今までになく激しい選挙戦の結果、日本弁護士連合会の会長となり注目を浴びた、愛媛県出身 宇都宮健児弁護士の半世紀です。
まず愛媛県出身、そして東京道塾の手島佑郎先生の高校時代の同窓ということで、以前から(勝手に)親近感を感じていたのですが、改めてこの本でその迫力に触れることができました。まず、サラ金対策の弁護士さんというイメージだったのですが、ちょっと違います。大手弁護士法人に代表される企業専門の弁護士とは180度違う生き方です。また、弁護士や司法書士のかなりの数の人たちが、多重債務者問題に関わることで収入を得ていると言われます。それも宇都宮弁護士が問題を正面から受け止めて仕事に取り組んできたためでしょう。ただ、彼らの多くはお金のためにやっているのだと思いますが、宇都宮弁護士は社会の問題として捉えて、自ら先端を切り拓き、法律改正まで行ってきた点では、まったく別の存在です。その生き方は簡単に正義という言葉で言いきることもできないと思います。その深さがあるから、やくざも簡単には手を出せないのかもしれません。
もう一つ注目したいのは、多重債務者問題の延長線上にある貧困層、つまり格差の問題で、それはお金だけで解決できる問題ではないという指摘です。路上生活者が、生活保護を受けられるようになっても、人との関わりがなければ、生きる希望が持てないと言うことです。家族、友人という信頼できる存在、話しかけることができる存在、一緒に笑いあえる存在です。この部分を読んで、コミュニティの存在が必要だと説いたジェイン・ジェイコブズの「壊れゆくアメリカ」を思い出しました。この本の中では、日本はまだ良い国だと書かれていますが、現実はすでにアメリカに近い国になっているようです。
私たちの仕事で、事業再生に関わることがあります。こちらはいかに法律や税金の問題をクリアして、事業を再生していくかという仕事ですが、宇都宮弁護士の仕事と比べると、奥深い部分での思考がない、単なるテクニックで片付けているような気がします。雇用の確保、地域経済の活性化と建前はいくらでもありますが、なぜ再生が必要なのか、なぜ企業は長年にわたる経営でこのような事態(債務超過や新規事業の失敗)に至るのか、その点を見据えなければ、本当の再生はあり得ないのかもしれません。
税理士と弁護士の仕事は少し違いますが、どちらも社会に貢献していく中で報酬を得ることが理想です。自分たちの立場だけを考えるのではなく、広く社会を見ていくことが必要でしょう。そのように考え、少し元気に仕事ができるようになった本でした。
弁護士冥利〜だから私は闘い続ける〜 宇都宮健児 [Amazon]
新しい年を迎えました。皆さまにとって、今年1年はどのような年になるでしょうか。
昨年を振り返ってみれば、いわゆるリーマンショック、少し長い言い方では、米国の住宅ローンバブルという金融の崩壊がグローバル経済に深い影響を与えた世界的な景気の低迷、そして国内では民主党政権誕生による55年体制の終焉、と私たちの住む世界が大きく動いてきました。お正月は年の区切りですが、新しい年を迎えたからといって、経済や政治の流れは途切れることはありません。その流れが大きく激しいだけに、今は、事の次第をしっかりと見定めて、新しい方向を模索するしかないのです。もちろん、世界を注視し続けると疲れますから、お正月はそのような意味で体と心を休める大切な区切りなのだと思います。体を休め、頭の中を一度空っぽにしてから、新年の仕事に取りかかりましょう。
では、具体的なテーマについて今年の課題を考えてみます。
△税制
平成22年の税制改正は、初めて政治家主導で行われた税制改正かもしれません。税理士としても、今までとちょっと空気が違うショックな出来事でした。なぜショックなのかと言えば、まず税調での議論が議事録として公開されていますが、政治家の間で税についてかなり深い議論がされているからです。そこまで政治家がやらなければいけないのか、もう少し官僚に委ねるべきではないかという意見もあります。しかし、新しい政治体制で、今までと違う政治手法にチャレンジしてみるのは大事なことです。また、できる限り政治家が現場を知ることも大切なことです。税制については、税理士会もいろいろな提案を行っていますが、時に議論が詰められていないと逆に指摘されています。税理士も今までは中途半端な提案しかしてこなかったとも思える話ですし、政治家にそのくらいの迫力も必要なのではないかと思います。2番目に、官僚が事務的な部分でしか関わらないので、マスコミに税制改正についてのリーク記事(例えば、「贈与税はこうなる」みたいな決定的な文章の記事)が出ません。この点は、推測での話ですが、マスコミの人たちも税制を本当に理解して記事を書いていたわけではなく、どこかから入手した資料で記事を書いていただけなのではないかと思わせます。議事録を読んだだけでは、確定的な記事は書けませんから、今回の改正のネタ探しは大変だったでしょう。税理士も税の現場に関わる者として、理論的に裏付けされた提案を行うべきです。
とはいうものの、今回の税制改正では、最後はやはり政治決着的な部分が見受けられたのは残念です。政治ですから難しい部分ですが。
税制に関連するもう一つの大事な話は、国家予算の問題です。「具体策見えず」、「・・の視点を欠く」と同じくマスコミの表現は相変わらず意味不明ですが、歳入を超える歳出を行ってきた過去の予算を簡単に止めることができない中で、その編成は大変難しいものだったと想像されます。今回の税調の議論にも出てきたのですが、税を払っている国民が、どれだけ税の恩恵を受けているのか、今まではこの点が国会でもマスコミでも明確にならないまま予算編成が行われてきました。その点を明確にした上で、負担に見合うだけの歳入を確保すべきなのか、逆に歳入に合わせて歳出を削るべきなのか、国民の間で深く議論すべきでしょう。
今回の税制改正は、政権誕生から時間もなく、所得税や相続税の増税の可能性がある部分についての本格的な検討は、来年に持ち越されています。その際には、国民が享受している国の助成と負担のバランスについて検討され、どのような国家運営=財政を望むかという点での議論が行われるべきです。そのためにも、税理士は税のあり方について深く検討すべきですし、マスコミも冷静な記事を書いて欲しいものだと思います。
△景気の行方
今の日本人が感じている景気に対する先行き不安の要因は、株価でも、金の価格でも、上場企業の利益でもありません。それを一言で言えば雇用の問題でしょう。株価や金の価格が上がり、上場企業が利益を出しても、いつもリストラの不安に怯え、給与やボーナスのカットも仕方ないという状態では、気持ちが明るくなるはずがありません。
雇用の安定化のためには労働法の整備が必要だという意見もあります。確かに一定の強制力が必要な局面もありますが、法ですべて縛るのは難しいと思います。基本は、従業員にもある程度恵まれた環境を作り、満足して仕事ができるようにするという経営者の姿勢が必要なのではないでしょうか。
また、グローバル経済が浸透する中で、企業における競争や利益を追求する姿勢にも問題があると思われます。どちらも最後は売上単価の引き下げとコストカットで対応することになります。価格の下落は消費者にとって歓迎すべきだという風潮がありますが、それが結果的に労働コストの引き下げや雇用環境の悪化につながり、自分たちの生活に大きく影響しているのです。モノが水道のように世の中に溢れてくれば、皆幸せになるはずだという松下幸之助の水道哲学というものがありますが、それは松下電器のように、定価販売と一定の粗利益が確保できる上での話です。
ここは一つ、今までと違った視点、効率性ばかりを追求しないとはどのような世界なのか、どのような経済なのか、その結果人々は幸せを感じることができるようになるのか、いろいろな面で検討すべきだと思います。
本当に行き詰まって大変な時代です。しかし、行き詰まっていると感じているだけでは先には進めません。視点を変えてみる勇気を持つこと、そして世の中を大きく捉えてみることで明日が開けていくような気がします。それは決して明るいだけのものではないかも知れませんが、何よりも多くの人が落ち着ける社会がまず作られるべきではないでしょうか。
便利ではないかもしれませんが、少しホッとする社会を目指して参りましょう。
今年もよろしくお願いいたします。
税理士業務のIT化(1)
IT化の中身を説明するのは大変難しいように思われます。なぜなら、ITを進んで取り入れている人にとって、それはごく日常の生活だからです。外見だけ見ると、パソコンやインターネットを使うことなのですが、自分なりにカスタマイズしてみる、トラブルが起きた時にそれなりに対処する、そんな経験の積み重ねを理解するのは難しいでしょう。ただ、誰でも初めて車を運転するのは大変ですが、いつの間にか車のコントロールの感覚が体に染みつくように、ITも自然に体に染みつくものだと思います。あとはやってみるかどうかだけです。
税理士にとっても、このIT化は、真剣に求められるテーマとなっています。まずは電子申告の対応という話でもあるのですが、これだけ考えると、ちょっと片手落ちのような気がします。なぜなら税理士の仕事は申告書を提出するだけではないからです。私たちの仕事からIT化を考え、その中で電子申告を考えるべきなのではないかと思います。
私にとって現在の税理士会の肩書きに、「四国税理士会情報システム委員会副委員長」というものがあります。この仕事のおかげで、税理士のIT化の問題についてはいろいろ考えるのですが、これからこのテーマについて続けて書いていきたいと思います。まずは6月の会報に書いた原稿をアップします。
日本税理士会連合会「税理士界」2009年6月15日号『論壇』原稿
「なぜ電子申告なのか〜明日の税理士像と電子申告〜」
1.はじめに
筆者は四国税理士会情報システム委員会の一員として4年間、税理士会での電子申告普及推進活動に関わってきた。この間、税理士の間でも電子申告の普及がそれなりに進展してきたと思われるが、まだ完成型と言えるものではない。今回は、その間感じた税理士業務における電子申告の位置づけと問題点について触れてみたい。
まず、電子申告の普及推進に否定的な意見の根拠として、税理士会員から一般的に取り上げられるものには、下記のようなものがある。
1)税理士にとっても、納税者にとっても電子申告にはメリットが感じられない。
2)インターネットではセキュリティに不安があり、通信環境も不安定だ。
3)自分自身の業務内容から電子申告が必要とは思われない。
本稿では上記の課題を念頭に置きつつ、電子申告のベースにあるIT化を税理士業務の中で検討し、その上で電子申告にどのように取り組むべきかという方向で検討を行っていきたい。
そもそも「IT(Information Technology)」とは何か。それは「情報技術」とほぼ直訳のような形で訳されるが、「コンピューターやインターネットの発達に合わせて、情報・通信の技術を社会的に応用していこうとすること」だと国内では一般的に定義される(電子申告とは、このITが税務の分野で運用される技術である)。しかし、英語としての本来の意味は、特にコンピューターやインターネットのような最新技術のみを指す訳ではない。グーテンベルクの活版印刷技術も、郵便、電報、飛脚もITである。最新技術の面ばかりに目を向けてしまうと、その言葉が持つ意味を正確に理解することができない。改めてITという意味を考えると、「情報の入手から始まり、加工・分析・保存、そして発信という過程の中で想定される技術的体系の問題である」と言えるのではないだろうか。つまり、コンピューターやインターネットといった技術的問題だけでなく、情報の取扱について深く考えられるべきであり、その上で最先端の技術をどのように活用するかという点に及ぶべきである。
2.税理士事務所における情報管理
税理士事務所にはどのような情報があるのだろうか。納税者に関する情報、税制に関する情報、事務所のマネジメントに関する情報、事務所周辺のランチに関する情報等々、税務に関するものが多いという特徴はあるものの、他の業界の平均的なオフィスと同じようなものであると思われる。これらの情報は、まず何らかの形で入力が行われ(電話や打合せでのメモ作成も大事な入力作業である)、次いで加工、保存、そして最後は必要に応じて発信されるという過程を経る。その結果、事務所の中に残された情報は、体系的に整備され、秘密保持に配慮して保管され、効果的かつ迅速に発信できるように(例えば検索可能な状態)になっていることが理想的である。
ここで、効率的な情報管理を考える場合、コンピューターの存在は欠かせない。航空機が安全に飛行するためには、燃料の消費や高度等に関する各種データ、気象条件といった様々な情報の収集と分析が必要であるが、この点でコンピューターの存在は不可欠であるし、日常生活の中でも、コンピューターは家電製品はじめ様々な分野での制御装置として有効に機能している。
税理士事務所内の情報管理が紙ベースである事務所でも、会計や税務の情報はコンピューターで処理されているというところが大半だと思われる。それは、コンピューターの計算が確実かつ容易であり、処理スピードが速く、データの保管場所がほとんど不要であるといった理由だろう。このことは情報管理の発想からして当然のことである。
インターネットも、同様である。本を買う、書評を読む、出張の手配をするといったことから、ドイツにある古城の入場予約も日本国内から簡単にできる。ウィキペディア(Wikipedia)のようなフリー(無料)の百科事典を利用することも普通に行われる。税理士であれば、国税庁のサイトから特殊な申告書をダウンロードする、TAINSで最新判例を確認すると言ったようなことは決して特殊なことではない。ワールドワイドに情報を入手するにはインターネットは欠かせない存在になった。他にも様々な利用法が可能であるが、ここでは書き尽くせないし、本稿の中心テーマではない。このインターネットが世界の情報管理の発想を大きく変化させたことは事実であるし、電子申告の送信もこのインターネットによることとなる。しかし、世界中からあまりにも膨大な人がアクセスするこの情報ネットワークは、それ故にあまりにも未知な部分が多く、発展途上であって、根幹部分に問題も多い。インターネットが普及を始めた10年近く前には、そこに理想郷のようなものがあると言われたが、実際の発展は必ずしもそうとは言えないようである(この点を鋭く指摘したものに、ニコラス・G・カー著「クラウド化する世界」翔泳社刊)。
3.電子申告の位置づけと課題
電子申告という作業はどのようなものか。それは、事務所のコンピューターからインターネットを通じて、納税者の申告情報を、国税庁のサーバーに送信する作業である。この作業は情報管理という視点から考えてきわめて合理的なものである。そのように考えれば、申告書を紙で出力し、税務署の窓口に持参する行為と、事務所から直接送信する作業のどちらが効率的か。様々な反論は予想されるが、情報処理の効率化という視点を中心に考えれば、電子申告はきわめて合理的な手段である。
しかし、電子申告には課題も多い。例えば、否定的主張の裏付けの一つであるセキュリティや通信環境の不安定という問題がある。これは電子申告に固有の問題ではなく、インターネットが抱える致命的欠陥の一つである。この点については、リスクがあるから行動を控えるのか、リスクを念頭に置いた対応法を事前に図りながら行動するのかという選択となる。仮に、プロとして電子申告に取り組むのであれば、二重三重のセキュリティ対策と送信方法を構築し、電子申告を行うと言うことは当然でないだろうか。そのためにも、インターネットに対する深い知識と理解が求められる。
もう一つの課題は、情報の保存である。電子申告以前は紙ベースで保存されていた申告に関する情報が、電子申告以後も紙ベースという事務所は少なくないようである。それでは情報の電子化を推進した意味が半減してしまう。この点を改善するためには、ペーパーレス化など事務所内の情報の電子化を進める必要があり、それを有効なものとするために、情報の体系化、業務フローの整備、決裁権限の確認、ネットワークの構築等々、マネジメント面での検討が必要である。スキャナの方法など、具体的な電子化に関する資料は多数あり参考となるが(例えば、日本税理士会連合会編集「税理士事務所の情報管理」ぎょうせい刊)、情報の体系化等のシステム上の問題は、一般的な解説書等を読む前に、各事務所の特性をまず分析してみることが必要である。
4.終わりに
電子申告というテーマをきっかけに、税理士の情報管理を取り上げる結果となってしまった。終わりにあたり改めて申し上げたいのは、一人一人の税理士が情報管理について問題意識を持ち、情報の有効な蓄積と活用を念頭に置いて業務を行っていくことであり、その中で、電子申告への取組は検討されるべきである。インターネットの世界も大きく変化していくことが予想される。それを税理士の視点でフォローしていくことも必要である。それは税制改正の研修に熱心に参加すること、納税者とのやり取りを記録することと今や同じ水準である。税理士が、実務面から重要性と緊急性を意識した情報管理を行うことは、事務所の水準を上げることにつながるはずである。そして何より、得られた様々な情報に磨きをかけること、必要に応じて発信することも税理士にとって最も重要な仕事であることを忘れてはならない。
今後も電子申告の推進が求められると思われる。その前に、なぜ電子申告なのか、それが明日の税理士像にどのようにつながるのかという点を明確にした上で推進活動が行われること、そしてそれを税理士自身が自覚することが望まれる。
1度しか行ったことはないのですが、何となくイギリスという国は好きです。日本と違い、機械化されているようでされていない国、物作りはヘタなんだろうなという国、でも細かなことにはこだわらないで国作りをみんなで考えている感じがする国です。もっとも、うちの家内は、ちょっとした英語の表現を訂正されたとあまり良い印象は持ってないようですが。
そんな英国に20年近く住んでいる著者の本です。
英国的発想が良いとか悪いとかではなく(逆に日本がどうのこうのではなく)、彼らがどんな発想をするのか、その背景はどのようなものかと言うことが、しっかり書かれています。
何事にも真面目に、組織全体を考えながら取り組む日本人に対して、大きく物事を捉え、組織ではなく自分のポジションで考える英国人ということになるのでしょうか。それが日常生活ではどのようになるのか?と言うことが何点か取り上げられています。
私とまったく同じ視点だったのは、日本でのサラリーマン時代に、小さな子どもたちと過ごす時間がなかったと反省していることです。英国では仕事を定刻で終えたら自宅で食事するのは当たり前のこと。う〜ん、日本の男たちも、毎日外で飲むなら家に帰るべきですね(英国人はその代わりランチでしっかり飲んでるのです)。
もう一つ面白いと思ったのは、京都に英国人の友人を連れて行った時の話。彼が京都駅に降り立った時に、眼の前にパチンコ屋があり、自動販売機があり、電柱があるのがおかしいと思う視点です。
確かに、私たちは、京都も奈良も(松山も)そのようなものだと普通に受け入れています。が、もし京都の駅に降りた時、1000年前と同じような風景が広がっていれば、どんなに感動的でしょう。
1度だけの英国体験ですが、大学で有名なケンブリッジに行った時、家族と一緒に自転車でちょっと郊外まで出かけました。そこには英国の田園風景が広がっていました。多少の違いはあるでしょうけど、たぶん100年前、見方によっては200年前とそれほど変化はないはずです。京都も、世界から来る人のイメージはそれと同じではないでしょうか。
そのためには、行政手続が大変でしょうって?それって、真面目に組織全体を考える日本人的発想ですね。大変だけど、やるべきものならやってみましょう、と思うのです。
大切なことを忘れていました。この本で教えられる非常に重要なことに、ルールについての感覚と言うことがあります。
その一つ。外に珈琲を買いに行くとき、特定のメンバーの分を誰かが買いに行くという話です。特定のメンバーになるのは、その代金は買いに行く人が負担するからです。その負担するメンバーは、常に交替します。その作業を続けることで、結果的に、そのメンバー間では貸し借りが概ねなくなると言うことです。特定のメンバーになりたければ、「これから買いに行くけど欲しいものはないか」と聞けばよいわけです。参加したくなければしなくて良し。これも暗黙のルールなのだそうです。
2つめ。仕事中に30分から1時間抜け出してジムに行く話。そりゃ英国だって就業規則違反ですが、上司は見て見ぬふりだそうです。なぜなら、ジムに行くことでリラックスし、その分仕事に集中できるから。成績重視の英国ならではと言うことでもありますが、あまりにも完璧にルールを守ろうとする日本人の感性とはずいぶん違います。
私も海外に出かけますが、個人旅行が多く、大変な苦労をする反面、ちょっとルール違反だけど目をつぶってもらうという経験をすることがあります。この感覚は、国際的な交渉には不可欠ですし、日本国内でも、ルール厳守を徹底するだけでは、ルールを守ることがすべての目的になってしまい、柔軟な発想、思い切った発想が生まれないということになります。目の前の行動で本当に大切なのは何か、仮にルール違反であるとすればそれがどのような影響があるのか、その結果この行動は実行に移すべきか。もちろん法律違反は犯してはいけないというのが大原則ですが、コンプライアンスなどという言葉で、あまりにも厳格すぎる日本人のルール感覚、この点はしっかり考え直すべきだと思います。
渡部幸一著「イギリス流『融通無碍』のススメ」講談社+α新書
ファニーメイ、フレディマックの国有化から始まった米国金融界の危機は、リーマン・ブラザーズの破綻、AIGの公的資金投入と続き、世界中のマーケットが大きく揺れています。これは単なる一金融機関の問題ではなく、グローバル化された世界の金融システムに致命的な障害が生じていると考えるべきでしょう。突然起きてビックリという方もいらっしゃるかもしれませんが、実はずっと以前から問題視されていた部分です。マスコミが正面から取り上げなかっただけなのです、というか例えばデリバティブや格付けと言われる金融に出てくる仕組みは、仕組みを理解するのも大変ですし、仮に理解したとしてもその実態を正確に把握することは困難です。今回の金融危機は、公的資金や主要先進国の中央銀行から資金を集めて、いったん救済し、市場を持ち直そうとしています。しかし、それはあくまでも急場しのぎで、金融の根幹部分、つまりデリバティブや格付けといった得体の知れないモノで塗り固められた虚構のような金融市場をいったん破壊してしまい、実体のあるモノ、信頼のあるモノから作り上げていかないと解決できないと思います。今後は、この余波がさらに実体経済や家計にも波及していくと思われますが、市場とは何か、投資とは何か、お金とは何か、そして生きていくとは何かということをちゃんと考えて、暮らしていく時が来たように思います。当分の間、大変な日々が続くかもしれませんが、足許を見直す良い時期が来たと考えましょう。自分の人生と家族と仕事のことをしっかり考えるべき時です。もちろん、暗くなってはいけません。楽しく明るく元気よく。都会の暮らしがしんどいなと思ったら田舎に行けばよいのです。愛媛にある豊かな自然は、ふところ深く受け入れてくれるはずです。パソコンの画面で株の取引を続ける日々よりも、海で魚を釣って、陸で野菜や米を作って、木陰で読書をする毎日の方がどんなに人間的で健康的か。これからは視野を広げて着実に生きていくことがとても大切な時です。
ミモザに続き、ジャスミンの花が咲きました。ミモザは春を知らせてくれますが、ジャスミンは初夏を知らせてくれます。2004年は4月15日に満開になっていますが、今年はGW直前でした。5月の青い空と白いジャスミンの花のコントラストがさわやかです。ジャスミンと言えば、芳香剤にもよく使われていますが、実際の匂いも同じようなもので、GWのわが家には芳香剤は不要なのです。
![]() | ![]() |
![]() | ![]() |
![]() |
今年もミモザの花が咲きました。桜と同じで、去年に比べて少し遅く3月はじめでした。4月はじめ、桜の花と交代するかのように散っていきます。今年は少しアップにしてみましたが、いかがでしょう。フワフワして気持ちよさそう。ホントに春の花です。
![]() | ![]() |
![]() |
2007年のビッグイベントだった英国(主にロンドン)旅行のスナップです。英国 と言えば、食事はまずいというイメージでしたが、妻の知人がロンドンの駐在員 をしており、彼の案内で回ると美味しい食事に巡り会うことができました。また、 写真は撮らなかったのですが、タクシーやバスでの移動も面白い経験でした。ロ ンドンの街の作りがよくわかります。ツアーも良いですが、お知り合いの方がい たり、しっかり本を読んでいけば、治安は悪くない街だけに、それなりに楽しめ ると思います。その知人の言葉ですが、「英国人は敵に回したくない相手だ」。 個人旅行で、地元の人と少しでも交流があることで、彼らの国の作り方、政治に 対する考え方が何となくわかったような気がします。地下鉄でのチケットの交渉、 マーケットでの食料品の購入・・・もう去年の話になってしまいましたが、メモ リアルツアーでしたので。
このコラムでは久しぶりになりますが。
ちょっと珍しいミモザの花です。わが家の玄関先で咲いています。冬の空気に
少し春を感じる頃に咲くので、わが家では春を知らせる花になっています。もち
ろん今年(2007年)は大変な暖冬でしたから、季節の変化を感じることはで
きませんでしたが、この黄色い花ですごく元気になったのはいつもと一緒でした
(「確定申告もがんばらなくちゃ!」と言ってくれてるみたいです)。ただ、こ
の花が終わると枯れた花びらと種で庭の掃除が大変になります。お向かいのOさ
んにはホントにご迷惑をおかけしております。ちなみに、今年の開花は2月18
日、いつもより10日ほど早かったようです。
![]() | ![]() |
![]() |
わが家の狭い庭に咲いたジャスミンのアーチです。毎年GWに花開いてジャスミン独特の香りが庭一面に漂います。最近携帯電話を買い換えました。最近の携帯でカメラ機能は欠かせませんね。2004年4月15日撮影。
![]() | ![]() |
10月12日付の日経新聞に家計の資金不足についての記事が掲載されました。そこで、日銀の資金循環統計のデータを確認すると、家計部門の資金過不足は、下記のようになります。
2003年 4−6月期 10兆 258億円 2003年 1−3月期 △ 17兆 682億円 2002年 10−12月期 13兆 1324億円 2002年 7−9月期 △ 7兆 4389億円 年間計 △ 1兆 3489億円
景気が回復基調であると各方面で言われていますが、家計の資金が赤字であることを考えると、景気回復=リストラ=人件費の削減であって、勤めている会社に利益は出たが、自分の給料が減らされた(または、クビになった)ので、家計はマイナスとなったと言えるかもしれません。なお、これはあくまでも私の推測であり、統計の理論的な解説は専門家の視点も加えて検討されることをお勧めします。
ちなみに、1400兆円と言われた個人資産の推移は、下記の通りです。
2003年 6月期 1385兆 4425億円 2003年 3月期 1368兆 7337億円 2002年 12月期 1388兆 1290億円 2002年 9月期 1389兆 702億円
安定していると見ることもできますが、わずかながらの減少、良く表現しても伸び悩みですね。収支が赤字なのですから、貯蓄も増えるとは考えにくく、これからのことを考えると不安です。
では、家計が赤字になった原因として考えられるものは何でしょう?
- 今まで家計を貯めてきた年齢層がさらに高齢化した
- 家計を貯めない層の比率が増加した
- 貯めたくても貯められない(それどころじゃない?)層が増加した
私の周りを見ても、毎月の収入をしっかり貯めて、その残高が必ず増加しているというお家はほとんどないのではないでしょうか?その理由は、
- 収入が減少している
- 貯める以前に消費に回したり、ローンの返済に充てなければいけない
といった点が原因だと思われます。これは30代40代の話で、20代になると、就職口を得るのも至難の業です。結局、これから家計の収支がプラスに転じることは考えにくいようです。
このまま家計に資金が回らないということになれば、どうなるのでしょう?
- 消費に結びつかない
- 企業は依然として設備投資が出来ない
- 国債等の公的部門の赤字を解消できない
- その結果、社会保険や税金の国民負担は増加する可能性があり、さらに家計にダメージを与える
- 社会不安が増大する
- 上記の結果、日本全体が明るくなるにはなお時間を要する
これに、政治が先見的な視点で国民をリードするとは考えにくいという条件を加えれば、お先真っ暗です。明らかに、日本の各セクションでお金は足りなくなってくるのが実際のようです。
インフレになればすべてが解消するという話もありますが、インフレは現在の貯蓄を間違いなく減少させます。収益獲得能力が落ちてなければそれで良いのですが、高齢化が進展した日本では、それも至難の業だと思われます。
もちろん、悲観しすぎてしまう必要はないと思います。日本人は基本的に勤勉ですし、製造業でしっかり外貨を稼いできた国です。今までの保有資産もしっかり持っています(これ以上の無駄遣いは出来ませんが・・)。ただ、今までの経済構造は大きく変化しており、それが個人の生活に将来的に影響することは間違いなさそうです。その日が来る前に、個々の家計がしっかり採算が取れるようにがんばらなければならないのではないでしょうか?その際に必要なのは・・・
- 国(お上)を当てにしない
- 自分が出来る仕事を見つける
- 見栄を張らない(自分のスタンスをしっかり維持する)
- しっかり勉強する
ということではないかと思います。
高度成長の結果得られた繁栄の上に日本の飽食があり、その転換点がバブルの崩壊であり、消費者金融〜多重債務者〜住宅ロ−ン地獄ではないかと思います。収入の先細りの可能性があるのであれば、消費者金融に走るのではなく、思い切って出費をカットするような迅速な意思決定が求められます。衆議院選挙で、国家財政の問題を議論することも大切ですが、同じレベルで家計をしっかり見つめなおすことも早急に求められています。
将来を悲観せず、しかし足許をしっかり見てまいりましょう!
■江戸岡小学校について調べたこと、考えたこと
自己紹介では省略しましたが、私が通った小学校は愛媛県八幡浜市の八幡浜駅の近く、江戸岡小学校というところです。愛媛の片田舎で「江戸」というしゃれた言葉が使われたこの地名が私は好きでした。この小学校の校舎が、今年の夏で、老朽化のため取り壊されることになり、ちょっとしたイベントがあったのですが、同時に私たちの代(昭和46年3月卒業)でミニ同窓会を開こうと言うことになりました。その時に深く考えさせられることがあり、ここでまとめて書いておきたいと思います。
まず、当時(昭和40年前半)児童数は600名を超えていたような記憶があるのですが、今は250名くらいに減ってしまっています。1学年1クラスですね。そのため一部には廃校の話があったようです。そりゃこのままでは、これからも児童数の減少は間違いなく続くだろうし、狭い市内で(八幡浜市って本当に狭いんですよ)、この校庭の有効利用を図ることが出来れば経済的には良いことだと思います。逆に、自分の学んだ学校がなくなることはまず寂しいし、政治的な問題も絡んで、反対意見もあるでしょう。問題は、この学校を潰すことで、それが1地方都市の活性化に一体どこまでつながるか?と言うことです。学校ってあるだけで地域の活性化につながっているような気がします。子どもの数がまったく維持できないのなら廃校も仕方ないことですが、効率性を重視しすぎてはいけないような気もします。そうでなくても、世の中あまりに効率性=お金儲けに走りすぎてる時代ですから、維持する意味がまったくないとは言えないような気がします。
もう一つは、今回の件で江戸岡小学校をネットで調べたところ、この小学校が、「随所にちりばめられた採光技術、子どもの体格を考慮し設計された緩やかな階段、整然と並んだ窓々が織りなす洗練されたデザイン」の松村正恒建築の代表作であるということです。黒板とかランドセルを入れる棚とか壁が必要なところ以外はすべて窓ガラスなのです。廊下も当然はきだし窓。その明るい廊下で、私たちは座り込んで本を読んだり、女の子の話しをしたり、けんかをしたり、みんなでおはじきなんてしてました。教室は子どもの視点で作られていたってそういうことだったんだ、とその時の光景を思い出しながら改めて実感しました。
この2つのテーマはじつは共通しているように思えます。建築家は学校の設計に当たって、そこで学ぶ(遊ぶ)子どもたちや、先生、用務員さんのことを一所懸命考えました。その結果、とてもやさしい校舎が出来上がったのです。当たり前のことですが、30年前の私たちにとって、学校とは日常生活であって、毎日通う学校は面白くもなんともなかった。でもそこにはいろいろな人の思いがたくさんたくさん入っていたのです。時代の流れとともにその校舎はなくなります(木造校舎だからどうしようもない)。今、子どもたちの数は日本からどんどん減っています。そして、同じくらいのスピードで、日本から、他人を思う心、優しい心が消えていっているように思えるのです。子どもを育てること(愛すること)は大変なことですが、育てた大人も間違いなく成長します。そして、子どものいる家庭はとてもホッとする場所です。今の日本の社会に必要なのは、お金やモノではなくて、もしかすると子どもなのではないでしょうか?もちろん、効率化された社会の中で、雇用機会は加速度的に喪失されており、社会環境も同じく悪化しています。財政も政治も会社も何もかもメチャクチャ。そんな国で子どもを産み、育てることはとても大変なことだという意見もあるでしょう。だけど、効率性だけを求めてよい時代ではもはやないような気がします。子供が生活でする無駄ほど今の日本に必要なものはないような気がします。子どもと一緒に日本も成長しなくちゃいけないと思えるのです。
私たちが小学校で学んだ昭和40年代、日本はまだまだ貧しかったけど、精神的にはとても幸せだった・・・ような気がします。日本でもサイコーに過疎の町八幡浜にも人がたくさんいて(今、人口3万人の町に、当時はナント5万人もいたのです)、全国どこの地方もとても元気でした。それから30年。多くの人々は東京に出かけて行き、特に90年代以降、金の集まるところ、金融センターに集まって、で、911やイラク戦争のような荒んだ時代になってしまいました。昔の良き時代を懐かしく思い出すというのではなく、田舎や家庭に帰ることに、今こそ何か大きな意味があるような気がします。そして、私たちが6年間学んだその校舎には何かが詰まっているような気がするのです。当時の校舎は消えてなくなりますが、6年分その思いを体と心に刻んだ者として、その思いをこれからの人たちに伝えていかなくてはならないと思うのです。
江戸岡小学校の校舎とその設計をした松村正恒氏については、下記のサイトに掲載されています。
http://web.jia.or.jp/jia/topics/kenchikuka/dat/matumura.htm
http://web.jia.or.jp/jia/topics/planning/20centry/9902.htm
http://www6.ocn.ne.jp/~hase-e/matumura.html
■同窓会について思うこと
同窓会を学校で開いたのは、私たちの代だけだったようです。50年の歴史の中で、他の代でも開催されるのかと思いましたが、やっぱり人を集めるってエネルギーのいることですね(ちょっと寂しい)。中心的に幹事をしてくれた堀田(旧姓:山本)雅子ちゃんと瀬尾のたっち他八幡浜のみんなには心から感謝!です。小学校の教室にお弁当と内緒でビールを持ち込みました。まさかこの教室でビールを飲むことになるなんて、当時のみんなが、ドラえもんの引き出しを使ってその場に顔を出したら、絶対驚くでしょうね。
ミニ同窓会の感想です。3クラス約120名中18名の出席。東京から実家に寄らず直接来てくれた者もいて、結構にぎやかでした。不思議なのは、みんなの顔を覚えていることです。4年に1度やってる高校の同窓会では、名前と顔が一致しない人がいるのですが・・・。同年代としてはみんな若く見えるのが理由だ、と勝手に結論付けました(自己満足?)。
もう一つの話題は、卒業文集です。将来何になりたいか?っていうよくあるテーマですよね。男の子は宇宙飛行士になりたいっていうのが多かったようです。当時は、アメリカがアポロ11号で月面着陸をした直後で(1969年7月20日です。)、スペースシャトルのような今のイメージとはちょっと違うんでしょうね。お世話をしてくれた堀田雅子さんは、「公害問題をなくしたい・・」だったそうです。高度成長期で、日本中の工場からの公害が大問題になっていました。製造業が衰退した現状では考えられません。今は母として、取り組んでいらっしゃいます。では、私は何になりたかったのか?当時はナント医者でした。すっかり忘れていて、ショックでした。そういえば、両親に言われて、素直に当時の成績優秀者が集中した医者志望だったんですね。でも高校で理科の成績が伸びず、アッサリ断念。一転、弁護士志望で法学部に入ります。そのつもりだったのですが、おじさんみたいな司法試験の浪人生を見てまたまたアッサリ断念(今や100名を超える慶應の合格者も当時は20名少しだったような気がします)。結局、たどり着いたのが税理士・・・という自分の人生を振り返ることになってしまいました。私としては、難局を避けて今の立場に置かれてますが、今やっと自分の人生に正面からぶつかろうとしてるような気がします。それから当時の文章が妙に大人びてて味気ない。写真もそうでしたが、ホントに優等生の坊ちゃんです。悩むこと、難問を避けることも若い時には良い経験だと思います。でも、どこかで必死にならなきゃいけない環境に自分を置く(置かれる)。その時が勝負です。その時の「がむしゃら」で人間は変われると思います。
今回の同窓会で私はとてもストレスを発散することができました。なぜなんだろうと考えたのですが、一つは上に書いた学校の設計に対する建築家の思いをしっかり感じたこと。もう一つは、小学校の友達って、仕事とか社会的地位をほとんど無視して話ができるということです。もちろん、あまりに久しぶりということもありますが、小学校の同級生独特のものかもしれません。この反対が大学の同窓会です。これはすぐに仕事に直結します。大学卒業して入った会社を辞めたとか、部長になったとか・・・。小学校時代の友人とは、次に中学校があり、高校・大学とあるわけで、「今の会社の地位とか収入なんて、今はそんな話ええやん」です。自然とそんな意識で会話が進んでいたような気がします。
以上が私の短い夏休みのひとコマ・・・でした。皆さんが通った小学校は、今どうなっていますか?たまに校庭をのぞいてみませんか?
7月23日金融庁長官が東京海上に対して恫喝をしたという件で民主党議員が刑事告発を行いました。同じ日、国税庁が東京海上の税務調査で40億円の課税漏れを指摘し、東京海上は国税不服審判所に審査請求を行ったと報道されました。金融庁と言えば、元は同じ大蔵省ですね。何となく不思議な印象を覚えました。で、もう一つ不思議なことに、各新聞社のサイトには、税務調査の件は掲載されているのですが、刑事告発の件は載っていませんでした。ブルームバーグやロイターといった外国系の報道機関には逆に刑事告訴の件が大きくアップされていたのですが・・・。なんともおかしい感じがしたので、思わず某大手新聞社のサイトにメールしたところ、「総合的な判断で外したものと思われる」とのことでした。大きな新聞社だから、メール窓口担当の方が、デスクトップの判断を完全に理解されているとは思えませんし、かといって何らかの意図が働いているという証拠も全然何もないのですが、ご丁寧にいただいたメールの内容について素直に納得できませんでした。だって、金融庁とのやり取りをめぐって、東京海上から内部告発があったので、見せしめに国税庁が厳しい指摘を行った・・・と想像できなくもないじゃないですか?完全な私の妄想かもしれませんが、でも不思議だ。もしそれが妄想でないとすれば・・・。涼しい夏のこわ〜いお話でした。
監査を業務とする公認会計士の大幅な増員が予定されています。上場企業だけでなく、公益法人や公共団体まで監査が必要な状況で全然足りないんだそうです。確かに会社の効率化を図り、税金の無駄遣いを避けるために、無駄がないか?予算通り執行されているか?というチェックは必要です。世の中の流れはそれが当然だとなってしまっています。しかし、本当にそうなんでしょうか?監査優先の組織の考え方って、一体どんなものなんでしょうか?
「監査」とは株主(国家では納税者)その他の利害関係者のために組織が健全であるかをチェックすることです。そのために、無駄なお金を使わず、効率的な運営が行なわれているか?がポイントになります。しかし、「無駄」って何なんでしょう?無駄をするからその価値に気がつくことってないですか?会社に入って大失敗して、でもその失敗が大きな糧になってるってことはないですか?今は「何でも良いから失敗するな!」の気風が日本中に充満してるような気がします。何か新しいことをしようとする時に、後で厳しくチェックされると思えば、萎縮して何もできなくなります。何もしない方が良いと思うかもしれません。そのような環境で、思い切った仕事や創造的な仕事ができるのでしょうか?繰り返しますが、だからといって税金の無駄遣いや株主の信頼を裏切ってよいといってるわけでは決してありません。ただ萎縮した会社や国家に、思い切った改革はできないと言うことです。今の日本経済に求められているのは、過去にこだわらず、腹を据えて新しい日本を創造することです。
若者はチェックする側ではなく、チェックされる側にどんどんまわるべきです。私たちが大学受験の頃(25年位前)、成績優秀者は皆医学部を目指しました。しかし、おそらく今は、当時想定した独立開業は大変難しい状態になっています。公認会計士人気も同じ道を歩まないとは言えません。世の中に翻弄されないで、自分の道をしっかり歩いてほしいものです。
(私もこんな大人のコラムが書けるようになっちゃったんだな・・と少しさびしい気持ちです。)
日産カルロスゴーン社長のインタビューが朝日新聞に掲載されています。
私は自分で車に乗るようになってほとんどずっと日産車ですが、2002年の秋、松山のディーラーに車の点検を持ち込んだところで、偶然その営業所の視察に訪れたゴーン氏に会いました。別に握手も挨拶もなく、ただ見かけただけですが、そこですっかり彼のファンになり、売れなくても日産のユーザーであり続けたことをとても誇りに思いました。ファンになったのは、ただ会ったから・・と言うわけではありません。その時の彼の振舞いを目撃したからです。すでに、多くの方にはお話しましたので、簡単に・・・。日産のような大企業の社長が、田舎の松山のそれも小さな営業所に来て最初に取った行動が、歓迎のために玄関前で待ち受けた全従業員(事務の女性からつなぎを着たサービスマンまで)と握手を交わし、話をすることだったということです。しかも、ゴーン氏は常に聞き手でした。大袈裟な話ですが、私の人生の中でもひじょうにショッキングな出来事でした。素直に、日産の社員をうらやましいと思いました(ちょっと前までとは全然違う!)。日本経済再生の道は、ゴーン日産に必ずあると思います。
記事の中からゴーン氏の教訓を整理すると、次のようになります。
1.現場から学ぶ
2.組織・序列・歴史・他社にこだわらない→もっとも大切なことは何か?を考え、実行する
3.リーダーシップを学び、発揮する(本当のリーダーシップとは?)
4.自分の実力と将来を冷静に信じる
これはとても参考になる話です。その中で、日産の中の抵抗勢力のパワーを逆に上手に利用することで、改革に成功したという部分があります。小泉さんは「ぶっ潰す」と言って動けなくなりつつあるわけですが、この部分はリーダーシップの実践にとってとても大切なことだと思います。人は、常に時代の変化についていかなくてはいけないんですね。でも、立ち止まってしまう人がいる。その人は決して悪い人ではないはずです。ただ変化しないと遅れてしまう。その変化に気づかせてあげることが必要です。これがリーダーとしての大事な役割です。
リーダーシップ理論は、本当に深くて、しかし日本再生には必要なものです。もちろん自分の会社を良くするためにも必要です。が、簡単に書くことができません。ひとまずゴーン氏の話をじっくり読んでみてください。またお話することにします。