためには体力が重要なのだということである。二ヶ月半の助走期間
を経て、ゴールデンタイムの高い集中状態が訪れるということである。
3,集中に入るためのスタイルをつくる
凡人は往々にして、天才は天性のもので、努力せずとも生まれながらにして、
なにがしかの才能を持っているのだと考えたがるが、実際には「99%の
perspiration(汗)と1%のinspiration(ひらめき)」だと言われる。これは、1
%のinspirationを得るためには、99%のperspiration、即ち努力が必要だという
ことのようである。もし、天性の才能というものがあるなら、「努力出来る才能
がある」ということになるのかもしれない。
先に挙げた日野皓正(ひのてるまさ)の「人並み外れた集中力と極度のリラック
ス」も、集中力を持続させる努力が基盤にあってこその賜物であろう。タイ
ガー・ウッズしかり、村上春樹しかりである。
ただ、大事なことは高い集中のツボが来ることを確信できているということで
ある。その確信によって、そこに行き着くまでの助走段階を耐えることができる。
そして、その確信を持つ人は、一様にそれぞれ自分自身がどうやったら、ツボに
入れるかというスタイルをシステム化してしっかりと体得しているということで
ある。そして、そのツボを技として身につけた人は分野が変わっても、上達でき
るポイントを掴むのが早いのである。
平凡なようだが、たゆまぬ地道な努力の果てに自分自身の霊感を呼び覚ます領
域があることを信じて努力し続けること。それが、上達のコツといったところだ
ろうか。
■2004年7月30日号■
〜特集〜ポツダムの真実
8月6日が近づくと広島市内はにわかに慌ただしくなる。広島市中区にある平和
記念公園には、毎年この時期になると日本のみならず世界各国から観光客が集ま
ってくるからだ。原爆資料館には、毎日のように入館待ちの長蛇の列ができ、平
和記念式典当日は数万人もの人が訪れる。しかし、そんな現状とは裏腹に「日本
とアメリカは、戦争したんですか?」と質問する世代が育ってきているという。
第二次世界大戦の過酷な歴史をくぐった世代は、やるせない思いに駆られるだろ
うが「ポツダム」という呼称は日本人にとっては、とても重々しい響きを持って
いる。まして、広島に生まれ育った者にとっては。
今回は、8月6日を後目に戦後処理がなされたポツダム会談について特集したい。
1,ツェツィーリエンホーフの18日間
ポツダム会談は、1945年の7月17日から8月2日まで、ツェツィーリエンホーフ
で開かれた。それは町の北に位置し、ユングフェルン湖沿いにたたずむ美しい館
である。館はプロイセンの皇太子ヴィルヘルムとツェツィーリア妃の住居として
建てられ、1918年第一次世界大戦の敗北でドイツ皇帝が退位し、ドイツ帝国が崩
壊する一年前に完成した。
ポツダム会談の参加国はアメリカ、イギリス、ソ連の三国で、当時は「対ヒッ
トラー連合のビッグ・スリー」といわれた。
会談の議題はもっぱら「ドイツ問題」だった。「プロイセン地域(現在はほと
んどがポーランド)、シュレジア地方(現在のポーランドとチェコの一部)、ズ
デーデン地方(チェコ)からドイツ人居住者をドイツ国内に移す」「ベルリンか
ら八十キロ離れて流れるオーデル・ナイセ川をドイツとポーランドの国境と定め
る」ことが主な議題として話し合われた。日本はすでに盟友のイタリアもドイツ
も失い、太平洋で孤独な戦いを続けていた。
2,「赤ん坊が生まれた」
会議が始まる前日(7月16日)、アメリカ大統領トルーマンは原爆の完成を意
味する「赤ん坊が生まれた」という暗号電報を受け取った。会談が進行中の7月
26日(10日目)、アメリカ、イギリス、中国の三国が日本に無条件降伏をうなが
した。これが「ポツダム宣言」である。日本は二日後に黙殺を言明、四日後の8
月6日に一発目の原爆が広島に投下され、その二日後ソビエトが対日戦に参加、
次の日に二発目の原爆が長崎に落とされた。日本は力尽き、一週間後に敗戦を迎
えた。
トルーマン大統領が原爆投下の命令をだしたのは、会談が終わってアメリカに
帰国する直前(8月2日)といわれているが、投下の意志を固めたのはもっと早く
7月22日あたりではなかったかと推察されている。この日の午後トルーマンはチ
ャーチルを宿舎に招待して一時間ほど話しをしているし、チャーチルもその後、
英国下院での演説で「二人で決めた」と説明しているからである。スターリンに
はツェツィーリエンホーフでの会議が終わり、会議場を立ち去る直前にトルーマ
ンが告げたようで「スターリンは大喜びの様子だった」と、チャーチルは回顧録
に記している。
3,日本の運命を決めた場所
このように日本の運命に関する問題、「(日本への)ポツダム宣言」「原爆投
下」「ソ連の対日戦への参加」は会議の席ではなく、もっぱらアメリカとソ連の
首脳がおたがいの宿舎を訪れて話し合い、個別に決定されたと言っていいだろう。
英国は無視された。
ビッグスリーの宿舎は、すべてノイバーベルスベルク地区にあった。ポツダム
旧市街の東にあるグリーニッツ湖沿いの一帯で、初代ドイツ皇帝ヴィルヘルム一
世の別荘バーベルスベルク宮がある。別荘は現在公園になっている。
「日本に関する問題」が話し合われた米ソ首脳の宿舎跡、ならびに英国首相の
宿泊所は修復され、アメリカ大統領の宿舎は当時リトル・ホワイトハウスと呼ば
れた。リトル・クレムリンもリトル・ダウニング十番街もないところに、その頃
の傑出したアメリカの力を感じる。
ちなみにツェツィーリエンホーフは第二次世界大戦後、ソビエト軍の管轄下に
入った。占領中は将校クラブとなり、そのときの名残りは中庭の花壇に赤い花で
描いた「赤い星」に見られる。館は1951年に旧東ドイツ政府に返還され二年後か
らは一部博物館となり、さらに七年後からはホテルとしても使用された。ドイツ
再統一後、ホーエンツォレルン家は二度所有権を申し立てたが却下され、現在は
ブランデンブルグ州の財産になっている。(日経BP社発行誌より一部抜粋)
皆さん、こんにちは。四国地方でも梅雨が明けました。先日の日曜日、わが家
の猫の額状の庭がさすがに雑草だらけになったのできれいにしていたところ、木
の葉っぱについた毛虫に刺されてしまいました。応急処置で何とか腫れなくて済
んだのですが、ホントに小さな庭でも自然の一部なんですね。改めて感じました。
ところで、注目の参院選挙が終了しました。自民党の退潮ぶりが何となく新し
い政治の予感を感じさせます。このまま民主党が政権を取るとも思えないのです
が、とにかく何か変わっていくような気がします。考えてみれば、私が物心つい
たときには、野球は巨人、政治は自民党でした。深く結びついている両者ですが、
ここに来て破綻を思わせる出来事が続いています。今日はそんな時代を感じさせ
る話です。ちょっと無理なこじつけ???
■2004年7月10日号■
〜特集〜あなたの名刺が変わる
ビジネスシーンで欠かせない名刺だが、今や名刺は二次元バーコードをはじめ、 電子名刺、あぶり出しなど、パソコンやケータイの最新技術を利用し、従来の枠 にとらわれないあらゆるスタイルの名刺が生み出されている。手の平サイズの小 さなカードに、どんな情報をどのように表現するのか、自己表現能力が問われる といっても過言ではない。たかが名刺、されど名刺。「型どおりの名刺が名刺な り」などと構えていると、いつの間にか化石になってしまうかも?今回は、最近 の名刺事情をご紹介したい。
1,「電子あぶり出し」名刺
〜写真を読み取ると目には見えない電話番号やURLなどが表示される〜
ひと昔前、名刺に写真が掲載されているだけでも新鮮だった時代がある。名刺
の片隅に印刷してある自社商品や本人の写真(あまり鮮明ではないにしても)に
「へぇ〜」と、小さな驚きを感じる頃があった。最近では、名刺に印刷された写
真程度で驚く人はいないと思うが、その写真の中に、見えないメッセージが隠れ
ており、あぶり出しになるというとどうだろう?
富士通研究所が、目には見えないがカメラなどで読み取ることが可能な「電子
あぶり出し」技術を開発した。この技術は、色や大きさによって人間の目の感度
が違うという視覚特性を利用して、人間の目では認識できないデータを埋め込む
というもので、1センチ四方程度の小さな画像にも、12桁の数字データを埋め込
むことができるというものである。そのため、デザインを損なうことなく、さま
ざまな情報を提供したり、印刷画像とインターネットなどを連携させた新しい
サービスが可能になる。
雑誌や広告のカラー画像に、電話番号やURLなどの情報を埋め込んでおくと、
それをケータイで読み取ることができる。また、CDジャケットの写真からアーテ
ィストの着メロを簡単に取得したり、名刺の写真から電話番号などの本人の情報
を読み取り、そのままケータイで通話するなど、さまざまな応用が期待できるの
である。
2,電子名刺 〜初対面以前に名刺交換〜
マイクロソフトが開発した電子名刺交換ソフトOffice InterConnect 2004は、日本で企画・開発されたものである。これは、
OutlookのEメール機能を利用して電子名刺を交換するもので、名刺情報をデータ
ベースに入力する労力が省けるほか、情報の更新も簡単に行えるというメリット
がある。また、相手に関するメモ書きや経歴、他の人との関係性などに関する
データも管理可能になる。ちなみに電子名刺は暗号化して送信するため、情報漏
えいを防げるという。また、送信者の確認や電子証明書による改ざん防止ができ
るシステムになっているとしている。
使用に当たり、無料版のInter Connect Liteがあり、相手がInter Connect
2004を持っていない場合でも電子名刺の利用が可能になる。また、Inter
Connect Liteでも簡単な名刺を作ることができる。ただし、この場合は、名刺情
報の更新や関連情報管理、電子証明書などの機能はついていない。
3,二次元バーコード 〜バーコードの進化がビジネスを変える〜
データベースを構築する上で、より効率よくより早く検索する為、バーコード
の情報量を更に大きくし、システムの簡素化を行なうことが必要になった。そこ
で、情報量を増やすためにバーの幅を細くする、リーダの読取幅を広くする、複
数のバーコードを並べる等の対応する中、二次元バーコードは提案され始めた。
1980年代の半ばのことである。大容量の記憶が可能で、しかも導入費用が極めて
安価な二次元バーコードの市場規模は、毎年堅調な伸びを示しているという。代
表的なものにケータイを利用したチケットレスサービスや各種決済をコンビニエ
ンスストアでできるサービスがある。また、医療分野や食品流通の管理としてト
レサビリティ(追跡管理確認)システムなどへの導入が加速すると考えられてい
る。
まだ、二次元バーコードが新鮮に感じるうちに、活用してみましょう。下記の
URLで簡単に作成できますよ。一見、不可解な幾何学模様にあなたはどんな情報
をインプットしますか?
http://www.nttdocomo.co.jp/p_s/imode/make/index.html
皆さん、こんにちは。今年は台風の当たり年のようで、毎週のようにやってき ます。皆様がお住まいのところで被害は出ていないでしょうか?梅雨が大好きっ て言う人の比率って高くないと思いますが、台風が大好きという人の比率はもっ と低いでしょうね。どちらもあまり愉快じゃない話です。ただ、自然界のことで すから「仕方がない」で済まさなきゃいけない部分もたくさんあります。しかし、 人間界の世界ってそんな風にいかないですね。人とあって不愉快な思いをして、 それをどのように乗り越えていくか?現代人のとてつもなく大きな課題のような 気がします。
■2004年7月20日号■
〜特集〜真実の瞬間
夏を目前に控え、デパートでは毎年恒例の中元商戦が激しくなる頃である。今 やインターネットや通販で居ながらにして中元の手続きを済ませることができる ので、売場は一昔前と比べれば、買い物客でごった返す度合いも少ないような気 がするが、それでも休日ともなれば、インターネットにはあまり縁のない熟年層 を中心にずいぶん賑わっている。今回は、そんな売り場のサービスを通して“真 実の瞬間”についてレポートしたい。
1,サービスのばらつき
お中元の配送をお願いしに来たあるお年寄りが、配送伝票に記入するのが困難
なので代わりに書いて欲しいと店員にお願いをしていたところ、混み合っていた
こともあり、店員は聞こえないふりをして取り合わなかったが、何度か繰り返さ
れるうちに、そのお年寄りの声を遮るように突然「ただいま、大変混み合ってお
りますので、後ほどお書きいたします」と、言ったきり、すぐにまた他の客の対
応を始めた。お年寄りがかなり立腹した様子でいると、即座に別の店員がやって
きて、同僚の対応の悪さを詫びつつ急いで伝票への代筆をし始めた。かくしてお
年寄りの要望は叶えられたものの、後味の悪さは拭えないようで、後から対応し
てくれた店員にクレームをこぼしていた。端から見ていても、この一件は感じ悪
く、周囲の客の注目の的であった。そしてほとんどの人が、お年寄りのことが気
になり、お年寄りの立場に荷担しているようだった。
最初に対応した店員をA、後から対応した店員をBとし、仮にAの対応が30点、
Bの対応が70点とした場合、お客の心にはどう反映されるのだろう。二人を平
均した50点なのか、それとも30点なのか、70点なのか?
2,平均点よりも分散度が問題
一般的には、顧客は不満に対してバイアスがかかりやすいと言われる。前者の
30点のサービスを受けた顧客は「こんなはずではなかった」と立腹し、落胆し、
周囲に言いふらすかもしれない。どんなに他のスタッフがあとでフォローしよう
とも、30点のサービスに対する刻印は消えない。平均点よりも分散度、それも
低い方の数字が、胸に刻まれるのである。
もっと身近な例で言えば、電話応対がある。同じ会社でもCさんの対応は完璧
なのに、Dさんは最悪というケースがある。その際、より色濃く胸に残りがちな
のは最悪のDさんの方である。チームとして仕事をこなす場合80点選手はいる
が、40点選手もいるというチームより、70点選手と60点選手のチームの方
が、サービスの度合いが維持されているといえる。
後者の場合は、どんなに質が悪くても60点なのだ。
3,「意味の理解」と「繰り返し」
なぜ、CSが大事なのか、全員で決められたことを守り実行することに、どうい
う意味があるのかを、繰り返し繰り返し浸透させることしか、ばらつきを克服す
る策はない。
例えば、先に挙げた中元の伝票の例を取るなら、売場は中元の注文を取ること
が最終目標ではなく、フェイスtoフェイスで「中元の受注」という行為を通して、
店のファンを作るという風に、サービスの意味を徹底していたならどうであろう
か?売上だけを目標にしていたら、確かに混雑しているときに、伝票書をするの
は非効率な動きにしかならないだろう。
CSがきちんと管理されていれば、一つひとつの業務の意味や価値を、一人一人
が理解し、組織として誰が対応しても、一定のレベルのサービスが徹底でき反復
できるのである。
今や、顧客はインターネットなどを介してネットワーク化されている。そのた
め、一人でも程度の悪いスタッフがいれば、悪評はすぐに広がってしまうので、
全体のレベルを統一し底上げを計ることは、CSマネジメントの重要なポイント
なのである。
4,マニュアル効果と「型」の習得
マニュアルとは、入社したばかりの者でも、それさえ理解し覚えれば、翌日で
もほぼ業務はこなせるという「型」の習得である。意味を理解させるよりも
「型」の習得の方が手っ取り早く、そこそこに業務をこなせるという利点がある。
華道、茶道、書道、柔道、剣道等、「道」と名の付くものの多くがそうである
ように、日本では「道」を習得する際に「型」から入るものが多い。「型」がで
きて初めてそこに魂が入るのと同じで、マニュアルを遂行するうちに、顧客の反
応を見て意味や価値が理解できるようになることもある。マニュアル化は、エキ
スパートには及ばないが、チームのばらつきをなくすには、効率的な手段である
といえる。
スカンジナビア航空再建の立役者であるヤン・カールソン氏の言葉を借りるな
ら「1年で1000万人の旅客がそれぞれほぼ5人のスカンジナビア航空の従業員に
接する。当社の成功は、1回15秒の応接時間として、延べ5000万回、7.5億秒の
“真実の瞬間”に顧客の脳裏に自社を刻みつけることができるかにかかってい
る」という。
“真実の瞬間”と自社の「型」を再度見直したい。
皆さん、こんにちは。梅雨のさなかに台風がやってきたりして本当に変な気候 ですが、皆様いかがお過ごしでしょうか?佐世保の事件は本当に衝撃的な事件で したが、子どもがおかしくなっていると言う前によ〜く考えてみると大人の方が ずっとおかしくなっているような気がします。これだけおかしくなるんだから子 どもだっておかしくなると考えれば納得できます。形だけでなく、いろんなこと を深く考える必要があるのではないでしょうか。でもなかなかそんな時間が取れ ない・・・これもまた問題なんでしょうね。今回も前回に引続き沖縄のお話です が、沖縄の歴史のようにゆったりと流れる時間の中で人生を考える必要もあるの ではないでしょうか?今年の夏休みはテロの可能性もあるし、海外旅行は控えて、 沖縄で遊んで、考えてみませんか?
■2004年6月10日号■
〜特集〜沖縄の聖地 首里城
1992年本土復帰20周年を機に復元工事が完成した首里城は、1429年から約450 年もの間(これは江戸幕府よりも100年長い)、政治や文化、外交、祭礼の場で もあった琉球王朝時代が忍ばれる。今や観光地として多くの人々に愛され沖縄を 象徴する世界遺産となっているが、ただの観光地としてではなく「聖地」として 見た場合、ただの物見遊山では終わらない数々の神秘がある。今回は、そんな首 里城の神秘の一部を沖縄在住の方々の実話をもとにレポートしたい。
1,琉球人と古代エジプトの深い繋がり
数年前、沖縄を訪れたある作家の方に「首里城を案内してほしい」と頼まれ、
半日かけて案内したんですが、その時に彼が面白いことをいったんですね。「琉
球人は、エジプト人の子孫じゃないか」と。彼はこんな仮説を立てていました。
紀元前、戦争に敗れてエジプトが崩壊して王が逃げる。どんどん陸づたいに逃
げていって、琉球に着いた・・・。なぜなら、琉球は石の文化を持っている。色
んな物がエジプトに似ているからと。半信半疑で聞いていましたが、「首里城で
是非、印を確かめたい」と言われるので、それならということで見にいきました
ところ、確かに印に刻まれている文字は、アラビア語−ピラミッドに刻まれてい
る文字に酷似しているように思えました。そして、正殿には、印鑑のデプリカが
あるんですが、その印鑑も取っ手の部分を見て驚きました。なぜか動物の形をし
ているんですが、これが「らくだ」なんです。首里城の印に、なぜ「らくだ」が
モチーフになっているんでしょう?沖縄には今も昔も「らくだ」は存在しないは
ずなのに・・・。
2,風水の力で戦いに挑む
首里城の御庭(うな)ですが、あれだけ緻密に計算しつくされた建造物であり
ながら、微妙に曲がっているんです。きっちりとした正方形じゃないんです。こ
れは、風水的にも意味があって、わざと道に角度をつけているんですね。その角
度は、羅針盤を使ってある角度だけずらすんです。すると運気が変わるんです。
運気が変わる角度をきちっと読んでずらしてあるんです。なぜ角度を変えると運
気が変わるのか?それは、ものの見え方が全然変わるからです。この角度の付け
方によって、敵を威圧したり、広く見せたり、狭くみせたり、一直線に見せて点
のようにみせたり、見え方を変えることによって人間の感覚を変えていくんです。
人間の視覚、錯覚を上手に利用して敵の攻撃から守るのが目的なんです。沖縄の
城は、戦をするところだけではないんです。聖地なんですよ。そこで祈って、民
衆、地域を守るための神様がそこに存在して、国の神の儀式の元に造っていくん
です。非現実的な話かもしれませんが、非常に神と近い部分でのお城なので、御
庭(うな)には、神と民衆を守る強い城を造るための人智が凝縮されているんで
す。
3,入魂の王の椅子
首里城の2階に、前田孝允(こういん)さんという作家さんが造ったアーチ状
の漆器の椅子があるんです。これは、琉球王国を最も繁栄させた王様である尚真
王(しょうしんおう)をイメージして、長い年月をかけて造った椅子という風に
聞いています。尚真王の魂を蘇らせる椅子を一年で造れと言われたんだけれども、
材料探しが大変で、材料の木を探しに台湾まで行ったり。また、それをつくる場
所も普通の所で造っちゃいけないんで、琉球王朝で神様に仕えていた信女が住ん
でいた家を借りて造ったそうです。不完全なものを世に出すわかにはいかないの
で、造って居る間、前田さんは精神的にぴりぴりしていて、一生懸命取り組むけ
ど1年たっても完成せず、2年がかりでようやく出来上がったそうです。ただ、
完成品を家から出すときに気付いたんですが、間取りが狭いから通らないんです
よ。せっかく造った椅子を切って出すわけにはいかないんで、椅子を切らず柱を
切って出したそうです。あの椅子は誰も座ったらいけない椅子なんですよ。造る
プロセスの中で、何度も琉球の儀式をしてお払いをしたり清めたりして前田さん
が精魂込めて造った椅子のおかげで、ただの復元された箱物の首里城でなくて命
が入った首里城になったと言われています。
4,首里城復元がもたらしたオンリー1の存在−沖縄−
沖縄は、インフラの整備や公共施設など、予算をかけるべきものがまだまだた
くさんある中で、首里城が復元されたということはすごいことです。首里城その
ものが沖縄にとってとてつもなく大きな存在で意味があるように感じてなりませ
ん。やはり、琉球王朝時代から、先祖が沖縄の島を愛してここで生きて子孫を生
み育て、ここで生きた証を象徴するようなものですね。95年米兵の問題があって
沖縄の自立に向けてどんどん動きがでたんです。琉球音楽、民謡を広めて、自分
たちの島沖縄に誇りをもって生きようという姿勢が顕著になりました。
皆さん、こんにちは。四国地方も入梅ですね。つい先日までインフルエンザ、 次に花粉症。そして、これからしばらく鬱陶しい日が続きます。雨が降ると、外 出も億劫ですね。私はあまり外でお酒を飲む機会がありません。確定申告の打ち 上げ以降松山では飲んでいないのではないかと思います。ま、お酒は体に決して 良いものではありませんから無理して呑むことはないのでしょうが、ここ数ヶ月 仕事でしんどい思いをするとホッと呑みたくなります。窓を叩く雨の音とモーツ ァルトを聞きながら・・・なんて気取ってる場合じゃないですか?今日はそのお 酒のお話。
■2004年5月30日号■
〜特集〜沖縄的小宇宙I 泡盛
「なんくるないさぁ」という沖縄の方言がある。「なんとかなるよ」と言うよ うな意味で、いかにも沖縄らしく沖縄のすべてを言い得ている方言である。沖縄 には沖縄のリズムがある。些細な事には囚われない「なんくるないさぁ」の世界 である。しかし、この小さな世界には、エネルギーがぎゅっとつまっている。人 も街も食べ物も。本土では見られない光景がいかに多いことか。それらは、沖縄 の文化と歴史、風土に育まれて、小さな宇宙を織りなしていると言ってもいい。 そんな沖縄のエネルギーを今回から2号続いてご紹介したい。島の雰囲気を感じ てもらいながらご笑覧いただけると、この上なく光栄である。
1,「入手難易度100%」幻の泡盛を求めて
工場に一歩入るだけで、こうじともろみの香りに圧倒された。工場内を見学す
るだけで、十分ほろ酔い加減になりそうなほどである。那覇空港から2時間余り
車で北に走った沖縄県本部町にある(有)山川酒造は、沖縄では珍しく周囲を山
に囲まれており、珊瑚礁が隆起してできた大地から、質のいい水が豊富にわき上
がるところである。この豊富な水が、まろやかで美味しい泡盛の源泉になるのだ。
ここで、先代の教えに従い古酒にこだわり、酒蔵を守り続けている三代目社長の
山川宗克氏に案内をしてもらい、話を伺うことになった。以下は、あえて山川社
長の語り口調のままを記しレポートとしたい。
2,「銭蔵の鍵を預けても、古酒蔵の鍵は預けるな」
泡盛は、約600年前から沖縄で造られるようになったんですが、日本最古の蒸
留酒で焼酎のルーツとも言われています。戦前は、100年200年の泡盛があって、
琉球王朝の王様は、接待に泡盛を使っていたとのこと。番頭に「銭蔵の鍵を預け
ても、古酒蔵の鍵は預けるな」と言うくらい大切なものでした。でも、それが戦
争でほとんどやられてしまってゼロになりました。
ただ、首里の蔵元さんが、その戦争に入る前に何本かの古酒を埋めて疎開した
らしく、二本だけが奇跡的に残っていました。それが、130年の古酒だと言われ
ています。
3,先代の教え、「小さい酒蔵が生き残るには・・・」
うちの祖父は、変わった人間で「戦前は100年200年の蔵があったんだから、自
分ら小さい蔵も古酒を造らないと生き残っていけない」と言うのが口癖でした。
「借金してもいいから酒は寝かせなさい」と。でも、祖父本人は古酒を残してい
ないんですよ。戦後は、生きるために明日の現金を得るのに必死でしたか
ら・・・。今の会長、父の時代からようやく寝かせることができるようになって、
今うちの蔵では37年が一番古いお酒です。2番目に古いのは33年。なかなか
量がないもんですから希少価値であるということと、もともと古酒は江戸幕府に
献上されるほどの貴重な酒だったので、今になって、ますます古酒の価値が高ま
ったんじゃないかなと思いますね。
4,「古酒作りは杉の植林?」夢を次世代に託して・・・
できた泡盛を売ればすぐに現金になるのに、古酒を造るためには、売るのをガ
マンしなければいけない。ガマンして寝かせるためには、倉庫を増やしていかき
ゃいけない。だから、設備投資してタンクを買って寝かせる。しかし、これが果
たして10年後、20年後に確実に売れるものになるかどうかはわからない。沖縄の
古酒造りに「仕次ぎ」というのがありまして、一番古いのが少なくなってくると、
次ぎの古いのを入れていくんですよ。例えば、37年が途中で少なくなってきたら、
つぎの33年をいれる。これが仕次ぎです。でも、そうすると年代がバックします。
水前寺清子の「3歩進んで2歩下がる」です。長い時間かけても結局1歩しか進
まない。自分の代で味が落ちなければ50年いけるんですけれども、どこかで仕次
ぎをすると、また年数がバックするんで50年のお酒が造れるどうか今のところ分
かりません。
次の世代に夢を託すしかないという意味で、杉の植林と同じです。植えた人が
切るんじゃなくて、次の世代が切ると言う形で、ずっと引きついでいくんです。
5,「墓の中の酒はうまい」瓶でも古酒はできる
沖縄には亀甲墓と言って、お母さんの子宮を象徴した大きなお墓がありますが、
そのお墓のお酒はおいしいという諺があります。沖縄はもともと風葬なもんです
から、人が亡くなると、墓に枕酒と言ってお酒を入れたんです。だいたい8年位
で白骨化したら洗骨というのがあって、骨を洗ってカメに入れます。その時、枕
酒を飲んだら美味しかったということで、泡盛は必ずしもタンクとか、カメだけ
じゃなくて、瓶でも熟成するんだということがわかりました。
今、ある蔵元さんでは、鍾乳洞の中で瓶に入った泡盛を熟成させるということを
しています。
【こぼれ話】
本土の床の間には刀があるけれど、沖縄では「床の間に三線(さんしん)とクー
ス(古酒)」という風習を広めようと言うメンバーがいます。クースを飲み、三
線を弾けるのは平和だからこそ。三線とクースで平和の尊さを訴えているんです。
皆さん、こんにちは。年金問題で、政治の世界は訳が分からなくなっています。
イラクの人質事件も同じですが、本質を突く前にとにかく大騒ぎになってしまい、
問題の本質にたどり着くまで時間がかかります。年金を払っていないこと自体は
問題ですが、もっと他に問題はないのか?じっくり考えたいものです。
ところで、春になって就職活動に走り回る大学生をよく見かけるようになりま
した。私は一般的な就職はしなかったのですが、数社の会社説明会に出かけて行
った記憶があります。20数年を経て逆の立場で彼らを見るようになってしまい
ました。この20数年の重みを感じることって時々あります。もちろん体重計に
乗ったときの話ではありません。今日はそんな話。
■2004年5月20日号■
〜特集〜ビジネス・コミュニケーション
相手から話を引き出すコツ
あるリーダー研修でのこと。「問題のある後輩を指導する」というテーマを与
え、ロールプレイングをしてみた。二人一組になって先輩と後輩の役割に徹し、
それぞれの言い分を言い合う。先輩役は、後輩の問題行動をあらためさせ仕事に
集中するよう指導し促さなければならない。後輩役は、簡単に引き下がるのでは
なく、なぜ注意を受けるのか?理解できるまで、自分の言い分を通すという設定
だ。
設定した後輩の問題は「仕事中の携帯電話とメール」。実際にありそうな内容
なので、ロールプレイングとはいえ真剣である。しばらくやりとりをさせて、全
員の前で披露してもらう。
第三者になって、やりとりを見ていると指導の仕方のどこに問題があるのか、言
葉がけについては、どんなところを気を付けなければならないのかが次第に見え
てくるのである。
1,自分の「翻訳機」
人は基本的には「人の話を聴かない」と、思った方が良い。安易に「話を聴い
てくれている、理解してくれている」と思うところに間違いが生ずるのだ。自分
の言い分は、なかなか伝わらないものと認識すれば、どうやったら伝わるのかと
いう知恵が働くし、何を話すかというより、どのように話すかが大事だというこ
とに気付く。
また、人は誰でも自分の翻訳機(脳)を通して理解するため、話を自分の都合
のいいように理解しがちである。例えば、伝言ゲームという遊びがあるが、10人
が一列に並んで、前から順に一定の文章や話を伝言していくと、一番後ろに到達
する頃はずいぶん話が歪んでいる。これは、それぞれ先に述べた翻訳機が違うと
いうことを証明しているようなものである。
では、どうすれば人に話を的確に伝えることができるのだろうか。
2,「傾聴する」ということ
「傾聴」とは、耳を傾けて熱心に聴くということである。自分の言い分を相手
に伝えて、わかってもらうためには、まずは相手の心を開き、こちらに向けない限り言葉は
通じない。
それは、回り道のようでも、相手の話をじっくり聴くしかないのである。相手
の言葉を遮らず、なるべく相手と同じ気持ちになって聴き、相手の口から語らせ
ることである。当たり前のことのようだが、「この人は、自分の話を親身になっ
て聴いてくれる」という安心感が生まれてこそ、相手は初めて心を開いてくれる。
相手が心を開いてから、ようやく自分の言葉が、言霊となって相手の胸に入って
いくのである。
先のリーダー研修の場合もそうだが、指導する側は、つい自分の意見や考えを
伝えることばかりに神経をとられ、相手の気持ちを置き去りにしていることが
往々にしてある。
第三者になって見ていると、指導者が8、指導される側が2という割合で喋っ
ている。指導者が話す人で、被指導者が聞く人と言った感じである。これでは、
一方的にお説教を聞かされているようなものである。この場合は、見かけだけ仕
方なく「聞く」スタイルをとっているだけで、内心は「早く終わらないか」と言
った程度のもので、決して「聴いていない」。
3,自分が伝えたいことを相手の口から語らせる
自分が思ったように会話が進まなかったり、時間が足りなかったりすることも
あるが、焦って先回りして、無理矢理解決しようとするのは逆効果である。「じ
ゃあ、また次回この続きを相談するから○○は宿題にしておこうね」ぐらいに終
えて、面倒なようでもコミュニケーションをとる機会を増やす方が結果的には良
い。
また、会話をする上では「間」を恐れないことも大事である。相手が黙ってし
まうと、沈黙に耐えられなくなったり、急いで解決したいあまりに早口になった
り、間を考えずに一方的に喋ってしまっていることがある。「沈黙は金、雄弁は
銀」という諺があるとおり、沈黙の時間は、喋っている時間よりも価値があると
いうとも認識しておきたい。沈黙により、沈黙の後に発する言葉は一層際だつも
のである。この沈黙を意図的に有効に使えるようになれば、かなり会話のテクニ
ックが上達したと思っていい。
4,コミュニケーションの究極
究極は、自分が伝えたいこと(相手にわかってもらいたいこと)を、こちらか
ら投げかけるのではなく、相手の口から語らせることである。人により、事情に
より、そこに行き着くまでの道のりは様々であるが、常に相手の気持ちを推し量
りながら、五感をフル活動させるのである。言葉だけでない、相手の動作やちょ
っとしたしぐさや視線などから心理状態を読みとる手掛かりになる情報をキャッ
チすることができる。コミュニケーション能力を磨けば、見えなかったものも見
えるようになる。
皆さん、こんにちは。GWもあっという間に終わってしまいました。今年は気 温も低くて過ごしやすかったように思えるのですが、いかがでしょう?ただここ 数日は蒸し蒸しする日が続いています。そういえば、もう梅雨です。時間が経つ のは早いものですね。早いから「アーっ」と思うこともあれば、「ホッ!」とす ることもあります。そんな風に感じながら手紙が書ける余裕がほしくありません か?
■2004年5月10日号■
〜特集〜ビジネスコミュニケーション
「書く」ことで絆を深める自己表現力
1,文字を書くということ
最近、手書きのハガキをもらって新鮮な驚きと喜びがあった。このIT時代、
メールの方が早く届くし手軽だし、通信費も安い。たった一言のお礼を言うため
に、わざわざ手間と時間をかけて、ハガキを書くなんて、一見、時代と逆行して
いるようにも見えるが、多くの人が、「書く」という作業をしなくなったが故に、
手書きのハガキは印象に残る。上手くなくても、達筆でなくても、「書く」とい
う習慣が身に付いている人は、一生の間にどれほど得をするだろうか。「書く」
ことは、自己表現力でもあり、コミュニケーション能力でもある。
「話す」ことと「書く」ことは、コミュニケーション能力の双璧である。ど
ちらも、訓練次第で身に付く代物であるなら、まずは静かに書き始めよう。
2,自分の言葉で綴る味わい
下記の<ハガキ1>は、通販で買った薬屋さんから来た一通のハガキである。
電話でやりとりしただけの一度も面識のない担当者からの手書きのハガキである。
補足をすれば、これは、絵はがきで裏面には一面、美しい花の写真があった。郵
便物をより分けているときに、ふと目が止まり、友人かお世話になった人からの
ハガキかと見間違えた。達筆ではないが、ファーストネームで呼びかけてあると
ころや、「・・・いてくださいね」など、実際に語りかけてくるようで担当者の
人柄が伝わってきた。礼状として、あるいはビジネス文書として正しいかどうか
は、ここでは問題ではなく、お客の心をつかむ文書であることに注目したい。
-------------------------------------------------------------------
□新緑の季節、木綿のブラウスが似合う季節です。
直子様、いかがお過ごしですか?
「○○○」の飲み心地、使い心地はいかがですか?
「△△△」も、たくさんのお客様にご好評をいただいております。
直子様のお健やかな毎日にお役立てください。
どうかお元気でいてくださいね。
-------------------------------------------------------------------
3,表現力を磨く
「表現されない実力は無きに等しい」と言われる通り、いかに表現できるか、
伝える力を持つかが明暗を分ける。今は、電子メールや携帯電話で年から年中、
やりとりをしているので「言葉のコミュニケーション」は、昔に比べて磨かれ
ているはずである。表現力だって豊かになっているはずである。
ただ、世代の違いによって受け入れられないボキャブラリーやスタイルがある
のは、自分のそれと違っているというだけのことであろう。だからといって、い
ちいちそれを非難していても、何も建設的なものは生まれない。「これは何かい
やだな」と思う言葉や表現があれば、それは自分の中では使わないという姿勢を
持つことが大事なのである。自分は自分で、何得できる言葉を使い続けるという
姿勢を持つことが、自分の表現を磨く一歩になるのである。
例えば、「ら抜き」言葉や流行語など、使う人に対して目くじらをたてたりは
しなくとも、自分の中では決して使わない等である。
4,表現力を磨くために集中力を高める
書くためには集中力が必要である。それも生半可な集中力ではない。脳をフル
に使い、まず書こうとすることを記憶から取り出し、つぎにどの順番で書けばいいかを計画し、
実際に書こうとするトピックを文に変換する。文にするためには単語を思い出し、
文法のミスや誤字脱字がないかをチェックする。書いた文章を読み直し、伝わる
かどうか、読みやすいかどうかを再検討する。こういった一連の作業をほとんど
同時並行でやっている。
書くことに集中すると、他のことには注意がいかない。話しかけられて集中力
がとぎれてしまうのも文章作成には敵である。それほどの集中力を持って書き続
けていくうちに、「書く」ことの表現力が身に付いてくる。
5,書く癖をつける方法
そんな風に言うと、「書く」こと事態が、面倒なことに思えてくるかもしれな
いが、自分のペースで出来る範囲で書きためていくのが良い。ただし、継続をす
ることが肝心である。
例えば、一週間に1通〜3通ぐらいを目標に礼状や挨拶文を書いてみる。その
時に注意したいのは、難しい言葉は使わないことと、長い文章を書こうとしない
ことである。上手く見せようとか、格好良くとか、感動させようなどという気持
ちは捨てて(実は「書く」作業においてこれが一番難しい点なのだが)「書く」。
そして、いつでも思い立ったときに書けるよう、自分のお気に入りの筆記用具や
使い馴染んだ道具、ハガキ、切手などを身の回りに置いておくのが良い。礼状を
書くべき人の名刺も一緒に置いておく。手書きのハガキに喜ばれると、不慣れで
も、また書きたくなるものである。書きたい気持ちこそが相手の心を捉えるので
ある。
皆さん、こんにちは。GWがスタートしました。いかがお過ごしでしょうか? この季節の花といえば、桜が散って、ツツジです。事務所近くの松山城の堀端に もたくさん咲いています。春から夏への変化を感じさせる時でもあります。この 季節、わが家ではジャスミンの花がその香り一杯に咲き誇ります。これは必見で す。ちょっともったいないので、Bossの独り言に掲載しました。撮影には、先日購入した携帯を使用しました。携帯電話って今やカメラなんですね。それか ら、東京あたりに行った時には移動に欠かせないものです。別にケータイで空間 を移動する訳ではありません(面白くない?)。どの路線が一番早いか?チェッ クします。虎ノ門から飯田橋にどう出るか?とか・・・。特に私のように時間に ルーズな人間にとっては必須アイテムです。このように、最近の情報革命は日常 生活に確実に浸透してきています。今日はそんなお話です。こんな話を聞くと、 つい新しいケータイを買いたくなってしまいますね。
■2004年4月30日号■
〜特集〜モバイルの進化と可能性
その10秒で決まる!タイミングとコンテンツ
昨年6月に「非同期社会」という情報を特集した。携帯電話やメールの普及、 地上波デジタル放送の開始などで、日々のコミュニケーションは、10年前と比 べて膨大に増えている。そんな中で、氾濫するコミュニケーション量に何とか 対応するために、生まれたのが時間をずらした非同期コミュニケーションであ る。例えば、ケータイ、Eメール、ビデオ、HDDレコーダーなどは、情報をためて おいて、自分の都合の良いときに処理ができる。かかってくるはずの電話を待っ て、出かけられないという事態からも開放されるのである。まさに、技術の進歩 が「非同期」を可能にしたのである。
1,ある日のモバイル生活
田中さんは、小田急線の成城学園前駅付近に住み、新宿で働くビジネスマンであ
る。いつもの通り朝7時30分、駅に向かう姿は他の通勤客と何も変わらない。し
かし、自動改札に定期券を入れて通り抜けホームに着いた頃、彼の携帯電話の
メール着信音がなった。待ってましたとばかりに、ケータイを取り出し、メール
を読み出す田中さん。彼は「小田急グーパス」の会員である。「グーパス」とは、
定期券のIDと携帯電話のメールアドレスをひも付けする、無料のメール配信サー
ビスである。ホームで電車を待つ間、一心不乱に携帯電話をのぞき込む田中さん。
朝の情報収集タイムとしてグーパスを活用しているのである。やがて電車が来て
乗り込み、新宿に到着した。オフィスへさっそうと向かう田中さん。ここでも改
札を出て約10秒後、グーパスのメールがやってきて、信号待ちの時間にケータイ
を取り出す。「新宿駅周辺のランチタイム情報」である。「おっ、今日の昼飯は、
ここにするか!」。そう、グーパスのメールは全員に同じ物が届くとは限らない。
この場合は、「田中さんが新宿で降りた」からこそ、新宿周辺のランチ情報が来
たのである。かゆいところに手が届くメール情報サービスなのである。
2,「誰もが」「常に持ち歩く」「高機能電子機器」の三拍子
モバイルの凄さの根底にあるのは、それが「誰もが」「常に持ち歩く」「高機
能電子機器」であるということである。この三拍子揃った機器を保有したのは、
人類歴史上、初めてのことではないだろうか。例えば、家の鍵は「誰もが」「常
に持ち歩く」ものだが、高度な電子技術とは無縁のものである。また、電子手帳
は「常に持ち歩く」「高機能電子機器」だが、それを使っている人は多くはない。
またパソコンは「誰もが」使う「高機能電子機器」だが、持ち歩く人は多くない。
繰り返しになるが、三拍子揃っているのは、モバイルだけである。
「誰もが」使うということは、圧倒的な普及台数を意味し、大幅なコストダウ
ンと急速な技術進化が起きる土台である。
3,社内に対してもタイミング情報が生きる
小売業であれば、必要な顧客情報を集積し、その「タイミング」にアプローチ
をかける。
「田中さん、こんにちは。今月10日は奥様の誕生日ですね。おめでとうございま
す。プレゼントに蘭の花はいかがですか?当店では・・・」という風に、個別に
対応するメールを自動配信することもモバイルなら可能なのである。受け取った
田中さんは、受け取ったメールでそのまま返信し、ボタン一つで即座に花を送る
こともできるが、サービス業、小売店、マスコミ、エンターテイメントといった
特定業種だけでなくとも、モバイルでマーケティングの概念を社内で生かすこと
ができる。
例えば、毎日社内で生まれるニュースの中から、広報すべきものをリアルタイ
ムでモバイルメールにて速報する。「営業部の大川さんが、本日2時30分○○
自動車様より、3,000万円の契約に成功」といった内容や、「製造機械2号の明
日の稼働がキャンセル1割引までOKなので、明日の稼働の仕事を取れ!」といっ
た、緊急メールも手間なく一瞬で全員に通達可能なのである。それは、多かれ少
なかれ社内のモチベーションに影響するようだ。
4,飽きさせない決め手はコンテンツ
しかし、ここへ来て情報は洪水のごとく氾濫し、あえてメールを受けない。あ
るいは、受けても開封しない人達も増えている。最終的にはコンテンツなのであ
る。いかにスキマの時間を捉えようとも、変り映えのない内容や押しつけがまし
いメールでは効果は薄れてくる。
どんな商品・サービスにもそれを勧めるベストタイミングがある。私たちは今、
モバイルメールという新しいツールを手にしている。顧客の心を捉え続けるには、
さらにツールを生かしながら、コンテンツを工夫し、魂を吹き込めるかどうかに
かかっている。
モバイル進化に人の思いが生かされて、初めて可能性は無限に広がるのである。
皆さん、こんにちは。新学期が始まって1週間。やっと普段の生活に体も心も 慣れつつあるというところでしょうか?もっとも、4月というのは季節の分岐点 で冬から一気に夏を迎えるという印象です。ついこの前までつけていた暖房が、 知らない間に冷房に変わっていませんか?これは建物の事情もあるのでしょうが、 体がついて行くのが大変です。そのせいか、風邪を引いている方を良く見かけま す。GWまでもう少し。何とかがんばってこの厳しい季節を乗り切りましょう。 慣れるといえば、コンビニはすっかり私たちの生活に欠かせないものになって しまいました。何となくほしいものだけ買ってしまいますが、よーく観察すると 結構情報の宝庫なんですね。今日はそのコンビニエンスストアの話題です。
■2004年4月20日号■
〜特集〜ビジネスの現場から見るプチ経済学「場の情報」
■セブン―イレブン・ジャパン□北京1号店□
□今月15日、セブン―イレブン・ジャパンの出資による「セブン―イレブン」の
北京1号店が北京市東城区内にオープンした。北京では初めての外資系コンビニ
で、午前7時(日本時間同8時)の開店とともに100人以上の市民が次々と訪れ、
入り口前に30メートルほどの行列ができた。
□店内には食品、日用品など2000種類。地元の主食である蒸しパン、油あげパン
の他、日本式のおにぎりやおでんもあり、コカ・コーラ1缶1.8元、日清食品のカ
ップヌードル3.8元。この日は、特価で半額の1個1元(約13円)のおにぎりな
どが大好評だった。
□セブン―イレブンは香港や広東省では現地企業が経営しているため、中国の小
説にも時折登場するなどして、北京の若い世代にも知られている。このたび、セ
ブン―イレブン・ジャパンの出資では初の中国進出であるが、今後5年で北京市
内に500店舗を展開予定で、売上354億円を見込んでいる。
1,場の情報
経済学のなかで「場の情報」という考え方がある。これは、市場の機能を考え
るときに非常に重要なものである。経済活動に必要な情報というのはどこか一カ
所に集めることができるものではなく、それぞれの現場にいる一人ひとりの人が
持っている些細な情報、つまり場の情報が重要だという考えである。例えば、小
麦の需要や供給はさまざまな要因によって影響を受けるが、(天候や、物流、消
費地の景気、代替的な役割を果たすトウモロコシの生産状況などである)一つひ
とつの情報がすべて、小麦の市場に大なり小なりの影響を与えるのでる。
しかし、消費者も生産者もそういった細かい情報については、知らなくても良い。
価格を見ればいいのだ。小麦をつかってパンを生産する工場は、価格の上昇に対
してどう対応すればよいか考え、農家は価格を見て作付面積を決めるかもしれな
い。生産者も消費者も全員が価格を見て行動するというのが、市場メカニズムの
基本で、価格の中にすべての要素が凝縮されている。価格は勝手に無軌道に動く
のではなく、需要と供給がバランスするように動くのである。
2,ローソンとセブン−イレブンの違い
ローソンはダイエー系列のコンビニエンスストアであった。ダイエーという会
社は組織的な論理が強かったらしい。アメリカの大手小売業と同じように、物流
から店舗経営まですべて自社内で行うような流通システムが念頭にあったようだ。
ローソンの店舗は、設立当時はレギュラー・チェーンを指向していたと言われ
る。「ローソンが運営する店舗」で展開することを指向していたようだ。フラン
チャイズの形態を取る場合でも、ローソン本社が土地を探して店をつくり、オー
ナーを募集するケースが多かったという。そして物流システムにしても、自社の
系列の会社が運営に関与していたようだ。
それに対してセブン−イレブンは、できるだけ外部の業者を巻き込むという戦
略を前面に出していた。「自分のところで何もかもやるよりは、日本にはいい問
屋がいっぱいある。問屋をどんどん使えばいい」という立場だ。店舗にしても、
その大半は酒販店など独立色の強い商人をフランチャイズの形で組織化していっ
たのだ。
セブン−イレブンとローソンでは、一店舗あたりの売上金額に大きな開きがあ
る。セブン−イレブン一日一店舗当たりの売上が、約66万円であるが、ローソン
は50万円前後だそうだ。何と15万円以上の差がある(日本経済新聞2003年8月26
日)。こうした違いは次のように説明されることが多い。
セブン−イレブンの店舗のオーナーには、もともと酒販店や菓子店を経営して
いた人たちが、自分の店、物件を持ってセブン−イレブンの傘下に入り、フラン
チャイジーとなっているケースが多い。ローソンのオーナーは、脱サラした元サ
ラリーマンや退職した学校の先生といった人が多い。セブン−イレブンは現場の
人がもともと商売人なのである。セブン−イレブンの方が市場の力をフルに利用
していると言ってもよいのかもしれない。
セブン−イレブンの成功の基本には、何でも自社内でやるのではなく、外の優
れた人たちを巻き込む、場の情報を生かすという姿勢がある。
もっともローソンも親会社がダイエーから三菱商事に代わり、現場でさまざま
な変革に取り組んでいるようだ。両社の競争については、今後の展開も楽しみで
ある。
皆さん、こんにちは。春も卒業式から入学式のシーズンに変わって来ました。 今日は、わが家の次男の中学校の入学式です。自慢ではありませんが、私は子ど もたちの入学式と卒業式は幼稚園から全出席を続けています。学校に行くのはこ んな時しかないとも言えますが・・。いつものように(?)遅刻して会場に入っ たところ、目の前の来賓席にナント本物の松山市長がいるではないですか!来賓 祝辞って市長代理の教育委員の人がやるのが普通で、自分自身の入学式・卒業式 も含めて、本人が臨席するのは初めてで驚きました。もっと驚いたのは、会場の 雰囲気です。どうも全体がピリピリしています。会場はいつもよりきれいにして あるし、校長先生の挨拶も緊張しています。私は、市長と大学が同窓ということ もあって、感じませんでしたが、他の人にとって市長は市長なんですね。そのギ ャップに改めて気がつきました。そのギャップを作ってしまうのが「権威」とい うやつです。学校の先生や他の来賓の方にとっては、どう考えても市長です。従 業員にとっての社長と同じです。馬鹿なことを言ってる「中年おやじ」のイメー ジはありません。しかし、私と彼とは単なる友人であり、「中年おやじ」仲間で す。どんな権威があっても彼の人格そのものは変わらない。そこに気がついた人 は、権威を乗り越えて、正直に市長と対することが出来るのででしょう。忙しく て少し疲れてる市長の横顔を見ながらそんなことを考えてました。そして、人と 対する時にまず必要なものは・・・「お辞儀」。今日はそのお辞儀のお話です。
■2004年4月9日号■
〜特集〜自己表現能力
1,人の目を見る国、見ない国
こんな話を聞いたことがある。日本に来て間もないイギリス人のジャーナリス
トが、日本の著名人にインタビューをして、とても憤慨したと。理由は、その著
名人がインタビューの間中一度も自分の目を見て話さなかったということらしい。
下を見たり、横を向いたりしながら、インタビューに答えるのだが、意図的に目
をそらしているように見えて、侮辱されたという。イギリスでは話をするときは、
必ず相手の目を見て話すのがエチケットで、相手の目を見ないで話すことは、相
手を小ばかにしている態度と受け取られると。
そのように息巻くジャーナリストに対して、ある日本人が以下のように説明し
た。
日本人は、特に年輩の日本人は、相手に失礼にならないように、直接相手の目
を見ないのが礼儀と思っている人が意外に多い。ビジネスの場でも、相手を見る
ときは、直接相手の目ではなく、ネクタイの結び目あたりに目をやる習慣がある
と。それを聞いて、ジャーナリストの怒りはおさまったが、「相手の目を見ない
で話すことが礼儀であるとは、どうしても信じられない」と、半信半疑の様子だ
った。
また、ニューヨークやロサンゼルスで韓国人と黒人の間でも似たような騒ぎが
あった。韓国人街の近くに住む一人の黒人男性は、先のジャーナリストと同じ様
なコメントをしていた。
「韓国人が経営するお店で買い物をしても、彼ら(韓国人)は視線をそらして
応対する。特にお釣りを渡すときには、自分たち黒人を侮辱したように、絶対と
言っていいほど、目を見ずにお釣りを渡すのだ。ガマンできない。」これに対し
て韓国人は、「韓国ではお店のお客にお金を渡すときは、目を見ないで渡すのが
礼儀。じっと見るのは失礼にあたる。」と答えている。
文化が違えば、その社会で良いとされているコミュニケーションのスタイル
にも大きな違いがあるのだ。
2,外人のお辞儀が奇妙な理由
話すときの視線のやり方ひとつとっても、文化によって意味づけ(解釈)の仕
方はさまざまである。自分にとって当たり前だと思っている考え方や行動パター
ンは、幼い頃から直接体験を通して学んできた日本の文化そのものであって、こ
の社会で大切にされているコミュニケーションの取り方や価値観が反映されて
いるのだ。
外資系企業に勤める日本人ビジネスマンに対して異文化を学ばせる初級クラス
の研修の中に、「相手の目をしっかり見て握手をする」という練習がある。アメ
リカ人のトレーナーに握手をするだけの簡単な挨拶の交わし方の訓練である。
最初は、誰もが簡単なことだと思っていたが、実際にやってみると殆どの人が
できないのである。多くの日本人の場合、しっかりと目を見ることができず、つ
いつい握手と共に頭が下がり、当然視線も下向きになって、握手とお辞儀の混ざ
った格好の挨拶になってしまう。
一方、欧米人のビジネスマンには、お辞儀で挨拶をするという訓練がある。こ
ちらも誰もがこんな簡単なことはないといった感じで取り組むのだが、誰一人と
してきちんとお辞儀はできないという。外国人のお辞儀を見て「どこかおかし
い」と、違和感を覚えるのは、顔を下に向けないで、首を突き出すように相手の
目をしっかり見たままお辞儀をするからである。
欧米人にとっては、それほど視線は重要であり、下を向くことで経緯を表す日
本人や韓国人とは大きな違いがある。握手をしながらお辞儀をしてしまう日本人
も、お辞儀ができない外国人も、能力が劣るのではなく、長い時間をかけて培わ
れた文化の価値観である。それだけ深く私たちの行動に根ざしているのだ。
3,日本流自己表現
幼稚園で教わるあいさつも、社員教育での挨拶も、「相手の目を見て」と、必
ず言われるし、自分自身もそのように教えられてきたし、教えている。人と話し
をするときも目を見ないで話しをするのは、やはりどこか不誠実な印象があるの
は拭えない。だが、「ネクタイの結び目あたりに目線をやる」というマナーから
考えると、相手の目を見るのはいいが、見過ぎてはならないという配慮が感じら
れる。いかにも日本人らしい感覚である。たしかに、欧米人と話をするとき、あ
まりに長く目をじっと見つめられると、息苦しくなる感もありである。
やはり日本人の感覚でいえば、見ているようで見ていない、見ていないようで
見ているぐらいが、美徳とされているのかもしれない。
時代はグローバルスタンダードと言われ、そのたびに海外との文化や価値観の
違いが浮き彫りになり、思わず翻弄されそうになるが、まずは日本の中で通じる
基礎力と伝えるべきものを伝えられるようになる努力を積み上げて行くことが最
善の道のようだ。
皆さん、こんにちは。4月。新しい年度のスタートです。今日、弊社のHPに 掲載するつもりで松山の堀の内公園の写真撮影に行ってまいりました。桜が一番 きれいな時ですね。途中、新入社員らしい方も見かけました。会社や家庭で緊張 感を持って新しい環境を迎えた方もいらっしゃるのではないでしょうか?で、そ のお祝いにブランド物を贈ることも多いと思います。今回は、そのブランドの中 でも上位に取り上げられるヴィトンのお話です。
■2004年3月30日号■
〜特集〜成長を続ける“ヴィトン”の強さの秘訣
唯一無二の世界一儲かる高級ブランド
昨年末、パリに行ったとき、ちょうどルイ・ヴィトンの本店は改装中で、工事 中の店舗は、中が見えないよう巨大なルイ・ヴィトンのスーツケースかと思うよ うな囲いで覆われていた。そこには、「仮店舗」と、日本語で表示されており、 いかに日本人客が多いかを物語っていた。確かにパリの免税店では、入店制限が 出るほど、日本人客が集中したこともある。そんな様子をヨーロッパの人達は冷 ややかに見ているのだが、“ヴィトン”といえば、日本人だけでなく世界中の人 達にとって憧れのブランドなのである。その証拠に、昨年は世界各国18店の新規 出店をしており、年間売上高は38億ドルで、2番手のプラダやグッチのほぼ2倍。 営業利益率は45%で、業界最高の営業利益率を誇っている。今回はヴィトン特集 として、「日経ビジネス誌」より一部抜粋しながら、新しさと伝統、老舗の技術 と効率化のバランスを考察をする。
1,徹底した品質管理、ハイテク拷問室
バン、バン、バンー。仏ルイ・ヴィトンの洒落なパリ本社の地下室で、ロボッ
トがバッグを50cmほど持ち上げては床に落としている。バッグには約3.5kg重し
が入っており、ロボットは4日間休みなくバッグを持ち上げては落とす。実はこ
の部屋はヴィトン製品をテストする”ハイテク拷問質室”で、ある機械はバッグ
に紫外線を浴びせて色あせの耐性を試し、別の機械はバックの口の開け閉めして
ファスナーの強度を試す。ヴィトンと聞いて、一日中バックを振り回すロボット
を想像する人などいるだろうか。普通はファッション誌の華やかな広告や、ニ
ューヨークの5番街や東京の表参道にできたぴかぴかの店舗を思い浮かべるだろ
う。
ヴィトンは確かに欲望とエゴで見事な商売をしている。だが雑誌をめくればヴ
ィトンだけでなく、グッチ、プラダ、エルメスのバッグを手にしたスーパーモデ
ルの広告が次々に目にはいる。豪華という意味ではヴィトンは決して特別ではな
い。
ヴィトンを唯一無二の存在、世界一儲かる高級ブランドたらしめるものは何か。
それを知るには舞台裏を覗く必要がある。まず絶え間ない品質管理がある(先の
ロボットのおかげでヴィトンは稀にしか生涯修理保証を履行する必要がない)。
また徹底した販路管理がある(ヴィトンのバッグに値引きはない)。そのうえ、
高い生産効率のおかげで、広告展開や新規出店を加速しても収益を傷めずにすむ
のだ。
2,営業利益率45%でも成長を続ける
ヴィトンの成長は著しい。過去2年間、景気低迷下でライバルが苦戦する中、
ヴィトンは2けた成長を維持し業界最高の営業利益を誇る。親会社LVMHモエヘネ
シー・ルイヴィトンの2003年決算は30%の増益となった。ヴィトンの営業利益率
が過去最高の45%を記録したお陰だ。「成長の可能性は限りない」。1990年から
ヴィトンを率い、高度成長路線を築いた立て役者イヴ・カルセル氏は言い切る。
LVMH会長のベルナール・アルノー氏は「ヴィトンは今後も快進撃を続ける」と言
う。彼が89年にヴィトンを傘下に収めて以来、既に売上高は5倍、利益率は6倍に
拡大したにも関わらずである。「数あるブランドの中で最も大きな成長の可能性
を秘めたブランドがヴィトンだ」。昨年のヴィトンの売上高は世界で16%伸びた
と見られる。
3,地道な努力を続ける生産現場
ヴィトンの躍進にはエマニュアル・マチュー氏のような生産現場幹部の貢献も
見逃せない。仏ダノン元工場長のマチュー氏は2000年からヴィトンの生産を総括。
新鋭設備や新たな作業体制を導入し、生産効率を年率5%改善してきた。5年前、
新製品の開発から発売まで1年かかったのが今は約半年で済む。ヴィトンは巨大
化した家内工業から21世紀型ビジネスに変身した。生産は労働集約型だが、最近
までリーマン・ブラザーズのLVMH担当アナリストだったアンドリュー・ゴーウェ
ン氏は「ヴィトンは機械化と手作りのほぼ完璧なバランスを築いた」と言う。ヴ
ィトンとエルメスを見学したら「エルメスの工場は14世紀に見える」とか。
ある試作品が工場に運ばれた。ここでは他のヴィトンの工場と同様、従業員が
20〜30人のチームで働き、生産の改善活動にとどまらず、小売価格や売れ行きも
把握しておくよう教育される。チームワークは見事に機能している。工場で試作
品を試すと、鋲のせいでファスナーが引っかかりやすいことが分かった。チーム
はすぐに問題点を報告。数日後には技術陣が鋲の位置を2〜3mmずらし問題は解決
した。
4,常に流行遅れにならないスタイル
こうした効率性のためにヴィトンは労働コストが高いフランスでも生産できる。
13工場のうち11は仏国内にある。「国内の方が品質管理に自信が持てる」とマチ
ュー氏は言う。他ブランドの追随を抑えつつ、ヴィトンはさらなる成長に挑む。
ヴィトンのとって最大の課題は、巨大な図体をうまく管理することだろう。同社
は昨年18店も新規出店した。10年前と比べ2倍のペースだ。アルノー氏は「我々
は規律を重んじ品質を管理する姿勢を守り通す。それがヴィトンを差別し特別な
存在にするからだ」という。N.Yの弁護士助手コーエン氏(24歳)は今、入荷待
ちでヴィトンのサンダルを買おうとしている。「ルイ・ヴィトンは決して流行遅
れにならないから」。なるほど、うまくいけばヴィトンの成長神話は続くのかも
しれない。
ルイ・ヴィトンの公式サイトは、http://www.vuitton.com/
皆さん、こんにちは。確定申告も終わり、春がやってきました。私どもの事務
所の近くには松山城の堀の内公園がありますが、堀端では桜の花が咲き、春の到
来を告げています。
今年の春は例年になく変化の予感を感じさせる出来事が続いています。去って
行った方がいるかと思えば、お付き合いが始まった方もいます。私にとっては、
自分なりに区切りを感じながら、しっかり生きて行きたいと決意を新たにする春
でもあります。
今回は、確定申告真っ最中だったこともあり、2回分をお送りします。
あなたにとって、今年はどんな春ですか?
■2004年3月10日号■
〜特集〜「横につながる」水野博之氏語録
“小さな仲良し組”何事も最初はささやかな一歩
一年ぶりの水野博之氏(広島県産業科学技術研究所所長、元松下電器産業副社 長)の講演に一同が聴き入った。今回は、その講演の一部を水野氏の語り口その ままにレポートしたい。
1,新しい発想は「横につながる」ことから生まれる
「イノベーション」というのは、皆さんの会社の中でも非常にやりにくいと思
うんですよ。横につながるんですね。例えば社会学と心理学。全くあかの他人の
話をよこに繋ぐと、社会心理学というのができる。物理と科学があると、物理化
学ができる。ところが日本の社会は縦割り社会、これは素晴らしい社会だったん
です。明治から100年、西洋社会に追いつこうとするための一番いい仕組みが縦
割り社会だった。その中では、家族的な制度が基本で、親父が一声上げればみん
なそれに向かって必死で走るという非常にいい仕組みだった。親父は、西洋諸国
を見て次にあれをやろう、これをやろうと悩みながらどんどん声を上げていくん
ですね。ところが親父さんがあまり声を上げんようになってきとる。たまたま親
父さんを相続したやつもおるけれども、これが何やら失敗ばかり恐れてなんも言
わんということになってしまって、全組織が路頭に迷ってしまった。
こういう中で新しいものを生み出すとしたら横に繋ぐしかないわけです。です
が、みなさんの組織の中で横に繋ぐことの難しさをまず自覚しないといけない。
これは私だって同じです。例えば松下に営業と技術があると、技術は技術の論理
で動く、営業は営業の論理で動く。評価する人は縦の論理でしか評価しないんだ
から。営業の人を技術が評価するわけではないから。しかし、現実における新し
いビジネスというのは横に繋いだ時に起きるんですよ。コンピュータ屋と数学屋
と物理屋と経済屋が一緒になったとしても、横に繋ぐ仕組みができて初めて、新
しい仕事ができるようになるわけですから。
2,小さな仲良し組が会社を変える
では、それをやるのはどうしたらいいかと言えば、まず、小さな仲良し組を作
るんですな。会社の中で縦割りのグループでなくて、横で仲良し組を作る。ご承
知のように、ネットワークというのはヒューマンネットワークから始まっている
んです。人のネットワークから仕事が始まるわけで、異業種の人が集まってそこ
でお互いの違った仕事を理解し合う。社内でも営業と技術と経理がそれぞれ理解
し合うということから話が始まる。経理は経理でそろばんばっかりはじいてお金
ためこむことばっかり考えているところから、技術が分かり、営業が分かりとい
うような仕組みを作っていく。まず、そういうサークルをつくっていくというこ
とが基本になっていくんでしょうね。そういう意味で言えば、異業種のネット
ワークは必要だし、こういうネットワークの中で皆さんが話をし、あれだったら
あの人に電話をかけて話をしてみようという関係が生まれる。同時に会社の中で
も、そういうグループが新しい発想を生むということになるだろうと思いますね。
3,異端のコンビが成功に導く
例えば経営において成功した企業というのは、多くは、2人から3人からなっ
ているといわれているんですね。これはヒューレットパッカード、それから、ソ
ニーの井深、盛田、ホンダの本田、藤沢、というようにですねコンビから成り立
っていると言われていますね。
このコンビというのは、今となっては技術と営業と考えた方がいいでしょう。
ヒューレットパッカードのヒューレットは、発明をするのが好きだった。パッ
カードというのはスポーツ万能選手で走り回って、物を売るのが好きだった。こ
ういうコンビが素晴らしい会社を生む訳です。彼等は会社を作る時にコインで賭
をする。どっちの名前を先にするか。ヒューレットが勝ったからヒューレットパ
ッカードで、パッカードが勝っていたら、パッカードヒューレットになっていた
でしょう。ソニーとホンダの場合も一緒ですよね。本田さんと藤沢さんの仲の悪
かったことは有名ですよ。会社の中におると物を言わない。物を言うと喧嘩して
ると。でも、これは仲が悪いんじゃない。本田さんはええものを作ったから売れ
と言う立場だし、藤沢さんはそんなものが売れるか!と言う立場だから、喧嘩が
あって当然なんですよ。松下幸之助の場合は、社内にそういう人はいませんでし
たが、社外にそれを持っていました。外のヒューマンネットワークの中にそうい
う人がいた。大徳寺の名匠と言われるお坊さんもその一人だし、例えば、プラン
を持って幸之助さんのところに行くと、だまって聴いてくれたあと、社外に秘書
を通さず自分で3つか4つ電話をかける。皆が了解したら、「一つやってみい」
となる。それは誰であるか分からない。彼は百科辞典的なものを後ろに持ってい
たわけです。
ビジネスは、こんな風に異業種の人間ががみがみ言い合うことが基本なんです
よ。コンビを持たないと大変危険ですね。ところが多くの場合、組織を作る場合、
皆様方仲良しが集まるからね、お互いにお茶飲んで一日つつがなく終わると、新
しい発想は生まれんでしょうな。人と人とのコンビネーション、ヒューマンネッ
トワークが非常に重要だと言ったけれども、異端の人達とお互いに結び合うこと
が重要なんです。
■2004年3月20日号■
〜特集〜日経新聞の読み方のコツ
この読み方で経済をつかむ
経営者なら日経新聞は、仕事と共にある学友あるいは同僚、または指南役のご とく、常に傍らにある読み物の一つではないだろうか。今さら新聞の読み方など と表すのもおこがましいが毎日読むことと理解ができるのは別の話である。構成 を体系的に捉え、視点を持つことにより情報はより整理された形でインプットさ れる。今回は、おさらいの意味も含めて日経新聞の読み方のコツを紹介したい。 明日から、行間にある見えざる真実が見えてくるかもしれない?
1,総合三面から読む
一般的に「新聞はまず第一面から読むもの」と考えられているが、日経の第一
面は必ずしも読みやすいとはいえない。というのも、第一面では、前日に起こっ
た出来事の中でも、速報性、スクープ性の高いものを選りすぐり、事実関係やポ
イントだけが伝えてあるからである。それだけに、その出来事の背景を知らない
人が第一面だけを読んでも、出来事の重要さが今ひとつ掴めないことが多い。例
えば、大手企業のA社とB社が合併を発表したとき、一面には記者会見で明らかに
された合併条件などが書かれる。しかし、なぜ両社が合併を決意したのか?今後
業界にどんな影響を与えるのか?がわからなければ、その記事の意味を十分には
理解できないことになる。時間がない人は、一面を読み飛ばして三面だけを読ん
でも構わない。総合三面を読んでいれば、日本経済の重要な出来事や新しい潮流
を効率よく知ることが出来る。
2,「何があったのか?」ではなく、「だからどうなるのか?」に注目
「円相場急騰 一時○○円、××銭に・・・」という記事が、大きく扱われる
ことがある。為替レートを身近に感じる人は少ないかもしれないが、仕事や生活
に必ず何らかの影響を及ぼすはずである。まずは、「何があったのか?」でなく、
「だからどうなるのか?」に注目して記事を読む癖をつけたい。おおざっぱに言
うと円相場が上がれば輸出産業に、下がれば輸入産業に悪影響を与える。特に輸
出大国日本には、家電や自動車など、収益の多くを輸出によって得ている業界が
多数あるので、円相場が急激に上がれば、これらの産業が打撃を受け、結果的に
日本の景気まで悪化させることになりかねないのだ。
3,一面特集の「連載期間の長さ」に着目してみる
一つのテーマをじっくりと掘り下げていく「特集記事」や「連載記事」がある。
中でも、一面左に掲載される特集記事は、「教育を問う」「医療再生」「デフレ
が蝕む」シリーズなど、その時々に日本経済が抱えているテーマが取り上げられ
ている。こうした特集記事を読めば、今の日本経済にとって何が重要なテーマな
のかがわかり、日経が今どのようなテーマを重視して取材、報道しているかもわ
かる。
そのとき、併せて注目したいのが、連載期間の長さである。連載期間が短い特
集であれば、そこで扱われているテーマは時事性、緊急性が高いと言えるし、逆
に数ヶ月にわたって何十回も続くような特集なら、扱われるのは長期に渡って考
えるべき構造的な問題であるとわかる。
特集には、連載の回数を表す数字や記号がついている。「上・中・下」なら三
回で終わる特集、「第1部」とついていたら、第2部、第3部も用意されている
ことになるので、およその連載期間が判断できる。
4,経済データの変化を追いかけるだけで経済がダイナミックに見えてくる
例えば、プロ野球に興味のある人が、チームごとの勝率や好きな選手の打率、
首位チームのマジックナンバーなどをチェックしていると、試合を見なくても数
字の動きを追いかけるだけで、各チームの調子などがわかるようになる。同様に、
刻々と変わる経済データも毎日追いかけることで、日本の景気がどんな状況なの
か、これからどうなるのかが自然と見えてくる。野球以上に経済のことが面白く
感じられることだってあるのだ。
●毎日チェックするデータ
・為替レート・日経平均株価・長期金利
●毎月チェックするデータ
・景気動向指数(景気と密接な関係のある計30の経済指標を集計して算出される
データ)
・完全失業率(労働力人口に占める完全失業者)
・消費者物価指数(消費者の支出にとって重要度の高い商品等の価格動向)
●年4回チェックするデータ
・経済成長率(国内総生産GDPの増加や減少を示す。成長率が動いた理由もチェ
ック)
・日銀短観(企業経営者に対して「景気についての実感」をアンケート調査して
作成されたデータ)
・業界天気図(日経が年4回、四半期の初めに発表する主要30業種の業界見通
し)
●年1〜2回チェックするデータ
・ヒット商品番付
・主要100品目シェア調査
(「わかる日経!」日本経済新聞社より一部抜粋)
皆さん、こんにちは。確定申告真っ只中です。わが事務所でもやっと申告書が
飛び交うようになりました。確定申告というと、一般的には税務署に並んで順番
を待ったり、一所懸命申告書を書いたりという光景が眼に浮かびますが、税理士
事務所の場合は少し違います。1年ぶりのお客様がおいでになったり、久しぶり
ということでお菓子を頂戴したり、以前と比べて齢(よわい)を重ねられたなあ
と感じたり・・・仕事はしんどいですが、ホンワカとした部分があります。もち
ろん、難しい税金の問題もある訳で、眉間にしわを寄せてるボスの姿もあります。
そのボスの母親の実家は、愛媛県宇和町の「上甲家」です。今日はその上甲家と
つながりがあるかどうかわかりませんが(上甲と言えば宇和独特の姓ですけど
ね)、上甲晃氏のお話です。迷える日本人にとても参考になる話です。
で、皆さん、座布団の正面ってどちらだと思います???
■2004年2月27日号■
〜特集〜「座布団の正面を見分ける一流の生き方とは」
“野望”と“志”の違い
「志を立てれば誰でも一流の人格者になれる」と、全国を駆けめぐっている上 甲晃氏の講演を久しぶりに聴く機会があった。松下電器産業入社後、松下政経塾 の副塾長を歴任した後、54歳6ヶ月で独立し「(有)志ネットワーク社」「青年 塾」を創設し現在に至るまでの歩みの中には、感動秘話が散りばめられており、 会場に集まった若い経営者の多くが聴き入っていたのに驚いた。今回は、その “志”のエッセンスをレポートしたい。
1,座布団の正面を揃え、凧糸を使って整える
上甲氏が松下電器産業に勤務していた頃、代理店サービスの一環で温泉旅行
に招待するという催事があった。予算は一人3万円。それでは、他社に差をつけ
るようなサービスができないので、もう少し予算を上げてほしいと松下幸之助に
懇願するが、松下幸之助は「金はつこうたらアカン」と、決して首をたてに振ら
ない。それならば、金のかからないところで勝負するしかない。とにかく、平凡
な事でも徹底してやる、当たり前の事でも「そこまでやるか」と思わせる徹底ぶ
りで差をつけようと全員で奮起した。
例えば、宴会の席の準備では、座布団を揃えるが、その揃え方は半端ではない。
まず、座布団の正面を座卓側に向ける。座布団の縁は四辺あって、縫い目のない
縁が座布団の正面である(残りの三辺には縫い目がある)。次ぎに、凧糸をまっ
すぐに張って左右の座布団の位置を揃え、一糸乱れず座布団を等間隔にまっすぐ
に並べるのである。ちなみに、一流のお座敷に上がると座布団の正面はきっちり
揃えてある。座布団の他にも、日本酒のカンをする社員は片手に温度計を持ち、
すべてのカンをチェックするために、ずっと火の元で立ちっぱなしである。また、
下足番は、お客様の靴を1足ずつすべて磨いて、きっちり揃えておく。思った以
上にお客様は非常に喜ばれ、帰り際には「予算は3万円でも、満足度は30万円
やな」と言われた。
2,本物を見抜く目を恐れる気持ちを持て
「そこまでしても座れば座布団は乱れるし、お酒も飲んだらおしまい」と、言
う人がいる。確かにそうであるが、それでは本物にはなれない。100人に一人、1,
000人に一人に本物を見抜く人がいる。その目を恐れて仕事をしなければならな
いのである。一流は隅々まで行き届いている。一流のお座敷に上がると、座布団
は正面に向けてきっちりと整えられている。また逆に、立派な屋敷に招かれても、
座布団の向きがバラバラになっていることがある。見る人が見ればわかるのであ
る。その家が本物であるのか、成金であるのか。
「金力有限 心力無限」心の力は無限である。どんなに使ってもなくならない
のが心である。3万円の勝負でも、心遣いで差をつけることはできる。当たり前
のことを当たり前にするのでは、感動は生まれない。当たり前のことを「そこま
でやるか」と思わせ、徹底させる姿に感動が生まれるのである。お金に心をかけ
ると2倍、3倍のサービスができるが、心をかけないお金だけのサービスは、自
動販売機と同じである。
3,人を育てるのは君子の楽しみ
上甲氏は、若い頃、営業課長として電子レンジを必死で売り歩いた。その後、
松下政経塾に出向を命じられたときは、内心おもしろくなかった。しかし、当時
としては、花形の最新機器であった電子レンジは今では産業廃棄物になっている
のに対し、人は、どんどん育っていく。年を取るごとに成長を見守る楽しみが増
えていく。昔から言われる「人を育てるのは君子の楽しみ(高貴な人の楽し
み)」ということを、まさに実感している。よく「即戦力になる人材がほしい」
といわれるが、戦力でなくなれば要らないということの裏返しである。長期的な
視野がなければ、人を育てることはできない。即味わえる楽しみではない、だか
らこそ「君子の楽しみ」なのだ。
4,人間の力が発揮できる時の心構え
開塾後10年かかって、ようやく松下電器から資金援助なしで運営していくこ
とができるようになった。「誰も助けてくれない、自分しかいない」と覚悟を決
めることで、人間としての力を発揮することできた。志がすべてである。自分の
利益を望むのが野望であるなら、みんなの利益を望むのが志である。社会のため、
日本のため、地球のためと、思いを大きくすると、エネルギーも大きくなる。こ
れを高い志という。親の時代と違って、日本は今、食べるのに困らない国になっ
た。では、どうするか?親の世代にはできなかったことをしなければならないの
である。10万本のうち1本でも燃えている炭があると全体に火がつく可能性が
ある。最初の1本になること。それが改革の火種となる。最初に火のついた炭が
1本も無ければ永遠に火はつかないのだから。
皆さん、こんにちは。確定申告が始まりました。が、わが事務所はまだ今月申
告の法人税に追われています。この先が怖い・・。
2月10日号を送りそびれてしまい、今回まとめてお送りします。少し量が多
くなってしまい申し訳ありません。時間をかけてご覧下さい。
しかし、暖かな日が続きますね。21日は徳島で仕事があったのですが、春霞
がしっかりかかっていました。このまま春になってくれると良いのですが、どう
もそうでもなさそうです。また寒くなった時に風邪を引かないように気をつけま
しょう。では、申告中ですので、この辺で。
■2004年2月10日号■
〜特集〜リーダーのための自己表現能力
1,8割が人前で話すの苦手
人前に出た途端に、あがって頭が真っ白になって、ろくに話せない・・・そん
な失態を、いつまでも根に持ち、「自分は話すのが苦手。あんな嫌な思いは二度
としたくない。」と、大なり小なりのコンプレックスを抱えている人は以外に多
い。研修等で「人前で話すのが嫌な人は?」と聞くと、どこの会場でもだいたい
8割ぐらいの手が挙がる。そして、彼らは決まって「もともと話すのが苦手なん
です」という。「じゃあ『もともと』って、いつが『もともと』なの?」と、聞
き返すとはっきりわからない状態である。
でも、ほとんどの人が失態の経験はある。人前で話をすることを職業としてい
る人だって、苦い経験はあるのだ。ではなぜ、かたくなまでに苦手意識を持って
しまうのか。最大の原因は、「話すための適切な教育を受けていない」ことにあ
るように思える。
多くの場合、小学校から高校まで、読み書きの勉強はあっても「話す」ことは、
教育カリキュラムには含まれていなかった。何事も上達しようと思ったらそれな
りの練習が必要であるが、「話す」ことは、訓練しなくても自然に身に付くもの
と思われているようだ。
では、「読み、書き」についてはどうだろう?好き嫌いはさておいて、かなり
長い時間をかけて訓練を受けているはずである。それでも、「読み、書き」が得
意な人は少ない。「文章を書くのが苦手」と思っている人は、話すことと同様に
たくさんいる。
訓練した「読み、書き」でも苦手なのだから、正式な教育も訓練を受けていな
い「話す」ことが苦手なのは当然である。
コミュニケーション能力は、生まれつきの才能ではない。後天的な能力であ
る。機会があれば、いくらでも上手くなるし苦手意識はなくなる。逆に何もしな
ければ、一生その能力が開花することはない。実は苦手だと思っている人に類い
希な才能が宿っていることもある。
安易に「自分には話す才能がない」と諦めるのは、勿体ない話である。
2,「名探偵コナン」よりも「刑事コロンボ」で
今、子供達に大人気のテレビ漫画に「名探偵コナン」という推理漫画がある。
あるとき何かの力で、子供の姿に変えられた見目麗しい青年が、探偵に代わって
次々と事件を解決していくというもの。犯人とそのトリックを解き明かしていく
様は、大人でもつい真剣に見入ってしまう一面があり、紆余曲折しながら最後に
ぴたりと犯人を突き詰める様子は、捕物帳を見ているような快感もある。一方、
「刑事コロンボ」といえば、レインコートに安葉巻の中年刑事コロンボが、ドラ
マ冒頭で描かれる巧妙な犯罪を緻密な推理で暴いていく“倒叙スタイル”である。
コナンもコロンボもどちらもそれぞれに面白いが、コミュニケーションは
「刑事コロンボ」のように構成するのが良い。話すことも、最初に種あかしを見
せる。自分が最も言いたいことを最初の一文に託す。一番最初に一番重要なこと
を言い、次にそれを裏付けることや、詳しい説明をする。さらに必要であれば、
すでに述べたことの中から派生してくる内容を付け足していく。そして、最後に、
最初に言った最重要課題をもう一度繰り返してまとめる。万一、途中で自分の話
がとぎれてしまっても、最も重要なことはすでに述べていることになる。「書
く」ことについても、同じである。
最後に最重要部分を持ってこようとすると、その経過に至る過程で、話す側も
聴く側も「迷探偵」になりがちであるので、気を付けたい。
3,自分の色をさぐりあてる
映画館で同じ映画を観ても「良かった」というものから、「退屈だった」とい
うものまで、感想は様々である。さらに、「どこが、どのように?」と尋ねると、
実にバラエティに富んだ答えが返ってくるだろう。映画監督が一つのテーマを訴
えようとして製作しても、必ずしも思惑通りに解釈されるわけではない。すべて
は観客の解釈の仕方にかかっているのだ。
私たちは自分のフィルターを通して世の中を解釈している。仮に同じ様なフィ
ルターを持っている人が居たとしても、100%自分と同じフィルターを持ち、ま
ったく同じ解釈をし、評価をする人はいない。
このフィルターを乗り越えて共感を得ることは難しいが、個人が持つフィル
ターの色を探りあてることのできる唯一の手段はコミュニケーションしかない。
人とコミュニケーションするということは、自分を表現しながら自分と違う
フィルターに触れていくことである。自分の言わんとするところをわかってもら
う為には、意識して言葉を使い、詳しい情報を提供するのが一番である。
自分と違うフィルターに触れながら、さらに自分の世界を広げていくという作
業を、人は一生続けていくのでる。
■2004年2月20日号■
〜特集〜「アバター」 集客型ソリューション
1,「アバター」ってなに?
経営者で「アバター」といってピンと来る人は、恐らくまだ少数派、というよ
り極少数派であろうと思われる。そもそも、「アバター」とは「分身」という意
味なのだが、インターネット上の自分の分身キャラクターを作って楽しむところ
から端を発しているようだ。
例えば、チャットや掲示板、オンラインゲームでの対戦中など、相手がわから
ないインターネット上でのコミュニケーションに欠かせないのが「アバター」で
ある。写真を載せるより気軽で安心なことから、若い世代にはとても人気があり、
文字だけのコミュニティでは、つまらないという若者ユーザーを中心に流行して
いる。
自分キャラ「アバター」は、目・鼻・口から肌の色まで自分に合わせて作るこ
とができ、またTシャツやコートから靴、アクセサリーと多種多様なアイテムが
あり、組合せも自由自在。自分のセンスを活かしながら自分そっくりに作れるだ
けでなく、その日の気分に合わせて着替えも、模様替え(背景の色や柄)も手軽
に楽しめるのである。
2,「アバター」がビジネスを変える日
この仮想空間上の分身「アバター」だが、単に若者サイトだけの流行にとどま
らず、今やビジネスの世界にも浸入しつつあり、使い方によっては収益を上げた
り、収益獲得のきっかけをつくることもできるのである。
企業が制作・運営しているWebサイトには「商品販売」や「有料サービス」
「会員獲得」等、様々な収益モデルがあり、収益はそのサイトがいかに「集客力
がある」かにより大きく左右される。韓国では、2001年、写真ではなく自分キャ
ラクター「アバター」を使うコミュニティが強力な集客力があるとされ、2002年
頃から日本でも1社2社がアバターを使ったコミュニティサービスを開始したので
ある。
3,技術がツールの意味を変え、新しいサービスを生み出す
このほど「裏表両面から画像を見ることができる液晶パネルが開発された」と
いう発表があった。今後、携帯電話やノートパソコン向けに実用化を目指すとい
うことだが、現在、折り畳み式の携帯電話では、メーン画面のほかに、閉じた状
態での表示用に小さなサブ画面が搭載されているものが多く、二枚の液晶パネル
が使われている。しかし、このたびの技術開発で、サブ画面も同じ液晶パネルの
裏側に表示できるようになるだけでなく、表と裏で異なる画面を表示することが
できるようになるということだ。
これは、軽量化や生産コストの低減につながるだけでなく、携帯電話の意味と
役割を変える可能性を大いに秘めた開発である。
恐らく、近い将来、携帯電話は両面すべてが液晶パネルになり(裏表がそれぞ
れ大きな液晶画面になる)、折り畳んだときに表側になる液晶パネルには、その
日の気分で色や壁紙を変えることができるようになる。また、自分の洋服と携帯
電話をコーディネートするなどして、電話という機能だけでなく、もっと自分を
表現するツールに変わるであろう。液晶画面にはカルティエやエルメスなどのブ
ランドパネルを張り付ける等のサービスも出てくるし、テレビ電話も主流になる。
そうなると「アバター」が大活躍するのである。仕事モード、ペットと戯れモー
ド、ラブラブモード等、テレビ電話に自分の顔を写す代わりに、その時の自分の
状態や気分を表すキャラが自分に代わって登場するのである。
4,アバターコミュニティの経済効果
現在、「アバター」を無料で作れるサイトもあるが、100円前後でよりグレー
ドアップした分身を作ることもできる。例えば、おシャレな洋服を着せたり、髪
型を変えたり、背景に香港の夜景を張り付けるといった具合である。仮想空間と
はいえ、自己アピールをより豊かなものにしようと考えると消費者側から見れば
「まあ、100円ぐらいならいいか」となり、業者側から見れば、低料金でも収益
性の高いビジネスモデルが生まれる。また、「アバター」は、現実の世界では無
理でも、分身によって変身願望を叶えるという、多くの人が大なり小なりもつ潜
在的な願望を満たすことも可能にするのである。
あるお菓子メーカーはすでにこの「アバター」に目をつけ、自社のキャラク
ターが無料でダウンロードでき、「アバター」に張り付けるというサービスを始
めており宣伝効果を高めている。
サイト上での『自社商品の宣伝・販売』『有料会員ユーザーの獲得』『情報の
宣伝アピール』等、アバターコミュニティは、今日本で最も注目されている集客
型ソリューションである。
皆さん、こんにちは。例年と違い北から始まったインフルエンザが四国にも下
りてきました。我が家の次男坊も先週罹ってしまったのですが、翌日病院で抗イ
ンフルエンザ剤を投与されると熱は下がってしまい、その効果に驚いてしまいま
した。この時期病気にかかれない私はホッとすると同時に、「これって土曜日の
夜に発熱した時って救急病院でも対応してくれるのだろうか?」と疑問も・・・。
そんなご経験のある方いらっしゃればぜひ教えてください。
インフルエンザが流行る季節と言えば、バレンタインデー(ちょっと無理なこ
じつけ?)。その日のチョコレートを買う所といえばデパートですね。クリスマ
スから春の入学シーズンまでの期間、結構足を運ぶ場所の一つのような気がしま
す。今日はそんなデパートについて、パリからのレポート総集編です。なお、イ
ンフルエンザは暖かくなると死滅しますが、それまでは人ごみの中は要注意です。
デパートへ出かけるときは、マスク・手洗い・うがいなどの予防策を心がけまし
ょう!
■2004年2月2日号■
〜新春特集〜ODANAOのパリ見聞録 総集編 デパート
世界初のデパート誕生の地 パリ
世界初のデパートが誕生したのはパリである。時は19世紀半ば。それは、 「必要」から「欲望」へと、消費の意味を一変させた。当初から衝動買いを誘う ウィンドウ・ディスプレイに演奏会の催しや、バーゲンセールなど、誕生から一 世紀半が経過した現在とあまり変わらない集客戦術を駆使ししながら、消費文化 を創り上げていったのである。 そのデパート発祥の地において、現在最も規模が大きく、一日10万人とも言 われる集客を誇る、パリで一番のデパートと言われるギャラリーラファイエット をレポートしつつ、パリ見聞録の総集編としたい。
1,デパートはその土地の文化度を表す
デパートを歩けば、時流が分かると言えば大袈裟に聞こえるだろうか。しかし、
実際そうであるし、その土地の文化度が見えてくるといっても過言ではない。何
をトレンドとしているのか?どういう層をターゲットにしているのか?また、そ
こにどんな店員が何人いて、お客の雰囲気はどうであるか?また、各売場面積の
広さは消費者の「欲望度」「人気度」の高さに比例する。流通や流行という視点
だけでなく、世の中の思考と嗜好をぎゅっと凝縮したミニチュアハウス(りかち
ゃんハウス)のようで面白い。
さて、話をパリに戻しギャラリーラファイエットであるが、例えばランジェ
リー売場(下着売場)には、目を見張るものがある。とにかく広くて華やかでソ
ファーがあり、白いオーガンジーのカーテンが時々ヒラヒラとゆれる夢のサロン
のような雰囲気になっている。確かにそこは売り場面積2600平方メートル、
80のブランド、150人のアドバイザー、40の試着室があると言われる、日
本のデパートではまだ見ることのできない一大スペースなのである。
日本では、たぶんまだ「ランジェリー売場」と言うより「下着売場」の方がピ
ッタリくる感じである。売場もどちらかといえば隅に追いやられていて狭い。
「下着を買うところを見られるのは恥ずかしい」という日本独特の文化もあるの
かもしれないが、日本ではまだ、下着がファッションとして楽しむより生活必需
品の分野にとどまっていることの証明かもしれない。
2,クリスマスのお楽しみ
クリスマスシーズン、パリの子どもたちのお楽しみは週末に連れて行ってもら
えるデパートのショーウィンドーである。普段は、洋服や香水などの広告を兼ね
て大人向けに誂えてあるショーウィンドーもこのときばかりは、子供向けや家族
向けにイメージチェンジをする。ギャラリー・ラファイエットでも、「幻想的な
おとぎ話」をテーマに展開された12のショーウィンドーがあり、道行く人は、
わざわざ足を止めて大人も子供もしばらく夢中になって見入っており、ショーウ
ィンドーの前に時折、山のような人だかりができるこの光景は、パリの冬の風物
詩にもなっている。また、神戸ルミナリエのごとく大がかりなクリスマスイルミ
ネーションもギャライーラファイエットの見どころである。イタリア人アーティ
ストのヴァリレオ・フェスティ氏が15万個の電球でデザインしたと言われる
「光のクリスマス」は、昼間に見ても圧巻である。一説によるとパリは、イルミ
ネーションの街という。室内、屋外を問わず、照明の使い方が非常に上手い。光
の文化が根付いているのだ。
3,フランス料理本場でも日本食は人気
日本食はへルーシーフードとして今や世界各国で人気があり食材も手に入る。
パリも例外ではない。
ギャラリー・ラファイエットにも「SUSHI CAFE」という日本食屋があり、現地
の人や日本人観光客等で常に満席である。ちなみに、右の写真は、15ユーロ
(約3,000円弱)のランチで、日本茶は2ユーロ(約300円)なので、デ
フレ価格に馴染んでいる日本人にとっては、とても割高に感じる。この程度なら
日本で言えば1,000円の定食だろう。味は、パリでエッフェル塔を眼下に臨
みながら食べるということを条件に許せるレベルである。
4,オマケのエトセトラ
■無料ファッションショー
週に1〜2回、デパートでは無料鑑賞できる本格的なファッションショーが開
かれる。もちろんこれは販促と密接に関係があり、ショーでモデルが着ていた洋
服を売場でも即購入できるシステムになっている。
■日曜日はお休み
殆どのお店は日曜日は休みである。デパートも然り。これは労働者を守る法律
によるものと言われているが、元来フランス人はあくせく働く体質ではないらし
い。日曜は儲け時と躍起になるのは東洋思想なのかもしれない。
■中国人の観光客急増
正式なデータがないので恐縮だが、数年前に比べて中国人観光客(団体)が増
えているのは間違いない。今回、日本人かと思ったら中国人だったという経験を
何度したことか。わずか5年前はシャンゼリゼ通りでも郊外の観光地でも東洋系
の顔はほとんど日本人だったが、あの頃の日本人が中国人にとって変わられたよ
うに感じた。
■2004年1月20日号■
〜新春特集〜ODANAOのパリ見聞録2
王妃マリー・アントワネットの悲劇とルーブル美術館
美術館の歴史を知ると、美術館巡りがもっと楽しくなる。世界最大の美術の殿堂と言われるルーブル美術館には、フランスゆえの歴史が刻まれている。前回に引き続き、名画と向き合う至福のひとときがもっと味わい深くなるレポートをお送りしたい。
1, ルーブル美術館誕生の背景 ベルサイユのバラから
マンガ「ベルサイユのバラ」は、マリー・アントワネットと愛人フェルゼンとの恋、フェルゼンを恋する男装の麗人(女)オスカル、オスカルを恋する幼なじみのアンドレ、そして燃え上がるフランス革命の火という展開で構成されている。
マリー・アントワネットは1770年ルイ16世と結婚し、パリ市民はその美しさに魅了され二人を祝うと共により暮らしやすい時代を期待する。しかし、ルイ15世が天然痘で亡くなり、ルイ16世が即位、王子も誕生し幸せな生活になるかと思ったのもつかの間、王家は今までの浪費のせいで借金ばかり。そこで増税しようとしたが、高等法院で否決され200年ぶりに僧侶、貴族、平民からなる三部会を開催する。これがもつれて軍隊の出動、平民の武装、ついに衝突となってフランス革命が始まる。それは政治犯の牢獄バスチーユの襲撃から始まったのである。やがて、ベルサイユ宮殿にも革命軍がやってきて、王家の一族は捕らえられ、チュイルー宮へ移されてしまう。命の不安を感じたルイ16世、マリー・アントワネットは子どもをつれて生まれ故郷のオーストリアに脱出しようと試みるが、革命軍に見つかり再び囚われの身となり、ついに1793年1月にはルイ16世が、10月にはマリーアントワネットが断頭台(ギロチン)の露と消える(皮肉にもギロチンを考案したのは、他でもないルイ16世自身である。まさか自分が最初の犠牲者になろうとは夢にも思わなかったであろう)。この革命の中からナポレオンも活躍し皇帝になっていくのである。
そしてこの革命後、ルーブルの城砦とマリーアントワネットが捕らえられていたチュイルー宮を結び美術館とし、王室の美術品を展示し、一般公開するようになったのがルーブル美術館だ。
2,城塞〜宮殿〜美術館へ変貌を遂げた ルーブル美術館
世界最大の美術館であるルーブル。そこには膨大な数の展示品に加え、計15キロの地下通路、4200枚の窓ガラスがある。そしてそこで働く人々は、学芸員、金メッキ師、大理石職人、清掃員、警備員、案内係、資料係、写真家、庭師、音響学者、物理・科学者、調理人、管理人、消防士などなど、その数ざっと1200人。所蔵する品々の数は、およそ35万点。館内すべての作品をくまなく見ようとすれば、ゆうに一週間はかかるという。
12世紀には小さな城塞だったルーブルは、ダ・ヴィンチをイタリアから招いたフランソワ一世によって宮殿へと変貌する。やがてルイ14世らのコレクションも加わり、華やかな時代を迎えるが、フランス革命が勃発し、革命後の1793年、王室のコレクションを展示する美術館として市民に開放されたのが、ルーブルの歴史の始まりである。その後、ナポレオン1世、3世のコレクションも加わり、改装を重ねて現在の姿となった。ちなみにルーブル中央にあるシンボル、ガラスのピラミッドは、1989年フランス革命のモニュメントとして中国系アメリカ人の建築家I.M.ペイ氏が設計したもので、エジプトのギザのピラミッドと同じプロポーションである。また、王朝時代の著名な画家や彫刻家たちが、ルーブルをアトリエとしてルーブルに住んで仕事をしていた時代もあった。
明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願い申し上げます。
お正月の空気も少しずつ薄くなっていく感じがしますが、皆様、どのような新
年をお迎えでしょうか?わが家では、私の眼の調子が悪かったということと(お
かげさまで先日やっと完治しました)、長男の受験ということもあり比較的静か
なお正月でした。日本全体のお正月も同じく静かだったような気がします。ただ、
イラクへの自衛隊派遣、止まらない円高と財務省の無理な介入姿勢、裏をかいた
税制改正等々ややマニアックではありますが、これからの波乱劇を静かに待って
いると言われればそんな感じもします。年賀状にも書きましたが、何が起きても
動揺しないことが一番大切な時かもしれません。
こんなとっても変なムードの時はちょっと日常を離れてみることって大切です
ね。私の友人がそんな気持ちなのでしょうか、年末にパリに行って来ました。今
回からそのレポートをお送りします。簡単に行けないヨーロッパですが、気持ち
だけ浸ってみてください。
■2004年1月10日号■
〜新春特集〜 ODANAOのパリ見聞録
2003年12月25日、日本から約13時間のフライトを終え、パリ シャルル・ド・ゴール空港へ降り立った。「本当にこんな所まで一人で来て大丈夫なのかしら」という不安がよぎる。「ついに到着してしまった」と言うのが本音であった。複雑な私の心境を映し出したような夕刻のグレーに染まった空港は、ひどく殺風景なものに見えた。
4回目のパリ。でも、完全に一人(同行者も現地で合流する人もいないというケース)で旅をするのは初めてである。特にパリの旅を希望していたわけではなかった。日常から切り離されて一人になれるのならどこでも良かった。しかし、国内では電話が簡単に繋がってしまい日常と決別するのは難しい。一人になるなら海外しかないという切羽詰まった思いで、航空会社に問い合わせたら、希望の日程で予約が取れたのはパリだけであった。
実は望み通り一人の時間を手に入れたものの、不安や孤独感で潰されそうになり心は晴れなかった。しかし、そんな鬱を知らず知らずのうちに昇華させて、生きるエネルギーを与えてくれたパリの旅を3回にわたってご紹介したい。
第一部 荘厳な遺産はモードで味付け 二つのオペラ座編
1,無名の若い建築家が設計コンクールに優勝 「オペラ・ガルニエ」
シャガールの天井画(夢の花束)に赤と金に彩られた五層の観客席、白大理石の大階段、ベル・エポックの華やかな時代を連想させるオペラ座(オペラ・ガルニエ)は、ナポレオン3世の命により、1861年から1875年にかけて建設された。面積1万1000m2、舞台は450人を一度に登場させ馬を走らせることができるとさえ言われるほど巨大な広さで、豪壮な建築はネオバロックの傑作といわれている。当時は、大きな建物の設計は権力者が指定する建築家により行われるのが常であったが、オペラ座の建設にあたっては、初めて一般公開コンクールがなされ、171のプロジェクトが寄せられた中、満場一致で優勝したのが無名の建築家で弱冠35歳のシャルル・ガルニエである。ガルニエは、建築に必要な石、大理石、黄金などを手配するにあたり、オペラ座建築の総監督として采配をふるい、当時の芸術、技術が総動員して建築の中に織り込まれていった。故にオペラ・ガルニエそのものがオペラで、エントランスに一歩踏み入れたときから、舞台は始まっているといっても過言ではない。
完成して今日まで伝説的な名舞台を上演し続けてきたオペラ・ガルニエだが、1989年にバスティーユに新オペラ座が完成してからは、バレエ専門の劇場になっている。
2,近代的な美しさを誇るオペラ・バスティーユ
1982年に行われた国際設計コンクールには1700人が参加し、756のプロジェクトが申し込まれたが、1984年にカナダ国籍のウルグアイの建築家、カルロス=オットがその栄冠を勝ち取り、新オペラ座の設計者となった。一面ガラス張りのこの新しいオペラハウスでの最初の上演は1999年9月。作品はベルリオーズの「Les Troyens」(トロイアの人々)。初代音楽監督にはミョン=フン・チョンが就任した。
フランス革命という大きな歴史的事件のまさに中心となったバスティーユ広場。その広場の一画に新しい オペラ座が完成したのもちょうど革命から200年たった1989年のことであった。オペラ・ガルニエと比べて、バスティーユの新しいオペラ座は超モダンな建物。(池袋の東京芸劇風)オペラ・ガルニエとは違った魅力を醸し出している。
3,芸術の新しい風 新進気鋭の舞台が魂を揺さぶる
オペラ・ガルニエでバレエ「パヴァーヌ」を、オペラ・バスティーユでオペラ「こうもり」を観劇した。いずれも共通して言えるのは、総じて技術的なレベルが高いことと、映像を駆使し、光や音の使い方などが巧みで、演出が新しく新鮮さが感じられることである。また、約130年前に無名の若い建築家が、オペラ座の設計に大抜擢されたように、若い力のある演出家が男女問わず、大舞台で実力を発揮していることである。ここでは芸術が古き良きものに終わらず、古き良きものの上に、どんどん新しい試みがなされ、常に変化しながら成長を続けているのである。だからこそ、多くの人が舞台におもしろみを感じ、劇場に足を運び、芸術や文化が育つ土壌ができていくのではないだろうか。
訪れた両劇場とも平日にも関わらず、満席でチケットはソールド・アウトだった。スーツやワンピースといったワンランク上のカジュアルで、家族であるいは仲間と気軽に楽しみに来ているという印象だった。
皆さん、こんにちは。
今年最後のレポートになりました。新年の準備は進んでいらっしゃいますでし
ょうか?今年の年末は、26日が御用納めといつもの年に比べて早かったせいも
あり、クリスマスのあと突然年末が来たような感じですね。
今回は、1年分のレポート総まとめという形を取っています。皆さんご自身に
とって、今年はどのような1年だったでしょうか?私は、やはり「健康」を感じ
る年でした。眼の調子は、数日前から左目に膜が張って、車の運転も出来なくな
ってしまい、苦労してますが、いつも回りのみんながフォローしてくれているこ
とがよ〜くわかりました。また「大丈夫か?」というメールまで頂戴して、ご迷
惑をおかけしてるのにうれしい限りでした(今日は何とかメールを片目で読める
くらいまで回復しました)。この経験を忘れずに、また何となくですが感じてい
る来年の大きな動きの中で生かしていきたいと思います。
世の中の変化が来年はもう少し具体的な形になっていきそうな気がします。そ
の変化の波を皆さんと一緒に体験していきたいと思います。来年もどうぞよろし
くお願い申し上げます。
■2003年12月26日号■
〜特集〜 2003年エフ・アンド・エイ レポート ダイジェスト版
2003年は、皆さんにとってどんな年でしたか?過ぎてみればあっという間 の一年でも、思い起こせば色々な事がありました。今年のエフ・アンド・エイ レポートを抜粋し一年を振り返ります。
■1月 新春未来予測 2003年の潮流とあなたの変化予報
「今後、10年にわたって起こる変化で、人類の歴史の中で最も強力な変化の一
つを経験することになるであろう。今日、我々の大半は主として電子メディアの
受け手である。テレビを観たり、ラジオを聴くといった具合だ。今後の10年の
間に、より多くの情報を送ったり受けたりするようになっていく。人間は単なる
消費者から、消費者でありつつ提供者でもあるような存在に変質していく。」こ
れは10年前の1993年に前・米国副大統領アルバート・ゴアが講演で語った
ものである。講演から10年が経過した今年2003年はまさにゴア副大統領の
言う通り人々は消費者でありつつ提供者でもあるような存在に変質する。」
■2月 2060年まで、人類が体験する3つの革命 「いのち」の時代の夜明
け前
「デジタル革命はまだ始まったばかりである。今後20〜30年続き、これによ
り政治の仕組、経済システム、教育システムなどが変わり、コミュニティが変わ
り、社会システム全体が変化する。そして、この『デジタル革命』は次の革命を
準備するのである。2040年までは、デジタル革命とバイオ・テクノロジー革
命が経済を引っ張っていく。この2つの革命は第3の革命である「地球環境革
命」を準備する。革命の本質は「いのち」である。 バイオ・テクノロジー革命
は難病の解決による長寿の実現、植物や動物の生命を真正面から捉える技術革命
である。これは食料問題の解決、さらに「いのち」の量(年齢)から質(より充
実して生きる)の移行まで幅広い変化をもたらす。そしてこの地球上の全てのい
のちの問題である地球環境問題は3つの革命によってはじめて解決される。20
03年はいのちの「夜明け前」である。」
■3月 今こそ松下幸之助に学ぶ I・II 面白ければ成功率が高い
「松下幸之助は『仕事を面白くやる』と言った。このことはシリコンバレーでも
共通である。松下幸之助の言を待つまでもなく、面白くなければ、熱意も入らず
うまく行くはずもないのだ。言葉を替えて言えば、『面白ければ面白いだけ、そ
の仕事の成功する確率は高い』と言ってよい。そういった立場から、現在、アメ
リカのアントレプレナーたちは、仕事を面白くやるところから工夫を始めてい
る。」
■4月・5月 ロボットから見る時流把握〜「鉄腕アトム」2003年4月 復
活!
「昭和48年には、優等生のアトムとは対照的な、まぬけでお人好し?のロボッ
ト『ドラエもん』が誕生し、あのポケットから時空を越える様々な道具を取り出
し、今も世界中の老若男女に夢を与えてくれている・・・。いずれにせよ、すべ
てのキャラクターに共通するのは、『未来への扉』を開け放してくれることであ
る。作家ハートリーは『未来は別の国なのだ。人々は我々と違ったやり方で生き
ている』と言い、SF作家アーサー・C・クラークは『進んだ文明は、魔法と見分
けがつかない』と言う・・・」
■6月 時間に縛られない関係を求める社会 非同期社会ってなに?
「コミュニケーション量が大きくなると、リアルタイムに対応することは不可
能である。1人の人間が同時に何本もの電話に出ることはできないが、Eメール
なら同時に数十通、受信したとしても十分対応可能なのである。インターネット
という技術が時間の多層化を実現した。例えば、非同期を押し進める技術の代表
がケータイ。『今、○○ビルで限定30食、半額セールです』という一斉メール
を流すキャンペーンは、非同期の技術を同期型として使っている(シチュエーシ
ョン・マーケティング)新しい文化で、これから益々増えるであろう。
同期型と非同期型の融合が、暮らしを変え、生活者の意識の変化させてい
る。」
■7月 デパートの歴史にみる商売の原点
「『ボン・マルシェ』は、同時代に建設されたシャルル・ガルニエのオペラ座を
イメージしてつくられた。店舗が劇場、買い物客が観客だとすると肝心のオペラ
は商品ということになる。ブシコーは、この『商品のオペラ』の傑出した演出家
だった。例えば、ウィンドー・ディスプレイは、いつもある種の物語性を含んだ
オペラの情景ないしは楽曲を構成している。緩やかな序曲から始まり、クライマ
ックスに至り、大団円を迎えるというようにウィンドーの前に立つ客はディスプ
レイを見ながらテーマに基づく商品を楽しみに、楽しんだ分デパート側の『これ
を買え』というサブリミナルイメージを深層心理にしっかり植え付けられてしま
うことになるのである。客は、帰りの乗り合い馬車に乗った途端、身分不相応な
『思いもかけなかったような必需品』を数々買ってしまったことに気づくが、い
い買い物をしたという充実感があり、今度はバーゲンセールのときに、もっとお
金をたくさん持って『ボン・マルシェ』にこようと、考えるのであっ
た・・・・・」
■8月・9月 サントリーホール物語〜世界一美しい響きを目指して
「四枚の設計図を見ながら説明を受けていたカラヤンは、ベルリン・フィルハー
モニーと同じワインヤード(ぶどう畑)タイプを勧めた。音楽は、演奏者と聴き
手が一体になって創るものであり、聴き手が演奏者を取り囲むホールが理想だと
いうのがその理由であった。また、カラヤンは、オルガンのないコンサートホー
ルは、家具のない部屋と同じだと、パイプオルガン設置の必要性を力説した。さ
らにカラヤンは、もうひとつ重要なアドバイスをした。楽屋とステージは同じ平
面になければならない。階段があるなんてもってのほかだと言ったのである。楽
屋はステージの延長線上にあり、演奏者にとっては創造の場、いわば聖域なのだ。
楽屋にいるときからすでに演奏に臨んでいるような気持ちになっているので、そ
れが階段や何度も曲がらないよう長い廊下で邪魔されてはならないと・・・」
■10月 「企業再生」の経営哲学 思考は「過去のデータ」からではなく「未
来の贈り物」から
「未来は過去のデータ上にはない。勝てば嬉しい、負ければ悔しい。その実感の
中に未来がある。未来を描くとき正しい過去のデータが必ずしも役にたつわけで
はない。経営者に許される嘘があるとしたら、それは、あるべき未来を語ること
である。実感(思い)から真実を引き出し、事実を作り上げる。それは過去から
引き出すものでなく、未来の贈り物から事実を構築するという嘘かもしれな
い。・・・」
■11月・12月 提案営業の実践法
「『顧客は、ひょっとしたらこんな問題点を抱えているんじゃないか』という仮
説をたてて、提案してみる。恐らく・・・顧客に検証してみて違うと言われれば、
そこから、また仮説をたてる、さらに提案してみる。また、違うと言われれば、
またさらに仮説をたてて提案をする。ということを繰り返すうちに、顧客との信
頼関係もスパイラルアップして少しずつ深まっていくのである。できれば、その
過程には営業マン一人のスキルだけではなく、組織全体としてのバックアップ体
制がほしい。部署を越え、時には業種をも越えてチームで取り組むことにより、
最適な提案ができるのである。」
皆さん、こんにちは。
日本列島がやっと冷えてまいりましたが、いかがお過ごしでしょうか?
私は、眼の中に風邪のウィルスが入ってしまい、まぶたが大きく腫れて、目の
中も充血して悲惨な顔をしています。症状等は下記の通りです。http://www.smile-eye.com/faq/1_4.htm
こうなってしまった理由は、ここ数週間のハードな生活で体が参ってしまった
ことだと思われます。どこにどんなばい菌がいるかわかりません。最大の予防は
体調を整えておくことです。インフルエンザも最大の予防は、体調だとか。この
冬を乗り切るためにも栄養も休養もたくさん取りましょう!
ところで、そんな症状になって飛び込んだ眼科なんですが、大変な不愉快な思
いをしました。感染する割合がひじょうに高い(直接ウィルスが自分の眼に触れ
たら・・の話です)ので、私に対してすごく神経質に対応するのです。椅子から
立ち上がる時に手を突こうとすると、「触らないで下さい」の一言。「私は患者
だ!この訳のわからん病気でとても不安なんだ!」という気持ちに対して、大変
冷たく感じられました。病院の事情は良くわかりますけどね・・・。
もう一つは、ちょっと良い話。高速道路を出る時に、ETCをまだつけていな
い私は、カードのやり取りをしますが、その時に「お気をつけて」と声をかけら
れました。とてつもなく難しい話ではなく、ホントに些細なことです。でも、フ
ッと気が軽くなりました。
どちらの話も、ちょっとした気持ちの問題なんだと思います。他人を良い気持
ちにさせるってきっとそんなに難しくないはずです。今回はそんな話です。この
話って、人と接する上でとても大切なことのような気がします。皆さんはどう思
われるでしょうか?
■2003年12月20日号■
〜特集〜今宵も、ひたすら一生けんめい
満100歳の銀座ママに学ぶ商売のあり方と生きる姿勢
「銀座に100歳のママがいるお店がある」と聞いて、いつか行こうと思って
いたのだが、お目にかかることもなく、「100歳ママ」は、今年9月に心不全
の為、101歳で死去された。
1948年に46歳の時、銀座に店を開き、50年以上にわたり現役の「銀座
のママ」を続けた有馬秀子氏の経営する店は、政治家の河野一郎や財界の永野重
雄、作家の遠藤周作らが足しげく通った店としても知られていた。一人暮らしで
自分で何でもこなし、死ぬまで現役で毎日お店に出ていた「100歳ママ」の著
書に、このほど触れる機会があったので、そのエッセンスを一部紹介したい。
1,女でも、なにか始められるかもしれない
「お母さん、家で座ってお裁縫ばかりしているなら、僕がよく行く五反田の喫
茶店が売りに出ているから喫茶店でもしてみたらどう」という息子の何気ない一
言で、有馬秀子氏の五十余年に及ぶバーのママ生活が始まる。当時、有馬氏は4
5歳、戦後間もない1948年のことだった。それまで、お店を開くどころか働
いたことすらなく、まして喫茶店に出入りしたこともなかった有馬氏だが、時代
は終戦と同時にどこかほっとしたところがあり、戦争中の抑圧の反動からか、女
性が働く意識を持ち始めた頃だった。女性でも表に出てはつらつと働きたい、自
分を出したいという気分が漂っていたという。ちょうど芦屋では名門の婦人達が、
自分の家にあった布地で赤ちゃんの洋服を縫って売り出したり(後のファミリ
ア)、東京港区あたりでは、外交官の奥さん達がクッキーをつくって売り出した
りしていた。そんなことを見聞きして、じっとしていられなくなった有馬氏は
「女でも、何か始められるかもしれない」と触発され、即座に現地を見に行き、
お店を借りる手はずを整えた。まったくの素人からの出発で、悪戦苦闘の日々が
始まるのであった。店の名前は「ギルビー」(後にギルビーA)と名付けられた。
2,一途な強情っぱり
〜始めるのも難しいが、きれいにやめるのも難しい〜
長く続けていこうと思って商売を始めたわけではなかった。素人で45歳という
一見不利な条件が、逆にただ一生懸命、お客様に尽くすことだけを考えることが
できたという。しかし、喫茶店やバーの経営は社会的に非常に低く見られていた
時代なので、親戚や友人から「経済的に困っているわけでもないのに、なんでわ
ざわざそんな商売をするのか」と疎まれたこともあった。そんな中にあっても
「だったら、こちらから付き合わないわ」と大見栄を切って、とにかく一度始め
たからには意地でもやり抜かなければと心に決め、恥ずかしくならないようにひ
たすら一生懸命頑張ろうという思いだけで、諦めず続けてきた。
それでも、50年という歳月は人の見方を変え、「偉いですね」「よく頑張っ
ていますね」「有馬さんの店に行って元気が出た」と称えられるようになると、
人様のお役にたっているようで、意地を張り続けた甲斐もあると自負する。
3,躾
「お店の女の子もみんな素人で、あたくしとしましては“お預かりしている”
というつもりでおりますから、お行儀や礼儀には非常に厳しゅうございます。
代々がご紹介で、今はある劇団の劇団員の人や、中国からの留学生などをお預か
りしているんですが、いつもこう申しているんですよ。背筋をピンと伸ばしてき
ちんと立っていれば、どんなニューファッションよりも素敵に見えるわよ、って。
そうすると、みんな気持ちよく言うことを聞いてくれますし、うちの女の子たち
は、あたくしにいろいろとお行儀のことなどを教えてもらえるのを、とても喜ん
でくれていますよ」という。お客様の席に入るときは、その場の雰囲気を壊さな
いよう耳で会話の流れを捉え、どの程度関わるのかを判断し、接待の時は、お客
様のお客様をもてなすようスタッフを躾ける。当たり前のことでも言うは易
し・・・である。接客も躾も心の底から感謝することが大前提ではじめて成り立
つ。お客にもスタッフにも 「こんな店に来てくれて本当に有り難い」と思うこ
とが肝要だと語る。
4,いい出会いが、いい人生を呼び寄せる
人生に一番大切なものは出会いである。心豊かな人生を送るには、人との出会
いがとても重要である。いつも有り難いと思うことが、いい出会いにつながるの
かもしれない。50年も店を続けていても叙勲や褒章など形に残るものは何もな
いが、ふとしたことでお客様の心の中に「ギルビー」のお店が懐かしく思い出さ
れることの、その思いこそが大きな宝だと感じる有馬氏。100歳を過ぎてもな
お、現役で働けることに感謝しつつ、常に「今日一日を精一杯生き抜く」姿勢は、
ただただ美しい。
(「今宵も、ひたすら一生かんめい」有馬秀子著 一部抜粋)
皆さん、こんにちは。
気がつくと、2学期ももうすぐ終わり。クリスマスがすぐそこまでやってきて
います。なぜ気がついたのか?と言うと、冬らしい風の冷たい日が多くなってき
たことと、子どもの冬期講習の申込みをしたたためです。単純といえば単純な話
ですね。
ここのところ、連日東京出張が入っています。そのため、このレポートの発送
も遅れてしまいました。申し訳ございません。メールなので、空港で飛行機を待
ってる間にと思うのですが、それがなかなかできません。で、その間何をしてる
か?と言えば・・・それは秘密です。
さて、今週も営業のお話です。営業と言えば、まず人の話を聞くこと。そして
最後まで人の話を聞くことだといわれます。一方的に話まくる人ができる営業マ
ンとはいえないようです。皆さんのところにこられる営業マンはいかがですか?
■2003年12月10日号■
〜特集〜提案営業の実践法 2
「何を売るか」よりも「何を解決するか」→即ち チームプレイと質問力
1,営業活動の質を見直す
営業活動といえば、これまでは営業マン個人の経験や勘で培われた技術がモノ
を言う時代であった。しかし、個人プレーで商品やサービスを販売する営業には
限界があり、何を売るかではなく、顧客の「何を解決するか」がこれからの営業
の使命であるなら、仮説をうち立て、具体的な提案を企画し、これを実現するた
めにコラボレーションする力が必要になる。まずは顧客から必要な情報を引き出
しながら、顧客自身も気づいていない、潜在的な要求や問題点を見出すこと。そ
れが、提案営業の第一歩となり、さらに従来の営業スタイルを脱して、チームで
取り組む手法を営業組織に導入することが成功への近道となる。
2,提案型営業のための質問のプロセス
提案をするためには、まずは言うまでもないことだが、顧客の経営状態や業務
状況などの現状把握をしておかなければならない。そして2ステップ目には、状
況質問で得た情報をもとに現状に対する問題や、不満を聞き出す。その際に、言
葉面だけでなく言葉の裏側にある潜在的なニーズを引き出せるよう努めることが
大事である。例えば、顧客が今乗っている車になんらかの不満を持っているとし
よう。「車をそろそろ買い換えたい」と言った場合、たんに車が古くなっただけ
でなく、家族構成や使用目的の変化などの背景があるかもしれない。または車を
通して、本当に欲しているものはステイタスなのかもしれないし、家族の満足な
のかもしれないし、ただの移動手段としての機能を果たすものなら何でも良いの
かもしれない。気持ちを働かせながら質問を重ねると、自ずと解決策がみえてく
るし、提案すべきものが浮かんでくる。そこで、確認するのである。自分が考え
る解決策と顧客の意志がぴったり合うかどうかを。もし違っていたらさらに別の
仮説をたてながら、問題質問と解決質問を繰り返すのである。
3,「こなす質問」と「さばく質問」
「こなす質問」が、内容をさらに理解するための質問であるのに対し、「さば
く質問」は結論を得るための必要情報を求める質問である。一例を下記に挙げて
みたが、「こなす質問」がYES、NOで答えられないオープン質問であるのに
対して、「さばく質問」はYES、NOで答えることのできるクローズ質問にな
っている。「こなす質問」でなるべく多くのことを顧客に語らせるようにして、
本筋とは離れて見える周辺の情報も合わせてキャッチしておくと良いこともある。
そして、ある程度、解決策が見えてくると自分が提案しようとしていることが、
正しいかどうか検証すべく「さばく質問」で確認していくのである。そのときに、
最終的には自社の商品やサービスに落とし込むことが重要である。
【こなす質問】
・なぜ売れないのでしょうか?
・この件については何か決まりましたか?
・見積についてはどうですか?
★話しが拡散して行き結論が出しにくい
【さばく質問】
・どの商品が売れて、どの商品が売れなかったのでしょうか?
・目標達成できた地区もあるのではないでしょうか?
・この件については○○部がご担当されるのではないですか?
・ご予算と比較してこの見積はいかがでしょうか?
★話の中身が収束でき、より具体的な返事が得やすい
4,インタビューのメモ
インタビューの結果報告をさせると、同じ人に同じ内容のインタビューをした
にも関わらず、三人が担当すれば、三様のことを報告する。それでは、三人同時
に1人の人にインタビューをすると同じ結果が得られるだろうか?答はNOである。
それは、メモの取り方にも問題があるからで、得られた情報は、インタビュー
アーのフィルターを通され脳の中で翻訳されて伝えられるからである。情報を歪
みなく共有するためには、大学ノート左半分には顧客の言った言葉そのままを記
し、右半分には自分の考えや閃いたこと、またはそのとき顧客がとったしぐさや
行動などを記しておくと、あとで非常に役立つし、このメモならその場に居合わ
せたメンバーの意見があとで食い違うということもなく、共同作業に移ることが
できる。
いずれにせよ、提案営業は顧客からどれだけの事実を引き出せるかというイン
タビューと、企画提案力と情報力にかかっている。一人の営業マンのスキルだけ
に頼る時代は終わったのである。
来週から12月が始まります。クリスマスツリーを飾っているところも多くな
りましたが、平年より高い気温のせいか、まだ少し違和感があります。
今日は、栃木の足利銀行の破綻がやっと発表されました。やっとというのは、
すでに何年も前から危ないと言われ続けてきたからです。まだ正式にどのような
対応策が取られるのかわからない部分もありますが、マスコミの取り上げ方が冷
静なところがどうも気になります。こちらも週明けにはどのようになるのでしょ
うか?
さて、今日は、「営業の手法」がテーマです。私は大学を出て就職するとき、
営業の仕事にだけは就きたくないと思っていました。でも今の仕事は税理士とは
いえ、営業的発想がとても重要だと思っていますし、営業を無視して仕事はでき
ないと実感しています。で、この営業のコツは、人の話を聞くことだと信じてい
るのですが、皆さんどう思われますか?
■2003年11月28日号■
〜特集〜提案営業の実践法 1
1,リーフレット、カタログなしの生保の営業
通常、生命保険の新規契約を取る場合、リーフレットや人生設計プラン書のよ
うなものを出して、自社商品の説明をするというパターンが一般的だが、ある生
保会社の営業スタイルは違っている。
リーフレットも説明書きも一切なし。自社の商品も説明しない。顧客と話をしな
がら話の内容を図や文字でA3の真っ白な紙に書いていく。一時間ぐらい話し終
えたら、「今日の内容を次回まとめてきますので・・」と、次のアポを取る。そ
して、次に会うときは、「あなたの為に何ができるかを考えてきました」という
切り口で自社商品の提案をする。顧客は、そのとき営業マンというより自分の人
生設計を一緒に考えてくれるパートナーと感じるのである。契約率は上々である。
2,脱・御用聞き営業
従来の営業活動は、すでにある商品や自社技術を営業マンの経験や勘で培われ
た技術で、説得して顧客に売り込むというスタイルだったが、営業マン一人の能
力に頼るには限界があることを誰もが気づき始めている。望ましい営業活動とは、
顧客からニーズやウォンツを聞き出し(情報収集をし)一緒に考え提案した結果、
販売につながるというパターンであるが、では何を提案すれば良いのか営業パー
ソンは悩むのである。上司から「提案(受注)しろ」と言われ、悪戦苦闘してネ
タを考えるが出てこない。結局、あきらめて「御用聞き営業」に終わってしまう
ということになりがちである。では、「御用聞き営業」から一歩でも脱出するた
めには、どうすれば良いのだろう?
3,提案の糸を見つける口 ひ(非)・ふ(不)・み(未)の状況
好ましくない状況は、現状の問題点ともいえる。顧客のニーズをつかむために
は、問題点を探ると良い。例えば、「非・不・未」のつく状況はないだろうか。
不足、不便、不都合、不利益、不連続、不安、不満、不備、不規則、非効率、非
能率、非公式、未達成、未消化、未完成、未成熟・・・などである。
問題とは、物事のあるべき姿と現実の姿のギャップである。問題点が見えて始
めて、解決するための提案の糸口を見つけることができる。
顧客は必ずなんらかの問題を抱えている。「もっと利益を上げたい」「もっと
効率をよくしたい」「もっと給料を上げたい」等、いずれも「もっと」という言
葉を付けると、満足しているとは言い難い状況が浮かび上がる。余談になるが、
この「もっと」で、顧客の気持ちをそそり、売上を上げているのがエステ業界で
ある。「あなたは今のままでも十分美しい。でも、もっと美しくなれますよ」
「もっと痩せると人気タレントと同じように美しくなりますよ」等々、微妙な女
心にささやいて大枚をはたかせるのである。
4,仮説→行動→検証→仮説→行動→検証・・・
「顧客は、ひょっとしたらこんな問題点を抱えているんじゃないか?」という
仮説をたてて、提案してみる。恐らく、たった一度の提案で大当たりということ
はまずないだろう。望まない方が良い。顧客に検証してみて、「違う」と言われ
れば、そこから、また仮説をたてる、さらに提案してみる。また、「違う」と言
われれば、またさらに仮説をたてて提案をする。ということを繰り返すうちに、
顧客との信頼関係もスパイラルアップして少しずつ深まっていくのである。
できれば、その過程には営業マン一人のスキルだけではなく、組織全体として
のバックアップ体制がほしい。部署を越え、時には業種をも越えてチームで取り
組むことにより、最適な提案ができるのである。
5,ビジネスインタビュー 聴き出すには質問力がすべて
先に述べたように提案すべきネタは顧客がもっている。しかし、そのネタ(情
報)を聴き出すには、何をどのように質問するかという質問力にかかっている。
車や住宅を年間数百売り上げる、いわゆる天才営業マンには共通点がある。見か
けはどちらかといえば朴訥としており「相手に喋らせる」のが非常に上手く、質
問の仕方やタイミングが絶妙なのである。例えば、5W3Hによる相手が、Yes、
Noで答えられない質問をなげかけて、状況確認をしていきながら、問題点をなげ
かけ、解決するための具体策を顧客の共感を得ながら提示していくのである。
次回は、その具体的なプロセスについてレポートしたい。
11月2回目の連休です。皆様のご予定はいかがでしょうか?西高東低の冬型
の気圧配置で、気温も低く、青空もそれほど期待できないのが残念です。世の中
の情勢だけでなく、天候もこんな調子だとますます嫌なムードですね。生活の中
で少しでも明るい話題を見つけながら、元気を感じていたいものです。
さて、今日は、「モノの意味」がテーマです。アメリカ人が物事を体系的に考
えるのに対して、日本人は感性で捉えるとはよく言われるところです。ここのと
ころ、日本の経済不振は、セオリーがないからだということを理由として、規制
緩和や自由化といったアメリカ型の仕組みを様々な分野で導入していますが、私
の眼から見ると感性の面でアンバランスで、うまく機能していないような気がし
ます。自分の個性を認めた上で、地に足の着いたしっかりした改革を行うことが
大切だという気がします。少しずつですが、そんな簡単なことに一部の方は気が
つき始めているように思えます。皆さんどう思われますか?
■2003年11月21日号■
〜特集〜モノの意味を考える
新しい視点と柔軟な発想で商品・サービスの方向性を探る
「今どうしても欲しいものがこれといって思い当たらない」という人は、35%
もいるという。いま、生活者が欲しくなるモノを開発するのは、とても難しいの
が実状である。ならば視点を変えて柔軟な発想のもとにこれからのプロダクトの
方向性を見出そうという面白いデータ(博報堂生活総合研究所の調べ)があった
ので紹介したい。これは、日々の仕事や生活に関わる様々なモノを取り上げて、
そのモノが持つ重みや五感に与えみるという試みである。モノが果たす本来の役
割や将来への可能性が見えてくる。
1,携帯電話・・・易・絆・単・常・必・不・変・報・魅・皆・優・齢・愛・
遊・安・癒・飾・賢・活・感・技・空・計・倹・質・熟・姿・整・全・創・多・
楽・魂・強・共・放
携帯電話の持つ意味や役割からは36の漢字が浮かび上がったが、中でも最も
多く挙げられたのは、使いやすさを求める「易」、人と人とのつながりを表す
「絆」・シンプルさ「単」・日常性の「常」・必要性を表す「必」であった。こ
れら5つの漢字は、確かに携帯電話の特徴や願望をよく表している。「絆」とい
う漢字に見られる「友達とメールしているときは無心になれる」「近くにあるだ
けで友達と繋がっている気分になれる」という意見からは、携帯電話はもはや、
ただの連絡ツールではないということをうかがい知れる。今後は「共」という漢
字が加わり「楽しいときも悲しいときも一緒」「夫婦同様、一心同体的な対象」
となりうることを考慮して開発をすすめれば、さらに「必」「常」なモノになる
可能性は大である。
2,クルマ・・・楽・活・易・単・強・共・華・放・広・不・零・満・魅・緑・
皆・夢・齢・愛・遊・安・癒・憶・価・快・感・技・暗・計・倹・五・質・姿・
整・静・全・多
クルマを表す漢字も36ほど並んだ。使いやすさを表す「易」、活発さを表す
「活」、楽しさや明るさを表す「楽」の要素が最も多い。この3つの漢字から伺
えるのは、一般的にクルマに対して生活者は、高度な技術よりも買い物やちょっ
とした外出など、日常的な楽しさや快適さの方を求めているようであるというこ
とだ。また、日本人の特徴なのか、時代性なのか、華やかさを表す「華」よりも
可愛らしさを表す「愛」への願望が強いのも特徴的である。小回りがきいて、収
納力がある軽自動車の売れ行きが好調だということもよくわかる。しかし、今後
注目したいのは「強」である。「愛」に「強」を加えれば、可愛いのに「砂漠を
撒き散らして力強く動く」といったパワフルカーができ、活発な現代女性にウケ
るかもしれない。
3,クレジットカード・・・正・安・易・創・多・楽・単・強・共・放・非・
不・洋・齢・和・価・質・活・技・暗・個・熟・姿
クレジットカードは、23の漢字の意味から成る。最も多いのが、安心や信頼
の「安」、使いやすさを表す「易」、真面目さや誠実さを表す「正」である。
『便利な半面、安心や真面目さがないと使えない』といった生活者の正直な気持
ちがかいま見える。それは、「トラブルに巻き込まれることが一番恐いので、多
少不便でも安心できる方が良い」といった「安」の意見にも表れている。『便利
さゆえの不安』を取り除くことに加え、デザインや形などを表す「姿」の『ただ
のクレジットカードだとつまらないが、自分の好きな絵などのカードの柄にでき
たら、もっと親しみがわくと思うし、盗まれても特徴があるから良いと思う』と
いった意見も見られる。今後「姿」に着目していけば、信用を求めながらもさら
に親しみを抱くモノになっていくかもしれない。またクレジットカードに関わら
ず、カード全てがひとつになればいいのにといった、シンプルさを表す「単」へ
の希望も注目すべきである。
4,栄養ドリンク・・・活・技・健・五・質・姿・正・性・創・楽・単・常・
強・共・魅・夢・齢・愛・安・癒・易
栄養ドリンクは21の漢字が当てられた。意見が多く見られたのは、元気や活
力を表す「活」である。「筋肉モリモリって感じ」や「元気の源」など栄養ドリ
ンクが生活者に与えるイメージには、インパクトがあることがうかがえる。その
半面「安」や「質」にみられるように、副作用を心配したり、「栄養は自然なも
ので摂りたい」など品質にこだわる声も見逃せない。栄養ドリンクがコンビニで
売られるようになり、身近になってきた今だからこそ、注目しておきたい「質」
である。また「五」という漢字に見られる「味がどれも一緒」という意見も見逃
せない。確かに栄養ドリンクの味にあまり差異は感じられない。味だけでなく、
それは「姿」にも通じるものがある。今後はこの点も考え合わせ「安」「質」
「五」「姿」にこだわって開発すると、さらに幅広い層に受け入れられる栄養ド
リンクができるかもしれない。
上記に挙げたのは121品目中のデータの一部である。それぞれのモノごとに見
ていくのも面白いが、共通する漢字ごとにグループでくくっていくと、モノの持
つ意味ごとのつながりができ、意外な連鎖図ができて興味深い。
さてそれでは自社は、自分自身はどうであろう?どのような因子を伴っていな
ければならないのだろうか?
漢字に置き換えるとどのような因子がうかびあがるだろうか?
博報堂生活総合研究所のURL http://www.athill.com/
10月はやけに晴れて暖かな日が多かったのですが、11月に入った途端真っ
黒な雲が低く空を覆って憂鬱な毎日です。気温も低くなってまいりました。今年
はインフルエンザだけでなく、SARSの流行の可能性もあるようです。しっか
り予防してまいりましょう。
さて、今日は、前回に引続き「話し方」がテーマです。衆議院議員選挙が先日
終わりましたが、当選した議員のコメントを聞いて皆さんどう思われますか?
え?よく聞いてないって?当確が出て、支援者の前に興奮して出てきて、TVカ
メラがあって、質問はワンパターン。割当られた時間は数分間・・・さあ何を話
すか?「政治的配慮」もありますが、結構難しいんですね、これが。今回聞き逃
した方は、来年の参議院議員選挙をお楽しみに(中身は当然、楽しくありませ
ん)。本当は先にこれをやってもらってから投票するのが良いかもしれませんね
(笑)。ただ、そうなると投票する人いなくなっちゃうか?
■2003年11月10日号■
〜特集〜知的な人は話し上手 2
「ダラダラ喋り」「トカ病」「ヤッパリ癖」「母音伸ばし調」「って言うか節」 「なくて七癖」というが、誰でもしゃべり方にもなんらかの癖があるものであ る。以下に、よく見られる癖で、かつあまり感じが良くないとされている代表選 手を挙げてみた。共通して言えるのはどれも、要旨を掴みにくく説得力に欠ける ということである。悪い癖ほど蔓延しやすく知らず知らずのうちに身に付いてし まうものである。自分自身を診断して、思い当たるものがあれば、一日何回ぐら いその癖が出てしまうのか周囲の人に頼んでチェックしてもらうと良い。
1,ダラダラ喋り
「我が社では、数年前から○○の商品を扱っていますが、これは、うちの主力
商品で売上の4割をしめており、お客様にも大変喜ばれておりますが、昨今の不
景気により、前年度よりも売上は下がり、営業成績は一段と厳しくなっており、
我が社としても、全力で闘い、なんとしても、このあたりで巻き返しをはか
り・・・・」というような、センテンスが長い話は、聞いている側が大変疲れる
ものである。聞き手は結局、何が言いたいのか要旨をつかみきれず、話を聞こう
という気持ちを削がれてしまい、聞くということを途中で断念してしまいがちで
ある。「だから、何が言いたいの?」と言いたくなるような話であるが、意外に
人前で喋り慣れた人にありがちな落とし穴である。
2,トカ病、ヤッパリ癖、母音伸ばし調
「私は、やっぱりイ 1人でいきたいんですけどオ 二人トカだとオ やっぱ
りイ なんか気イトカつかうしイ 楽しくなかったりするんですよねエ 友達ト
カもオ やっぱりイ 1人で行きたいトカ言ってるしイ・・・」という若者言葉
が聞きづらいのは活字にするまでもないが、ビジネスで多いのが「え〜、本日は
ア〜、大変ん〜、おめでたくウ〜、記念すべきイ〜日でありますがア〜、本日の
ようにイ〜、たくさんのオ〜、方々にイ〜、お集まりイ〜、頂いてエ〜・・」
という、母音が伸びるタイプである。ある人に言わせると、母音を伸ばしている
間に、次の言葉を探しているというが、若者言葉と同様に聞きづらいものである。
もし、このリズムが身についてしまったのなら、即対処すべきである。
3,・・って言うか
「それは、○○ということですか?」という質問に対し「って言うか、××と
いうことで、私は結構気に入ってます。って言うか、流行ってますし。って言う
か、みんなもそう言ってますし、って言うか・・・」少し、大袈裟に表現してみ
たが、ざっとこんなところである。ここで注意したいのは、「って言うか」とい
う表現は、相手の意見を否定する言葉であることである。「Aですか」という問
いに対して、或いは「Aですね」という同意を求める言葉に対して、「って言う
か」で入るということは、YESではなくNOから会話がスタートしているとい
うことである。連発すると感じが悪いのは言うまでもない。電車の中で、たまた
ま聞こえた二人の会話が、「って言うか」という言葉で始まりあっているのが不
思議な気がした。必要なときは、もちろん使える言葉であるが、できればあまり
身につけたくない言葉である。
4,処方箋 一文章一内容
まずは、話しながら考えるのをやめることである。考えるのは、言い切ってか
らでいいのである。「。」をつけてから、考えても遅くはないし、間があいても
いいのである。むしろ、この間が聞き手に対して、「アレ?どうしたのかな?」
という注意を引かせるきっかけにもなり、話の内容を確認させる時間になり得る
のである。
言い切ることで、不必要に母音を伸ばしたり、語尾を伸ばしたりすることもな
くなるし、「トカ」を接続詞代わりに使うこともなくなる。語尾がはっきりしな
いしゃべり方をする人や、途中で話を切る(省略する癖のある)人も最後まで言
い切ることで、かなり改善できる。
例えば「どうも」ですべてを済ませる人は、「どうもお世話になります」なの
か「どうも有り難うございました」なのか、きちんと伝えることである。
一文章、一内容を心がけると、話し方は格段に上達する。しかし、一度身に付
いた自分の話し方のリズムを変え、短く言い切るのは案外難しいことである。も
し、「最近、変わったね」
と、多少でも評価してもらうことを望むなら、以下のトレーニングにチャレンジ
してみてほしい。録音してみるのが一番である。
■次の質問に答えてください
1,あなたは今朝何時におきましたか
2,何時に出勤しましたか
3,朝起きてから、出勤するまでの時間を思い出して詳しく話してみてください。
秋が深まってまいりました。今年は何となくですが、快晴の気持ちの良い日が続
くようです。ここは素直に、秋を満喫しましょう!
さて、衆議院議員選挙が始まりました。次回のレポートをお送りするときには、
新しい政治の体制も決まっていることでしょう。何か変化を期待するような、で
も少しあきらめてるような、何ともいえない雰囲気ですね。
政治家と言えば、声を張り上げて演説してる姿が目に浮かびます。小泉さんなん
か典型ですね。話を聴くというよりも、主張してるイメージです。聞いたふりを
してるだけで、本当の政治にどこまで反映されるのか?とても気になるところで
す。
でも、一番大切なのは、ご家族の話をしっかりお聴きになることです。え?「お
前はできているのか?」って・・・長くなりますので、この辺で。
■2003年10月30日号■
〜特集〜知的な人は話し上手
聴き上手から会話上手に! 相づちの研究
1,会話上手への挑戦
松下幸之助はとにかく人の話をよく聴いたという。たとえ新入社員の話であろ
うと、当時、海のものとも山のものともわからない研究分野の話であろうと一生
懸命に、それも、最初から最後まで正座をして、じっと聴き入ったという。それ
はひとつには、自分に学歴がない為、自分以外はみんな先生だという、松下幸之
助の信念の表れだとも言われるが、それだけ一生懸命聴かれる話し手側は、一度
で松下幸之助に好感を抱き「この人のためなら」という気持ちで働いたという。
一般に「人の話は宝の山だと思って聞け」という言葉もあるが、人の話を軽んじ
ていると知らない間に「あの人は人の話を聞かない人だ」というレッテルを貼ら
れ、誰も真剣に話をしようとしなくなる。また、自分は聴いているつもりでも、
聴いている姿勢が相手に伝わらなければ、双方にとって実りある会話にはならな
い。
2,「こんなにも貴方の話を聴いています」とアピールする4つの術
- ただの相づちはダメ。一言添える術
- フィードバックで気持ちの確認をする術
- せっかちは禁物。5秒待つ術
- 「聴いて」「訊く」術
(1)ただの相づちはダメ。一言添える術
人気テレビ番組には、必ずといっていいほど相づちのうまい司会者がいる。う
まい相づちで、ゲストの話を上手く引き出すのである。相づちの種類も豊富で、
相手の話をよく聴いて、話し手の気持ちに応える相づちが、自然に連続している
のである。例えば、ある日の番組、冒頭4分間での相づちは以下の通りである。
ああー、うーん、おおー、それで、ほうー、はあ、ほーほー、そうそうそう、
そうですね、
それから、おーおー、そうか、その通り、たしかに、ふんふんふん、なるほど、
これを分析すると、3つのグループに別れる。
1.誠意のある「うなづき」(そうそう、その通り)
2.知識を得た喜びの「反応」(なるほど、確かに、そうか、その通り)
3.もっと聴きたいという姿勢を表す「うながし」(それから、それで)
4分間で三種類を重複させて使い回すと、相当バリエーションのある相づちに
なる。そして、会話にリズムが生まれる。また、その相づちに一言を添えると
「ああ、なるほど」「はあ、うらやましい」「それで、どうなりました」と、尚
一層、会話が生きてくるのである。
千変万化の会話の中で、ひとつひとつ考えて相づちを打つのは不可能であるが、
一生懸命聴けば自然に話し手の気持ちに応える相づちが出てくる。胸の中に湧く
言葉を「内言語」というが、その内言語を相づちに添えればいいのである。「は
い」「ええ」ばかりでは、会話は弾まないし発展しない。
(2)フィードバックで気持ちの確認をする術
「彼の、笑ったときの表情が好きです」「笑ったときの?」というように、相
手の言葉を繰り返したり、「要するに、あなたが好きなのは顔ではなくて彼の性
格だったんですね?」と、話を要約することは、話に誤解がなく通じ合っている
かチェックができるだけでなく、話し手にとっては、聴いてもらっているという
安心感がうまれ納得するのである。
(3)せっかちは禁物。5秒待つ術
日本人の会話の長さは、1センテンス平均5秒である。5秒で一応区切りがつ
くので、5秒我慢すれば話し手の意図が見えてくる。それなのに、最近は世の中
が慌ただしくなったせいか、人の話を最後まで聴かず、話し手が一言言うと、聞
き手は勝手に判断して、相手の話を遮ってしまうことがある。本当は、断ろうと
思ったのに話がとんでもない方向にいって誤解を招いたり、思ってもなかった結
末を迎えたりということもある。ビジネスでいえば、「腰を折られた」話し手は、
話す意欲を失い情報を出し惜しみすることになりかねない。焦りは禁物。話し手
が言い切るまで待つという癖をつけるのも会話を上達させる訓練の一つである。
(4)「聴いて」「訊く」術
インタビューでは、予め質問を用意して臨むが、大切なのは話し手の話の中か
ら「訊く」ということである。用意された質問だけに頼ると、不自然な会話にな
るし、話し手の意図を聞き出すことは不可能である。会話はほとんどの場合、筋
書きはない。お互いに「聴いて」その中から次の話題を発展させていくしかない
のである。「聴く」ことは訓練である。「聴く」ことができれば、会話は発展し、
会話上手になり、ひいては話し上手になることができるのである。
日本シリーズもワールドシリーズも、国内では大変盛り上がっているようです。 日米の最終シリーズが終わると秋本番ですね。不思議とこの時期になると冷え込 んでくるような気がします。今年は、夏の暑さが中途半端だった分、体が気候の 変化についていけないような感じがします。風邪も流行っているようですから、 夜は少し暖かめにしてお過ごしください。できれば、今回のレポートのように、 落ち着いて秋を感じることができれば良いんですが、収穫されたものが盗難に遭 ったり、収穫作業自体を盗難されたり(?)、とんでもない秋になっているよう です。
■2003年10月20日号■
〜特集〜歳時記にみる天下の秋 あっぱれ日本人!
白玉の歯にしみ通る秋の夜の
酒はしづかに飲むべかりけれ 若山牧水
秋の気配を感じることもそこそこに、日々の慌ただしさに紛れていると、時候 の挨拶も浮かばない。それではと、久しぶりに手にした歳時記につい時間を奪わ れてしまった。活字の中に広がる「秋」という小宇宙に日本の季節感の深さを見 た。季節を表す言葉の中には、多忙な現代人の習慣から外れてしまったものも多 くあるが、それだけに昔の暮らしや大切にされていたものが忍ばれて興味深い。 いとおかしい十月、十一月の珠玉の言葉の一部を紹介したい。
1,時候にみる秋
- ●長月・菊月
- 秋も深まり夜が次第に長くなるので夜長月といわれていたもの が、略して長月になったとの説あり。また、菊の花の咲き競う時期から菊月の別 称もある。(十月)
- ●行秋・秋果つ・秋行く・秋過ぐ・秋終る・急ぐ秋
- 秋が立ち去ろうとしてい る。去りゆく季節への名残の気持ちも働いてくる。五穀を実らせた田畑も、八千 草の咲き乱れた山野もすっかり装いを変えて、冬の到来を待っている。(十月)
- ●冬近し・冬隣・冬遠からず・冬を待つ・冬そこに
- 秋も末の頃になると、朝 晩だけではなく日中も冷えが感じられる。冬がすぐ間近まで来ていることを実感 する。冬支度もそろそろ始まり、日暮れはさらに早くなっている。(十月)
- ●立冬・冬立つ・冬に入る・冬木たる・今朝の冬・冬将軍
- 立冬は、二十四節 気のひとつで、十一月七日か八日頃にあたる。山麓や里には紅葉があって、まだ 晩秋の色も濃いが、朝夕の気温は低くなり日没の早い。今朝の冬は、立冬の日の 朝のこと。(十一月)
- ●小春・小春日・小春日和・小六月(ころくがつ)
- 小春、小六月というのは 陰暦十月のことをさす。陽暦では十一月にあたる。立冬を過ぎて日毎に寒さを感 じるようになるが、十一月は、冬の中で最も気候が安定し、晴れて穏やかな小春 日和が多い。(十一月)
2,天文、地理にみる秋
- ●秋の声・秋の音・秋声
- 秋という季節に生起するものが発する音。例えば虫 の音、鳥の囀り、草の葉を打つ雨の音、風にざわめく竹林の音。すべての音が秋 の静寂の中から生まれて消えていく。それらが秋の声である。(十月)
- ●秋風・秋の風・金風・素風・爽らい
- 秋に吹く風は南西風や西風が多い。爽 やかな風ばかりでなく、冷気の強い風も吹く。秋風は白いといわれ、それを素風 と称する。また、爽らいは爽やかさを表す。十月は風に寂しさもある。(十月)
- ●神渡・木枯らし
- 十一月に吹く西風は神渡。元来は、諸国の神々が出雲に発 つときにその風を送って吹く風という意味。いよいよ本格的な冬の到来を予感さ せられる。(十一月)
- ●時雨・初時雨・夕時雨・小夜時雨・村時雨・片時雨・磯時雨・しぐれる
- 初 冬から仲秋にかけてさっと降って、さっと止む雨。山から山へ足早に渡って降る。 移動が早いので、こちら側が晴れていて、対岸が時雨ていたりする。雨は冷たい が風情がある。(十一月)
- ●白富士・雪富士・雪の富士
- 富士山の雄大な姿は四季それぞれに美しく、ま た時々刻々と天候によっても変化を見せる。初冠雪の清々しさや、日毎に裾に向 かって降りてくる雪で、富士山はさらに荘厳な輝きを増す。(十一月)
3,生活、行事にみる秋
- ●障子貼る・障子洗う
- 夏の間は暑いので障子を外して おいたり、少々破れても気にせず過ごすが、気温が低くなり、 朝夕寒くなると、障子の破れや汚れが気になる・・・(十月)
- ●神の旅・神送り・神迎え
- 陰暦十月一日は諸国の神々が集 まる日とされている。これが神の旅である。神々が出雲大社に出かける目的は翌 年の男女の縁を結ぶことである。(十一月)
- ●神の留守
- 陰暦十月一日、諸国の神々が旅立ち、鎮座していた地が留守とな ってしまう。樹木は落葉し、山野は冬支度で神の留守を思わせる。(十一月)
- ●綿入・綿・真綿・綿打ち・布子・綿子
- 布団や夜具、座布団など防寒用に使 うものの準備に綿打ちをしたり、綿入れをしたりする。本格的な冬の準備。(十 一月)
4,植物、その他にみる秋 いろいろ
- ●新酒・新米・濁り酒・林檎・団栗(どんぐり)・石榴(ざくろ)・無花果(い ちじく)・ 檸檬(れもん)・銀杏(ぎんなん)・鹿・猪・馬肥ゆる・渡り鳥 (十月)
- ●顔見世・七五三・白鳥・鷲・鷹・冬紅葉・山茶花(さざんか)・大根・人参 (十一月)
前回に引き続き、秋晴れが続いています。週末は少し崩れるそうですが、これか
らは一雨ごとに冬に近づいていきます。今年の冬は、選挙後どうなっているので
しょうか?
さて、今回は、パリーグで優勝を決めたダイエーホークスの話です。実は、8月
末に福岡ドームの島津接客本部長のお話もお聞きしました。日産みたいな話が福
岡でもあったのです。阪神の優勝は星野監督のリーダーシップとよく言われると
ころですが、ダイエーは福岡の社員全員(ダイエーの全社員ではありません)で
勝ち取った優勝だったようです。やればできるんですね。問題は、本当に危機感
を持って、全員で実践するかどうか?だと思います。実は・・・私は巨人ファン
ですが、今回の原監督更迭騒動ですっかりイヤになってしまいました。簡単に言
ってしまうとこうなりますが、皆さんいかがでしょうか?
■2003年10月10日号■
〜特集〜「企業再生」の経営哲学
1,「手段」と「目的」の相違
「信号を守るから事故がおこる」というと、大半の人は「そんなバカな」と一
笑に付してしまう。しかし、信号をきちんと守っているにも関わらず事故を起こ
してしまったというケースは珍しくない。特に小さな子供は、信号が青になるや
いなや横断歩道に飛び出すことがよくあり、統計でみると50,000台に1台ぐらい
の車が、飛び出してくる子供に対処することができず、事故を起こしているとい
う。安全のためには、車が止まったのを(止まるのを)確認してから渡るという
のが、正しい現場の判断であろう。信号は、あくまで安全を補佐する手段のひと
つに過ぎないのだ。でも、いつの間にかこの手段が目的にすり替わっていること
がある。要するに守るための信号になっていて、安全のための信号ではなくなっ
ているのだ。
信号は素晴らしい手段である。手段が立派であればあるほど、人は手段が目的
になりがちで、手段に頼ってしまうという話しを企業経営の視点から促してみた
い。
2,経営者と現場サイドの思いのベクトルを合わせる
例えば、プロ野球でいえば、選手・監督とフロントの思いは違う。選手・監督
は勝つこと、フロントは利益を上げるのが目的である。うまくいかないとお互い
のせいにする。目的が違うからである。ところが、選手にしてみても誰もいない
スタンドにホームランを打つより、歓声が沸き上がるなかでホームランを打つ方
がやり甲斐があるはずである。双方の目的と手段をすりあわせれば、「勝つ」こ
とが選手・監督の目的で、フロントには手段になる。また「観客動員」は選手・
監督にとって手段、フロントにとっては目的になる。
平成11年42億の赤字を抱える(株)福岡ダイエーホークスに就任した高塚氏は、
現場と経営陣のベクトルを合わせ、共通の目標を設定することに力を注いだ。
3,ロマン・ソロバン・ガマン
高塚氏は、「必ずダイエーは優勝する」と社内外に言い続けた。当時、ダイ
エーの優勝を信じる人は少なく、社内もマンネリ化したあきらめムードである。
しかし、高塚氏は繰り返す「必ずダイエーは優勝する」と。そして、優勝したら
何が起こるのか、選手の報酬だけでなく、ファンの期待、地元への経済効果、
チームとしての誇り等、同じことを何度も言った。
企業経営の面からみても、優勝することは即、数字につながることである。三
年以内に会社を黒字に転換させるという誰もが信じがたい目標を設定し、その為
にもまずは優勝であると説いた。しかし、優勝はあくまでも手段なのだ。目的は
お客様が満足すること、ダイエーホークスの存在で地元市民が生活にうるおいを
感じることである。勝てない(売れない)と思いこんでいるチーム(社員)の根
本と固定観念を変える必要があった。
野球だけでなく同じ傘下にあるホテル経営も同様である。目的は、お客様が満
足してくれることである。その手段として、料理や宴会やサービスがある。料理
の内容を良くすることや、サービスを競うことが目的ではない。目標達成にはロ
マン(目標設定)、ソロバン(数字をあわせる)、ガマン(同じ事を何度も言
う)が必要であった。
4,教育という目的でチケットを売る
以前から在籍する役員は、過去のデータを並べてできない理由を挙げる。また、
高塚氏は「あなたは素人(野球を知らない)だから、そんなことが言える」と社
内からもマスコミからも批判される中、二軍の試合を福岡ドームで開催し、48,
000人の観客でスタンドをいっぱいにするという企画をうち立てた。二軍の試合
は過去数年間、開催しているがいつもスタンドは
ガラガラである。そんなチケットが売れるわけないと誰もが思っていた。
二軍の選手が福岡ドームでプレイできるのは一年に一度だけである。満員の観
客の中でプレイするのと、ホームランを打ってもなんの反応もないグランドでプ
レイするのと、どちらがうれしいかは、火を見るより明らかである。
チケットを売るのが目的ではない。選手を育てるという教育が目的である。見
てあげることで勝たせることができるかもしれない。優勝チームであろうと、最
下位チームであろうと実力に大差はないが、環境を変えることによって、人間の
力をのばすことができることがある。
「教育という目的で売られたチケット」は完売し、客席は満員になり、テレビ
の視聴率は5%にのぼった。(巨人戦の視聴率3%)
5,思考は「過去のデータ」からではなく「未来の贈り物」から
未来は過去のデータ上にはない。勝てば嬉しい、負ければ悔しい。その実感の
中に未来がある。未来を描くとき正しい過去のデータが必ずしも役にたつわけで
はない。経営者に許される嘘があるとしたら、それは、あるべき未来を語ること
である。実感(思い)から真実を引き出し、事実を作り上げる。それは過去から
引き出すものでなく、未来の贈り物から事実を構築するという嘘かもしれない。
高塚氏は、就任して3年目に33億の黒字という結果を出した。
松山では連日吸い込まれるような青空。秋晴れが続いています。朝の目覚めも気
持ちよく、下期がスタートしました。
ただ、天候と違い、政治・経済情勢は大変厳しいようです。今日の日経新聞によ
ると、トップの「大手銀行株含み益2兆円」という日経らしい記事の横は、「全
日空全社員給与下げ来春から5%労組に提案」という今を象徴するような話が載
っています。新聞を見ているだけでは、世の中が良くなっているのか、悪くなっ
ているのかまったくわかりません。自分のアンテナをしっかり張って、信頼でき
る仲間を作ることがとても求められているのだと思います。
今日は教育の話。皆さんの家庭でも、会社でも人を教えるって大変な仕事です。
わが家も長男が人生最初の試練高校受験を控えて親としていろいろ考えさせられ
ます。いろんな見方があるかと思いますが、今日はそんな話題の一つです。
■2003年9月30日号■
〜特集〜「教育」がもたらすもの
成果を挙げる=忍耐+継続
ある自動車部品販売会社では、創業当時ユニホームにネクタイ着用を定着させ
るまでに3年かかったという。30年ほど前の話である。当時、業界ではGパンにジ
ャンパーというスタイルで仕事をするのが、習わしになっていたため、社員は社
長の指示に猛反発をしたという。
「なぜ、ネクタイが必要なのか」「作業しづらい」等の質問や苦情も出た。し
かし、社長は一切躊躇せずネクタイの着用を義務づけた。業界初であった「ネク
タイ着用」は、今や、業界でも珍しいことではなくなり、ネクタイ着用に反発す
る者はほとんどいないという。
ここで特筆すべきは、3年の間、躊躇せず指示し続けた社長の姿勢である。
我々の多くは、「言っても聴かない」「教育してみたけど効果がでない」等の理
由から、つい諦めたり、言う(指導する)のを止めたりしがちである。できるま
で言い続けることは、意外に難しく忍耐のいる作業である。しかし、この忍耐と
継続があってこそ成果が出るのが教育で、その積み重ねが会社の文化を創るので
はなかろうか。今回は、教育という観点からレポートしたい。
1,従業員に「魔法をかける」オリエンタルランド
東京ディズニーランドがオープンしたのは、今から20年前の1983年のことであ
る。ミッキーマウスに代表されるキャラクターの数々や、魅力的なアトラクショ
ン、そして何よりも来場者を楽しませるという徹底したサービスで感動を提供し
続ける経営理念によりオープン以来、来場者数のべ約319,000,000人、リピート
率97.5%を誇る、まさに「夢と魔法の王国」を運営しているのが、株式会社オリ
エンタルランドである。
しかし、大和田誠氏(取締役運営企画室長)は開口一番「現時点を成功とは考
えていない」ときっぱり。2001年には東京ディズニーシーもオープンし、イクス
ピアリ、ディズニーアンバサダーホテル、そして5つのオフィシャルホテルを含
めたテーマパークリゾートエリアの総称を「東京ディズニーリゾート」と呼ぶが、
この王国を維持するには常に魔法がとけないようにしなくてはならない。いわば
「永遠に完成することのない」テーマパークだというのだ。
ここでは、すべての来場者は「ゲスト」とよばれ、従業員は「キャスト」とよ
ばれる。企業経営の視点からいえば、ゲストに夢と感動を与える魔法をかけよう
とするなら、まずは、それらを提供する「キャスト」に魔法をかけなければなら
ないのだ。
キャストは、正社員から準社員まで含めて約19,000人。基本自給800円は、都
市圏でも高い方ではないが、モチベーションをダウンさせないシステムのひとつ
に、キャストがキャストの働きぶりを褒め称える「ファイブスターカード」があ
る。(外資系ホテルにも似たようなシステムがあるが)笑顔やサービスが評価さ
れたキャストは、バックステージ(裏方)で2ヶ月に一度開催される「ファイブ
スターパーティー」に招待され、管理職から感謝の言葉が添えられたファイブス
ターカードが手渡される。キャストにとっては、それがまた一層仕事への励みに
なっている。また、「ディズニールック」といわれる身だしなみのチェック項目
には、髪、髭、化粧はもとよりピアスの大きさや個数、ピンやゴムの色まで決め
られている。あくまでもおもてなしのための身だしなみである。流行を持ち込ん
ではならないという鉄則のもとで非日常性はうまれるのである。教育には時間も
金も労力もかかるが、それなくして「夢と魔法の王国」の運営も発展もあり得な
いということを感じないではいられない。
2,プロ化を目指す 小学校2年生の教室
広島市内にある小学校2年生のクラスでは、全員「プロ化」を目指すという試
みが行われている。「プロ化」といっても、掃除のプロを目指して、先生と生徒
が一丸となって取り組んでいるのだ。小学校ではグループで掃除をし、掃除場所
が一週間ごとに異なるというのが普通のパターンだが、このクラスに限って掃除
場所は学期間の固定にし、全員が徹底的に一カ所をきれいにすることを体得する
のである。
たかが掃除といっても奥は深い。例えば、ぞうきんの絞り方一つとっても、き
ちんと絞れる子は少なく、ほうきの扱いを知っている子は皆無に近いという。掃
除中におしゃべりしたり、適当にしていたり、遊んでいたりする子は放課後残っ
てやり直しをさせられるというシステムである。先生一人が約30人の生徒を毎日
チェックして、一緒に掃除をするのも大変なことであろうと、苦労がしのばれる
が、わずか8歳の小学校二年生の子供達でも次第にコツを覚え、成果を挙げ、自
分たちの身の回りがきれいになることを嬉しく感じるようになるという。
掃除の成果を身体で覚えた子供達はすすんで掃除ができるようになる。学校の
掃除の時間だけでなく、教室の片隅に落ちているゴミを自然に拾ってゴミ箱に捨
てるようになったり、家を出てもお手伝いをしたり、自分の部屋をきれいにした
りということができるようになるのだ。
教育は特別なことではなく普段の生活の中で、指導する側もされる側も実行し
続けることによって初めて開花するということを見せつけてくれたクラスだった。
わが家では、先週と今週運動会が続きます。皆様のお宅でも同じといったところ
が多いのではないでしょうか?久しぶりに青空の下ですごす時間が長くて、気持
ちは良いのですが、帰るとどっと疲れます。
今日高松から東京に入りました。昨日は高速バスで松山から高松に入ったのです
が、バスのちょっと高い窓からみる街の風景ってもうずいぶん違うものですね。
それから、松山・高松・東京と見比べてみると、やっぱり空気が少しずつ違うこ
とに気がつきます(実際の匂いではなくて・・)。今までは、みんな東京を見て
街づくりや政治を考えてきたのだと思いますが、これからは自分たちの町は自分
たちで作るときだと思います。財政を見ても、東京から何か降ってくるのを待っ
てれば良い時代ではなさそうです。松山では「坂の上の雲」をテーマに街づくり
が進められています。今さら日露戦争じゃないだろと言う話もありますが、あく
までも街の一つの素顔ということで位置づければよいのではないでしょうか?そ
の上で何をするか?が大切です。イベントや構造物よりも、そこに住んでる人の
生き方が一番大切・・のような気がします。皆さんはどう思われますか?
■2003年9月19日号■
〜特集〜世界都市展にみる都市の現在・過去・未来
1,上空から見下ろす「世界都市」
出張や旅行で都市を歩くことはあっても、その都市全容を上空から見下ろすこ
とは、ヘリコプターでも乗らない限り無理である。ましてや世界の各都市を一斉
に眺め比較するなんてことは、まさしく神技である。
都市を見るとその国や街、人の文化や風土が感じられ、また、なぜそのような
都市が出来上がったのかという歴史的な背景も見えてきておもしろい。昨今、な
にかと話題にのぼる、六本木ヒルズで開催中の「世界都市展」では、ロンドン、
パリ、フランクフルト、ベルリン、シカゴ、ニューヨーク、上海、東京の都市模
型が展示されている。模型の製作期間は数ヶ月、実際に各都市の上空から撮影し
た航空写真も含めて、要した写真は数万枚。現在進行形の都市の姿を忠実に表し
ている都市模型は圧巻である。都市づくりのコンセプトや都市構造の違いが明ら
かになるだけでなく、未来に向けて都市がどのように変容していくのかを探るの
も興味深い。
2,高層化により力を蓄えた都市
高層ビルの良し悪しや好き嫌いはさておき、「世界都市」といわれる活力のあ
る都市が、超高層ビルによって、都市をコンパクトにし魅力ある場になりうる変
化を遂げてきたことは確かである。各都市にはそれぞれのシナリオに応じた変化
がり、それが都市の特徴になっている。
ここで、いくつかの都市を紹介したい。
(1)パリ
パリの新都心であるLa fanceは、ミッテラン大統領時代のグラン・プロジェと
いう都市開発の一つに挙げられたビジネス街で1500企業と15万人の職住がある。
模型で見るとシャンゼリゼ通りから凱旋門を貫いてまっすぐに伸びたところに位
置しており、都市の機能だけでなく街全体の制御された芸術的な美しさが見て取
れる。ナポレオンの命により、1806年ナポレオンの全盛期に着工された凱旋門を
はじめとするパリの都市計画は、未だなおかつ「美」という概念のもとに健在し
ているのがわかる。
(2)ニューヨーク
1/1000スケールの巨大模型にNYのパワーを感じるが、なんといってもテロ事件
で倒壊した「ワールドトレードセンター」の跡地「グラウンドゼロ」が感慨深い。
マンハッタンの開発は、今や5600平方メートルのこの跡地に集中している。追
悼・生命礼賛のこの再開発は11にわたるプログラムから成り立っており、今後の
都市開発のユニバーサルガイドラインとなると言われている。ビルの一つ一つを
写真に撮り、フォトショップ(写真修正ソフト)で加工し模型に張り付け、航空
写真で撮ったままの形で、人や車を忠実に再現させている模型は、模型の域を越
えて今にも本当に動き出してしまいそうなぐらいよくできている。
(3)上海
欧米のイメージとはどこか違う街並みであることが、模型で見てもわかる。一
説によるとビルのデザインや方角に「風水」が用いられるからだという。とはい
え、近年の中国経済の発展を象徴するかのような近未来的な都市構想である。ま
た、大きな特徴としては、ここ10年に満たない早さで次々とビルの着工が進み、
あっという間に都市の様相を変えていることである。この“変わり身”の早さは、
世界でも類を見ないと言われている。上海のイメージを国内外に早急に定着させ
ることと、都市生活者のライフスタイルのクオリティーを上げることが、都市計
画の最重要課題になっているという。模型では、これから10年で完成予定とされ
ている建設物がアクリルで作られている。急変化を遂げる上海の姿が表れている。
(4)東京
ニューヨークと同じく1/1000という圧倒的なスケールの東京23区模型。サイズ
は10m×8m。山手線の内側エリアをほぼカバーする東京模型は「六本木ヒルズ」
「新宿高層ビル群」「丸ビル」「汐留」など、なじみのある風景がそのまま映し
出されており、今後の東京の課題や方向性を見ることができる。
世界どの都市にも超高層ビルが乱立しているが、その背景にあるシティープラ ンニングや考え方、手法はすべて異なっているのがおもしろい。折しも2003年の 都道府県基準地価調査の結果が発表された。地価下落の下げ幅は縮小しているも のの12年連続で下落しているという(東京、大阪、名古屋の三大都市圏は13年連 続の下落)。今後どのように変化していくのであろうか。都市開発によって人の 流れや経済が変わる。都市は時空を越えて生きている。
台風14号が近づいてきています。稀にみる大型台風のようですので、西日本に お住まいの方はご注意ください。この台風のように日本全体も大荒れですね。自 民党の総裁選挙が始まって、マスコミは突然静かになりました。問題点に触れな いためでしょうか?問題点が浮き彫りになることで損をするのは誰でしょう か???彼は電通と読売新聞を巻き込んで非常にうまく世論操作をしているそう です。ホントかな?とも思うのですが、ここ数日の報道を見てると、なるほどと 思えてしまいます。公開討論会の記事も問題点を上手に回避しているように見え ますし・・・。そんなきな臭い話は忘れて、今夜はクラシックでもいかがです か?
■2003年9月12日号■
〜特集〜サントリーホール物語〜世界一美しい響きを目指して〜
100年の年月を経て、初めて良し悪しがわかるもの
1,カラヤンのアドバイス
佐治敬三と設計者佐野正一の両氏が、四種類の設計図を携えてヘルベルト・フ
ォン・カラヤンをベルリンに訪ねたのは、昭和58年1月27日であった。東京に新
しく造る本格的な音楽ホールについて意見を求め、設計図を見てもらうためであ
る。しかし当日、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団は定期演奏会のための練
習日で、巨匠は時間がほとんど取れなかった。そこで一行は二日後の29日に、カ
ラヤンをホテルに訪問した。
四枚の設計図を見ながら説明を受けていたカラヤンは、ベルリン・フィルハー
モニーと同じワインヤード(ぶどう畑)タイプを勧めた。音楽は、演奏者と聴き
手が一体になって創るものであり、聴き手が演奏者を取り囲むホールが理想だと
いうのがその理由であった。また、カラヤンは、オルガンのないコンサートホー
ルは、家具のない部屋と同じだと、パイプオルガン設置の必要性を力説した。さ
らにカラヤンは、もうひとつ重要なアドバイスをした。楽屋とステージは同じ平
面になければならない。階段があるなんてもってのほかだと言ったのである。楽
屋はステージの延長線上にあり、演奏者にとっては創造の場、いわば聖域なのだ。
楽屋にいるときからすでに演奏に臨んでいるような気持ちになっているので、そ
れが階段や何度も曲がらないよう長い廊下で邪魔されてはならないと。
2,多目的は無目的
それまでの日本のホールのほとんどは、役所が造ってきた。地域の住民のため
の、あらゆる用途に堪えるホール、つまり多目的ホールである。しかし、極言す
れば多目的は無目的と同じで、講演やマイクとスピーカーを使っての歌謡ショー
ならともかく、コンサートや演劇にはほとんど使えない。役所は名の通った設計
家に任せて安心しているが、設計家の多くはオーケストラやコンサートの実体を
知らないために、見た目は立派だが使い勝手の悪いホールができてしまう。例え
ば、ステージの天井が低いために照明器具のセッティングに制約を受け、どのよ
うに工夫しても、眩しすぎて楽譜が見えないメンバーが出てしまったり、楽屋と
楽器の搬入搬出設備の不備で、狭く暗く遠いホールになってしまい、演奏者の出
鼻をくじくようなありさまになったり・・である。
3,世界最大級のパイプオルガン
カラヤンの強い薦めによってパイプオルガンを設置するに至った事情はすでに
述べた通りだが、日本にはコンサートホール用の大規模なオルガンを製作できる
メーカーがないので、海外のメーカーに注文することになった。しかし、すべて
が受注製作なので時間がかかる。何しろ6,000本のパイプの一本一本が手作りな
のだ。ヨーロッパ各地に2,000社以上のメーカーがある中、輸出能力があるのは
二割か三割である。スタッフがヨーロッパに飛び入念な下見をした結果、最終的
にオーストリアのリーガー社に決定した。
ホールに部品が運び込まれたのは昭和61年5月、パイプ総数5,898本、音色を使
い分けるための機構であるストップ数が74、それに四段の鍵盤、オルガンに組み
込まれるパーツ等が、横浜港に到着し、通関を終えてホール現場に搬入されてき
た。リーガー社の職人四、五人がつきっきりで作業して組立が終わったのが6月末。
ただちに整音と微調整に入り、全作業を終えたのは9月に入ってからであった。
4,醸成されていくホール
東京六本木に、職、住、ショッピングの超高層ニュータウン「アークヒルズ」
が、約1,000億円の建築費をかけて完成したのは、昭和61年4月のことである。そ
の一郭に地上三階地下二階のサントリーホールが誕生した。床も壁も木造り。ま
るで良い酒を造り出すための樽のようだ。実際、サントリーホールがオープンす
る際、佐治敬三は「これは音楽を入れる直前の樽です。ここにたっぷりと音楽と
いう酒が注ぎ込まれ、何百年も醸成されていくのだ」と挨拶をしたという。ウィ
スキーづくり60年、ビール発売20年を記念して計画されたサントリーホールは昭
和61年10月12日、産声をあげた。
ソニーは1996年、50周年の記念事業としてベルリンフィルの演奏会をサント
リーホールで開催した。指揮はクラウディオ・アバド。飛行機2台をチャーター
して楽器と楽団員が海を渡ってやってきた。ベルリンフィルに支払った金額は4
億円だという。ここでは、ベルリンフィル(4億円)に値するホールが、サント
リーホールであったと言う点を特筆したい。
ヨーロッパでは「木のホールは成功するが、石のホールは失敗する」というジ
ンクスがある。ワーグナー時代、金持ちの王は大理石のホールを造り、貧しい王
は仕方なく木でホールを造ったところ、後者の方が音響効果が抜群だったという
エピソードがある。ヨーロッパの名だたるホールに比べれば、サントリーホール
はまだ生まれて間もない成長段階にあるホールである。これから10年後、20年後
の音質の変化を見守るのは、企業で言うなら部下の成長を見守るような楽しみが
ある。まずは、「本物」と言われる所以を自身の目と耳でお確かめあれ。
(「サントリーホール誕生」「マエストロ、時間です」より一部抜粋)
夏休みももう終わりですね。今年は冷夏ということもあって、早く終わってしま
ったという印象です。気温が低かったり、雨が多くて、海やプールに行く気もし
なかったという方も多いのではないでしょうか?
振り返るとこの夏は大変でした。ヨーロッパの酷暑では、1万人近くの方が亡く
なったそうですし、NYは大停電(この前はロンドン)。イラクは相変わらずだ
し・・・。で、日本だけは、自民党総裁選の話題で盛り上がり、相変わらず幸せ
な一面をのぞかせています。
そんなつまらない話題はともかく、今回は企業経営についてです。ソニーという
会社はすごいところで、新しく設立したグループ企業をたった1月で解散してし
まうこともあるそうです。人が、一定の意識レベルを維持するのも大変ですが、
それを企業として人の集団が維持するのはもっと大変なんでしょうね。皆さんの
会社はいかがでしょうか?
■2003年8月29日号■
〜特集〜ソニー森本博行氏による進化する経営
1,不確実性の続く時代
IBMが、面白い広告をしています。登場するのは「魔法のビジネス双眼鏡」
「ビジネス・ウソ発見器」「ビジネスタイム・マシン」「魔法のパウダー」を紹
介していますが、「しかし、そんな夢のようなものはありません」と結びが入り
ます。これらは、何を意味しているのでしょうか。これからどうなるのか、彼は
信用おける人なのか。もし失敗したらどうしよう。ビジネスには不安がいつもつ
きまとっています。不確実性です。その不確実性を軽減するが、IBMの提案す
る新しいビジネス・モデルだという訳です。IBMのような成功したビジネスモ
デルをもった企業であっても、自社のビジネスモデルを、継続的に変革させてい
かなければなりません。
2,成功企業の経営ジレンマ
企業は事業環境の変化と向き合っています。技術、市場、顧客ニーズの変化な
どです。イノベーションもあります。ハーバード大学経済学部長を務めたシュン
ペーターは、経済社会の発展を、企業家によるダイナミックな発展プロセスとし
て、イノベーションを5つに定義しました。 (1)新しい製品開発 (2)新しい生産方式
の導入 (3)新しい販路の開拓 (4)新しい原材料の開拓
(5)新しい組織形態の開発の五つです。そのイノベーションを一度達成させて成功
させて、豊富な資金力や高い技術力を保有するようになると、次の時代の大きな
変化に対応できずに衰退してしまう、ということを研究したのが、ハーバード・
ビジネス・スクールで、技術経営論を教えている、クレイトン・クリステンセン
の「イノベーションのジレンマ」です。
コピーマシンのゼロックス、ミニコンのDEC、シアーズなど挙げています。ゼ
ロックスを衰退させたのは、キャノンの卓上コピーのカートリッジでした。日
本では富士ゼロックスですが、ゼロックスがその株式を売却したために、今では
富士フィルムの子会社になっています。
3,成功企業はどうして衰退してしまうのか
(1)技術革新が需要のペースを追い抜いてしまうこと (2)破壊的イノベーション
の出現すること (3)成功企業には現状をよしとする経営的理由があることです。
一番大きな理由は、企業の組織風土の問題があります。企業には、その企業独特
の価値基準と業務プロセスがあります。東洋工業は東洋工業らしく、ホンダはホ
ンダらしく、トヨタはトヨタらしい品質や仕事の質を決める価値基準にそれを達
成するためのプロセスです。それは、その企業の企業社会の「掟」であり、企業
文化と呼ばれる、組織風土となります。企業文化は、規律がありますので経営管
理の円滑化に最適です。しかし、事業環境の変化に対しては、適応力がなくなっ
てしまうという欠点があります。企業が事業変革する時、組織風土の改革にまず
手をつけるのはこのためです。
4,エクセレントカンパニーの行方
20年前にベストセラーになった経営書にエクセレントカンパニーというのがあ
りました。エクセレントカンパニーとは、変化に器用に対応して絶えず新製品を
出して、高業績をあげる常に革新的企業の意味です。20年を経て、そこにエクセ
レントカンパニーとして取り上げられた企業がどうなってしまったかご存じでし
ょうか。当時、マキンゼーのコンサルだったトム・ピーターズとロバート・ウ
オーターマンは、75社を選び、エクセレントカンパニーの八つの基本的な特徴を
見出しました。実は、この本で挙げた典型的なエクセレントカンパニーが
Digital Equipment(DEC)でした。DECは、1957年MITのベンチャーとしてボス
トンに誕生しましたが、70年代から80年代にかけてアップルやIBM−PCが生
まれ、高速でしかも大容量の演算処理能力を持つPCが現れると太刀打ちできなく
なりました。業績不振のままコンパックに買収され、コンパックはヒューレッ
ト・パッカードに統合されて今日に至っています。DECは、エクセレントカン
パニーであったが故に、経営の進化ができなかったのです。
5,組織の状況適応
企業組織が継続的に発展して行くためには、事業環境の変化に適応するという
ことが必要です。それは (1)変化に適応した企業は高い業績をあげているからであ
り (2)企業業績が悪いのは、変化に適応しない組織の特性や組織デザインに問題が
あるからです。それでは、変化に適応する能力を創造するにはどうしたら良いの
でしょう。 (1)まったく新たな組織をつくってみること (2)既存の企業組織から独立
させて、過去に拘らない業務プロセスと価値基準(組織風土)をつくること (3)直
面する課題の解決を可能にする企業を買収することです。適応能力を持った組織
は、組織の分化と統合が同時に行われています。つまり、事業部や営業部などの
組織を市場に合わせて分割して行く一方、中央に権限を集権化させた企業が好業
績をあげているということになります。権限を委譲する一方で、本社がしっかり
とそれを管理している企業でなければならないということです。京セラの稲森会
長が、「アミーバー経営」では、組織を細かくして権限と責任を持たせた事業部
組織にさせながら、厳しい管理会計でコントロールして好業績を出した経営を思
い出されます。
松山はやっと夏の暑さが戻ってきました。東京はまた梅雨に逆戻りのようで、こ の酷暑が良いのか、冷夏が良いのか難しいところです。さて、皆様は夏休みどの ようにお過ごしだったでしょうか?海外へ、久しぶりの里帰り、自宅でブラブ ラ・・・それぞれでしょうね。私は、30年ぶりの再会もあった小学校のミニ同 窓会に出席しました。いろいろ気付くこともあり、とてもストレス発散になりま した。この点は、事務所のHPに写真付きで掲載する予定ですので、ぜひご覧ください。 ところで、今回の話題はリーダーシップ論です。実はリーダーシップ論はこれで 理解していただけるほど簡単なものではありませんが、これからいろいろなとこ ろで必要なものだと思います。(図は別ウィンドウで開きます)
■2003年8月20日号■
〜特集〜2003年版「中小企業白書」より
意志決定と経営姿勢が業績を変える〜あなたの右腕は?
1,右腕の存在の有無
〜大規模層に比べ、中小規模層では低い「右腕」の存在〜
中小企業の経営陣について、経営者を補佐し
経営者と機能分担する人材(いわゆる「右腕」的存在)に焦点を当て、その存在と
企業業績の関係についてふれてみたい。まず、1図から会社経営を行う上での悩
み事が相談できる「右腕」と呼べるような人材が社内に存在するかどうかを見る
と、存在するとする企業が全体で7割を超え、73.9%となっている。ちなみに、
「右腕」が担当する最も重要な業務としては、1) 営業・マーケティング(36.6
%)、2) 財務・経理(28.9%)、3) 生産・製造(19.2%)となっている。
「右腕」の存在と企業業績の相関関係は、2図である。「右腕」の存在は従業
者数増加率及び売上高成長率に正の相関がある。
つまり、「右腕」が存在する企業は同時に成長性を示している。
2,経営者の意志決定プロセスと企業の成長
〜意見調整を重視する経営者の企業はより成長を示す〜
中小企業は、経営者の意思決定が企業全体の方向性に与える影響が大企業に比
べはるかに大きい。その意味で中小企業の意思決定は調整を要することが少なく、
このことは中小企業の特徴のひとつと見られている。実際、企業の経営上の意思
決定方式を見ると、規模の大きい企業ほど「意見調整重視型」が多くなっている
反面、5名未満の企業は「意見調整は行わず、代表者の意見を重視する(20.1
%)」(3図)が他と比べて割合が高く、小規模企業では経営者の意思決定に全て
がかかっている。
こうした企業ごとの意思決定方式の違いは企業業績に影響を与えるであろうか。
通常は経営者のリーダーシップによる意思決定の速さが中小企業の強みとされる
が、実際はどうであろうか。この点について、企業規模等の企業属性を考慮に入
れた上で見ていくと、「意見調整は行わない」とする企業に比べて、「双方が納
得する結果が出るまで意見調整を行う」とする企業は従業者数増加率と売上高成
長率にプラスの相関があった。(4図)すなわち、企業の規模等の属性を考慮に
入れた場合、意見調整を重んじる企業は、成長し売上を伸ばす傾向があるわけで
ある。
強い組織には「リーダーシップ」がある指導者が存在するが、リーダーシップ
とは、決して「独断タイプ」の意思決定をいうのではなく、関係者の意見を聞き
ながら、あるいは相手を動かし、周囲を納得させることで従業者等と企業として
の目的を共有化し、プロジェクトを遂行していく着実なリーダーのことをいうの
であろう。この意思決定プロセスが従業員にやる気を植え付け、インセンティブ
を高め、結果として組織を強みとする意識に変えているのではなかろうか。
今、台風10号が四国に上陸しました。台風が上陸するっていうことは、秋近し なんでしょうか?そういえば、夏休みももう中盤ですね。 今日は、話題がないときの定番(冗談です)、松下幸之助論です。「企業の寿命 とは?」「会社と従業員のあるべき関係とは?」と考えると、日本ではまず松下 幸之助ですね。先日、企業の年金関係のセミナーをしたのですが、役員や従業員 の退職金・年金って、この2つの大きなテーマがベースになるような気がします。 で、その中で一番役に立たないのが、官僚機構ではないか。官僚的になると、普 通の会社でも、税理士事務所でも衰退が始まるような気がします。私も気をつけ なくては。え?まだそんなこと言ってられる段階じゃあない?失礼しました。
■2003年8月8日号■
〜特集〜「人づくり」松下幸之助語録
松下電器がまだ世の中に認められていない頃のこと、社員が営業に行くと「松 下電器?何をつくっとる会社か?」と、邪険に扱われることがしばしばあった。 社員が困って社長(松下幸之助)に相談すると、こう言ったという。「松下電器 は人をつくる会社です。ついでに電器製品もつくっていますと言え」と。かつて、 松下電器の人事を担当し松下幸之助氏の部下でもあった人物 N氏より、松下幸 之助の「人づくり」について興味深い話を聴いたので、紹介したい。特に目新し い話でないにしても、経営者ならばどこか自らを省みたくなる話である。以下、 N氏の口述である。
1,「いい人」が集まらないという社長の悩み
「うちの会社には、いい人が来ない」「うちの社員は出来が悪い」と、よく中
小企業の社長さん達が口にするのを聴くが、そんな時、松下幸之助はこんな風に
言っていたという。
世間でいう「いい人」と、自分の会社でいう「いい人」とは違う。例えば、大
学出の優秀な人材がいわゆる町工場に入社したとしても、「なんで自分がこんな
ことをしないといけないのか」とか「自分はこんなはずではなかった」という不
平不満が募って、まったく能力を発揮しないということもある。さらに、その不
平不満がやる気のある社員にも蔓延して、工場全体の志気を下げ、悪影響を及ぼ
すということもある。自分の会社にとって「いい人」というのは、
持っている能力を仕事に最大限活用してくれて、自らも成長しつつ、会社も成長
させてくれるような人ではないだろうか。であるとすれば、経営者は「いい人」
をつくるために環境を整えることこそが会社を成長させる大きな要因の一つにな
る。そのためには、経営者自身も勉強し、成長していかなければ、社員の成長も
会社の成長も望めないだろう。
2,会社の成長曲線と人材
会社の創業時やまだ発展途上にある頃は、十分な労働条件や福利厚生がない中
で、社長も社員も一丸となって、休日も返上して一生懸命働くというような情景
もよく見られる。が、やがて会社も成長し色々な条件や環境が整い、ある程度世
間でも認められる企業になってくると、人材は、創業当初のメンバーとは違った
意識を持って入社してくる。ゼロからスタートした、いわゆる古株(その頃には
部長から取締役クラスとなった面々)は、意識も学歴も違う新人類を見て「不自
由さを知らん」というが、新人類は「何もかも整っているからこの会社に入社し
た」という。会社で下手な苦労を強いられるなら、他の会社に行くというような
意識である。創業時のような何がなんでもという、会社に対する忠誠心があるわ
けではない。これは致し方のないことである。この意識のギャップを埋めること
は難しいが、双方が勉強し続けることでしか共通点は見いだせないのではないだ
ろうか。古い時代の苦労やセオリーばかりに甘んじることなく、新しい技術を学
び、ともに成長し続けることでしか共存できない。
会社が成長していく過程においては、その都度その時代の会社に相応しい人が
入ってくるのである。
3,経営者として足りないもの
松下幸之助はある日、友人に誘われて天理教の教会に出向いたところ、玄関か
ら廊下、床の隅々にいたるまで、ぴかぴかに磨き上げられていることに気付く。
さらに、その掃除をしている人は、みんな地方から集まってきた信者さん達で、
「ありがたい、ありがたい」といって、喜んで掃除をしている姿を見て驚嘆する。
「自分は給料を払って、仕事をしてもらっているのに、みんな不平ばかり言う。
ここでは、お金ももらわず、みんなが笑顔で喜んで仕事をしている。これは、自
分に何かが足りないからである」と、反省したという。
いまでこそ、経営の神と崇められるほどの松下幸之助だが、事業を発足した当
初から、大きな志があったわけではないとN氏は語る。最初は、私利私欲でス
タートした一介の町工場であったかもしれないが、事業が軌道に乗るにつれ松下
幸之助の意識も変化した。事業と共に松下幸之助自身も成長したのである。いや、
松下幸之助自身が成長したからこそ事業も発展したのかも知れない。人をつくる
ことから始まり、会社をつくり、日本をつくり最後には国家のあるべき姿を目指
した松下幸之助が晩年、精力を注いだ松下政経塾からは、日本を担う志士達が数
多く誕生している。
町工場から世界の松下となる道のりの過程で、常に「人づくり」を念頭におい
た企業経営は、時代を超えて人を惹きつける。
8月に入り、やっと夏到来の感じです。先週末は徳島だったのですが、阿波踊り の準備も進んでいるようです。ヨーロッパでも本格的なバカンスシーズンに入り ました。皆様の夏休みの準備は進んでいらっしゃいますか?デパートと同じく、 バカンスもその人の余裕を感じさせるポイントですね。自分の出来る部分で、し っかり楽しむ。これからの日本人にとってとても大切なことだと思います。デ パートの歴史も3回目です。商売がただの利益追求であってはいけないという視 点も必要なのではないかと思うのですが、どう思われますか?
■2003年7月30日号■
〜特集〜デパートの歴史にみる商売の原点 3
1,ブルジョワジーとしての体面を保つという口実
デパートを発明したブシコーが女性の贅沢願望に火をつけたとはいえ、女性が
贅沢品を買うとき多少たりとも罪の意識が働くようでは、売り上げの伸びには限
界がある。いいかえれば、贅沢品を買う際、この行為を合理化できるような口実
があれば、女性は安心して散財することできるということである。そのことを彼
はちゃんと認識していた。なぜなら、彼は「ボン・マルシェ」というデパートを
経営しながら、「この贅沢品を買うことは、ブルジョワジーとしての体面を保つ
ための必要条件である」というように、ライフスタイルとしての買い物を提唱し
ていったからである。
これは、現在のお客に提案しながら売るという、コンサルティングセールスの
はしりであるといっても過言ではない。19世紀半ば、地方出身の一商人が、世界
最大のデパートをつくりあげていった秘訣はここにある。
2,欲望の掘り起こし 客の無意識に刷り込む
「ボン・マルシェ」が発行した印刷物の中でも、注目に値するのは、「アジャ
ンダ」と呼ばれる年間予定表付き手帳(後の家計簿)である。「アジャンダ」と
は、もともと文字を知らない民衆にキリスト教の行事や国家の祭事、農事暦など
を教えるための絵入りの印刷物で、一家に一冊は置かれていたものだが、ブシ
コーは、このアイデアを借りて「ボン・マルシェ」の年間大売り出し予定と家庭
生活に必要な情報を盛り込んだ手帳にして顧客に無料で配った。
手帳を紐解くと、最初がピンク・ページと呼ばれるインクの吸取紙になってお
り、どこかにしまい込むことがないよう工夫がなされている。続いて、ホーム
パーティーの招待客を記入するための一覧表があり、そこには夜会服に身をつつ
んだ楽しげな紳士淑女の光景が描かれている。これは、暗に「ボン・マルシェ」
が提案するワンランク上のライフスタイルを提唱しているのである。ブルジョワ
ジーなら、ホームパーティーのために夜会服は何枚か取りそろえなければならな
いし、食器もフルセット準備するにこしたことはない。というように・・・。そ
して、次のページにはバーゲンセールの告知が掲載されているのである。安サラ
リーにも関わらず体面だけは繕おうとしていたプチ・ブルジョワたちは、この
「アジャンダ」に家計簿をつけながら、演出されたワンランク上の生活を眺め、
半分くらいは自分がアッパー・ミドルになった錯覚を抱いていた。もちろん、こ
うした理想の生活を現実に送っている階層は、「ボン・マルシェ」などでは、買
い物はしなかった。
3,管理の天才ブシコー ゲルト制度と社員教育
「ボン・マルシェ」では、固定給プラス歩合給の給与システムをとっていた。
ゲルト制度と呼ばれるこの歩合給制度は、当時としては画期的なもので、従業員
のやる気を引き出し、優秀な店員はかなりの高収入を手にしていた。当然、売り
子としての才能は歴然と出てくるが、ブシコーは、客に商品を押しつけることが
上手い店員を良い売り子とは、考えていなかった。客に何度も足を運ばせること
が何よりも必要だったので店員が客に不愉快な思いをさせることは、なんとして
も避けなければならなかったからである。また、ブシコーは、従業員に無料の食
事と住居(寮)を与え、労働意欲と帰属意識を高め、店員の意識改造にもつとめ
た。たとえば、ブルジョワジーの客が値段が高く買うことを迷っているとき「奥
様でしたらこれぐらいはお召しになってくいださい」と言えるようさせるために
は、店員にもそれなりの中流意識を持たせなければならない。洗練された物腰の
店員にこういわれると、客は買わずにはプライドが許さなくなるのをブシコーは
知っていた。顧客の意識が上昇した分だけ、店員の意識も上昇させてやらなけれ
ばならないのである。ブシコーは、従業員専用の化粧室と理髪店を設け、身だし
なみという外観から変えていった。その後、英語、ドイツ語などの教養講座に、
コーラス、オーケストラ、フェンシングなどの講座も設け組織の連帯感を強めて
いった。また、「ボン・マルシェ」の店員は、プロとしての破格の待遇を受けて
いてその態度もふるまいもすべての人々の尊敬に値する紳士淑女であると、外部
に積極的に宣伝したのである。実際、従業員は「ボン・マルシェ」の店員である
という誇りがあり、他店に勤める店員にとって「ボン・マルシェ」で働くことは
夢であり、いつかは「ボン・マルシェ」の制服を着たいと願うようになっていた。
買い物客を酔わせ、商品を魅せる仕掛けをつくっただけでなく、彼の偉大さは
「商品による消費者の教育」また、それに携わる「従業員の教育」を手掛け実現
させたことであろう。豊かなハイライフという目標を設定してやり、そこに到達
するよう叱咤激励をしてやること。この教育的な側面があってこそ、彼の事業は
後世に名を残す発展を遂げたのである。消費が低迷する現在、ブシコーがいたら
どのようなアイデアを駆使するだろうか?
(参考資料:デパートを発明した夫婦ほか)
今日も東京出張の話。月に数回東京に行くペースだと、多分ずっとそこにいるよ りもいろんなことに気がつきます。で、今日気がついたことは何だったでしょう か???今日、山手線に乗っていてふと気がついたこと。電車に乗ってる人の服 装がとてもシンプルです。言い方を変えれば、服装にお金をかけなくなった人が 増えたような気がします。ホームレスではない、普通のサラリーマンや学生さん の服です(たぶん)。でもその服にはシミがあったり、穴が開いてたり・・・。 こうなるとデパートどころではないかもしれませんね(笑)。経済学的にみると、 デフレやリストラの進行、消費の減退ということになるんでしょうが、よーく考 えると、今まで日本人は本当に飾ることにお金を使ってきました。高齢者の方が なんでお金を持ってるかというと、飾ることにお金を使ってないことが大きな要 因の一つだと思います。15年近くの不景気で元に戻ったのでしょうか?日本人 って本当に真面目な人種なんです。皆さんはどう思われますか?夏休みで東京に 行かれることも多いかと思います。しっかりチェックしてみてください。
■2003年7月18日号■
〜特集〜デパートの歴史にみる商売の原点 2
限られた店舗しかなく、買い物のたびに値段交渉を強いられるという、庶民に とっては苦痛でしかなかった19世紀前半の買い物事情は、インフラの整備とガス 灯の普及等によって、次第に様相を変えてくる。今回は、前回に引き続き女性の 心理を巧みによみとり、必要から欲求を満たす買い物へ変化させ、デパート文化 を築き、それが結果として大衆消費経済を導いた一組の夫婦にスポットをあてな がら本格的資本主義という大きな車輪が動き始めた当時の商売の戦略を紹介する。
1,世界最大のデパートを発明した夫婦
1810年ノルウェーの帽子屋の息子として生まれたアリスティッド・ブシコーは、
18歳のときパリに上り、当時のデパート「プチ・サン=トマ」(創業1810年)に
就職する。地方都市のうぶれた商店しか知らないブシコー少年の心は、初めてみ
るデパートの豪華絢爛たる眩しく輝く世界をみてしばらく茫然自失した。その衝
撃的な出会いとショックがその後の彼の人生のベクトルを決定づけるものになっ
た。やがてブシコーは、「プチ・サン=トマ」の店員をしていたマルグリット・
ゲランという娘と結婚し、1852年「ボン・マルシェ」の共同経営をもちかけられ
二人の貯金五万フラン(五千万円)で、世界初のデパート「ボン・マルシェ」の
半分の権利を買い取り、ブシコーは「プチ・サン=トマ」を辞めて独立した。従
業員が12人、売場は四つ、年間売上額は四十五万二千フラン(四億五千二百万
円)からのスタートであった。その後、共同経営者が自分の持ち分(営業権と不
動産で百五十二万フラン(十五億円))を買い取り、ブシコーは晴れて「ボン・
マルシェ」の唯一の所有者となった。1877年にブシコーが没したとき「ボン・マ
ルシェ」は、パリだけでなく、世界で最大の大型小売店、つまり最大のデパート
になっていたのである。
2,元祖大売り出し〜「白」の展覧会
バーゲンの終わった一月下旬のある寒い日、売上の落ち込みを回避するアイデ
アを思案しながら窓の外の冬景色をぼんやり見つめていたブシコーは、舞い散る
粉雪を見てとっさに「白」という言葉が頭にひらめいた。白(ブラン)とは、白
生地をつかったワイシャツ、ブラウス、下着、シーツ、タオル、テーブルクロス
などのことを指す。ブシコーは、春物を売り出すにはまだ寒いこの時期に、季節
商品とは関係ない「白物」を集中的に売り出すことを思いついた。
かくして二月はじめ「エクスポジシオン(展覧会)・ド・ブラン」と銘打った
白物の大売り出しが始まった。店内は白一色の銀世界と化した。19世紀は洗剤も
洗濯方式も原始的で、真っ白なワイシャツや下着を身につけるのは最高の贅沢で
あった。「ボン・マルシェ」の白物セールは、パリ中、フランス中の人々にセン
セーションを巻き起こした。
3,ブシコーの魔法にかけられて
ブシコーという魔術師の登場により「ボン・マルシェ」にいくことは、まるで
ディズニー・ランドにでもいくような、胸のワクワクする体験となり、買い物は
必要を満たすための行為ではなく、自分もスペクタクルに参加していることを確
認する証となった。消費者は、ジェットコースターに行列するような浮かれた気
分で絹織物やマントを買うのである。
ブシコーは、顧客の心理、とりわけ女性客の心理を熟知していた。いかに素晴
らしいスペクタクルであっても、そこに人が列をなしてひしめきあってなければ、
そのありがたみも半減する。消費者の恍惚感を高めるには、皆と同じセレモニー
に参加しているという共生感が必要だからである。ブシコーは、デパートの宏壮
なホールに比べてわざと入口を狭くし、入口付近に
奉仕価格の商品を山積みしたワゴンを置き、自然と人だかりができるように工夫
した。デパート内部の売場も人気のない片隅がひとつとしてあってはならないと
いうのが金科玉条だった。
実際には、閑古鳥のなく売場があってもなんとかそれをかくそうと努力した。
4,商品のオペラ〜ディスプレイ
「ボン・マルシェ」は、同時代に建設されたシャルル・ガルニエのオペラ座を
イメージして
つくられた。店舗が劇場、買い物客が観客だとすると、肝心のオペラは商品とい
うことになる。ブシコーは、この「商品のオペラ」の傑出した演出家だった。例
えば、ウィンドー・ディスプレイは、いつもある種の物語性を含んだオペラの情
景ないしは楽曲を構成している。緩やかな序曲から始まり、クライマックスに至
り、大団円を迎えるというようにウィンドーの前に立つ客はディスプレイを見な
がらテーマに基づく商品を楽しみに、楽しんだ分デパート側の「これを買え」と
いうサブリミナルイメージを深層心理にしっかり植え付けられてしまうことにな
るのである。客は、帰りの乗り合い馬車に乗った途端、身分不相応な「思いもか
けなかったような必需品」を数々買ってしまったことに気づくが、いい買い物を
したという充実感があり、今度はバーゲンセールのときに、もっとお金をたくさ
ん持って「ボン・マルシェ」にこようと、考えるのであった・・・・・(次号に
続く)
(参考資料:デパートを発明した夫婦ほか)
松山では梅雨が明けたような天気が続いています。皆様お住まいの町はいかが
でしょう?
やや不定期ではありますが、月に3回レポートをお送りしています。巻頭に私
が思うことを書いているのですが、思うこと全部を書くことができません。本当
に世の中すごく変化しています。この変化を皆さん実感できていらっしゃいます
か?それは難しいことではなくて、目の前にあるものを素直に受け入れることだ
と思います。同時に自分の価値観を磨くこと。税理士という仕事柄、「今どの仕
事が儲かりますか?」とよく聞かれます。で、最も多い答え方が、「今のお仕事
を天職だと思ってやることです」。バブルがはじけて、約15年。前後入れると
30年。日本人って本当に浮かれていた、そのことに多くの日本人が気が付き始
めていると私は思います。今日のレポートに書かれたデパートも同じだと思いま
す。初期の発想はすごく勇気の必要な画期的なビジネスだった。それがどこかで
変わっていってしまったんでしょうね。その原点ってすごく大切だと思います。
■2003年7月10日号■
〜特集〜デパートの歴史にみる商売の原点 1
今、世界で最も有名で歴史のあるデパートといえば、1849年、紅茶商人チャー ルズ・ヘンリー・ハロッドがロンドンに開いた一軒の小さな食料品店からスター トしたハロッズではないだろうか。ここは、世界の一流品が揃い「ないものはな い」と言われている。かつてアメリカ大統領が、ハロッズに象を注文したことが あるが、ハロッズデパートは怯みもせず、ホワイトハウスにインドから買い付け た子象を届けたという伝説が残っているほどである。年中人がごった返し、入り 口にはガードマンが立って服装や持ち物のチェックをしている。例えばTシャツ にスパッツやGパンでは入店を断られるし、大きな手荷物は中身をチェックされ る。それでもハイド・パークとならんで、ハロッズに行かないとロンドンを語れ ないと言われるほどである。今回は2回にわたり、デパートの歴史を紐解きなが ら商売の原点を探る。
1,デパートの誕生
デパートが、世に現れたのは19世紀半ばのことである。世界初のデパート「ボ
ン・マルシェ」が、パリに産声をあげた。衝動買いを誘うウィンドウ・ディスプ
レイや演奏会、バーゲンなどの集客戦略は現代も変わらない。時は、前段階資本
主義が本格的資本主義に移行した時代でもあった。フランス、イギリス、アメリ
カなどの大都市に次々と生まれたデパートは、折から工場生産に移った繊維産業
と持ちつ持たれつの関係に入って、大衆消費経済を作りだした。しかし、ただ単
に大衆消費経済というだけでなく、ただの買い物を快楽に昇華させ、デパート文
化を後世に残すには、それなりの戦略と考察があった。それが結果として大衆消
費経済を導いたのである。
2,「買い物は苦痛」昔の商店にみる売り手と買い手の関係
昔は、個人商店などに入ると「ごめんください」と声をかけ奥から店主が出て
きて、品物の売り買いが始まった。今は、コンビニなどで、店員の方から「いら
っしゃいませ」と迎えるものの、客は一言も発せず買い物を終え店を出るという
ケースも少なくない。ヨーロッパの個人商店では今でも、昔の日本と同じである。
予め欲しいものを明確にしておいた上で、「こんにちわ」と挨拶をして入ってい
かなければならない。商品を買うともなく、眺めて触るだけ触って無言で帰るな
ど、マナー違反である。ところが、19世紀前半までのフランスの商店では、入店
も出店も原則がなく、一度店の敷居をまたいだら何も買わずに出ることは許され
なかった。また、商品には値札がなく、客は高く売りつけようとする商人と、い
ちいち値段交渉をしなければならなかった。買い物ひとつに大変な苦労が強いら
れるわけだが、今なら別の店にいくなどできるが、当時は他の選択肢はなかった。
当時のパリは交通が不便だったので、自家用馬車のある上流階級をのぞいては、
買い物は歩いていける区域に限られていたのである。しかたなく、近所の一軒の
店で必要最小限のものを揃えるしかなかった。庶民にとって買い物は決して楽し
いものでなく、必要を満たすためにいやいやしなければならないことだった。
3,インフラがデパートを変えた
客を呼び込むための工夫もサービスも存在していなかった店が、歩道の敷設と
乗合馬車が充実するなどの社会的な条件が整備されるとともに徐々に変化を見せ
始めた。遠くからでも買い物にやってくる客が出現しマガサン・ド・ヌボォテ
(流行品店)とよばれる新しいタイプの商店が誕生したのである。明るくて大き
なショーウインドーに広々した店内、目を引くような品物の数々、そしてなによ
りすべて正値の札がつき、客は安心して買い物をすることができるようになった。
値段交渉がなくなったため、店員が1人の買い物客に費やす時間ははるかに短く
なり、客は値段交渉もせず、いやな店で買い物を強いられる苦労からも開放され
た。
4,ウィンドー・ショッピングの快楽
素敵な店が存在すれば、買うことはできなくとも、せめて見てみたいという欲
望が生まれる。つまりウィンドー・ショッピングの出現したのは、1784年ブルボ
ン王朝の傍系ルイ・フィリップ・ドルレアンが自らの城パレ・ロワイヤルを改造
して一部を商店街にしたとき以来のことである。客は雨風にさらされず、ずらり
と並んだウィンドーを冷やかしながら散策できるようになった。同時に、この頃
パリにはガス灯が普及され営業時間の延長が可能になり、ショッピング熱はます
ます煽られることになった。必要から欲求を満たすものとしてデパートが社会に
受け入れられる基盤はこの頃から環境的にも心理的にも整っていく。次回は、当
時人の心理を考察しながらデパートを事業として成功させ文化を作った1人の男
性を紹介したい。
(参考資料:デパートを発明した夫婦)
台風6号が近づいています。今年の台風は、例年だと秋のパターンで日本列島 に近づいています。原因は、太平洋高気圧がいつもより弱いことにあるそうで す。・・・ということは、今年の夏は冷夏なのかもしれませんね。10年近く前 にも冷夏でお米が取れなくて大変な思いをしました。皆さんのご記憶にあります か?タイ米だとか、いろんなお米が流通しました。思い起こしてみれば、当時携 帯電話持っている人は圧倒的に少数派だったし(流行に敏感な中小企業の社長く らい?)、インターネットやノートPCも夢のようをな話でした。で、今それは 普通になっています。しかし、精神的な豊かさは広がったでしょうか?仕事のレ ベルは上がったでしょうか?人としてのレベルアップ。ツールではなく、これか らは中身の充実が課題です。税理士会関連の団体誌のコラムを書きながら、思っ たことです。皆さんはどう思われますか?
■2003年6月17日号■
〜特集〜時間に縛られない関係を求める社会
1,非同期社会ってなに?
携帯電話やメールの普及、地上波デジタル放送の開始などで、日々のコミュ
ニーケーションは、10年前と比べて膨大に増えている。一度に10人の声を聞き分
けたといわれる聖徳太子ならいざしらず、これだけ氾濫するコミュニーケーショ
ン量をすべて同時に対応するのはとても無理である。何とか対応できないものか
という願いを実現したのが、時間をずらした非同期コミュニケーションである。
みんなでいっせいに動くのではなく、めいめいで動くのである。
例えば、メディアにおいて非同期をもたらすものは蓄積型の情報機器の発達で
ある。ケータイ、Eメール、ビデオ、HDDレコーダーなどは、情報をためておいて、
自分の都合の良いときに処理ができる。お気に入りの番組が放映されるときに、
テレビの前に座っていなくとも、後で時間のあるときにゆっくり見ることができ
るし、かかってくるはずの電話を待って、出かけられないという事態からも開放
されるのである。まさに、技術の進歩が非同期を可能にしたのである。
2,時間の多層化を可能にした技術
コミュニケーション量が増えても、同時でなければ、つまり、非同期でなら
いくらでも処理ができる。情報を蓄積しておいて、緊急度の高いものから処理を
することが可能だからである。基本的に同期と非同期は、コミュニケーション
処理の仕方が異なる。例えば、電話は同期で、情報の同時点処理である。コミュ
ニーケーションの送り手と受け手の行動は同時(同じタイミング)なのだ。一方、
Eメールは、非同期である。メールが送られた時点では他のことをしていても、
ある時間が経過してから返信メールを送ることができる。時間的にずれていても
互いにコミュニケーションがとれる。コミュニケーションの送り手と受け手
は異なった時点でめいめいが別々に行動している。時間に(ひとつのことに)縛
られず時間を多層的に使うことができるのが、非同期である。
3,あなたは同期型?非同期型?それとも共存型?
- 「新聞を読む」
- 同期型
- 朝食と共に朝刊を、夕食とともに夕刊を読む。毎朝、新聞を読まない と落ち着かず、休刊日は、なんとなく寂しく思う。テレビのニュースが流れてい ても、新聞の活字で確かめないと実感がわかない。
- 非同期型
- 朝は慌ただしく出勤するため、新聞を読む余裕などなく、夜遅くに 帰宅してから朝刊夕刊、あるいは数日分をまとめて読む。
- 共存型
- 毎朝新聞に目を通しながらも、インターネットで時々、新聞社のホー ムページを覗く。今後は、「詳しい記事はインターネットで読んでください」と いう記事もありうるし、電子新聞で、朝刊は自動的にデジタルで送られてくるこ とも考えられる。そうなると、新聞は、同期型でもあり非同期でもあるメディア になる。
- 「企業の商品開発」
- 同期型
- 全社一丸となって商品開発をという社長の訓辞のあと、各部署はスケ ジュール通り連日会議をし、決められた期日までに企画案をつくるために息つく 暇もなく、方向性を失ったときは、皆が疲労困憊する。(方向性が示されている ときは、競い合っていいものが生まれることもある)
- 非同期型
- どの部署から企画案を出してもいい。思いついた社員が、随時プレ ゼンテーションをする。トップがピンとくればGOである。(ただし、やる気のな い社員が集まっている場合はいつまでたってもアイデアは出ない)
- 共存型
- 会社はいつでもアイデアを受け付け、良さそうなものはパイロット商 品として少量を商品化し、見込みがあれば本格生産、ただし期間は2年以内。制 約された同期の時間サイクルと非同期の組み合わせの妙が、思いもしなかった商 品を一定期間で生み出す可能性もある。
4,非同期と同期の組み合わせが新しい文化を生み出す
コミュニケーション量が大きくなると、リアルタイムに対応することは不可
能である。
1人の人間が同時に何本もの電話に出ることはできないが、Eメールなら同時に
数十通、受信したとしても十分対応可能なのである。インターネットという技術
が時間の多層化を実現した。例えば、非同期を押し進める技術の代表がケータイ。
「今、○○ビルで限定30食、半額セールです」という一斉メールを流すキャン
ペーンは、非同期の技術を同期型として使っている(シチュエーション・マーケ
ティング)新しい文化で、これから益々増えるであろう。
同期型と非同期型の融合が、暮らしを変え、生活者の意識の変化させている。
今日のテーマはお茶だしです。私は本当にほんの少しですが、煎茶の道をかじ
ったことがあり、お茶だしにはほんの少しうるさいです。で、事務所のメンバー
にもお茶の入れ方を指導することがたまにあります。その時に思うのは、大切な
のはテクニックではなく、お客様をもてなすという「気持ち」だということです。
このセンスは日本人独特のものですね。特に、四国にはお遍路さんをもてなすと
いう習慣があり、独特の「おもてなし文化」を持っているのかもしれません。ナ
ショナリズムではなく、素直に良いものを良いと思える姿勢ってこれから大事に
したいと思います。
横断歩道を渡っていて思うこと。歩行者に向かって曲がってくる車があった時、
あなたは早足になりますか?無視してゆっくり歩きますか?東京のような街で、
歩行者が多いところは別ですが、松山あたりだと歩道を渡る人って普通、数人で
すね。ちょっと早く歩いてあげると車も早く進めます。それは大したことではな
いかもしれませんが、ドライバーはかなりストレスが減るはずです。よく観察し
てると、松山の歩行者って早足になる人が多いような気がします。私もそのよう
に心がけています。「伊予の早曲がり」って言われますが、悪いことだけではな
いようです。
■2003年6月9日号■
〜特集〜ビジネスコミュニケーション
1,企業文化の一端をみる「お茶だし」
会社を訪問する際に、そこで出されたお茶やお茶の出し方は、いつもジロジロ
と拝見させてもらっている。応接室で待たされていると、だいたい女子社員が
(最近では、女性男性の区別はなく男性社員が担当することもあるが、多くの企
業、特に中小企業などは圧倒的に女性がお茶だしをすることが多い)その会社流
の決まった作法でお茶を出してくれる。部屋に入って来て、お茶を置いて退室す
るまで、時間にして数分だが、会社の文化の一端をかいま見るようで興味深い。
また、湯呑み茶碗の趣や、お茶の種類や味、温度等、飽きることなく一企業のお
茶文化を楽しませてもらう。
2,お茶の味と湯呑みの関係
面白いのは、お茶を美味しく入れて感じよく出すという文化が根付いている会
社は、誰が出しても、そつがなくお茶の種類も味も変わらない。また、美味しく
出す工夫をしているところは、所作も美しい。会社として客をどのように迎え、
もてなすのかという指導が徹底されているのであろうと忍ばれ、社長の顔が脳裏
によぎる。また、美味しいと感じるお茶が出されるところの湯呑みは、値段に関
わらず大切に扱われているものが多い。まちがっても集会所で使われているよう
な安っぽく感じられる湯呑みではない。ましてや、白い湯呑みの底が黄ばんでい
たりすることもない。「お茶を出す」ということが、どういう意味を持っている
のかが、きちんと押さえられているのである。
3,日本独特の企業文化
来社した客にお茶をもてなすのは、日本独特の企業文化である。欧米での企業
を訪問すると、特に何も出てこないか、あるとすればペットボトルのミネラルウ
ォーターやコーラなどの清涼飲料水などである。考えようによっては合理的であ
る。来客の為にお湯を沸かす必要もなく、あとで急須や湯呑み茶碗を洗う必要も
ない。また、お茶だしの作法やその他といった、わずらわしさもない。
旅館で接待係が客の前でお茶出しをする際には、茶器を載せた盆を前にして、
正座し手を膝の上にのせて背筋をピシッと伸ばし、一呼吸置いてからお茶の振る
舞いに入るよう指導される。あとにも先にも接待係が客の前であらためて背筋を
伸ばすのはこのときだけである。細かな所作の違いはあるにせよ、また、来訪の
意味の違いはあるにせよ、何かしらの用があり、何らかの形で会社(社長や担当
者)がお世話になっている人がわざわざ足を運んでくださったのである。背筋を
伸ばすという気持ちをもって、お茶を出す企業がどのくらいあるだろうか。客を
もてなす心構えは、旅館と同様に身につけていたい。
4,「一 声、二 表現力、三 心構え」
さて、ここでビジネスマンに求められる三大表現要素だが、俳優は「一 声、
二 振り、三 姿」で、俳優にとって一番大事なのは声であり、演技であり、容
姿であると言われている。ビジネスの表現要素では「一 声、二 表現力、三
心構え」といったところではないだろうか。専門的な職業に就かない限り、声の
質などはあまり重要視されないが、良く通り、響きの心地よい声は、それだけで
好感度は高い。また、どのような言葉を使い、どのような表情や態度で話しかけ
るかということも非常に大切な要素である。表現力はその人自身のもつ雰囲気全
体から醸し出されるものといってもいい。究極の表現力があれば、声の良し悪し
は越えられる。多少、声に問題があっても豊かな表現力でカバーでき、逆に声の
悪さが個性となってプラスにはたらくこともある。また、心構えはどうだろう
か?自分がどういう立場で、何を目的に顧客と対峙するのか。心構えに不足はな
いだろうか。素晴らしい表現力があっても、心構えが貧弱だと、良い印象は与え
ない。誠実な心が足らない表現力を補うこともある。
とはいえ、声の良さは、年齢に関係なく訓練次第である程度つくることができ
る。第一印象に響く声は、是非磨きをかけたい。余談になるが、多くの女性は、
良い声の男性には惹かれる。官能をくすぐる声には、理屈を越えて惹かれてしま
う。
5,一瞬の癒しを提供する
閑話休題。「お茶だし」は無言の表現力である。無駄を一切省いて、手際よく
美しく、それでいて一瞬の間にもてなす気持ちとねぎらいの思いを客に伝える作
業である。心構えと、その人全体から醸し出される雰囲気で、客がどれくらい癒
されるか。喧喧諤諤とした商談が展開される前なら、なおさらのこと一服の至福
を提供できるお茶を出したい。
前回に引き続きコミュニケーションの話です。私のような税理士の仕事は、帳簿
や数字を追いかけていているというのが「常識」で、業界の中では、人と会話す
る能力っていうのはあまり評価されていないような気がします。でも、すごく大
切なことなんですね。私も自分でそんなに話がうまいとは思いませんが(ちょっ
と謙遜)、心がけているのは「まず聞く」ということです。どんなにいかつい顔
をした社長も、いろいろ聴いて差し上げているうちに打ち解けてしまうというの
はよくある話です。
ところで、先日からやっとモバイルを始めました。実はノートPCは3台目なん
ですが、通信の環境が今ひとつなのと、PC自体が能力的に劣っていたこともあ
り、空港や新幹線の中でモバイルしてる人を片目で見ながら、先延ばしになって
いました。今回のPCはほぼ満足してます。しかし、どこでもメールできるなん
てついこの前まで夢のような話だったんですね。本当に時代の変化は激しいです。
このモバイルの話はまたいつか続けます。では。
■2003年5月29日号■
〜特集〜コミュニケーション能力を磨く 「聞く」ということ 2
1,ビジネスにおけるインタビュー
インタビューというと、テレビなどで見られる有名人との対談やインタビュー
アーが街行く人に「○○についてどう思いますか」と、マイクを向けて問いかけ
る光景が浮かぶが、仕事をすすめていく上で自分が必要とする情報を積極的に収
集するという意味に捉えると、マスコミ業界に限ったものではなくなる。デパー
トを歩いていると「何をお探しですか?」と聞いてくる店員によく出くわすが、
これも顧客のニーズを聞き出すインタビューの一つである。
ニーズを聞き出すことによってその後の商談の進め方が変わってくる。自社商
品を売り込むために先方の要望を聞き出す営業活動や、社内ミーティングなどで
もインタビューは存在する。情報を収集することは、すべての分野の仕事におい
て必要不可決であり、ビジネスの第一歩でもあるのだ。通常は「ヒアリング」と
いう言葉の方が一般的かもしれないが、ヒアリングというと、どちらかといえば
受動的で、相手の話を単に聞く(聞かせてもらう)という印象が強いので、相手
から積極的に聞き出すという能動的な意味合いをもつインタビューとは、意は異
なる。
2,インタビューによる情報収集
インタビューというと、人が「個人が持つ情報を引き出す」ことである。ITが
発達した現在でも、個人が長年かけて習得した経験やカン、知識といったものは、
コンピューターではまだ十分に処理(収集)しきれない情報のため、非常に重要
で価値のある内容をもつものがある。キーボードをひとつ押すだけで、誰でも収
集できる情報ではないだけに、人が所有する生の情報は一層重要性を増し、それ
をいかに収集できるかが、インタビューの技術なのである。
しかし、ただ人と会って話をするのではなく、相手の話の内容を正確に聞き取
り、メモなどをとって活用するとなると案外難しい。聞き落としがあったり、自
分流の解釈をするために、相手の話を勝手にアレンジして理解してしまうことが
あるからだ。
3,表情やしぐさ、態度の観察
ベテランの営業マンになると、相手に対する観察力は鋭く、推察した内容もほ
ぼ正確であることが多い。相手の言葉を鵜呑みにせず、その前後の話や、細かな
相手の表情や態度などを見逃さないからだ。かりに相手がまだ計画を考えていな
いといっても、すでに担当者レベルでは決まっているが、まだ会社としての最終
決定が出ていないとか、すでに他者に発注したあとであるとか、その場の雰囲気
で読みとれることもあるという。商談の場合は、単に相手の言葉だけをメモする
のではなく、そのときに感じた相手のボディー・ランゲージから読みとれる印象
や気付いたことを同時に記しておくと、情報の信憑性や価値も変わってくること
がある。また、そのように観察をしていると、質問の仕方や内容が変わり、相手
の本音に近い情報を引き出せることもある。
4,相手の話の腰の折り方
「相手の話の腰を折る」ということは、基本的にはタブーであるが、仕事に役
立つ情報を得るという目的を持ってインタビューする際には、時に話の腰を折る
ことも必要なことがある。特に相手がよく喋るタイプで、聞き手がろくに質問し
なくとも次から次へと話題が進んでいく場合、往々にして自分の都合のよい話や、
自慢話になることが多い。あまりに話が大筋から離れて聞き手のニーズとずれて
しまう場合は、どこかで軌道修正をしないと時間の無駄である。
相手の機嫌を損なわず、上手にハンドリングするには、2つポイントがある。
1つ目は、いつ聞き手側が口をはさむかというタイミングの問題。2つ目は、ど
のような言葉を差し向けるかといった表現の問題である。そこで、無難な例を挙
げるとすれば次の通りである。
- 先ほどの話の続きですが・・・
- 先ほどご紹介いただいたデータの件ですが・・・
- そのお話に関連して・・・
- 今のお話の内容の反対意見の人があるとすれば・・・
- お話の論旨はこのように受け取ってよろしいのでしょうか?
以上の言い回しを参考に、相手のタイプやその場の雰囲気によって、ふさわしい
表現をタイミングよく投げかけることが、上級の技である。
ともあれ、相手の口を滑らかにするのは、インタビューアー(聞き手)の腕で
ある。基本的には、相手の話の流れに沿いながら、その場で臨機応変に対応しつ
つ舵取りができるのが理想である。コミュニケーション能力が常に問われてい
る。
今日、東京出張から帰ってきました。虎ノ門近くのホテルからモノレールの浜松 町駅まではタクシーを使います。が、乗り込んでからある交差点でいつもと逆に 曲がってしまいました。こんな道もあるんだと思っていたところ、JR山手線の 1つ先の田町駅まで行ってしまいました(私の出身大学慶応義塾があるところで す)。で、私が道案内をする羽目に・・・。東京のタクシーはこんな運転手が多 くて、いろいろ苦労するのですが、JRの駅もわからなかったのは初めての経験 です。なぜこうなったのか?というと、リストラで職を失った方ができる職業の 1つがタクシードライバーなんですね。で、後で思ったのですが、座席の前に、 「抜け道等をご存知なら遠慮なくお申し付けください」と書いてありました。そ ういうことだったんだと知ったのは、いつもの倍以上の料金を払った後でした (少しはまけてくれましたが・・)。コミュニケーションて本当に大切です。
■2003年5月15日号■
〜特集〜コミュニケーション能力を磨く 「聞く」ということ
1,聞き手次第でコミュニケーションは変わる
私たちは、人の話を聞いているようで聞いていないことが多い。どんな素晴ら
しい話を聞いても(情報を得ても)理解する能力がなければ、まさに「馬の耳に
念仏」である。また、自分のフィルターを通して解釈するので、自分の都合の良
いように理解してしまうこともしばしばである。ふと気付くと言葉尻だけを捉え
て、話の大意から外れていたり、ねじれていたりすることも少なくない。コミュ
ニーケーション能力というものを考えるとき、話すこと、書くこと、プレゼンを
することに比べて、聞くということは忘れられがちである。コミュニーケーショ
ンは言うまでもなく「話し手」(情報発信側)と「聞き手」(受け取り側)によ
って成立するもので、聞き手の態度やレスポンス(応答)によって、コミュニー
ケーションの深さも発信される情報の量と質も変わってくる。
2,「聞く」ことと「聞き出す」こと
一言で「聞く」といっても、ただ静かに耳を傾けるだけの「聞く」なのか、相
手からもっと情報を得ようとしたり、コミュニケーションを深めようとして
「聞く」という、積極的な姿勢のある「聞く」なのか、前者と後者では「聞く」
態度も、心構えも、反応も違ってくるし、後者であれば事前準備が必要な場合も
ある。講演会場で大勢の中の1人として、講演者の話を聞く場合は前者の「聞
く」になる。ただし、これも、講演後に質問をしなければならない場合だと、後
者の「聞く」(聴く)という態度になる。ビジネスの世界で商談や一対一で初対
面の相手とコミュニケーションを図るときなどは、明らかに後者である。相手
から何を聞き出したいのか、会話の目的は何か等をしっかり踏まえていないと、
互いに収穫のない時間の浪費になってしまうことが多い。忙しい現代にみすみす
時間の浪費を希望する人など、どこにもいるはずがない。では、充実した時間を
生みだし、クリエイティブなコミュニケーションにするためには、どうしたら
良いのだろう。
3,あるインタビューに見るコミュニケーション
2時間のドキュメンタリー番組の作成。あらかじめ撮影を済ませた海の映像の
モニター画面を前にして、その海で長年漁師として生き続ける1人の老人の声を
録る。場所は老人にとって馴染みのない小さなスタジオである。録音機材と目の
前のマイク。殺風景な部屋。初対面の若いインタビュアー。いくら目の前に長年
向き合ってきた海の映像が出てきたところで平常心にはなれない。男性の声は上
づり、原稿は棒読み、無理もない。しかし、生きた声が欲しい。海と共に生き続
けた漁師の思いが欲しいのである。インタビューの時間は限られている!(あな
たがインタビュアーならどうしますか?)
インタビュアーは、話すのをやめた。ただ、老人と一緒にモニターから映し出
される海を眺めた。季節ごとに、時間ごとに色や表情を変える海を眺めていると、
ふっとインタビュアーの口から言葉が漏れた「きれい・・」と。それに応えるよ
うに老人が頷く「うん、夕暮れ時いつも金色に光るんじゃ・・」。その会話を封
切りに、徐々に老人の口から海に寄せる思いがこぼれてくる。インタビュアーは、
言葉尻のひとつひとつにまで気を配った。老人に緊張感を与えない聞き方で。な
るべく応えやすい質問の形で。聞き出したいことと老人が一番喋りたいことの接
点を探りながら。一時は時間をかけて仕掛けてきた番組企画そのものを変えなけ
ればならないかと思われたインタビューも、無事時間内に終了し、番組はその後
ある大賞を受賞した。
4,「聞く」技術を磨こう
聞きたいことを的確に聞き出すのは技術である。どんな質問をどんな風に相手
になげかければ、受け止めてもらえるか。相手が打ち返しやすい球は、どんな球
でどんなコースなのか?ということを、日頃から思考しながら会話をする癖をつ
けておけば、技術は磨くことができる。
そこで、いくつかの質問パターンを紹介したい。
- 自由式「今どこの製品をお使いですか」
- 半自由式「お使いになっている製品は当社のものですかそれとも他メーカー のものですか」
- 肯定式「当社の製品をお使いになっていただいていますね」
- 否定式「A社のものではないですよね」
- 選択式「お使いになっているのは当社のものですか、それともA社のもので すか」
- 強制式「当社のものをご使用して頂く際に問題になるのは、価格ですか納期 ですか」
以上のパターンはいずれも同じ事を質問する聞き方だが、実際に耳で聞くと感 じ方がだいぶ違うはずである。一般的には、 と が無難で主流になっているが、 いつもそれでいいというわけではない。「聞き上手」という言葉あるように、限 られた時間でコミュニケーションを生かすも殺すも聞き手次第である。
今回はモバイルの話。私も最近やっとモバイルしようとアレコレ取り組んでいるところです。事務所の 滞在時間が長いので、今までそれほど感じていなかったのですが、あるMLに参 加したところ、毎日の200通以上のメールが飛び交い、これに通常のものを加 えると大変な量になってしまいます。仕事に活用する非常に大切なMLだけに、 やってみようという気になったのですが、恐らく私のネット環境は大きく変わる と思います。皆さんはモバイルされてますか???
■2003年5月7日号■
〜2010年 近未来のモバイル生活を覗いてみよう!〜
時を超えて、距離を超えて、あなたともっと繋がる
1,モバイルジョイント教室
ある陶芸教室では、先生1人だけで教室が繰り広げられている。それはまるで
テレビ会議のような状態である。先生がいつもの作業場で轆轤(ろくろ)を回し
土をこねながら説明をする。先生の目の前にあるスクリーンには、生徒である子
供達が「PCハンド」と言われる特殊な手袋をつけ、作業の様子を興味深く見つめ
るとともに、土をこねる感覚や指先の触感を同時に体感しながら楽しんでいる様
子が映し出されている。スクリーン上ではそれぞれの子供達の目の前にも先生と
同じ教材があるかのように見える。子供達は「ここのところが難しいね」「ほん
とに出来た!」などと言いながら、生き生きと取り組んでいる。遠隔地にいる子
供達が、人里離れたところで活動を続ける陶芸家に陶芸のおもしろさを教えても
らっているのだ。また、ここで見られるスクリーンは、現在の会議で使う白いス
クリーンとは違い、スターウォーズの映画で見られた空間に浮き出るような透明
なスクリーンである。
「PCハンド」を使えば、遠くから立体物の感触を伝えることができるため、
こうした機能を使ったネットワーク上のコミュニティースクールが一般的になっ
ている。子供達は、何かを習ったり、体験したりするのに、時間を超え距離を越
え、本当に教わりたい人に教えてもらうことができる。例えば音楽を目指すなら、
日本に居ながら、海外の超プロにピアノの教えを請うことも不可能ではなくなる
のである。
2,緊急モバイル医療
北海道の田舎道、道の果てに拡がる牧草地帯には人の数よりも多い牛たちが草
を食べている。獣医のA氏は、そんな牛たちの様子を探るために、いつものよう
に車を走らせている。そんな中で緊急テレビ電話がかかる。10キロ以上も離れて
いる酪農家の主人が、飼っている馬(サン)の足の具合が悪いから至急来てくれ
という。あいにくすぐに駆けつけられる状態でないため、その場で治療すること
になった。A氏は、パソコンを取り出し患者である馬(サン)のカルテを呼び出
し、酪農家の主人には、馬の足に触診パッドをとりつけるよう指示する。A氏は、
パソコン上で診察を始める。
病院のデータベースと患者をモバイルネットワークで結ぶことにより、どこ
にいても速やかに医師の診察を受けられるようになる。また、遠隔地からの触診
も可能になるため、現在、ありがちな3時間待ち3分診療などという医療現場は
極めて少なくなる。
3,モバイルウォレット 財布の機能が変わる!
雑貨屋さんに入って、気に入った食器を買う。持って帰るには面倒なので自宅
に送ってもらうことにする。現在は、レジでお金を払い、自宅へ送付の伝票を書
き、届く日を確認すると言った作業と時間がかかるが・・・2010年には、財布と
一体になったカードを精算の際に差し出せば、すべて事は足りる。店員が、お客
から受け取ったモバイルウォレットを店の端末(レジ)に交信すると、ピッとい
う一瞬で支払いが完了し、同時に「松山の○○様ですね」という風に、顧客情報
がインプットされ、配送所にも集荷の情報が届く。顧客の携帯端末と店の端末、
配送所の端末が結ばれているのである。現在のように買い物をして、支払いや領
収書に時間がかかるということはなくなる。店側にしても近い将来は、現金の管
理や伝票処理等に時間をとられなくてすむし、何よりも顧客の情報が瞬時にわか
るということで(名前や住所だけでなく、そのお客の好み、来店頻度、以前に買
ってもらった品物など)あらたなサービスができ、顧客1人一人に対する有効な
営業活動が出来るというメリットがある。
4,モバイル個人認証技術 ジャスト・イン・タイムで空港へ
現在、飛行機に乗るためには、おおよそ1時間前に空港に到着し(国際線であ
れば2時間前)窓口での搭乗手続き、手荷物検査、海外への渡航の際はパスポー
トコントロールも必要である。手続きのために空港内を歩き回り、多くの時間を
費やさなければならない。しかし、モバイルネットワークを活用した個人認証技
術とオールインワン端末で、ゲートは一カ所のワンストップゲートとなる。空港
のチェックインやパスポートコントロールは同時に一瞬で行えるようになる。列
車に乗るときに改札口で切符を渡すような感覚で飛行機に乗れるようになるのだ。
以上は、夢物語でもなく遠い未来の話しでもなく、もうすぐ手の届くところま で来ている実現可能なライフスタイルである。便利さと引き替えにセキュリテ ィーなどの問題もあり、実現させるには、まだ多くの課題があるものの、それだ けの技術はすでに出来上がっている。誰もがコンピュータや、モバイル、イン ターネットなど意識しないままに普通に活用できる情報化社会が待ち受けている。 全てのものが、もっともっと繋がるモバイル社会に向けて今、何を準備します か?
GWが始まりました。が、いつもとちょっと違って、静かです。今年は、飛び石 連休になってしまったことに加えて、イラク戦争と北朝鮮問題、とどめはSar s(日本では「SARS」と書かれますが、外国ではこのように書かれるので、 「サーズ」と読めます)・・・ですね。こんな世界の情報が、新聞やテレビだけ でなく、インターネットで入手できるようになったのもここ数年の変化です。今 回は情報に関してのレポートですが、インターネットは1人の人間が入手できる 情報を高度でかつ莫大なものにしたと思います。しかし、ずっと言われつづけて いるように、それを整理して、生かすことは結局人間でしかできません。情報の 渦の中をうまく泳ぎきる能力が現代人には求められていると思います。しっかり 自分を磨いてゆきたいものです。
☆★FPの皆様へ・・・
ビジネス研究会のお知らせ
5月14日(水)「相続時精算課税制度の利用価値」
講師は、私、酒井です。
当初のご案内と日程が変更になっています。ご注意ください。
■2003年4月28日号■
〜「情報」〜心に報いる情報時代が始まった
1,ブロードキャスティング方式の「情報」
インフォメーションという言葉を最初に「情報」と訳したのは、森鴎外である。
情も報も知らせるという意味を持っているので、知らせを知らせるという造語で
ある。また、もう一つの解釈として、情は「こころ」と読むため、情報は、「こ
ころに報いる」とも読める。
しかし、実際に情報が心に報いるようになったのは、ごく最近のことで、イン
ターネットがここまで普及してからのことである。それまでは情報というのは、
ある一点から、一方方向に、たくさんに流れるという、ブロードキャスティング
方式であった。ラジオでも新聞でもテレビでも、ブロードキャストというのは、
今は放送するという意味だが、もとは種をまくという意味であった。一つの手の
平から無数の種がまかれるという意味を借用して派生した放送するという意味の
動詞である。今までの情報はブロードキャティング方式でしかなかった。
2,戦争と情報ツール
この情報ツールが戦争のたびに脚光を浴びてきた。戦争がおきるごとに新しい
情報ツールが威力を発揮したのである。例えば西南戦争では電信。海軍が西の方
に先導するのに、一番先に甲兵隊が行って電信柱を立てていく。そして電線をは
っていく。海軍は電信で情報を収集し、戦略を立てる。今でこそ電柱というが、
ある一定の年齢以上の人は電信柱という。電力のための電柱ではなく、電信のた
めの柱だったので昔は電信柱だったのである。
第一次世界大戦も、第二次世界大戦もプロバガンダ(組織的宣伝)や情報のや
りとりが、脚光を浴びた。また、ベトナム戦争では、カラーテレビとライフ誌の
ような写真ジャーナリズムが、そして湾岸戦争では、CNNという24時間ニュー
スが脚光を浴びた。アフガン戦争ではCNNのカウンターパートとしてアルジャ
ジーラテレビが脚光を浴び、また、今度のイラク戦争では、何といってもイン
ターネットが脚光を浴びたのである。
言うまでもなくインターネットというのは、個と個を結ぶ情報ツールである。
ネット、それこそ網の目のように世界中にはりめぐらされた情報ツールには、自
分の思いを投げ入れると誰かが答えてくれる。このインターネットの普及によっ
て日本語の情報という言葉の二番目の意味の「心に報いる」ということが初めて
完成されたのである。
3,「100人の村」にみる新インターネット文化
昔、印刷技術が世の中にない時代に、本が、人から人へと書き写されながら
(ある部分を付け加えたり、削ったりしながら)長い時間を経て一つの物語とし
て完成されていったように、今日では、1人の人間から発信されたある一通の
メールが、一冊の本(「世界が100人の村だったら」)を生みだした。それは、
昔と同じく、人から人へとメールが流れていく中で、必要だと思われる情報が付
け加えられたり削られたりして、長い時間の中で少しづつ形を変えながら、やが
て本という媒体になって、より多くの人達の間で共有できる情報となったのであ
る。ここで注目すべきは、まさに、無から有を生み出す宇宙の仕組みに似て、サ
イバー上で浮遊していた形なき情報にすぎなかったものが、実際に形となって現
れたことである。
4,情報技術に強烈な想いをのせて、いざビジネス!
「世界がもし100人村だったら」が、一冊の本という形になったのは、この情
報を伝えたいという強烈な人の思いがあったからこそではなかろうか。これだけ
情報が巷に溢れてくると、人は情報の免疫ができて、自分にとって必要な情報と
そうでないもの、または何か一生懸命語りかけてくる情報とそうでないものを、
瞬時にして見分けることが出来るようになる。すなわち情報に対して本能が働く
ようになるのである。そこで大切なのは、コンテンツである。いかに情報の中身
を充実させ、どのように伝えるのかを工夫することである。自分が伝えたいもの
(こと)をベースに、どのような伝え方をすれば、他人が見たいと思うかを練っ
て練って練ることである。情報の奥には人がある。これでいいという完璧な到達
点はない。つねに世の中も人も、状況も変化しているからである。
「売りたい!」という一心をどう伝えるのか、「ほんとに良いもの」をどう表
現するのか。未だ形のない、貴方の想いをどう伝え、形にしていくのか、情報社
会は問いかけている。
21世紀は、デジタルとアナログを隔てるものがなくなる。デジタルはよりアナ
ログに、アナログはよりデジタルに近づくのである。もう、デジタルを好きか嫌
いかなんて言っている時代ではない。好むと好まざるとに関わらず、わずか数年
の間に情報技術は進み、私たちの生活を変え、新しい文化を生みだしているので
ある。
時々ふっと今の季節がわからなくなることってありませんか(エ?それはボケて るだけだろうって・・)?会計の仕事をしていて、4月に10月あたりの話をす ることがあるのですが、だんだん一体今が何月なのかわからなくなってゆきます。 事務所の中では季節感なんてないですね。で、ふっと外を見ると、だんだんきつ くなる紫外線に気がつきます。東京に住んでる頃は全然気がつかなかったのです が、松山の空気って季節とともにしっかり変化してゆきます。これからは沖縄の ような鋭い光線の季節です。そんな風に、ボーっと外を見ながら、美味しいコー ヒーを飲んでみませんか?
☆★FPビジネス研究会日程変更のお知らせ
5月16日(金)は、講師(酒井です。スミマセン)の都合により、5月14日(水)
に変更となりました。
テーマは、「相続時精算課税制度の利用価値」です。
■2003年4月18日号■
〜コーヒーブレイク〜歴史とコーヒーが交わるところ
朝の1杯から始まり、仕事の合間に1杯、食後に1杯、商談中の1杯、眠気覚
ましの1杯、こだわりの1杯・・・。あたかもコーヒーは現代の生活になくては
ならぬもののようである。また、仕事をしていると特にコーヒーを飲む機会が多
くなるのは気のせいだろうか?コーヒーが体にいいとか悪いとかという議論はさ
ておき、とりあえずコーヒーブレイク!
1,不道徳なコーヒー
「ああ、なんてコーヒーは美味しいのでしょう 一千回のキスより甘く マス
カットワインよりももっとソフト コーヒー、コーヒーがなくてはだめ もし私
を喜ばせてくださろうというなら ああ、どうぞコーヒーを入れてくださいな」
ヨハン・セバスチャン・バッハ作曲の「静かに、黙って、喋らないで」
(BWV211)の一節で、俗に「コーヒー・カンタータ」と呼ばれている曲である。
このカンタータは、コーヒーなしでは夜も日も明けぬ娘リースヒェンとそれに腹
をたてている父親シュレンドリアーンの話である。父親はコーヒーを禁ずるが、
何を言っても効き目なしの娘に、コーヒーを止めないと結婚させないと言い渡す。
娘はさすがに打ちひしがれ「コーヒーを止めますから夫を探してください」と答
える。でも、内心はコーヒーを飲むことに理解のある男性でなければ結婚しない
とたくらんでいるのである。
2,新しい文化をつくったコーヒーハウス
現代の感覚では、なぜそこまでコーヒーを禁ずるのか理解に苦しむところであ
るが、ヨーロッパにコーヒーが入ったのは17世紀。1645年、ヴェネツィアにヨー
ロッパ発の「フローリアン」が誕生し、1650年にイギリスのオックスフォード、
1669年にパリ、1685年にはバッハが教会の音楽監督をしていたドイツのライプツ
ィヒにコーヒーハウスができた。当時のコーヒーハウスは自由に人が集まること
のできる交流の場であった。(当時のヨーロッパでは階級を問わず出入りできる
場所は珍しかった)そこでは、色々な情報が得られる代わりに風紀上の問題があ
るとされていたため、「そんなところに娘を出入りさせたくない」という父親の
気持ちだったのだ。しかし、禁じられればなおのこと飲みたくなるのが、人間の
心理でもあるし、コーヒーにはそれだけ人を集める魅力があったのだ。コーヒー
が不道徳なのではなく、コーヒーを取り巻く空間が今までにない世界をつくって
しまった、いわば新しい文化を生みだしてしまったのである。ちなみにバッハ自
身もかなりのコーヒー党だったようで、亡くなった後の遺産目録には、銀の大小
ポット各1個、銅のコーヒーポット2個という項目がある。コーヒー・カンター
タと最後の合唱は「猫は鼠を放しはしない 娘はいつもコーヒーがお好き 母親
はコーヒーをご愛飲 お祖母さんもひいき だれが娘を責められよう!」と括ら
れている。
3,トルコ軍がウィーンに残したもの 三日月・コーヒー・行進曲
ベートーベンは極めつけのコーヒー党だったといわれる。ベートーベンのウ
ィーンの家を訪ねた作曲家カール・マリア・フォン・ウェーバーはそのときの室
内の状況を「極めて乱雑。床には楽譜やお金や衣類が散乱し、汚れたベッドには
山のような洗濯物、あけたままのピアノには誇りをかぶり、テーブルには壊れた
コーヒー沸かしがのっていた」と報告している。なんでもベートーベンは1杯の
コーヒーに16粒のコーヒー豆を使い、朝食はコーヒーだけですませていたらしい。
ベートーベンがウィーンに住んだ1792年から1827年の当時のウィーンでは、コー
ヒーは広く親しまれる飲み物になっていたのである。
ウィーンにコーヒーが入ってきたのは1683年。オスマントルコの忘れ物だった
と言われる。1683年、ウィーンはトルコ軍に包囲されたが、密偵のポーランド人
コルシツキーの功績でトルコ軍は敗退。コルシツキーは、報奨を受けることにな
り「金よりも地位よりも、トルコ軍が残したコーヒー豆を」と申し出て、同年、
ウィーンで初めてのカフェを開業した。諜報活動をしていたコルシツキーには先
見の明があったのだ。コーヒー自体は、それ以前にもウィーンに入っていたが、
実際に広めることになったのはコルシツキーであった。彼は、今でもウィーンの
コーヒーの始祖とされている。
常に軍楽隊を先頭に戦いを挑むのが流儀であったトルコ軍のもう一つの大きな
贈り物は「トルコ行進曲」である。1783年、モーツアルトは「トルコ行進曲ピア
ノソナタ・イ長調」を、ベートーベンは1809年「トルコ行進曲を主題とする変奏
曲」を作曲している。快活なメロディーは数百年を経た現在でも口ずさめる人が
多い。また、トルコの国旗に三日月があしらわれていることから「敵を食う」と
いうことで、三日月型のパンや焼き菓子がウィーンで流行した。これらは、キプ
フェル型と呼ばれ、現在でも作り続けられている。
時は移り、ここのところ最も世界が注目したイラク戦争では、果たしてアメリ
カ軍は何を遺したのだろう。歴史に思いを馳せながら頂く至福のコーヒータイム
はまた格別である。
今週の月曜日はアトムの誕生日という話は昨年後半からあちこちで聞かれていま した。団塊の世代がビートルズ世代といわれますが、アトム世代はその後の世代、 今の40代が中心だと思われます。東京オリンピックで日本が戦後から大きく舵 を切ったとすれば、まさにそこに位置していたのがアトムなのかもしれません。 私もこの世代です。ナマのビートルズは知らない(音として聞いていない)けど、 アトムはしっかり目に焼き付いている世代です。戦争(イラク戦争ではなく、ベ トナム戦争でもなく、太平洋戦争=WWIIす)も知りませんが、高度成長の果 てが夢の世界でないことも実感できてます。大学を出るときに、就職候補先だっ た会社の多くはすでにないわけです。ただ懐かしいのではなく、自分たちの半生、 日本の歴史と重ね合わせることができるから、アトムってブームなのかもしれま せんね。皆さんのここまでの歴史とアトムのかかわり、いかがですか?
■2003年4月9日号■
〜ロボットから見る時流把握〜「鉄腕アトム」2003年4月 復活!
1,時代はアトムに追いついたのか?
昭和26年、月刊雑誌「少年」から手塚治虫のもとに連載依頼の手紙が届いた。
「科学の進んだ話を・・・」と、手塚治虫は昭和27年「鉄腕アトム」の連載をス
タートさせた。アトムは人間と同じ心を持つロボットであり、正義の味方である。
時代を50年後の2003年に設定した手塚治虫の想像する未来の日本と宇宙が描かれ
た。発達した電気機器や通信技術に、未来都市は、当時の日本からは、夢物語の
ようなまさに想像を絶する、どこかよその星のお話のように感じられたに違いな
い。しかし、この夢物語はやがて、日本だけでなく海外の子供達にも未来への希
望を与えることになった。夢先案内人アトムが見せてくれた世界は、今私たちの
日常として現実のものになっているが、果たして時代はアトムに追いついたのだ
ろうか?
2,アトムに見る近未来図
2003年4月7日、アトムが再び誕生の瞬間を迎えた。そして、4月からは、新作
TVアニメーション「アストロボーイ・鉄腕アトム」が放映される。
長い眠りから目覚めたアトムの世界がどんなものか、おおまかに覗いてみたい。
●科学省
科学全般を統括する日本の中心頭脳ともいえる組織。最初は天馬博士が長官だっ
たが、天馬博士失脚(逃亡)後、お茶の水博士が長官となった。精密機械局や調
査局などがある。霞が関の一角にあると考えられるが、「科学省調査局第1調査
部第14調査課No.2第306調査室」が登場することから科学省の規模の巨大さがう
かがえ、霞が関の一角ではおさまりきれないことがわかる。21世紀の科学の最高
峰だが、その屋上には小さな祠が祭られている。
●空中スキー
普通のスキーと同じように乗って空中を飛ぶことができる。スキーの先端は無線
電話。
●クジラ牧場
大富豪ロボットの経営している牧場。目的は年々絶滅していくクジラを保護して
増やすため。
●人工衛星
人工衛星では普通の人も生活しており、そこに住む人は人工衛星人と呼ばれた。
●テープはがき
コンパクトディスクのような形で、音声が流れる装置。電話、手紙以外の伝達方
法。
●ロボット人権宣言
ロボット人権宣言ロボットに人間と同等の権利を与えるという宣言。
●ロボット流し
8月15日、各家庭では故人そっくりのロボットを家に迎えて故人を偲ぶ。ロボッ
トは家族と3日間過ごし、その後、川へ流される。この日を「思い出の日」と呼
ぶ。
●若返りガス
隕石の中に含まれるガスで、そのガスには細胞を若返らせる驚異の力がある。使
用量を間違えると若返り過ぎてしまう。
3,私たちが求めるものは「未来への扉」
アトムが日本に誕生して半世紀が過ぎた。その間、メディアで伝えられるロボ
ットも様変わりしている。昭和38年から41年までモノクロで放映されたアトムも
昭和55年には、カラーで再び登場しているが、当時の子供達には「機動戦士ガン
ダム」などの人を乗せてボタン一つで動く、巨大ロボットの方が人気を博してお
り、人間と同格で特殊能力を持つアトムは興味の対象にならず、一年あまりで放
送は終了している。また、昭和48年には、優等生のアトムとは対照的な、まぬけ
でお人好し?のロボット「ドラエもん」が誕生し、あのポケットから時空を越え
る様々な道具を取り出し、今も世界中の老若男女に夢を与えてくれている。(ド
ラエもんの本は聖書の次ぎに発行部数が多い)いずれにせよ、すべてのキャラク
ターに共通するのは、「未来への扉」を開け放してくれることである。作家ハー
トリーは「未来は別の国なのだ。人々は我々と違ったやり方で生きている」と言
い、SF作家アーサー・C・クラークは「進んだ文明は、魔法と見分けがつかな
い」と言う。折しも時代はイラク戦争のまっただ中、正義の味方「鉄腕アトム」
が、この混沌とした世の中をどう切り抜け、どんな未来を見せてくれるのか童心
にかえって期待するのも悪くない。 (参考資料:朝日新聞)
新年度が始まりました。皆様の周りでは何か変化があったでしょうか?私どもの
ような小さな会計事務所は、新卒の新入社員がないのが普通であり、研修だ何だ
カンダということはありませんが、先日国会で可決された税制改正の対応や、3
月決算法人の取組みなどでバタバタします。そんな理由で(?)、今回は2号連
続の長いレポートになってしまいました事をお詫び申し上げます。
私自身は、個人的な歴史からあまり学びすぎてはいけないと思います。その理由
の一つは、自分自身の人生とその人の人生を比較することにこだわってはいけな
いからですが、水野氏は、高知工科大学の学長を当初の予定通り任期前に退任さ
れた、四国にもご縁のあるちょっと面白い方です。読んでみてください。
■2003年3月20日号■
〜特集〜今こそ松下幸之助に学ぶ Part1
元松下電器(株)副社長水野博之氏による松下幸之助言行録
1,はじめに人づくりあり
一つの時代を生きた巨人たちはあるいは共通したものを持つのかもしれぬ。二
叉ソケットと言い、砲弾ランプと言い、すべて「今あるものの組み合わせによっ
て、新しい便益を得た商品」であった。松下幸之助の新結合的発想はただ単に、
商品開発において発揮されただけではない。彼は人と人との結合(ヒューマン・
ネットワーク)においても、最も熱心な人であった。彼のところに報告に行くと、
その報告の途中や終了後に、よくだれかに電話していた。
1-a 人脈の活用
だれだか分からないが、報告についてチェックをするために電話をするのであ
る。別室で待たされる報告者にしてみれば、針の筵に座らされているようなもの
で、たまったものではないが、このようなチェックには二つの利点があった。
1-b 限界を知る
一つは「皆の知恵を借りる」ということである。自分一人の裁量なんて知れて
いるのだ。多くの人の意見を聞くに越したことはない。悪く言えば、他人の知識
をただで利用しているのである。松下幸之助は聞き上手であったから、皆、喜ん
で意見を言ったようだ。聞く相手は主として社外の人であった。社内では根回し
される恐れがあったし、もめごとの種をつくるかもしれなかったからだ。いわば、
彼のヒューマン・ネットワークは実務的な百科辞書を彼に提供していたのだ。
もう一つの利点は、報告者に、緊張感を与えたということである。もちろん、
報告者は報告者でいいかげんな報告をするつもりはないのだが、それでも、いろ
いろな目で自分の報告を討議されるということになれば、なお一段の検討をし、
人の意見も聞こうというものだ。こうして、報告者自身に「衆知を集める」努力
が行われるようになる。
1-c背中で教える
松下幸之助は「松下電器はモノをつくる前に人をつくる会社です」と言った。
それは、学問をさすことでも、本を読ませることでもない。松下幸之助が自ら新
しき工夫と知恵を求めており、常に考えているということを、人々に示すことに
よって行われたのである。
2,「無一物」ゆえに工夫と努力
2-a 才覚を働かし
世に無一物という言葉があるが、これほどの無一物もまた珍しいのではないか。
学問もなく、金もなく、助けてくれるような肉親も友もなく、自らの健康すらな
い。全く何もない。文字通りの徒手空挙からスタートしたのが松下幸之助であっ
た。だからこそ、彼のよりどころといったら「自らが才覚を働かし工夫する」以
外はなかったのだ。後によく彼は「経営の神様」などと呼ばれるようになったが、
彼にして「神様」と言われるゆえんのものは、「普通の、いやいや、条件として
は、全く普通をはるかに下回る浪速のオッサンが、工夫と努力を重ねれば、太閤
にだってなれるのだ」ということを示した点にある。
2-b 模範の起業家
この松下幸之助の三重苦、四重苦に比べれば、現在、不況だとか、政府が悪い、
とか、政治が不毛だなんて議論はぜいたくと言うべきであろう。なるほど政治も
政府もよいにこしたことはないが、仕事というのは自らが工夫するところから始
まるということを忘れてはならないだろう。果たせるかな、フォーチュン誌は
1997年、その表紙に松下幸之助を揚げ、松下幸之助を、最大のアントレプレナー
だ、と語ったのである。日本にこんな人物がいたのだ、ということは、われわれ
を大いに元気づけるものである。泣き言など言っているひまはない。シリコンバ
レーのアントレプレナーたちに先立つこと半世紀、われわれ日本人のなかにも世
界の眼から見て模範とされる起業家がいた、ということをいま一度議論してみる
必要がある。
2-c 成功の王道は
松下幸之助はよく言ったものだ。「大概のことは、やろうと思えばできるもの
だ。やれないのは、工夫と努力が足らないのだ。」
この言葉と全く同じ言葉を、後にシリコンバレーの父と呼ばれたスタンフォー
ド大学の故ターマン教授も、また叫ぶのである。「できないって?それは君がや
らないからだ。」
(水野博之著 「今こそ松下幸之助に学ぶ」より抜粋)
■2003年3月28日号■
〜特集〜今こそ松下幸之助に学ぶ Part2
元松下電器(株)副社長水野博之氏による松下幸之助言行録
1,面白ければ成功率が高い
松下幸之助は「仕事を面白くやる」と言った。このことはシリコンバレーでも
共通である。松下幸之助の言を待つまでもなく、面白くなければ、熱意も入らず
うまく行くはずもないのだ。言葉を替えて言えば、「面白ければ面白いだけ、そ
の仕事の成功する確率は高い」と言ってよい。そういった立場から、現在、アメ
リカのアントレプレナーたちは、仕事を面白くやるところから工夫を始めている。
1-a 基本は工夫
まず、会社の名前からして楽しく面白いものでないといけないだろう。最近で
は面白い名前の会社でないとベンチャー・ビジネスは成功しない、という伝説ま
で生まれてきている。
プロバイダーのヤフーは、ガリバー旅行記から取ったものだし、アマゾン、シス
コ、など、面白いと言えば面白いし、異様と言えば異様だ。こうして彼らは全く
新しいカルチャーをつくり出しているのだ。そして、その基本は工夫であり、工
夫のもとは「既存のものを結合して、新しいものを生む情熱」なのだ。
1-b 知識と力の結合
よく考えてみると、シリコンバレーの活力も「あらゆるものの結合・組み合わ
せ」から生まれていることが分かるだろう。そこには世界中のあらゆる人たちが
入り込んでブロークン・イングリッシュでわめき合う場がある。いわば、あらゆ
るカルチャーがそこで混ぜ合わされ結合されて蒸留される場があるのだ。そこで
はあらゆる知識と力の組み合わせが可能であり許容されるのである。ここで発酵
した「情報化社会」なるコンセプトがいま世界を動かしているわけだ。情報化社
会というのは「今あるものを情報とネットワークでもう一度組み換えてみる仕掛
け」である。アマゾン・ドットコムはいままでの本の売り方をネットワークの上
に乗せ、イーベイは商売の在り方を直接、供給者から顧客につなごうとしている。
まさにネットワークを通じて新しい組み合わせをつくることによってビジネスの
在り方を一変しようとしているのだ。
2,日々新たな思いで生きよ
・・・在りし日の松下幸之助の姿を思い浮かべた。それはまっすぐに背筋を伸
ばし、両ひざの上に手をそろえてじっと話に聞き入っている姿である。松下幸之
助があぐらをかいたり、ひざを組んだりした姿は見たこともないし想像すること
もできない。いまさらながら不思議な想いがする。
2-a 世間皆、師匠
「私には学問がないから、世間はすべて御師匠さんですわ。松下幸之助はよく
こう語った。世に同じようなことを言う人は多い。しかし、それを実行する点に
おいて松下幸之助ほどの人を私は知らない。若い技術者の語る言葉を聞くときも、
決してこの姿勢は崩れることはなかった。何時間でも身じろぎすることもなき、
眼を光らせて聞き入ったものだ。
職業柄、私も最近若い人たちの話しを聞くことが多いがとてもとても松下幸之
助の足元にも及ばない。これだけでもかなわん、と言う感じである。松下幸之助
に会った人はこのことだけで、幸之助のファンになった。それはそうであろう。
自分のしゃべることをそれだけ熱心に聞いてもらえる。そのことだけで大感激と
いうものだ。人によってはそのような幸之助の姿勢の中に作為を見るかもしれな
い。しかし作為だけであの姿勢を保つことは断じて不可能である。
2-b 牢固たる心
彼のその姿勢の奥には「万物は師である」とする松下幸之助の牢固たる心があ
った。そしてその心のよってくるところは「仕事に対する情熱」であった。彼は
とことん知識を求めた。とことん求めた後では、今度はとことん自分で考えた。
夜も眠らないで考えた。その工夫の結果が、二叉ソケットであり、事業部制であ
ったのである。
2-c 努力と進歩
彼の一生を貫く光芒はまさにこの点にあったのだと考える。そこには一刻もと
どまることのない努力と進歩があった。独自の鍛え抜かれた魂の成長があった。
そして結果としての松下電器があったのである。年とともに松下幸之助は多くの
ことを語った。ときとしてそれは「なんじの敵を愛せよ」であったり「眼には眼
を」であったりしたが、最後の境地は次の言葉に要約されるであろう。「人間の
本質は、常に生成変化し発展することである」。生成発展する基本は工夫と努力
であってそれを怠るものは淘汰される宿命を負うことになる。それはいみじくも
ダーウィンの進化論に似ている。
「あんたは毎日、新たなる思いで生きとるかね」。松下幸之助の声が聞こえてく
るようだ。
(水野博之著 「今こそ松下幸之助に学ぶ」より抜粋)
確定申告がやっと終わりそうです。今日現在、まだ提出前の最終チェック等々で
すので、終わった!と書けないのがつらいところ。確定申告といえば、個人の所
得税の申告です。私どもの事務所も個人商店、アパート・マンションの大家さん
等々たくさんいらっしゃいます。で、1年ぶりにいろいろお話する機会があるわ
けです。1年の間にそれぞれいろいろな事があります。10年になるともっとあ
ります。年金受給が始まる、老年者控除が適用される・・・税金を通じて、その
方の人生とお付き合いしているわけですね。とてもしんどい仕事ですが、人の行
き方を感じる良いタイミングでもあります。
今回は、そんな人とのお付き合いで大切なお辞儀の仕方です。ちょっと見直して
みませんか?
■F&Aレポート 2003/3/10号■
〜特集〜2003年 春のコミュニケーション能力
・・・お辞儀にはコツがある!今日から実践できる好感度UPのお辞儀・・・
美しくみえるお辞儀にはコツがある。意識しようがするまいが、人に出会った
ときの挨拶や、お礼やお詫びを言うタイミングでは、日本人なら必ずと言ってい
いほどお辞儀をしている。まして、人前に出て何か話をしたり表現したりする際
には言うまでもなく、お辞儀だけでなく、お辞儀の前後の一挙一動を見つめられ
ていることもある。何気ない一瞬の動作かもしれないが、だらしないお辞儀しか
できない人は一生損をするといっても過言ではない。美辞麗句を並べてもお辞儀
がお粗末だとどこか不誠実な印象を与えるし、逆に少々言葉が足らずともきっち
りとしたお辞儀ができると潔い感じがして好印象に映ることがある。特に初対面
では、その人の人格まで想像させ品格を決定づけてしまうこともあるという恐ろ
しい力を持っているのだ。にも関わらず、印象のいいお辞儀の仕方の指導を受け
ることはほとんどない。
今回は、即実践できる、お辞儀のコツをレポートしたい。
1,お辞儀のコツ その1〜首のうしろを意識〜
みすぼらしいお辞儀の代表が、首だけのお辞儀である。首だけを前に突き出す
ようなスタイルで下を見てお辞儀をすると、必ず背中も曲がっている。また、こ
ういうお辞儀をする人に限って、何度も頭を下げるので、自分のダメさ加減を強
調しているようで、男女問わずカッコ悪い。中途半端なお辞儀を10回繰り返すよ
り、1回でもきっちりしたお辞儀が出来る方が印象度ははるかに高い。では、き
っちりとした印象を与えるお辞儀とは、どうすればよいのか?まずは、首である。
首のうしろを意識して(やや伸ばすような感じで)、頭を下げる前に心持ち後ろ
にそらすようなイメージで体制を整える、そのとき必ず相手の目を見ることを忘
れずに、上体を腰から前に倒すような感じ(お尻を突き出すような感じ)でお辞
儀をする。首の後ろから背筋にかけて、まっすぐつながっているようなイメージ
である。(言うまでもなく基本的に手は前で組む)
2,お辞儀のコツ その2〜頭を下げところで一度止まる〜
緩急のないだらだらとしたお辞儀はみっともない。頭を一番深く下げたところ
で、1〜2秒止まるといい。この一瞬の静止画像が「頭を下げている」ことを印象
づける印象づけには、どれだけ深く頭を下げているかということより、一瞬止め
ることの方が効果があるようである。また、できれば頭を起こす際には、ややゆ
っくりと、頭を下げる速さよりも、少しゆっくり目に起こすと感じがいい。慣れ
てしまうと、自分なりのリズムができるのだが、慣れないうちは「相手よりも先
に顔を上げない」など、自分の中でひとつルールを決めておくのも良い方法かも
しれない。歩きながらお辞儀をしたり、または作業をしながらお辞儀をしなけれ
ばならなかったり、何かをしながらのお辞儀であっても、この「一瞬止まる」が
あると、お辞儀の部分が際だつ。誠意を伝えたければ、是非チャレンジしてみて
ほしい。
3,お辞儀のコツ その3〜目は口ほどにものを言う〜
マナー通りきっちりこなしたはずのお辞儀でも、相手の目をみないお辞儀はタ
ブーである。例えば、初めて名刺交換をする際、互いに名刺を交わしてお辞儀を
しても、そのまままったく目を合わせないまま去っていく人とは、ビジネスは発
展しえない。真剣さや誠意が伺えないからである。頭を下げる前と、頭を上げた
際の2度は相手の目を見るということを心がけたい。要するにお辞儀は、相手の
目を見ることから始まり、目を見ることで終わると思っていれば、まちがいない。
初対面でも、お客様を迎えるときも同じである。一生懸命に礼を尽くしたはずの
お辞儀でも、その一生懸命さが相手に伝わらなければ何もならない。
4,補足〜3つのお辞儀〜
あまり難しいことを言わず、日常生活の中で役立つ3つのお辞儀を挙げるとす
れば、会釈、敬礼、最敬礼であるが、お辞儀の速さと角度の違いで基本的なこと
は変わらない。参考までに以下にまとめてみた。
【会釈】角度は15度位。「1,2」のタイミングで速く頭を下げるが、首だけ動
かすと、ぺこぺこしたお辞儀に映るので、胸を動かすようにするとよい。日常の
挨拶やちょっとした軽い挨拶の際。お辞儀が軽いぶん、目の輝きと笑顔がものを
いう。
【敬礼】角度は30度位。「1,2,3」のタイミング。全体的に会釈よりもやや
ゆっくりした速さ。「有り難うございました」「いらっしゃいませ」などの際に
使うことが多い。
【最敬礼】角度は45度位。「1,2,3,4」と、ゆっくりしたタイミングで間
をとる。あまり深々と直角になるまで頭を下げるのは逆に不自然な場合もあるの
で注意したい。「大変申し訳ございません」「大変お待たせいたしました」など、
詫びる際に行うことが多いが、お辞儀は気持ちの表れである。相手への思いやり
や敬意が自然に身体表現になるのである。基本を身につけていれば、自ずと美し
いお辞儀になるはずである。今日から Try!
本当に暖かくなりました。街を歩いていても、コートが要らない日が多くなった
ような気がします。このレポートは全国各地の皆様に配信していますので、「そ
うじゃないぞ」という方もいらっしゃるかもしれませんが・・。
さて、確定申告真っ最中です。以前に比べると、体力が落ちたせいか、夜10時
くらいで頭がストップします。30代の頃は連日2時3時までやってたもので
す。で、思ったのですが、パソコンとネットワークの充実で確定申告業務も相当
楽になりました。計算のチェックが不要、申告書の手書きが不要・・等々今さら
戻れない仕事がたくさんあります。
今回のレポートはそれと少しつながる話です。
■F&Aレポート 2003/2/25号■
〜新春未来予測〜2003年の潮流とあなたの変化予報(5)
・ ・蜘蛛の巣(WEB)から格子(GRID)へ「ユビキタス・ネットワーク社会」未
来への展望・・
ブロードバンド時代は「もの」を所有する時代から「経験」する時代に変化して いる(Age of Experience)。キーワードは「ユビキタス・ネットワーク社会」 「IPv6」「人間中心」「グリッド・コンピューティング」「エンパワーメント」 「時間価値」である。
1、「グリッド・コンピューティング」は21世紀の社会あり方を示してくれる
21世紀、人類にとって極めて重要な2つの「バイオ革命」「地球環境革命」を
ITから支えるのが「グリッド・コンピューティング」である。生命科学、バイオ
の分野等の複雑かつ膨大な計算を世界中のコンピュータが繋がって、瞬間に成し
遂げるのが「グリッド・コンピューティング」で100年後の地球の気象や環境も
正確に計算できる。
「グリッド・コンピューティング」は「繋がる」「協力する」ことによるパ
ワーである。そのための時代の原理原則は個人、組織、コミュニティーのエンパ
ワーメントである。エンパワーメントされた人々や組織によって全く新しい「時
間価値」が創造される。
「グリッド・コンピューティング」の「離れていても繋がってサッとやり遂
げる」「全能力を持ち寄ろう」「ビジョンが見える」「夢じゃなくなった」「地
球が共振する」はそのまま21世紀の社会あり方を示してくれる。
2、それでは 2003年 IT山で遭難しないための地図と歩き方は
IT革命の地図を持とう 現在の科学技術の進化は目覚しい。ITだけでなく、バ
イオ、ナノテクなど次から次へ最新技術が紹介され、それらの「技術」を自社の
経営にどのように取り入れたらよいのか、またどのような視点を持っていれば、
それらの技術に振り回されることなく経営で活かすことができるのかを見極める
のは非常に難しい。
このIT革命という大きな山中で遭難しないためには、リーダーは地図を持って
現在地を確認して今後進むべき場所(目的地)を目指して進む必要がある。地図
を持っていなかったり、自らの現在地を確認できなかったらそれはビジネス上の
遭難を意味する。
まず現在私達が立っている場所が載っているIT革命という地図を開くと地図に
は二つの森が隣接して見える。地図上にある二つの大きな森。一つはユビキタ
ス・ネットワーク社会という森でその森を私達が抜けると「グリッド・コン
ピューティング」という森に入っていく。
3,ユビキタス(ubiquitous)ネットワーク社会という森
現在、私たちはユビキタスという森の入り口にいる。ユビキタス(ubiquitous)
とはインターネットなどの情報ネットワークに、いつでも、どこでもアクセスで
きる環境を指し、普及すると、場所や時間にとらわれない働き方や娯楽が実現す
る。
パソコンや携帯電話に限らず、冷蔵庫や電子レンジといった家電製品、自動
車、自動販売機等も接続され、ウェアラブルと呼ばれる身に付けるコンピュータ
も開発中である。
自由度を高めるため、これらの情報端末間はケーブルではなく、無線で接続さ
れる。そのことから無線で全てものが接続される「無線技術」が発達していく。
現在はパソコン上で電子メールを交換するアドレス、携帯電話のメールアドレ
スなど1人が2〜3つ使用しているが、生活に必要なもの全てが接続されるために
一つ一つを認識するアドレスが無限大に必要になる。現在のインターネットの接
続規約(IPv4)では約43億個のアドレスしかなく、世界中の人が複数の端末を使う
ようになると不足するので、IPv4の4乗個とほぼ無限のアドレスを持つIPv6が導
入される。
4,「Zen(禅) Computing」から「グリッド・コンピューティング」へ
ユビキタスの本質は人が機械にあわせるのではなく、人間中心的な考え方に基
づく、きわめて自然な形でのコンピュータネットワークの利用。人間がコン
ピュータやネットワークを使ってやりたい、知りたいと思うことが,ごく自然に
当たり前にできるような社会の構築でMark Weiser(1952-1999)が提唱した。この
「ユビキタス・ネットワーク社会」を支える根本技術と思想は「WEB」である。
今日のインターネットで可能になったことは、WEBによる情報の提供、および交
換、電子商取引(初期)、電子メールで、ユビキタス等の今後の高度なWEB環境
の成立で可能になることは、情報・サービスの即座かつ容易な提供、すばやいビ
ジネスの決定、すべての人へのパーソナル・サービス、生活及びビジネス・スタ
イルの変革である。さらに発展すると「グリッド・コンピューティング」という
コンセプトにたどり着く。
「グリッド・コンピューティング」の森 つながるって素晴らしい!!みんなで
繋がって21世紀の森の散歩を楽しもう!!
確定申告が始まりました。今年の特徴は、国税庁のホームページで作成・出力し た申告書をカラー印刷すれば、税務署が受け付けてくれるということです。電子 申告の準備と思われますが、数年前からは信じられない変化ですね。机の上の仕 事も溜まっていますので、このあたりで・・・。
今回のレポートは「時代の変化」です。今のイラク危機とアメリカの対応は、本当 の一つの時代の大きな変化のような気がします。変っていないのは日本の政治家 だけ?もしかすると彼らも変りたいんだけど、変れない事情があるのかもしれま せん。ホントどうなるんでしょう?
■F&Aレポート 2003/2/18号■
〜特集〜2060年まで、人類が体験する3つの革命
2060年、国家は無くなる・・・「技術の時代」から「いのちの時代」へ
2060年までに人類が体験する3つの革命は、現在進行中の「デジタル革命」。
その次に2020年から「バイオ・テクノロジー革命」が起こり2040年まで続く、そ
のバイオ技術の上に2040年から「地球環境革命」が起こり、それが2060年位まで
続く。それぞれの革命は既存の価値観を変えるだけでなく、その後の人類の行方
を大きく左右する。
また、この3つの「革命」はある日突然起こるのではなく、それぞれ20〜30年位
続き社会システムや価値観を変えていく。この3つの革命がもたらす時流を把握
して既存事業や新規事業のレールをひいていけるかどうかが今後の重要課題に
なってくる。デジタル革命、バイオ・テクノロジー革命、地球環境革命の共通の
テーマは「いのち」である。時代は技術の時代から「いのち」の時代へ移行中で
ある。「いのち」の時代は国家という主権を越えて、地域や都市や組織が結ばれ
る時代である。そうなると2060年には国家は無くなる。もしくは、その時点で実
際には無くならなくても、現在よりはるかに国家機能は無くなっている。
1,「デジタル革命」から「バイオ・テクノロジー革命」へ
とはいえ、デジタル革命はまだ始まったばかりである。今後20〜30年続き、こ
れにより政治の仕組、経済システム、教育システムなどが変わり、コミュニティ
が変わり、社会システム全体が変化する。そして、この「デジタル革命」は次の
革命を準備するのである。「デジタル革命」は、第2の革命、第3の革命にバト
ンタッチするリレー競技の第一走者なのである。
第2の革命は、「バイオ・テクノロジー革命」である。特に注目されるのがタ
ンパク質の合成研究や技術開発である。これを行うためには大容量でかつ高速の
ネットワークに接続された膨大なコンピュータが必要になる。複雑なDNAやタン
パク質の構造を解析する道具として、ITは必須で、これがなければバイオ革命に
は到達できない。また、バイオ革命は、一つの国や有名な大学、あるいは著名な
研究者だけで出来るレベルではない。世界中の研究者がネットワーク上に繋がっ
てコラボレーションしてはじめて成り立つのである。そのためにもバイオ・テク
ノロジー革命はデジタル革命がなされていることが前提となる。
2,「デジタル革命、バイオ・テクノロジー革命」から「地球環境革命」へ
2040年までは、デジタル革命とバイオ・テクノロジー革命が経済を引っ張って
いく。この2つの革命は第3の革命である「地球環境革命」を準備する。すでに
地球環境問題は、先進国の政治や経済の重要なものとして大きく取り上げられて
いるが、地球規模での未曾有な危機に関して解決できるレベルではない。現在、
多くの企業や組織で環境の取り組みなどが消費者や投資家などにPRされ、実際
に地道な努力をされていることは非常に重要であるが、現在の政治や経済の枠組
みが変わらない限り環境問題を解決するまでには至らない。社会システムを根本
から解決するには、デジタルとバイオの革命を経てはじめて解決できるのであ
る。地球環境革命はデジタル革命とバイオ・テクノロジー革命なしでは不可能な
地球変革なのである。
3,「いのち」の時代の夜明け前
2050年までの3つの革命の本質は「いのち」である。
バイオ・テクノロジー革命は難病の解決による長寿の実現、植物や動
物の生命を真正面から捉える技術革命である。これは食料問題の解決、さらに
「いのち」の量(年齢)から質(より充実して生きる)の移行まで幅広い変化を
もたらす。そしてこの地球上の全てのいのちの問題である地球環境問題は3つの
革命によってはじめて解決される。温暖化、生物種の(絶滅)保存、オゾン層破
壊の問題、エネルギー問題、食料問題等々、複雑に絡む地球環境問題は、やがて
社会環境の問題まで提示して教育問題、治安問題、経済問題、平和問題というよ
うに、より外部環境から内部環境へ、「いのち」の意味へと深化していく。ADSL
等により一般家庭に高速常時接続されたネットワーク、いわゆるブロードバンド
が普及した。いよいよ全てのものが接続されるユビキタスネットワーク時代を迎
える。2003年は、それぞれの人にとって、3つの「エポック」をつき動かす「エ
ポックメーキング」【epoch‐making】な1年になる。デジタルと教育、デジタ
ルと経営、デジタルと政治、デジタルと芸術など、あらゆるものを第一走者であ
るデジタルに繋げて考えてみよう。この1年で今後の50年間の社会との繋がり方
や関係が変わる。2003年はいのちの「夜明け前」である。
今回のレポートのポイントは「情報化への対応」についてです。メディアは大きく 変化しています。今、世界中で起きていることがネットでは瞬時に見ることがで きますし、そこでどう判断するか?ということは非常に重要な事です。しかしそ の対応は、ネット技術を追いかけるだけではなく、しっかり自分の足元を見ると 言うことですね。
■F&Aレポート 2003/1/30号■〜新春未来予測〜2003年の潮流とあなたの変化予報(3) 1,情報量が増えると人々は計画的ではなくその瞬間瞬間を生きるようになる
デジタル革命の技術特性としては
- 情報処理と情報通信の統合
- 一方向性と双方向性の統合
- 情報形態と伝達手段の統合 などが上げられる。
毎日私たちが触れたり扱う情報量はもの凄い勢いで増えている。エリクソン消 費者 研究所で世界の消費者市場動向の関係を研究分析したところ、世界共通の驚くべ き調 査結果を報告している。インフォメーション量・コミュニケーション量がある一 定を 越えて増えると、「将来を考えながら計画的に行動する」から「瞬間瞬間を行動 して 生活するようになる」という人々の行動の変化が起こる。確かに情報量が多いロ ンド ン、ニューヨーク、東京などでは計画的というよりも瞬間的に行動する若者が多 い。 言い換えれば情報を受発信して、考え、行動に移し結果を得るまでの時間が極め て短 くなった。これは時間価値が高くなったと言える。 2,顧客を越えろ・・・「インファコム時代」は全ての仕事はサービス業になる
デジタル革命の産業構造の変化は
- 大衆市場→個人市場
- 計画供給→注文供給
- 供給主導→需要主導 などである。
これは農業、工業、商業などあらゆる業種がサービス業化することを意味す る。サー ビス業はおのずと、顧客の問題を解決する「ソリューション事業」の方向へ行 く。こ れまでも知的資産を創り出し事業を行う「ソリューション」を掲げる企業は多く 存在 した。しかし、モノを売るのではなく顧客に目に見えないものを売るソリュー ション 事業は夜遅くまで頑張っていても儲からない。提供するバリューは商品ではなく 使用 した価値である。それゆえソリューション事業は難しい!!お客の所に行って 「何で もしますから何かテーマを下さい。」と「What」を聞くと、お客様からは「そう だな、 こんなものを作ってこのようにして欲しい。」と答が返ってくる。実際作りだし てみ ると顧客側から「ここはもっと・・・・で・・・・のようにして欲しい」などと 次々 に仕様変更が行われ、顧客に振り回される。お客に聞くとああでもない、こうで もな いと振り回される。
しかし、一部の「ソリューション事業」で儲かっている会社の特徴は、顧客の 期待 や想像を遙かに越えて提案できる会社や組織で、顧客より一歩から半歩、先を リード して、強力に引っ張っていく力のある人々である。顧客中心主義と言っても、顧 客よ り半歩遅れて「何でもします」というのと、半歩リードしてぐいぐい引っ張るの では 全然その意味や内容が違う。顧客より半歩先をいく組織は儲かる。逆に顧客の期 待を 遙かに越えなければこれからの時代は生き残れない。 3,情報量が増えると人々は状況に応じて変化するカメレオンになる
デジタル革命による社会特性として
- 所得格差の消滅
- 年齢格差の消滅
- 性別格差の消滅 などの3つが上げられる。